第49話 前に言っていたことを

 チャイムが鳴ると、そこに一つ境界線が引かれたように感じてしまう。

 掃除そのものは、チャイムが鳴るより早く終わっていた。その担当だった奴らは帰る準備も済ませてしまっている。それでも、チャイムが鳴った時間を帰る時間だ、と認識してしまうのだ。急かされる、といってもいい。


 話を切り上げるタイミングとしてこれ以上のものはない。気まずい話も、言葉にしづらい質問も全てを有耶無耶にできる。

 ひらひらと手を振って帰っていく日野を見ながら、これからのことを考えていた。


 ――せわしないな。

 自分でも目まぐるしさに呆れていた。

 スマホで「用事がある」とだけ連絡をした。

 今回はハーレムに関係もないし、俺個人の問題だ。

 聞かれれば答えればいいし、無理に巻き込む必要はないだろう。


 手薬煉はおそらく生物学室だろう。

 理由は簡単だ。将棋部の部屋というのが生物学室なのだ。顧問が生物教師だからな。

 俺たちがいるのとは別の校舎になる。一つ、特殊教室ばかり集められたレンガ造りの校舎へと向かう。廊下に水槽が見えてきたら角を曲がった。

 俺が将棋部の部室の戸を開けると、俺に一瞬注目が集まった。


 人が少ない。

 将棋部だからそんなにいるはずもないのだが、最初に入った時の感想がそれだった。

 生物学室といえば四十人が余裕で収容可能である。

 そこにいたのは七人。

 先生はちょうど席を外しているようだ。


 そのうち一組だけが将棋をさしていた。

 一組がチェスを、そして残りの三人は駄弁っていた。

 要するに、静かなのだ。

 チェスや将棋をさすときに叫んだり騒いだりはしない。部活ということでたまにそれぞれの手について語り合うこともあるのだろうし、何も黙りこくってするわけでもない。ただ、穏やかに対面している。

