第48話 テスト後の解放感は

 その後も、勉強会はつつがなく進んでいた。

 当然のごとくコイバナがでることもなく、もちろん見られたら困る相手に出くわして隠れた先ですし詰めとかいうドキドキハプニングも起こらない。

 途中に一度、最上がヒートアップして回ってきた図書館の人に軽く注意を受けて気まずくなったりと小さなイベントはあったが。


 やっぱり靴を脱いで上がれるところはいい。

 正座に抵抗のある人もいるみたいたが、俺は全然気にならない。

 何より、机が低くて足を折りたたんでいるから心理的距離も近いし、寛いだ時の生活感もグッとくるものがある。

 そんなことを考えていたからか、東雲がふと動かしていた手を止めた。


「ちょっと疲れちゃった」


 そう言ってパタンとノートの間にシャーペンを挟んで閉じて、足を崩した。

 少し伸ばした足が俺の膝に当たった。


「あ、ごめんね……」


 はにかんで足を戻して別方向に変えた。

 残念。そのままでも良かったが。


「そんなの蹴ってていーんだよ」


 その通りだ諫早、わかってるじゃないか。

 でも恥じらいがあるのもまたそれはそれで美味しいから別にいいか。


 そのあとも特に何もなく、だらだらと勉強をしていた。

 途中で昼ごはんを食べに一度外に出たが、それ以外はだいたい同じ場所でのんびりと過ごしていた。

 お喋りがあるときもあれば、ないときもある。

 静かだからといって気まずくはなかった。

 そんな感じで勉強会が終わった。


「よし、そろそろいくか」


 三人に声をかけて立ち上がる。

 正座が長かったからか、少し立ちくらみを起こして背伸びをした。そして休憩がてら遠くを見ると、実に見覚えのある人物が遠くにいるのを見つけてしまう。


「何見てんの?」

「誰か、いた?」


 最上、東雲の二人は俺の背伸びと視線がピタリと止まったことに気がついて同じ方向を向いた。


「あれ、手薬煉じゃね?」


 俺は少し声を潜めて、気がつかれないように指をさした。

 その指先を最上と東雲が確認するのだが、諫早がまるで興味なさそうだ。


「あ、ほんとだ」

「あの人が手薬煉くん? 学校で見たことある、かな」

「誰、そいつ」

「東雲はともかくとして、諫早、お前はクラスメイトだろうが」

「いちいちどうでもいい奴の名前なんて覚えてらんねーし」


 俺は諫早のその言葉に口角を上げた。


「何ニヤついてんの?」

「いいや、なんでも」


 どうでもいい奴の名前は覚えられない。

 この対偶をとると、どうでもよくない奴の名前は覚えられるということで。

 諫早は名前を覚えた、それだけで相手は自分にとっての特別だと主張しているというわけだ。

 集団の中で、どうでもいいから名前を覚えていないなんていうのは失礼だし、欠点ではあるだろう。

 ただそれは覚えられた奴からするとただのデレである。


「諫早が覚えてないのは置いといてだな。やっぱりあれ、手薬煉だよなあ」


 手薬煉は一人ではなかった。

 隣にはなにやら女性がいる。背が高くすらっとしているが、顔は柔和で優しそうな感じだ。特に目元がややタレ目のようなほわほわとした雰囲気の。

 あいつもすみにおけないな、とおきまりのセリフを言おうとしたところで、今自分が置かれた素晴らしい環境を思い出して止めた。


「今はそっとしておいてやるか」

「そうしよっか……」

「うん。突っ込むのも楽しそうだけどね」

「どうでもいい」


 安定の諫早。そして時に俺より酷い仕打ちを考える最上。

 東雲、お前だけがこの四人の良心だ。決してその優しさを忘れるなよ。



 ◇


 そして五日後。

 テストが全て終わった。テストの間のあれやこれやのドラマなど聞いても仕方のないことだし、というかそんな色々起こるわけもなく。

 こういうのは授業と同じで、している間は長くともいざ終わってみると短いものだ。


 テスト最終日は解放的だ。

 早く家に帰れるし、テストの重荷から解放されるし。

 それはさほど勉強に真剣に打ち込まない俺だって変わらない。

 部活動をしていて、積極的ではない奴らの中には部活動再開を残念がる声も聞こえる。

 俺は帰宅部なんだ。帰宅部最高。


 テストは二限分しかないため、荷物は最低限のテスト勉強用のものだけで身軽だ。

 掃除があるため、掃除の当番になっている組と掃除がない組とに分かれている。最上は掃除があるのか。手薬煉も掃除か。残念。

 俺はない組らしく教室から出た。まあでも、すぐに帰るのもあれなのでぶらぶらと歩いていると隣の教室から出てきた日野と目があった。


「あ、西下くん?」

「日野か」

「うん。今帰り?」

「帰るかどうか迷ってるところだよ」


