第55話 お見舞い
手薬煉はわかりにくい奴だ。
人として頭がいいからわかりにくいとか、バカだからわかりやすいとかそういうのではない。
どちらかというと手薬煉がわかりにくくしている。自分を表に出しすぎぬように調節している。柔和な笑みも、穏やかな口調もその隠れ蓑である。
そんな風にさえ感じてしまう。
その手薬煉が学校に来ていない。
別に友達が一人休んだだけなら、病気かな、心配だな、で終わる。そこまで気にすることでもなければ、何かアクションを起こすこともない。
そう、明日になったら元気になるだろうとか特に根拠のない健康への信頼を口にして一言、スマホで『病気か? お大事に』などと付け加えるだけでいい。いや、それさえもないのか。
――ただ、ちょうどいい機会だ。
そんな風に思ってしまう自分はロクでもない人間だ。
その日はひたすら真面目にノートをとった。
きっちりと、見やすく、わかりやすくそして忠実に。黒板に綴られていく白いそれを、自分はノートに黒で写しとるだけの作業。そこに深い理解や複雑な思想はなかった。
昼ごはんを食べ、三人とのほほんと会話し、また掃除と授業が始まる。
財布の中の小銭を確認しつつ、頭の中で計画を立てる。
夕食は七時。連絡を入れて遅くしてもらうか、外で食べるからといって時間を延ばすか。残された時間はどちらにせよ数時間ほど。その間に何ができるのか。
ノートをとりつつ、不必要なことを書くためだけの一冊無駄にあるノートにつらつらと要素を書き出していく。
そもそも、俺は手薬煉の家を知らない。
高校では休んだ生徒のプリント類は一度先生が預かり、次に来た時に渡す。つまり「家の近い人は届けてあげてー」という小学校に特に見られがちな展開はないわけだ。
つまり何もアクションを起こさなければ、手薬煉が休むのを待つか、スマホでという顔の見えない状態で探り合いをしなければならない。
それは実に望ましくない。
時間をかけてもいいが、顔が見えないのだけは避けたい。
ならば、ダメ元でいこうか。
まずは手薬煉にメールに連絡を取る。
今日お見舞いにいきたいから、住所を教えて欲しい、と。
これで授業終了まで二時間と少し。
保険をかけるためにどの手順を踏むかを考える。
授業を終えて、荷物が机から離れる音があちこちから聞こえてくる。
隣の教室を覗き込み、目的の女子を見つけ出す。
「なあ、日野」
「ん? どしたの?」
唐突に話しかけてきた俺にも特に拒絶を示すことなく応じる。
「お前の姉さんに連絡つく?」
「つくけど、どうして?」
弱めの警戒、そして疑問。
当たり前の反応だ。ここで黙って連絡をつけろといえば拒否されるだろう。一度不信感を持たせてしまえばそのあとの説得は困難になる。
だから、わかりやすい理屈を用意する。
「手薬煉が休んだんだ」
「うん」
「で、ちょっと手薬煉の家にお見舞いでも行こうかと思って」
「行けばいいんじゃないの?」
その聞き方に悪意や含むところはなかった。
何故そうしないの? と純朴な思ったことをそのままに態度に出している。
「手薬煉の家を知らなかったんだよな」
「お姉ちゃん、関係あるの?」
「家庭教師してんだろ、その生徒が手薬煉なんだろ?」
「えっ? そうなの? あっ……」
聞いてきた話の中に心当たりがあったのか。
「で、住所を知ってればなーと」
「んー、でもお姉ちゃん西下くんのこと知らないから会ってくれないかもー」
「まあ、この前会ったから。とりあえず手薬煉くんが休んでるんだってー西下くんが言ってきたぐらいを不自然じゃなけりゃ」
「うん、お姉ちゃんとはけっこー喋るし大丈夫かな」
そう言うとスマホを取り出し、指でスルスルとメッセージを打ち込んだ。
最後にタップを一つ打つと、その様子を眺める。
「ありがとう。じゃあ」
「えっ、いいの?」
「あー……じゃあお姉さんが聞いてきたら俺のメアドでもなんでも教えといて」
そこまで言ったところで、俺と日野は連絡先を交換していなかったことに気がつく。
「じゃあ交換する?」
「頼む。QRコードでいいか?」
「オッケー」
アイコンが浮かんで交換が終わる。
「あ、お姉ちゃんから返事きた」
「どうだった?」
「……西下くん、お姉ちゃんとどんな話したの?」
「えっと、俺のこと知ってたよな?」
「一緒に行きましょう、だってさ」
「マジかよ」
予想以上のリターンだった。
◇