 駄弁っている三人だって、自分たちが「正当な側」にいないことはわかっているようで、声のトーンを抑えている。

 そこに部外者がくれば目立つのは必然だった。


 だが咎められるような視線はなかった。

 注目が集まったのは一瞬で、すぐに興味を失った。

 ――なんだ、ただの生徒か、と。

 つまりこういう緩いところのある部活なのだ。

 大会には出るし、練習もするけどその強制度は弱い、と。

 その中に手薬煉を探した。

 手薬煉は男子生徒と将棋をしていた。おそらく彼は後輩だろうと思われる。上履きの色で学年を判別したから間違いないだろう。一つ下だ。

 これが女子ならば、半分だけ先輩と交換していたりするのでよくわからなくなってしまうのだけれど。


「なんだ、西下か。何か用事?」


 手薬煉は将棋盤から顔を上げてこちらを見てそう尋ねた。

 この場所に俺の知ってる顔っていうと手薬煉しかいないから、手薬煉に用事がある可能性が一番高いわけで。

 そのセリフの中に挟まれた「自分に」というニュアンスが実にしっくりくる。


「そうだな。急ぎじゃないから。部活ってどれぐらいに終わる?」

「そうだなー、今日は早めに切り上げるつもりだったし、この対局が終わったらでいいかな。人数も奇数で先生は来ないみたいだし」

「そっか」


 俺が隣に座って待ちの姿勢に入ろうとすると、手薬煉の正面で後輩くんが抗議の声をあげた。


「えっ、先輩帰っちゃうんですか?」


 心底残念そうに、捨てられた子犬がすがるような顔だった。

 メガネをかけたおとなしそうな子だった。学年とかとは別に、歳下だな、とわかるそんな男子だった。背丈はやや低めか。


「そうだな。進んでさしてくれるのは嬉しいけど、いろんな相手とするのも大事だしな。たまには他の奴ともしておいたら?」


 わずかにからかいを混ぜて、試すように言い聞かせる。そこに突き放すような色はなかった。あくまで、提案とかアドバイスの一つとしているかのようで。

 ――結構、先輩してるんだな。

 手薬煉の普段は見ない顔を見れた気がして、何やら新鮮さとくすぐったさを覚える。


「……んー、はい」


 その表情に、ほんのわずかに落胆とかかげりが滲む。

 手薬煉にそれが伝わっているのかどうか。いや、今来たばかりの俺でもわかるのだ、手薬煉は多分気がついている。それでも必要だと思ったのだろう。

 だとすれば彼が隠したかった相手とは、向こう側の男子生徒三人、か。

 つまりは、この感情は手薬煉に対する負の感情ではないのだ。むしろ負の感情は三人に対してであり、手薬煉に対しては別の感情といったところか。

 負の感情は後ろめたい。

 だから先輩と本人の前では隠そうとする。


「悪かったな」

「いいや。ちょうど良かったしね」

「それなら良かった」


 そう言いながら、パチン、パチンと駒を動かしている。

 後輩の王の斜め前、角のきいた場所に香車を打った。

 後輩が角と飛車が一つあけて隣あったところへと桂馬を置いて両取りをかける。

 隣にある時計のようなものをぱんぱんと押している。


 そしてしばらくすると、後輩の陣地が食い荒らされて、詰みになった。

 手薬煉が勝ったらしい。


「あはは、勝てて良かった。西下の前で後輩に負けるのは格好悪いしね」

「僕が先輩に勝てたことなんてほとんどないんですけど……それも先生の助言とかだったりしますし」

「一つや二つの助言でひっくり返るようじゃまだまだだってことだよ」


 そう言ってじゃらじゃらと駒を片付ける。


「ありがとうございました」


 二人が軽く頭をさげる。

 手薬煉が荷物を持って立ち上がり、喋っていた三人に声をかけた。


「もう帰るから。お前らここ空いたし、誰かするか?」

「あ、じゃあ俺入ります」


 腕をまくったやや運動部経験者かな? といった雰囲気のスポーツ刈りの男子がこちらに来た。


「じゃあー帰りまーす」

「お疲れ様でーす」

「また明日ー」


 和やかに声がかけられる。

 なんというか、ここは手薬煉にとっての一つの居場所なのだな、と思うとやや安心する。

 俺は親か何かかよ。


 ◇


 手薬煉と二人、昇降口に向かって歩いていた。


「良かったのか?」

「ん? 火矢ひのやのこと?」

「あの後輩、火矢っていうのか」


 この言わなくても通じる感じ、手薬煉も話してて楽だ。


「あいつさ、なんていうか……真面目なんだよな」

「融通がききにくいってところか?」

「そうだね。あと、緩さに寛容になれない」

「あの部活だと……いや、だいたいの部活で致命的だな」


 真面目で、頑張って、それを周りにも強要する。

 それがうまく働くのは、実力、経歴、そしてキャラの三つが揃った人間が集団スポーツの部活にいる時ぐらいだろうか。

 少なくとも彼に他の一年生を無条件に従えられるほどの何かがあるようには思えなかった。


「だからさ、火矢もわかってるんだよ」


 自分がムキになっても仕方ないことを、か。


「でもいつまでも関わらないでいるわけにもいかないだろう?」

「まったくだ」

「だから西下が来た時にラッキー、ってね。利用させてもらった」

「それは構わねえよ、と。それよりもだ」


 話を切った。

 別に俺は、手薬煉の部活事情について聞きにきたわけではないのだから。


「そうだった。西下は僕に何を聞きに?」

「お前って、塾とかいってる? もしくは……家庭教師、とか」

「……もしかして、見られてた?」


 表情はまるで変えないまま尋ね返した。

 それが逆に、俺の中で確信に変わる。


「やっぱりあの女性ひと、家庭教師なんだな」

「一応聞いておくけど、いつ?」

「この前の休み、隣町の図書館に勉強を一緒にするために行ってたんだよ。あれってお前であってるよな?」

「まあね」


 あってた、か。


「家庭教師さんって大学生か?」

「うん。日野さんっていう」


 ビンゴ。

 日野の姉だからといってなにがあるわけじゃないけれど。


「そうか」

「綺麗な人だろう?」

「そうだな。どこのエロゲーだよ」

「残念ながらそういうのはないかな」


 残念ながら、か。

 その言い回しが俺の冗談にのっかったというよりは、より切実な落胆に聞こえた。

 手薬煉が少なからず好感を持っているのだろうというのはわかった。

 もっとも、でなければわざわざ家庭教師なんざ続けてもらわないだろうけど。

 苦手な人に、お金を払って、一対一で勉強を教わるなんて苦痛を受けるとは思えない。


「あの日は参考書選びに付き合ってもらった後に図書館に寄ったんだ」

「デートだな」

「……うん? そういうことになるのか、な?」

「なんつーか、お前って淡白な反応だよな」

「なんで西下はさっきから試したり揺さ振ったりしようとしてくるのかな?」


 あ、少し怒ったか?

 んー……怒ったとは違うのか、これは。困惑と疑惑。どちらにせよ惑わされているのかもしれない。ならばまだ踏みこめるか。


「そうだなあ。お前が直球で聞いてもはぐらかしそうだから、か?」

「はぐらかされるような質問、ねえ。だいたい予想はつくけど」

「じゃあその予想通りじゃねーの?」


 俺は楽しげに、口角を上げる。挑発と好奇を全開にして。


「はー……日野さんはいい人だよ。優しいし、丁寧で教え方もわかりやすい。きちんとしていて、気さくだから話しやすいしね」

「俺が聞きたいのは家庭教師としての日野さんの評価じゃなくって、一人の人間としてお前がどう思ってるかどうかだよ、手薬煉」


 やはりはぐらかされる、か。


「お前、日野さんのこと好きなの?」


 男子二人の恋バナ。

 いつかしようと言っていたそれが、今始まった。

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