第47話 プロローグは紳士的に
四人でとりあえず建物に入る。
入り口からすぐ前には、椅子の置かれた休憩場所が広がっている。全体的に小綺麗で、うちの校舎とは別世界である。いやね、うちの悪口を言いたいわけじゃないけれど。
その奥に、やたらと面積の広い自動ドアがあって中にカウンターとたくさんの本棚があるのが見えてくる。
「つーかお前、ジャージかよ」
「なに? 私に言ってんの?」
ちなみに。最上、諫早、東雲は全員一人称は「私」であるが、一番「わ」が「あ」に近い発音かつ最初のアクセントが強いのが諫早である。
どちらかというと「あたし」に近いってわけだ。
「お前以外に誰がジャージなんだよ」
そう言って他の二人を見る。
東雲は若草色の長袖に深い赤色のスカート。最上は白地に英語の書かれたシャツを上に着ている。どう見てもジャージではない。
二人は今月の本の紹介コーナーに読んだことがある本を見つけてはしゃいでいる。
「だいたい、着飾る相手もいねーってのにこっちに可愛らしさとか求めないでもらえる?」
「あまり仲良く出かける相手もいなくて、いざプライベートでってなると服装に困って無難なもの選んだって?」
「言ってないし」
否定はしない、と。
別に、似合ってるからいいけどね。ジャージも。なんていうかさ、体のラインが見えてないのにわかりそうな感じとか。
「勉強会、ねえ……」
勉強会をすると言ったな。あれは嘘だ。
そんな風に言ってみんなでダラダラとお喋りして半日過ごしたい気分にもなろうというものだが、そういうわけにもいくまい。
特に、ちゃんと勉強しなきゃね、なんて言いそうな子と、そう言われるとそれに賛同する輩が三人いるわけで。
「わぁ、広いね……」
東雲が視線をやや上向きに、俺から一歩後ろできょろきょろとしながら感嘆の溜息をついた。
「広いのは嫌いか?」
「ううん。私の住んでるところの図書館ってもっとこじんまりしてるし、学校のもそんなに大っきくないでしょ? だから、その……落ち着かない、かな?」
「で、どこにすんの? 私ここ来ないしわかんないんだけど」
カバンを片手で後ろに担ぎながら諫早が急かす。
こういう図書館だと、自習コーナーってのがあってだな。
そう言って見つけたのは、靴をぬいて上がることができるお座敷コーナー。畳に机が置かれていて、自由に勉強ができる。
私語は控えて、と書いてはあるがそこまで問題はない。
「……飲食も禁止じゃん」
「図書館はだいたいそうじゃない?」
「そう。だから飴やガムにしておけ」
「どっちもダメ、だよ……?」
一番ダメなのは飲み物だな。
いや、全部ダメなんだけどさ。
俺自身、したくはないから問題はないが、東雲の前で本を蔑ろにする行為は避けるべきだろう。地雷とはまた別枠で、爆発ではなく冷めさせる原因になるだろうから。
それは諫早もわかっていることだろう。
そして座席での配置はというと。
「文香ちゃん、英語のリーディングしてるの?」
まず最上が東雲の左隣。
「……文節ごとに線入れてくといいっていうよね」
東雲の斜め前には諫早。
「あの、ありがとう……えーっと、西下くんは何するの?」
俺の正面に東雲。
「俺は英語の本、科学に数学の参考書も持ってきてるからなんなりとできるさ」
どれも学校の授業で使うものだ。学校指定で購入させられ、テストもこの範囲から出てくる。つまりこれを覚えれば問題ないってことだ。
ノートは一冊しか持ってきていない。どうせ綺麗に書いたところで後で見直すはずもないのだから。
……なんか違うよな。
最上が完全にライバルポジションに立ってるんだけどどうしたらいいんだろうか。
いやね、女子と男子が混ざって勉強会するなら、女子同士が近くなるのはわかる。
長方形の机の端ということで、三方向に四人が散らばったのもわかる。
だけどさ、せめて諫早と俺の場所交代しないか?
