第54話 撹乱→錯乱

 何から話すのか。

 俺からの声が聞こえていないかのように、火矢はこちらを見たまま微動だにしない。

 鳩が一羽、校舎の中へと飛び込んでいく。それに意識だけを向けて、目も顔も向けずに見送った。こんな時でなければ適当に追い掛け回していたかもしれない。

 火矢はそれを歯牙にも掛けない。もしかしたや火矢もまた、見て見ぬふりをしているだけなのかもしれない。

 そんな風に、共通点を探りながら。


「名前を名乗ってなかったか」

「西下先輩で、あってますか?」

「手薬煉から聞いたか」

「あの人はクラスメイトの話をたまにしてくれます。その時、一番話題に出るのが西下先輩の名前でした」

「それで検討をつけた、と」


 くだらない問答だ。そこにあるのは確認ばかりで、新たな発見はない。だが会話にはリズムってものがある。だからこんな会話でも少しは楽しんでいかないと。


「それで」


 火矢はやや焦るように早口で急かした。


「えっと……西下先輩は、手薬煉先輩のことをどう思ってますか?」


 酷く曖昧な質問だ。情報不足、定義不足、条件不足。何もかもが足りていない。

 ともすれば手薬煉を悪く言おうとしているかのように誤解を招きかねない。これから悪口を言います、だから貴方は批判的かどうかお聞かせください、と。


「いい友達だと思ってるよ。よく喋るし、いいやつだ。不愉快なことをしないし、喋ってて楽しい」


 だから、こうして無難な答えではぐらかされる。

 嘘じゃないさ。本気でそう思っている。だけど火矢、お前が欲しいのはその答えじゃないよな。

 背中はややひんやりとしていた。木製の椅子の背もたれと柱の間にある段差を感じながら、もたれているからだ。

 火矢は居心地が悪そうに足の位置を変える。


「で、聞きたいのはそれだけか?」

「いえ。なら、どうして手薬煉先輩を困らせようとするんですか?」

「人聞きが悪いな。ワザとやってるかどうかもわからないのに」

「ワザとじゃないなら、貴方には離れることをお勧めします。あの人はすごく――将棋が強いです」

「は?」


 一度、取り繕うのも忘れて間抜けに聞き返す。


「だから、あの先輩は将棋部の……剣道の大将とかと一緒です、エースで、花形で、一番強い」

「あいつ、そんな将棋が強かったのか」


 素人からすると、半年でも一年でも真剣に将棋に取り組んだことのあるやつなんてのはデタラメに強い。

 ましてやその中での強さのランクなぞ推し量ることができるはずもない。

 素人でも定石や構えの基本を知れば変わるものではあるだろうが、その程度で追いつけるならば苦労はしない。


「せっかくの高校二年、手薬煉先輩はこれからなんですよ。くだらないことに妨害されるなんて――」

「――くだらないと、本気で思っているか?」


 火矢の苛立ちの正体に気がつく。

 見透かされたことに、火矢は気がついたのだろうか。

 彼の主張を遮ってまで行った、その問いかけに、火矢は少なからず怯んでいるようだ。


「本当は、お前が手薬煉に見てもらいたい、相手してほしいんだろう?」

「そんなわけ、ないでしょう? そんな子供みたいな。論点をズラすのはやめてもらえませんか。僕は今、先輩が手薬煉先輩に余計なことを言うのを止めようとしてるんです」

「お前が手薬煉のことを考えて、手薬煉のために動いてるのはわかった」


 手薬煉のことを敬愛してるのも、な。

 要するに気にくわないのだろう。

 自分は部活の後輩の一人としか見てもらえないことが。

 それに対して俺が、俺の一言が手薬煉をああも動揺させていることに。

 部活動で、将棋を通してしか構ってもらえない、見てもらえない。だが自分はそれが正しいと思っていたし、それでいいとも思っていたのだろう。彼が敬愛したのは「将棋の強い先輩」だったのだから。