 相も変わらず愛想のいい子だ。


「テストはどうだった?」

「ああーぼちぼち。化学はよくわからないままに書いたな」

「化学は苦手?」

「化学に限らず、わからないまま覚えるのが嫌い、だな。計算の範囲はだいたいあってるだろ」


 化学にも理屈があるのはわかる。

 だがこうだ、と説明された理屈に対して例外が多すぎるんだよ。

 で、その例外にも理屈があるんだろうけど高校化学の範囲ではそれを理解できるまでには至らない、と。

 だから簡単な語句問題と理解力を試す計算問題ができても、覚えてるかどうか試される元素記号やらの問題が面倒だ。


「私は地理がわかんなかった」

「数学はできたか?」

「お姉ちゃんに教えてもらったからね」


 へへ、とドヤ顔で小さくピースサインをした。


「へー、お姉さんがいるのか?」

「うん。お姉ちゃんね、今大学生なの」

「お姉さん頭いいの?」

「っていうかねー、バイトで家庭教師してるんだって。だから私もつい甘えちゃって……」


 なるほど。

 家庭教師、ねえ……


「お母さんはね、一応お仕事と同じことをさせるんだから少しご褒美あげよっか? って言ってるんだけどお姉ちゃんが私に教えるんだったら練習にもなるしいいよーって――」

「へー、生徒さんの話とかするの?」

「お姉ちゃんはうちの生徒だーって。もしかして私のクラスかもねーあははは」


 笑いごとじゃねえよ。

 まさかそんな形で見つかるとは思ってなかった。

 できればお前の口から聞きたかったよ手薬煉。

 もしかしたら違うかもしれないけどな。

 だが大学生の家庭教師がそんなにたくさんこの学校の生徒を担当しているのだろうか。


「名前、なんていうのか聞いてもいいか?」

「えー、瑞穂みずほ

「それはお前の名前だろ?」

「もしかして知らないかなって思って」


 ここでボケに走るとは。


「お姉さんの名前だよ」

秋穂あきほだけど……なんでそんなこと聞くの……? まさかお姉ちゃんを」

「ないない。なんで話したこともないだろう相手を」

「あはははー、ならよかった」


 妹としては同級生男子に姉が狙われるのはやはりよろしくないか。

 とそんなことを思っていたら。


「私のお姉ちゃんにはカズくんがいるからねー」


 とんだ話を暴露してくれやがった。


「へー……カズくんってどんな人?」

「えーっとね、どんな子って聞かれても」

「よし、じゃあ見た目から」

「スポーツ刈りで背が高い。細マッチョ」


 この時点でなんかイケメン臭がする。

 せめて、背か細マッチョのどちらかが欠けていれば大きいのに。


「年齢は?」

「お姉ちゃんより二つ歳上ー」

「お姉さんは大学何回生だっけ?」

「三回生だよ」


 三回、か。

 二つ上ってことは、社会人もしくは大学院か……大学生の姉の相手に就職できていない人を認めているのならば話は別だが。


「二人はお似合いだからーダメじゃないかな」

「そうか。ありがとう」

「なになに? 本当にお姉ちゃんのこと気になっちゃう?」


 日野が嬉しそうに追撃してくる。


「気にはなるけどお前の期待するやつじゃないな」

「へー、つまんないの。ま、西下くんには最上さんがいるからね」

「東雲もいるぞ」

「二股ー? 二股はダメだよ?」

「付き合ってないから問題ない。それに諫早も最近は一緒にいるしな」

「よくわからないなー」

「何がだ?」

「二人の関係」


 俺にもわからないものをお前にわかるわねが……と思ったが、こういう関係性ってのは外から見た方がわかりやすい時もあるか。


「どう見える?」

「仲良さそう」

「仲はいいな」


 じゃなきゃ長く一緒にいないしな。


「日野は、じゃあ誰かとよく一緒にいるとかないのかよ」

「ないかなー、結構みんなと一緒にいるから。あ、私軽音楽部なんだけどその中の人とはよく一緒にいるかも」

「あー、蔦畑とか?」

「蔦畑くんは別のところだからあまり……」


 そうなのか。

 最上との関係なんてものは仲は良い、でいいんだよ。

 共犯者とか、そういう名付けもできるけど決して犯罪をしようってわけでもないし物々しい。

 じゃあ付き合っているのかと聞かれれば否か。お互い暗黙の了解のように黙って誰かと付き合うことがないことを思えばある意味付き合っているみたいなものかもしれないけれど、俺と最上は世間一般のカップルがするようなことをしないしする予定もない。


「多分、お前にもわからないだろうな」


 そういったところでチャイムが鳴った。

 掃除はとっくに終わっていた。

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