第53話 立ちふさがるのは
三人に手薬煉のことを話すかどうか。
俺はどちらでもよかった。いや、どちらでもよかったというよりは、話す話さないどちらにしても一長一短なのだ。
どちらに転んでもなんとかなるだろうという楽観と、どちらを選んでも何かを悔いるだろうという諦観に挟まれているだけなんだろう。
昼休みはあと半分を切っている。
時計の針が音を立てずにじわりじわりと回っている。長い針が数字の10に丁度重なったところで、喉が詰まったような気がしてお茶を流し込んだ。
「よし、話すか」
「あっさりね」
「え、いいの……?」
思えば俺に話さないという選択肢などなかったのだ。
もしも話さなかったら。
俺が諫早や東雲を追いかけ回したのなら、俺を追いかけ回す権利だってあるはずで。
そうやって行動されたことで、俺の目の届かないところで起こったことまで責任は取れない。隠しきれる自信もない。
最初から話してしまった方が楽なのだ。
要するに時間の問題だ。
「放課後にしよう。なんか用事あるか?」
三人はない、と答えた。
東雲につられて諫早もついてくることになっているあたり、流されてるなぁと微笑ましさと、そして計画通りにいったことに対する喜びとを混ぜて笑う。
◇
先生が出て行った後、俺たちは椅子を一つの机に集めて向き合っていた。
あったこと、思ったことを順に話していく。
話し終えると、三人は変な顔をしていた。
変な顔の方向性は全員違った。
最上は「何?」と面白がるように。
東雲は「大丈夫?」と不安そうに。
諫早は「何故?」と苛立つように。
その真意のほどはわからない。
ただ、誰もが納得していたわけではなかったというだけだ。
「西下くんは、どうするの……?」
「そうだな……手薬煉が何をしたいのか聞き出さないことにはな」
「え? なんかこう、解決方法聞きたいとかじゃないの?」
「いや、話してなんとなく整理できたし、それでいい」
「あんたのそれってなんつーか」
諫早が言いかけてやめる。きゅ、と口を閉じて鼻で軽く息を吐いた。それは拗ねてるとも不満とも似ているが、違う。
「あはは、なんか違和感あると思ったら、今私たちって、男女逆だったんじゃない?」
と最上が、男性像と女性像について少し語る。
男性はよく、結果を求めていて、何か相談や愚痴とかを聞かされると、それに対して有効な解決策を求めたがる、とか。
それに対して女性の多くはまず共感を求めていて、相談して「大変だね」「自分もそう思う」と頷いてほしい、とか。
どうせそれは偏見というか傾向みたいなもので、全ての人に全てのシチュエーションで通じる理屈だとは限らない。
現に今回、答えのない、情報のない相談に三人は疑問を浮かべていたし。
俺は逆に話したことでなんとなくわかったこともあるってわけだ。
「で、わかったことってなんなの」
苛立つように答えを求める諫早が、妙に可愛らしい。
「ま、簡単に言えば、俺がビビってたってとこだ」
俺が手薬煉に、踏み込みきれなかった理由。
いや、日野さんのことを好きなのかってこれ以上ないぐらい
俺ならもっと、丁寧で、婉曲的で、確実な手段を取れたのではないか、という話だ。
大胆に乗り込んだから察知されて手薬煉のフィールドに連れ込まれて、直球に聞いたから曖昧に誤魔化された。
別に俺らしくないとか、間違いだったとは言わない。言わないが、何故他の手段を考慮せず、この三人を関係ないと突き放そうとしていたのか、だな。
その選択肢が浮かんだ上で、自分について落ち着いて理解して、そうやって選ぶべきだったのだ。
「それは、諫早さんが知らなくて、私がよく知ってることと関係ある?」
「あるな」
「私は……?」
「文香ちゃんも少しは知ってるかな」
ハーレム、だろう。
そうだ。俺は手薬煉を、必要以上にこいつらと関わらせたくなかった。
それはそもそも何故なのか。簡単だ。別枠だからだ。
俺は最上のことも東雲のことも、諫早も好きだ。
手薬煉のことも好きだ。だが手薬煉とはただの友達だ。
その言い方は別に親しくないとか距離をとろうとしてそんなことが言いたいわけではなくって。
ええっと、要するに……手薬煉を「友達役」として利用したくないし、三人と手薬煉を比べることも並べることもできない、って言えばいいのか、これ。
「あんたの中で答えが出たのはわかった」
「えっと……西下くんは手薬煉くんを大切にしたい……んだよ、ね?」
大切にしたい。
うん、その言い方はしっくりくる。
もしも積極的にハーレムやらに巻き込んだ時、俺は手薬煉を情報をくれていざという時に助けてくれる「親友」そういう
そういう風に期待してしまうだろう。
そして期待は裏切られるためにあると言っても過言ではない。勝手に期待して勝手に失望する。自分勝手にもほどがある。
俺の都合の良い親友像を手薬煉に押し付けたくはない。