待ち合わせは初めて会った場所で。そんなロマンチックなことを言われたが、まったくもって意図は不明。
日野は「お姉ちゃんが来るまで」と待ち合わせ場所までついてきた。俺はそれを適当にあしらいながら、コンビニで本日のノートをコピーしてカバンに入れた。日野はずっと不服そうだった。
この姉妹は、わけがわからない。
どちらも好かれるほど一緒に過ごしていないし、理由もない。
だから姉の方がそういう巻き込み方をすることも、ついてくる妹についても理由はさっぱりだ。
もちろん。俺が観察してきた時間が足りてなくてわからないとか、純粋に興味がないとか、もしくは手薬煉に気を取られてそちらに割り当てる思考の余裕がないだけかもしれない。
ただそれら全てが改善したところで、推測からその理由が得られたとしてもあまり役には立たないだろう。
途中、店に寄ってスポーツドリンクを購入していた。どうやらお見舞いにするらしい。そしてピンクと白の缶詰を片手で持ち上げてしげしげと眺めている。
「お見舞いと言えば……桃缶?」
俺の方を見てそんなことを言う。
あまり知らないからな、その感覚は。
好きにしてください、と力の抜けた笑顔を返した。
手薬煉の家について名乗るとやたらと歓迎された。
母親が「どうもー」などと気の抜ける声でお礼を言ってくるのを日野さんの背後で聞き流す。
日野さんが一緒にいたことも大きいだろう。
あれよあれよと手薬煉の部屋まで招き入れられた。
手薬煉はベッドに寝ていた。
……なんつーか、家庭教師相手に寝間着は見せたくないよなぁ。
不憫だな、とか同情ともつかぬような感情を手薬煉に送る。
手薬煉が布団の中からこちらを見るとしばし黙り込んだ。
「……えっ?」
どうやら見舞いが来たという母親の言葉を現実に二人を見るまで認識が追いつかなかったらしい。
どころか、何故か俺と日野さんがいるもんだから余計にだろう。
信じられないものを見るように言葉を探している。
「お見舞いに来ちゃいましたー」
「えっと、その、日野さん、なんで?」
「なんでって、家庭教師が生徒のお見舞いに来ちゃダメなの?」
「いえ、そんなことは」
珍しく慌てた手薬煉が見られた。
同時に俺がいることに複雑な顔をしている。
不満、と一括りにするには負の感情が足りない。安堵混じりの縋るような目に、ここに来たことの目的を達成するのは幾分か楽そうだとも思った。
「ああ、そうだ」
俺は先ほどコンビニでコピーした本日のノートをカバンの中から取り出した。
我ながら気がきく、とやや得意げな顔で。
「ありがとう」
「おう、貸し一つな」
気を遣いすぎないように、そうやって軽くおどけてみせる。
その様子を楽しげに日野さんが見守る。俺らのやりとりは彼女にとって微笑ましいとかそういう類のものなのだろう。それが妙にむず痒い気がして、一歩距離をとった。
「私からもお見舞いお見舞い」
そう言って先ほど購入したスポーツドリンクと桃缶を机の上に置いた。
先ほどと同じように、さほど元気はない声でお礼を言った。
どこかが悪い、というよりは全体的に疲れている、といった具合か。
「体の調子はどうだ?」
「朝方は熱があったけどもうひいたから、わざわざお見舞いにくることなんてなかったのに」
「じゃあ明日には学校に来れそうだな」
「そうだよ」
過保護だ、心配のしすぎだ、とやや拗ねるようにぶっきらぼうな返答。
やや幼い、というと馬鹿にしていうようにはなるが普段が大人びているからかむしろ年相応の反応。
同時に、手薬煉は俺が日野さんを連れてくるような形になったことに気がついているのだろう。
大学生の日野さんに、手薬煉の出欠を知る機会はない。
クラスの違う日野が、わざわざ手薬煉の休みを姉に伝えるとも思えない。
それらを一つ一つ踏まえていくと、手薬煉が休んだことは俺の口から日野姉に伝わったと見るのが自然か。
もちろん、手薬煉の両親のキャラや日野さんとの仲のよさとかにもよるけど。
「……」
「どうした?」
「ああ。いや、なんか新鮮だな、と」
ああ、俺と手薬煉と日野さんがここにいることが、か。
改めて手薬煉の部屋をじろじろと不躾に眺めやる。
とはいえ、思春期男子の煩雑さは以外とない。病気だからこそ、か。よく整理整頓されていて、余計なものは机の上にほとんど出ていない。せいぜい読みかけの本が一冊。
――もしかして親が片付けていったとか?
