第45話 諫早千歳のエピローグ

 二年前に親父が死んだ。

 まだ生まれたばかりのガキ二人と、私とママを残して。

 幼い二人は、死ぬってことがなんなのかもわからないままに父親を失った。


 悲しかったのは、多分。

 立派な父親だとは言い難い。

 よく酒は飲むし、仕事も時々変わる。家族サービス旺盛なわけでもない。昼間から家でゴロゴロしてる時もあった。だらしなくて、ついでにデリカシーの欠片もない。

 でもなんだかんだいって、働かずにいた期間が飛び飛びで、なんとか私たちが生活できる最低限は稼いでいた。

 別に暴力をふるわれるわけでもなかったし、ママはともかくとして放置されてるってのは楽だった。

 楽だっただけで、いなくなってほしいとまでは思っていなかった。


 今はもういい。

 そのあたりは心の整理がついているし。

 それより心配だったのは、残されたママだった。

 ちっちゃいガキ二人、面倒な年頃の姉一人。四人家族だ。いつまでも生命保険やらの残されたお金で生活していくのにも限界がある。

 かといって、生活のために早く男を見つけろなんて言えるわけがないし、何より私が嫌だった。

 私の親父はあいつだけだ、なんて言うつもりはないが、今更赤の他人である男を父親扱いして家に招き入れてやるのは不愉快だ。


 だから私は、私がママの代わりになるべく双葉と翔の面倒を見てやろうと決めた。

 それが中三の夏だったっけ。

 ママに「私たちは大丈夫だから働いても恋愛するのも自由にしてほしい」と胸を張って言えるように、家事を頑張った。

 一方で、家庭環境のせいで勉強ができないんだって勘違いされるのが嫌で最低限の勉強もしていた。

 ちゃらんぽらんで楽しく生きていた私は、夏休みを終えた頃には少しは母親代わりのお姉ちゃんになれたんじゃないかとそう思っていた。

 だけど二学期、私を待っていたの偏見に満ちた視線だった。


 "お父さんが死んで可哀想。"

 "大変でしょう?"

 "家ではちゃんとご飯食べてる?"

 "勉強も大事だぞ。"


 それは別に悪意があったわけじゃない。良かれと思って、善意で、もしくは……同情してあげてる私可愛いみたいなそんなエゴで。

 私はそれがひどく気持ち悪かった。

 可哀想? 何がわかるんだろうか。可哀想かどうかは自分が決めるから。

 大変? 私にとってはもうこれが生活なんだよ。

 ご飯? 夏休みにもう自炊は覚えて双葉と翔の分も作ってるから。

 勉強が大事? 言われなくてもわかってるっつーの。

 それが噴出したのは、私がクラスの女子に勉強会に誘われた時だった。

『ねえ諫早さん、このあとフードコートで勉強会しようって話になってるんだけどー』

『あー私は……』

 断ろうと少し気まずい顔で言葉を詰まらせた瞬間、隣にいた女子が誘った女子を小突いて軽く責めた。

『やめなよー諫早さんだってさー、ほら』

 言わない中に「お父さんがいなくなってるから」とそんな意味を込めて。

 すると周りにいた子たちが思い出したように同意し始めて、するすると波が引くように彼女たちは去っていった。

 それが何故だか、無性に腹が立った。

 多分それは、境遇を詮索されている感覚と決めつけられることに対するものだった。

 だってそう。私のことを思うのならば、何事もなかったように誘うか、もしくは誘う前に境遇を考えて誘わないか、のはず。わざわざ誘っておいて、私の反応を見るやり口が気に食わなかったのかもしれない。

 決めつけておいて、自分本位興味本位に聞き出そうとする。

 決めつけているから、何をいっても都合の良いようにとる。


 そんなに、可哀想でいてほしいのか。


 私はもう、興味本位で詮索されるのが嫌だった。どうせ知ったところで、あいつらにとってはただの面白い話のネタ。

 だから私は髪を染めた。

 お母さんが月にくれるお小遣いの貯金額を見た。使い道もあまりないし、とりあえず貯めておこうと考えていたそれを。

 この使い方は裏切ることになるかもしれない。

 だから怒られたらやめて、また黒髪のままで別の方法を考えよう。そんな風にも思っていた。

『私、髪を染めようと思うんだけど』

『あら、そうなの?』

 だからママがあっさり許可したときにはびっくりした。

『怒らないの?』

『あんたが興味本位やオシャレってだけで今更髪染めるとも思えないし、別に反抗とかグレるとかじゃないんでしょ?』

『多分……反抗だけど』

『別にいいわよ。家出してタバコや酒に手を出すわけでもあるまいし。学校も行くんでしょ? 勉強は?』

『今までと生活は変えない、と思う』

『――それに、ちゃんとあんたなりの意味があるんでしょ?』

 多分、ばれていたのかもしれない。

『はー……ま、その分ぐらいのお金は出してあげるわ』

『いや、ママにそんな負担は……』

『知ってる? あれって定期的に染め直さないとプリン頭になるのよ。やるならきちんとしなさい。汚らしい染髪なんて嫌よ』

『だって私のワガママだし』

『あんた、服も化粧品もねだらないし、高いもの欲しがらないし趣味も少ないでしょ? オシャレじゃないっていってもそっちの延長線で出してあげるわよ』

『……わかった』

『その代わり、やめるときは染めた理由を教えてよ? あと――』

 その時付け加えられた約束が。

『それでもあんたの本当を見抜く子がいたら、きちんと見てあげなさい。仲良くしろとか好きになれとは言わないわ。でもね。見た目に惑わされずあんたを見てくれたんだからきちんと応えなさい』

