第51話 悩めよ悩め

 俺の答えを受けて、日野さんは屈託なく笑って軽く頭をさげた。


「改めて、手薬煉くんの家庭教師をしてる日野です」


 その笑顔がやたらと妹の方に似ていて、姉妹だなぁと再認識させられる。どちらも人当たりがよく、わかりやすく魅力的な人間なのだろう、と思う。

 ただ、背の高さと胸のサイズは姉が大きく勝っていたことを付け加えておく。


「へー、西下くん? 恋バナかー……どんなこと話してたのかな?」

「あははは、それは内緒ですよ」


 ここで最上や東雲、諫早を出すのは簡単だ。

 ただ、あまり話しすぎるのも良くないか、と手薬煉を見ながら思う。


 恋愛相談というものは諸刃の剣だ。

 恋愛相談をすることで、「あなたは恋愛対象じゃありませんよ」と告げる意味合いを持つ。少なくともそう考えられることが多い。それはする側も、される側もそう考える。

 例外として、恋愛相談の恋している相手が相談相手の場合がある。相手に嫉妬させたり、信頼してるとしたり、もしくは「私の好きな人は鈍感で、こんなので――」と遠回しに好意を伝えるために。

 だが、「恋愛対象じゃない」という一方で恋愛相談から始まる恋というものが多いようにも言われる。

 考えてもみれば納得のいく話で。

 恋をしている人間とは魅力的だし、好きな人について語る人は楽しいだろう。

 お互いが信頼しあった状態で、しかも恋愛相談ということは受け手に下心が感じられにくいわけで。

 恋愛相談をしていて、さらている相手がうんうんと嫌がらずに話を聞いていれば、「この人は自分のことを好きだけど、下心ではないのだ」と思う。少なくとも俺なら勘違いする。

 何が言いたいかというと、俺がここであからさまに日野さんと距離を近づけるべきではない、ということだ。

 俺がこの人と距離を詰めるときは、間に手薬煉を介して、だ。

 まあ、俺は"モテる"人間ではないし、短期間で手薬煉との時間の差を埋めるほどに近づけるとは思っていないけど。


「残念。ま、私が聞いてもちゃんとアドバイスできるかーって言われたら無理なんだけどね」

「日野さんは頼りになりそうなんですけどね」

「えー、そんな風に見える〜?」


 ここで純情アピールか。その言葉に手薬煉はあまり動揺も見せずに俺から話を継いだ。

 どっちだろう。計算された演技か、それとも本当に男性との恋愛経験なしか。

 日野の姉だと考えると天然物だとは思うんだけど。俺には初対面の女性の嘘を見抜くほどの観察眼はないのだ。

 最上や東雲の嘘がわかるようになったのも何度も会話するようになってから、だし。

 諫早? あいつはわかりやすいしそもそも隠し事するほど器用じゃなさそうだからいいよ。

 ふ、と話が変わり俺にも視線が向けられた。


「手薬煉くんと西下くん、仲良いんだね」


 明らかに話題から外れていた俺を再び取り込むためのきっかけ作り。


「まあ、クラスでは一番こいつと話すかと思います」

「男子じゃ一番話しますかね」


 お互いに遠回しにではあるが、手薬煉は他のクラスや学年にもっと話す奴がいると言い、俺は女子にはもっと話す奴がいると言う。

 別に順位をつけたいわけじゃない。それに「俺たち一番の親友だぜ!」なんてクサイことを男子高校生にもなっていうのか、という恥ずかしさもある。女子には結構いるみたいだけど。


「西下くんも将棋部?」

「いえ、帰宅部ですよ」

「部活でみんなで頑張るのも大切な青春だと思うけどねー」


 撤回。俺は少し苦手だ、この人。

 正論なのはわかる。そういう人が多いことも。ただ、その一般論はあくまで多数派に当てはまるだけで全ての人に当てはまるわけではないことをわかっていてほしい。

 集団で一つの目的に、ってのが苦手なんだ。勝とうとすることも、勝つために努力することも。

 勝ち負けのない、結果を求めない部活なら入ってもよかったかも、と今では思うけれど――逆に今だからこそ絶対に入らない、だろうな。

 部活での人間関係もだが、何より今は違うしたいことができたから。


「いや、なんだかんだ楽しいのでいいんですよ」


 その本当の理由は言及せずに、曖昧にぼかしてそう答えた。

 さっきからやたらと俺にぐいぐいくるな、この人。なんていうか疲れる。聞かれたくないことまで聞かれそうだし。

 手薬煉とはいつでも喋れるし、手薬煉以外の口から学校の手薬煉を知りたいとかそんなところだろうか。俺が律儀に答える必要もないけど。

 ところで、と前置きして手薬煉が話題を変えた。


「よく僕ってわかりましたね」

「この前、ここで会って一緒にドーナツ食べたでしょ? その時になんだか嬉しそうだったからここ、気に入ったのかな? って」


 なんというか、哀れ手薬煉。

 その後、二、三言葉をかわして二人と俺は分かれた。


「じゃあな、西下」

「またね」


 また会うはずの手薬煉よりも、会うかどうかわからない日野さんが「またね」と残す。

 そのちぐはぐさに一抹のおかしさがこみ上げてきて、薄く笑って手を振り返した。


 薄暗い黄昏の中を二人並んでいる。その背中を一人で見送る。隣にふと話しかけそうになり、一人だったことを改めて突きつけられた。

 身長としてはあまり変わらないのに、日野さんは随分と大人に見えて、手薬煉の抱く感情に憧れはあるのだろうか、などと思いを巡らして。そうやって手薬煉に対する思考に没頭して自分自身のことを考えないようにしていた。

