第50話 二人の語らいは黄昏に
俺は学校に自転車を置いたまま、手薬煉を追いかけた。そしてその隣を歩き続ける。頭の中で学校周辺の地図を浮かべながら、手薬煉の帰路をそれとなく尋ねた。
「帰る方向、どっちだっけ?」
「いや、少しだけ遠回りしようかなって」
「用事があるんじゃないのか?」
「用事は、まあ……一時間ぐらいは余裕もって出てきたから大丈夫」
珍しく、俺の方を見ようともせずにぐいぐいと進む。まるで隣にいる俺を引き離すかのように。
俺は今までよりも、手薬煉を穴があくほどに見るのをやめた。肩の力を抜いてその後ろ姿を柔らかい目で眺める。
小さな竹林の横の階段を降りて、住宅街を抜けた。すると駅が見えてくる。そのまま駅を通り過ぎてしばらく歩く。その先に川が広がっているのだ。
水量を調整する門が向こうに見えているぐらいの距離で川のほとりに立った。
「お、石だ」
足元の平たい小さな石を拾い上げると、そのまま横向きに滑らせるように水面へ投げる。
石は三度ほど跳ねたあと、ぽちゃんと間抜けな音をたてて川底へと沈んでいった。
「遊んでないで、本題に入ろうか」
手薬煉が急かす。
そんな手薬煉に川べりに座って手で隣を示した。まるで落ち着け、とばかりに。
手薬煉がそれに従って、コンクリートの上に腰をかける。
先ほど沈んだ石を見失った。
「本題も何も、聞きたいことはこちらから聞いたんだから、今度はそっちが答える番じゃねえの?」
再び石を拾う。
今度は投げることもなく、ただその石を別の石にこんこんとぶつけた。
焦るのは仕方ない、か。
余裕があるといっても一時間。話していたらあっという間に消えるような時間だ。
「じゃ、恋バナしようぜ。家庭教師のお姉さんについてはどう思ってるのか聞いてもいいか?」
言外に、不愉快ならここでやめると伝える。
手薬煉は顔をしかめた。眉間にしわを寄せて、軽く溜息をついた。
あまり話して楽しいものではないらしい。誰もが自分の好きなものについて話すのが楽しいわけでもないだろうけど。
普段、最上や東雲と話すときはどちらかというと好きなものこそ熱く語っているものだから、つい、な。
「あのさあ、そういうのってもっと時間かけて聞くもんじゃないの?」
その質問に込められていたのは怒気ではなく呆れだった。
「それはお前を追いかけ回せって言ってるのか?」
「……それは変、かな」
俺が東雲や諫早を追いかけ回したのは、最上がいたからもあるが、何よりまだ親しくなかったから、だ。
親しくない相手にいきなり、恋バナ仕掛けるのもな。それこそ修学旅行とかじゃない限りは。あれの部屋割りだと普段あまり話さない相手でも恋バナになりそうな気はする。
「じゃあまず好みの女子でもあげていこうか。クラスで誰が好きかとか」
「本当に恋バナする気……そういう西下は誰?」
「最上、あと諫早」
クラスだとな、と前提条件を付け加える。
もちろんその後に続く質問は決まっていて。
「クラス除くと?」
「東雲も」
俺の声を川の水音がかき消してしまったかな? と自分の声が想定よりも小さくなってしまったことにそんな不安を抱く。
それは多分、三人の名前を上げると、どこかでまた手薬煉以外の誰かが聞いているかもしれないと、そんなことを思ったからかもしれない。
東雲や赤坂とか。つまりは当事者や聞かれたくない相手に。
次に聞くとすれば諫早か、それとも最上か。
とりあえず声はきちんと届いていた。
手薬煉は三人の名前をぼそりと繰り返す。
「そりにしても即答って……なあ」
「自分が答えられない質問はブーメランかえってきたときに困るからな」
そりゃそうだ。
だから俺は「初恋は?」とは聞かない。初恋はあったのかどうかもあやふやで、きっと答えることができないだろうから。
手薬煉がどうかは知らないけれど、少なくとも俺は恋心なんてものをわかっていない。わからないままに過去のことを聞いて得られるものとは何なのか。
「俺に言わせたってことは、お前も言うんだよな?」
これもまた狙いである。
そのことに気がついて、先ほどまで返答しないように仕向けてきた口を噤んだ。そして答えに迷っている。
「龍田さん、とか?」
「こいつ……相手がいる子を選んでごまかしたな……」
「あのさ、西下の期待通り僕が日野さんのこと好きだったら、クラスの子からってのはないよね?」
「それもそうだな」
納得の姿勢を示す。
「あとさ、日野さんっていうのやめない?」
「いや、だって家庭教師の人下の名前で呼ばないし」
「紛らわしいんだよ。秋穂さん、とか名前で呼べばいいのに」
何を言ってるんだ、という微妙な顔をしていた手薬煉だが一拍の間をおいて気がつき、目を丸くする。つまりビンゴ、か。
「……西下に日野さんの下の名前、言ってないよね?」