あれ、苦手なんだよなぁ。別に見られて困るものは部屋に置いてないけど、やっぱり自分のテリトリーとして認識されてるところを親に漁られると気恥ずかしい。
「お、本か。何読んでるんだ?」
だから俺も人の部屋で何かをするときはこのようになるべく確認を取る。
「ああ、見ていいよ」
手にとってパラパラと冒頭を流し読みする。
一時期ドラマ化もした、物理学者が事件を解決するミステリー小説。その中でも映画化した数学者が出てくるものだった。
「面白いよな、これ」
誰に向けるでもなく共感を投げる。
「へー、あ、言ってたよね」
日野さんがあっけらかんと題名に気がついて、思い出したように続ける。
その口ぶりからはあまり詳しくは語られていないのか。おそらく読んだことはないのだろう。
そこで手薬煉は読みますか? とか貸しますよ、といった話題の共有には乗り出さない。
そこで部屋の扉がノックされる。特に返事を聞くことなくドアは開けられ、お盆を持った手薬煉の母さんが顔をのぞかせた。
「わざわざお見舞いに来てくれてありがとうねー、日野さん、西下くん」
そう言ってお茶と個別包装のチョコパイを置いていった。
そして邪魔をしては悪いからとばかりに引っ込もうとする母親に日野さんが追従した。
俺は何の遠慮もなく目の前のチョコパイを一つ指で掴み取り、その包装を軽く開けた。
「病人は甘いものはキツイか?」
「さすがにチョコはね。それ、クリームも入ってるし」
緑茶は口をさっぱりさせるにはいい。
口に放り込んでもふもふと甘さを堪能した後、その名残をお茶で流す。
挨拶を終えたのか戻ってきた日野さんも同じようにならう。
居心地は悪くはなかった。
弱っている手薬煉こそ新鮮だが、汚らしさや見ていて胸が痛むような切実さはなかった。本当に疲れて寝てたぐらいの顔色だし、会話が少ないのは単に日野さんもいるから戸惑っているだけだったり。
これが日野さんだけ、手薬煉だけで二人きりなら話題も絞れただろうが。
そのゆったりしたノリをどう捉えたのか、日野さんが立ち上がった。
「あ、もうこんな時間だ。私はもうそろそろいくね? 手薬煉くんはちゃんと寝て、明日は元気になってね」
最後まで穏やかな笑顔は崩さないままに帰ってしまった。
――手薬煉に話したいことが、日野さんに聞かせたくないことだと気がついたのか?
どちらでもよかった。
それによって俺のとる行動は変わらないし、手薬煉が答えるものだって変わるわけでもあるまい。些細なことだ。
「いい
「一日休んだだけの生徒にお見舞いまで来てくれるし」
「大学の帰りとかじゃねえの?」
「あの人の家と大学、僕の家から見て全然違う方向なんだよ」
「勘違いしそうになるよな」
「まあね」
探るように。手繰るように。
二人のセリフは副音声のように、別の意味を暗示していて。
変な喩えではあるが、その副音声が聞きたくて穴があくほど人の顔を見ている。
「もう少し、いてもいいか?」
「もちろん」
ここからが本番なのだろう。
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