 ゆっくりと立ち上がり、パンパンと埃を払う。


 

 手薬煉がわざわざ遠回りしてまであの場所に連れていったのは、あそこが落ち着いて話せるからかと思っていた。それだけだ、と。

 だが、日野さんが通りかかった。

 ここで俺は少し認識を改めた。

 手薬煉があそこで一度、日野さんと過ごした記憶がある。

 ということはつまり、手薬煉がここにきたのにはもしかすると理由があるかもしれない、ということだ。

 それは無意識かもしれないし、ここで日野さんが通りかかるのを期待したのかもしれない。

 手薬煉は、どうありたいんだ。


 もしもタイミングがズレて、俺に言わされかけていた日野さんへの想いがうっかり本人に伝わったとしたら。

 その内容が「恋心」かどうか。どちらにせよ二人の関係が変化することは避けられなかった。

 俺の行動が、手薬煉の行く先を決定づけかねなかったのだ。


 俺は一人、帰路につく。

 一度学校に戻ろうかとも考えたが、既に定時制の先生たちが門前に立っていることだろう。その中をわざわざ割り込んで自転車を取りに戻るぐらいならば、もう歩いて帰ってもいいかな、という気分になる。

 億劫なのが一つ。そしてもう一つは、考え事をするのに歩いた方がいいからだ。

 幸いにして、今日は母親がパートの仕事で遅くなり、それに伴い夕食も遅くなる日だ。俺一人遅れたところで怒られることはあるまい。一応、連絡はいれたが。


 普段は自転車かバスで通る道をぶらぶらと歩く。大通りでは車がびゅんびゅんと走っていて、それでも歩道橋に登る気にもなれず信号を待った。あたりはすっかり日が落ちて、車のサーチライトが影を半円に回転させる。


 そして家に着いたころには七時を過ぎていた。普段五時とかに帰る帰宅部代表としてはなかなか遅かった。先に母さんが帰っていて、台所で買ってきた食材を冷蔵庫にしまっている。


「遅かったわね」

「あー、連絡見てねえか」

「帰ってから見たのよ。もう少しのんびりお買い物すればよかったかしら」


 そうは言うが母さん、足元にある荷物は結構多そうに見えるんだが。それ以上買って持って帰るのは大変じゃないか?

 冷蔵庫に三つ一組の黄色のカップが見えた。赤いビニールの蓋に商標登録がでかでかと書かれている。

 

「お、プリン」

「一人一個ね。好きな時に食べなさい」

「おっけ」


 こういう時に、兄弟のいる奴は大変だと聞いたことがある気がする。


「後でいいか」


 冷蔵庫にプリンが片付けられるのを見送る。


「昨日の煮物の残りに、メンチカツ買ってきたからそれで晩御飯」

「キャベツは?」

「ある。ほら」

「父さんは?」

「今日はちょっと早かったらしい……ってあんた、今父親よりキャベツ優先した?」

「……そんなことないって、よし食べよう。俺は腹減った。夕ご飯楽しみだなー」

「あんた、演劇部入ったんだからもう少し演技に熱をいれなさい」

「オンオフの切り替えができる男になったんだよ」


 俺と会話しながらも、冷蔵庫からマヨネーズだとか、ソースを出していく。出す側から俺に渡していく。俺はそれを流されるように受け取ってリビングの食卓へと運んだ。

 パタン、と冷蔵庫を閉めると、父さんを呼んだ。寝転がって夕方のバラエティーを見ていたらしい。


「お、メンチカツか」

「スーパーのだけどね」

「文句あるなら煮物だけでもいいわよ。その分私たちの取り分が増える」

「何育ち盛りの息子からおかず一品奪おうとしてるんだよ」


 余計なことを言うからよ、と鼻で笑われた。手を合わせて、箸を手に取って食べ始める。無心で、というよりは今日の会話を思い出しながら、メンチカツ、米の順で頬張って口を動かしていた。


「刻也、なんか悩んでんのか?」

「ん? ああ、そうかもな。どうしてわかった」

「あんた、好きなものは後に残す主義なのに今日はメンチカツ先に食べちゃってるし、キャベツだけ残ってる」

「ああ、それはあれだな、取られまいと無意識のうちに防衛本能が働いたんだ」


 適当をぶっこいてみたけれど誤魔化せるはずもなく。

 というよりは、最初に肯定しちゃってるしな。


「珍しいな。お前が悩むとか」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「もしかして、恋の悩みとか?」


 父さんが少しニヤリとしながら言った。

 本人は冗談のつもりなのかもしれないが、あながち間違ってないんだよなあ。

 手薬煉と日野さんのことで色々考えていたわけだし。


「お、わかるか。いや、恋かどうかわかっちゃいないんだけどさ」

「えっ?」

「はっ?」


 両親が箸を落とした。

 つけっぱなしのバラエティ番組の客が笑う声だけがリビングに虚しくひびいた。

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