 確かにだった・・・のだろう。

 過去形で語られるそれは、もう違う言葉に言い換えられるべきなのだ。

 火矢は手薬煉てぐすね足法あしのりという個人を見て、尊敬を向けている。

 でなければこうして部活と関係ないところで、知らない先輩につっかかったりするはずもない。

 最初に向けた苛立ちは、その感情の処理がわからなくて俺のせいにしたが故の不完全燃焼だ。


「で、それは本当に手薬煉のためになるのか?」

「少なくとも僕はそう信じてここに来ています」

「じゃあ例えば、俺が言ったことが手薬煉の問題を刺激したとして、しなかったらその問題は消えて霧散するのか? 何もなかったように」

「……先輩は、手薬煉先輩の何を知ってるんです?」


 ふ、と空気が変わった。

 火矢の追及から俺との問答へ、俺との問答から今度は俺の話を火矢が聞くことになっている。

 その立場の変遷は俺が半ば意図的に作り上げたものだ。

 相手の望む答えを与えず。

 相手が気になる餌をちらつかせる。

 そして俺が止めるかどうかではなく、手薬煉の問題をどうするかへと話題をすり替えている。

 最初はまだ、論点をズラされて気がつく冷静さがあったはずなのに。

 それは多分、俺の指摘がゆっくりと、火矢を焦らせて冷静さを奪っていったからか。


「本人のいないところだしな」


 言外に、詳細を語る気はないと宣言する。


「もしも手薬煉が変になった原因が俺なら、というか俺との会話なら、心当たりはあるといえるが」

「……聞けたら、苦労しませんよ」


 そのぼそりと俺に聞こえにくいように呟いたそれにはありありと不満が見てとれた。


「で、先送りにした問題が三年の一番大事な時期に爆発したとして。お前は後悔しないのか?」

「わからないでしょう、そんなこと」

「ああ、わからないな。もし先送りにしてうやむやになったそれが、手薬煉の人生で大切な一面を持っていても。どうなるかはわからない」

「だったら」

「だからこそ、お前に俺を止める権利はあるのかって話だよ」


 ズラして、切り替えて、すり替えて。

 そうやって誤魔化したそれをあたかも予定調和のように繋げて戻す。

 正面からからではなく、迂回したことで一度納得しかけたそれを添えて。

 そうやって話を絡めた。

 火矢は少しずつ混乱してくる。


「ちょっと、整理してきます。僕も言いたいことがわからなくなってきました。失礼しました」


 最後まで言葉遣いだけは崩れなかった。

 態度も、発言内容も、先輩に向ける敬意は見られなかった。

 だがそれでも、最後まで崩れなかった矜持はまさに火矢という人間を表しているかのようである。


「いや、いいよ。手薬煉が羨ましいというか、むしろ手薬煉のこと見ててくれる奴が後輩にもいるんだなって思うと嬉しいしな。まあ、気軽に話しかけてくれれば。また今度」

「……どうでしょうね」


 腑に落ちない。けれども主張するための言葉も見つからない。そんなところか。


「ちょっと待て」

「どうしました?」

「俺の質問は終わってないぞ」

「……そういえば。なんでしょうか」


 これまでの会話で得られた確信といえば、火矢は今回のことについて何も聞かされていないということばかり。

 あまり情報は得られないだろう。

 ならば聞きたいことは一つ。


「手薬煉の将棋、ってどんなの?」

「……攻めていたら、いつの間にか誘い込まれているような受けの強い将棋です。準備して、誘導して待ち構えるような」

「そうか、ありがとう」

「いえ、では今度こそ」


 ややおぼつかない、ふらふらとした足取りで自らの校舎――ちょうど俺たちが会話していた校舎がそれだが――の最上階へと戻っていく。二分の一の確率で俺たちが去年使っていた教室だ。

 ふ、と自らの校舎の方を見ると、廊下から窓越しにこちらを窺う女子がいた。

 遠目で少しわからなかったが、見覚えはあるような、ないような。

 俺と目があうと自然に窓から離れてどこかへと引っ込んでしまった。

 ――見られたか。

 と犯行を目撃されて口封じしたい犯人のような心持ちになりながら、すぐにその女子のことを頭から追い出す。

 ――多分、重要なことじゃない。

 それは単なる勘だ。直感、第六感、そういう類の。俺は情報が少ないときに、そういうものをアテにする。俺がどこかで知った情報の積み重ねが無意識に出している結論だろうから。


 そのまま俺は荷物を持ち上げて、同じように教室へと戻る。

 黒い自分の腕時計で時間を見れば八時を過ぎていた。結構長く喋っていたみたいだ。二十分ほどか。

 高校入学祝いに叔母からもらったそれは、まるでプラスチックのおもちゃのようにも見える。やや大人っぽさ、高級ブランド感からは離れるがその分壊れない。


 教室でいつもの席に腰を下ろす。

 座り心地としては、やはりこちらの方が落ち着く。大きさや立派さでは先ほどの方が上のはずなのに。

 多分それは自分がここを自分の領域テリトリーだと認識しているからだろう。開放感溢れる外よりも、教室の方がいい。どちらにせよ出不精インドアな心構えではあるが。


 教室は時間とともにせわしなくなる。

 早く来る人間よりも、ギリギリにくる人間の方が激しくしゃべるような気がする。

 登校のために動かした体と到着した安心感から口が緩むのか、それとも残されたのが短い時間だからたくさん喋るのか。

 つい、気になって親しい奴の席を順番に確認していく。

 諫早はいる。

 手薬煉は、まだか。

 ん? 最上もいない。


「だーれだ」


 肩をトントンと叩かれる。

 叩かれた側とは逆に振り向くと、人差し指が頬に突き刺さる。


「可愛い女の子かと思った? 残念、最上ちゃんでした!」

「無駄に演技力高いからあざといはずなのにわざとらしくないのがまた腹が立つな」

「私にどうしろっての?!」


 そもそも、俺が予測して逆に振り向くことすら計算に入れてるあたりが可愛げがない。

 それでも、そういうスキンシップを楽しんでしまうあたりは男の悲しいサガである。


「私たちという女の子が周りにいるのに、当の本人は男の子に熱い視線を送っちゃってー妬けちゃうねー」

「馬鹿、そんなんじゃねえよ」


 わざとツンデレ風に返す。


「あははは、知ってるって」

「来ねえなーって」

「あれだよ、通りすがりのおばあちゃんを助けてるんだよ」

「今時そんなベタな」


 くだらない会話がひどく落ち着く。

 相手を読む必要も、気を遣うこともない。

 ただそんなやりとりが少し続いた。

 でも虫の知らせはよく当たるのか。

 その日、最後まで手薬煉は学校には来なかった。

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