諫早が東雲につききっきりになろうと反対側に身を乗り出しているおかげで、俺が完全に取り残されてるんだけど。
「綾ちゃんは、その、化学?」
東雲が最上の開いた問題集を見て確認した。
「うん。今ちょうど酸と塩基の中和でしょう? モル濃度とかの計算慣れておきたくって」
そう言って、モル濃度と質量パーセント濃度を変換している。
「そっか……私のところは化学は基礎だけだから力になれないや……」
「しまった! 文香ちゃんが寂しそうな目を……今すぐやめる! あっ……私、あとは数学だけじゃん……何故国語を持ってこなかったの……」
「いや、その、そういうのじゃなくって……」
最上、お前馬鹿だろ。
その点、俺は抜かりない。ちゃんと文系の英語を持ってきている。
というか、勉強会なんだから教えられることを想定して自分の苦手だけじゃなくって相手の得意分野を持ってきた方が正解だろうよ。
俺たちは一応理系なんだから、俺たちが苦手だっていう数学や化学は東雲たちの得意なっていう数学や化学より上の可能性だってあるんだぞ。逆もまた然り。東雲の苦手な文系が俺たちより上ってこともあるかもしれない。
「諫早は漢文か」
「あんたって……もの好きだよね?」
「何が?」
珍しく、諫早がこちらに話しかけてきたことが嬉しくてついわかっていることを聞き返す。
「とぼけてんだな。あんたがわかってないはずがない」
「さすがにバレるか」
諫早は俺に対して好意的な態度をとらない。無愛想だし、ぶっきらぼうだし、何かとあれば冷たい対応をする。
それに対して俺もまた、優しくはしないし、構いすぎないように気をつけるし、踏み込まないように観察している。少なくともそのつもりだ。
今回勉強会に連れ出したのは、多少干渉しすぎなのは否定しないが。
だから、諫早はこう言いたいのだろう。
『どうせなら一切構わなければいいのに』
そんな風に。
でも俺は諫早を嫌いにはなれない。
一つは東雲が好きだからだ。好きな人間が共通してるってことは、人の好みが似てるってことで。なら価値観で共通する部分もどこかにあるのではないか、という理由。
そしてもう一つが、諫早が一度も俺に対して不愉快なことをしなかったからだ。
態度は悪いが、距離感から考えればそれは大したことではない。
バカじゃないの、とは言うが俺のことを本気で軽蔑したり見下したこともない。
ワガママ勝手で周りが見えないとか、無自覚な悪意をもって人に接することもない。
そうした積み重ねを見ているから、今はまだ心理的な距離感が遠いだけで、いつかそのうち仲良くなれるのではないかと、仲良くなりたいなと思ってしまっているからだ。
じゃなきゃ、こうして話しかけることはできないだろう。
「まあ、いつか話すよ」
適当なところで切り上げる。
多分、こういう人に最初から懇切丁寧に全部説明してもあまり聞いてはもらえない。
だから興味をもたせて、謎を残したまま時間をかける。
どんな人間なのだろうか。そんな風に、意識するようになれば自然に俺の言動から人格を察するようになるだろう。
そしてそうやって得た認識は、少なくとも俺の自己紹介よりも説得力を持つだろう。
俺ロリコンだぜ! って主張するよりも電車で少女を見かけてはニヤついて、それに気づかれると慌てて「いや、ロリコンじゃねーし!」って言ってるやつのほうがロリコンっぽいみたいな。
「文香ちゃんってさ、普段どんな勉強してるの?」
「えっと、やっぱり復習、かな? 私、あまり器用じゃないし、何回か授業でしたことやり直さないとわからない……から。綾ちゃんは?」
「私はねー楽しそうなところだけ勉強するかな」
「勉強なめてんじゃない?」
間髪容れず諫早の鋭い罵倒が最上を刺す。
ただ、そこに威圧や軽蔑は見られなかった。ボソッと思ったことが口からそのままこぼれおちたような、そんな言い方だった。
最上が珍しく、意外そうに諫早を見やる。
自分に反応が返ってくるとは思っていなかったのか。
「ふふ、一応真面目なんじゃないかな」
軽く笑いながら、からかうように曖昧な答え方をした。
つつ、と木造の机の縁を指でなぞる。
その嬉しそうな仕草は、最上ならではといったところか。
好きの反対が嫌いではなく無関心である、とよく言われるように。
反応が増えたということそのものが距離が近づいている証拠なのだとわかっている最上だからこそ、冷たい反応でさえも「デレ」に至るまでの過程だと楽しんでいるのだ。
「諫早さん、ここ、わかんないの?」
「んー、なんで『対』の文字なのにこたえるって意味になんだよって」
「だって……『応対』の対、だし……」
「あー、そういうことなんだ」
その場合のこたえるは、応える、だと思うのだがそのあたりはよくわからない。対応する、だと少し意味合いが違うってのはまた不思議なもんだ。
なにはともあれ、勉強道具が異なる程度ではさほど勉強会の支障にはならなかった。
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