「ああ、言ってなかったか、悪い悪い。秋穂さんじゃなかったか」
「いや、そうじゃなくて。秋穂さんであってるけど……」
「日野さんって苗字、紛らわしいって俺が言う理由、そんで名前を俺が知ってる」
条件を三つ、指を立てながらあげていく。
「……もしかして、隣のクラスの日野さんのお姉さん?」
「多分ね。同じ大学生で、家庭教師をしていて、うちの高校の生徒を担当している日野さんが同姓同名で二人いるなら話は別だけど?」
「そういえば妹さんがいて、勉強教えるのは慣れてるって言ってたな……」
もうこれは確定だろう。そこでどんでん返しの日常ミステリーとかこちとら望んでないんだよ。
「じゃあそれが日野じゃねーの?」
「だろうね」
そして再び、沈黙が訪れる。
あたりは暗くなってきていて、日が落ちかけていた。街灯に明かりが灯り、道の方では逆に人の通りが増えてきた。俺たちの周りにはあまり人が来ないのは変わらなかったけど。
話題を見失ったのは、俺が先か手薬煉が先か。
達成したい目的を思い出そう。俺がここにきたのはどうしてか。手薬煉の話を聞くためだ。何を聞きたいのか。それはーー
「手薬煉は、どうして答えたくないんだ?」
ーー手薬煉がどうしたいのか、だ。
何も俺は、手薬煉が家庭教師さんへ恋をしていてほしいとか、結ばれてほしいわけではないのだ。
日野の言い方だと、お姉さんには何やら男の影がある。
もしも、その二人がどうしようもなく両想いで、付き合っていて、割り込めないほどに愛し合っていたとして。
俺が手薬煉の背中を押して発破をかけて、結果失恋させることがいいことかと聞かれると、返答に困る。
俺に「何かしてやろう」という権利も義務もないのだ。
「それはなーー」
こちらを見て、手を握りしめて拳を作っている。
ここにきて初めて、手薬煉が即座にはっきりと答えようとしていた。
だがピタリとセリフが止まる。
手薬煉が信じられないような目でこちらをーーいや、俺の背後を見ていた。
「もしかして、手薬煉くんじゃない?」
俺が振り返ると、そこには白いワンピースの女性がいた。肩には小さなカバンをかけている。
その姿に見覚えがあったこと、口元が誰かに似ていたこと、そして手薬煉の態度。それぞれの印象を重ね合わせて、そうか、この人が日野さんのお姉さんの方か、とすんなり納得がいった。
「やっぱり手薬煉くんだ。ちょっと遠目には不安だったんだ」
「日野先生。こんにちは」
「先生だなんて。そんなに立派なもんでもないし、日野さんでもいいんだよ?」
一つ一つが柔らかくて、丁寧な話し方だった。
「この後、ちょっとお買い物してから手薬煉くんのところに行く途中だったの。あーでもお邪魔しちゃった?」
「いえいえ。手薬煉のクラスメイトで西下と言います。手薬煉にはいつも世話になってます。日野さんですか? 手薬煉が教え方が上手でいい先生だって褒めてました」
「おい、西下、なんで……」
「まあまあ」
誰も勝手に発言を捏造したりしてないだろう? 俺だって恋愛話を最初にふっかけてそのセリフを引き出したようなところはあるけどさ。
褒め言葉は、本人から直接聞くよりも第三者の口から「○○さんが褒めていた」と伝える方が伝わりやすい。本人のいないところだからこそ気を遣ったりお世辞を言う必要がなくなり、より素直な言葉が出てくるからだ。
いろいろ言いはしたが、手薬煉が先生として彼女のことを好きでいるなら関係性が良好であるのに越したことはない。
「嬉しいな。そんな風に思っててくれたんだ。ちゃんと先生できてるみたいでよかった」
狼狽えるでも、照れるでもなく素直に喜ぶ、と。
手薬煉はそんな日野姉を見て、何やらホッとしたような様子を見せる。
「なあ西下、そろそろーー」
「大丈夫よ、ギリギリでも。私だってここにいるんだし」
「お買い物はいいんですか?」
「手薬煉くんにあったしー明日でもいっかなって」
なぜか手薬煉の帰りを妨害し、そしてこちらを見た。
「二人はどんなお話をしていたのかなー?」
人差し指を唇に当てて、薄く微笑む。
いたずらっ子のからかうような感じが半分。そして残りが読めない。
手薬煉は答えに迷っている。下手な嘘をついて、俺が合わせなかったらそこでおじゃんだ。余計なことを言うなよ、と俺を睨んだ。
「ただの恋バナですよ。俺の相談を受けてもらってたんです」
完全に嘘ではないが、微妙にニュアンスの異なる言い方をする。
手薬煉について"俺が"聞きたかったのだから俺の相談といってもいいし、恋バナであるのも事実。ただ、どっちの話かとか、誰の話題かをすっぽり抜いただけで。
ーー残念だったか? それともほっとしたか? 悪いな、手薬煉。こういうのは俺の方が得意なんだ。
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