そんなことを、もやもやとした形ではあるがなんとか三行ぐらいにまとめた。
「なんで、同性相手の方が不器用なのよ……」
最上のそれは裏側でまた別の呆れを含んでいる。
「わかるか、んなもん」
もしも俺が手薬煉に打算的に踏み込んだら。その時、手薬煉はそのことに気がつくだろう。俺が何かを隠していることに、そしてそれが、俺が踏み込んだ手薬煉の人間関係と同じように俺もまた人間関係であることを。
手薬煉は気がついたら今度はこっちが踏み込まれる番だ。
それさえも俺に都合が良いとわかっていてなお、聞くだろう。あの時と同じ質問を少し言い方と雰囲気だけ変えて。
『何をしてる?』
その質問に俺は抗えるのか。
手薬煉が俺の都合の良い存在でいてくれる保証はどこにもないし、俺はそんなことを望んでいない。いつか、変わった時に
けれど、それでも怖いのだ。何もなかったところから、歪みを作り上げることは。
「つーことは、だ」
話せば興味を持つし、干渉しようとする。特に最上はそういう奴だ。その傾向が強いのは最上、東雲、諫早の順だろう。
「俺はお前らに、手薬煉に関しては何もしないことを望まなきゃならないわけだ」
相談しておいてなんて言い草だろうか。
そんな身勝手な結論に我ながら苦笑も浮かぶ。
◇
次の日も、そのまた次の日も俺はまだ決めかねていた。
誰から話を聞くべきか。
候補は二つ。日野か、手薬煉か、だ。
信号機を渡って踏切を越えて、坂道を駆け上る。
やたらと急な坂で、自転車だろうが歩いてだろうが一苦労する。
女子の大半は根性を出すことを諦めて下りて押す。根性云々じゃなくって単純に登れないのかもしれない。
縁起の悪い名前のこの坂では、転んではいけないなどという小さな都市伝説だか七不思議だかわからないがそういう言い伝えがある。
……そんな坂を学校の前に作るな。いや、そんな坂の前に学校を作るな、か? どちらが先かわからないな。
校門を抜けた先では先生が挨拶をしている。遅刻者などを取り締まる役割も担っているのだ。
その昇降口で見覚えのある男子生徒と目があった。
軽く後ろにもたれかかって、スマホをいじっていたが、俺が来るとぴたりとその手を止めた。
「おはようございます、先輩」
手薬煉が将棋部で対戦していた後輩だ。
やや不機嫌そうに、手薬煉の前で見せたような殊勝さをどこかに置いてきて彼は俺に挨拶をした。
スマホの電源を切ってポケットに放り込む。
その姿に何か違和感があると思ったら、時間帯だ。
考え事をしていた俺は、今日はやたらと早く家を出てしまった。
それこそ、朝練のためにきた生徒たちとかぶるほどに。
それほど早く出た俺に、
――それは不自然だ。
「誰か、待ってたのか?」
「そうですね、強いて言うならどっちでもよかった、ですかね」
どっちでもよかった、か。
それは手薬煉、もう一人は――
「俺でもよかったか?」
「はい」
強い瞳だ。誰かさんを彷彿とさせる。だがそれよりも、ずっと野心に満ちている。何かを狙うような、貪欲なそれだ。
生意気な後輩、と括るにはやや手薬煉への態度だけが殊勝で、だが媚を売るのとはまた異なっていて。
「俺に何の用だ? 俺は今、悩み中なんだけどな」
「手薬煉先輩が昨日、変でした」
「そうか」
「先輩が連れ出すあの時まで、いや、来る時までは普通でした」
「よく見てんだな」
そう返すと、火矢は口元を歪めた。
これは多分、怒りとそれと……悔しさだろうか。
何への悔しさと怒りがあるのかまだわからない。
「場所、変えようか」
そう言って、スリッパもとい上靴に履き替えて人の少ない座れる場所へと誘導する。
この時間帯、運動場や体育館にさえ近づかなければ、さほど人はいないので難しいことではない。
少し古い校舎、その一階は柱の周りを囲むように円形の椅子がついている。
俺がそこの一つに座ると、火矢くんはその正面へと立った。
「座ればいいのに」
「遠慮しておきます」
まるで説教してるみたいになるからあまり気分のいい構図じゃないんだが。
「そうだなー俺に話があるんだっけ?」
「はい」
「俺も火矢くん、だっけ? 君に話があるからそれに答えてくれるなら」
「なんでしょう?」
人に何かを伝えるときは、それにより自分が何かを得る取引の形に変える。すると、相手は無意識に契約であると考えてしまう。情報の対価に情報を。
だから嘘はついてはいけない、相手もつかない、と。
少なくとも嘘をつかれた時に責める権利が発生する。そう認識する。
これにより、俺の話す真実は信じられやすくなり、あまり縁のなかった、つまり話す義務も何もなかった火矢からより正確な情報を引き出せる。
「じゃあ火矢くんから」
火矢くんがこわばるのがわかる。
そこは先輩らしく、余裕をもって笑いかけないとな。
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