 今でも私を縛っている。

 それは私にとって幸か不幸か。




 ◇


 あれから私は静かに中学を過ごせた。

 わかりやすかったからだろう。父親を亡くして、グレて染めた子。そんな風に。

 だけど過去を知る人に言いふらされるのも不愉快だったから、校則が緩くてほどよく遠くて、学区外だから特殊な試験を受けないと入れない、この学校を目指した。

 特殊な試験は一般試験よりも難易度が高く、クラスにいた勉強面では私よりはるかに馬鹿だったあの子たちがこれないことはわかっていた。

 だけどママの約束が頭にチラついて、髪染めをやめる気にはなれなかった。


 そして高校二年の春。

 私の周りを三人がうろちょろしはじめた。

 一人は東雲文香。純粋にいい奴だと久しぶりに思った。イライラもするが、落ち着いて話すと頭も悪くない。私のことを嫌っているわけでもないし、かといって興味本位のいやらしさもない。何より、気遣いのできるやつだったから楽だった。


 ――気がつけば色々と喋ってしまうぐらいには。


 そして残り二人が西下と最上だった。

 そもそも男友達なんてものはいたことがないし、私が苛立つ女子がこぞって男子に媚びを売る様子を見てるとロクなもんじゃないなって思っていたからどうでもよかった。

 だから最初は適当に突き放して最上のほうを見ていた。

 クラスではニコニコと普通の女子で特徴もなかったように思っていたけど、それが大きな間違いだったと気がついた。

 ――こいつのどこが無害な普通の女子だ。

 笑顔で人の傷口やら弱いところ、言葉の一つ一つでぐりぐりえぐってくるこんな奴のどこが。

 西下の方は、面白半分でちょっかいでもかけているのかと思って無視した。


 でも変だった。

 そろそろ西下の私を見る目が変なことにも気がついてきた。たまに言い寄ってくる「ヤりたいだけのクズ」とは違う。けど、怯えている男子とも、興味本位、面白半分でちょっかいをかけてくる男子とも違う。

 酷く冷静な、笑ってない目で私のことをずっと見ていた。それに気を取られていたからかもしれない。

『ごめんなさい……私のせいで!』

 謝る女子に変な提案をしてしまったのは。

 もちろん、私にとっても都合がよかった。嫌な噂があればあるほど、へらへらと近づく余計な奴が消えていく。

 そういうものが積み重なれば、ただのお人好しも「人を見た目で決めつけるのはよくないよ」なんて言いださない。静かに、勉強して、家に帰って可愛い双葉と翔の面倒を見れる。そんな生活が続くと思っていた。

 それでも一向に態度を変えない三人はいったい何を見ているのかと不思議だった。


 そしてあの日がやってきた。

 全員の前で、有明が私の誤解を解いてしまった。

 原因の一端は目の前の三人にある。

 全てが終わった後、西下に呼び出しを受けた。私は無視しようと思っていた。だがその場所を聞いて気が変わった。

「なんであんたがこの場所を知ってるわけ?」

 私がちょくちょく教室から出て一人で静かにご飯を食べるためにやってきているその場所には先客がいた。

 そう、ここが西下に来てほしいと言われた場所だった。

「ごめんねーつけさせてもらいました」

 まったく悪びれもせず、最上が私に両手を合わせた形だけ謝る。

 東雲の方をチラリと見た。するとこちらは悪いと思っているのかびくりと肩が跳ねた。

「つけられてんじゃないよ」

「いや、俺たちがつけたのはお前だけど」

 じゃあなんでこの子が申し訳なさそうなのか。

 それを察してか、最上が答える。

「だってー私たちが用事あるとかなんとかいってー文香ちゃんはずっと手のひらで踊らされてたからねー」

 半分嘘かな。

 だったらもう少し、東雲からこいつらへの恨みごとや私への言い訳もあるんじゃない?

 どっちでもいいけど。

「ふーん。で、なんで呼び出したわけ?」

「お前が髪を染めた理由、あの日何をしていたかを当ててやろうと思ってな」

「その二つ、関係なくない?」

「いいや、繋がってる。そうだろう?」

 そうして西下がつらつらと説明しだした。

 あの日のことは完全に当たっていた。病院に行ったという電話を受けて、そのまま学校を飛び出したこと。当てられてしまった。

 髪染めの理由もほぼ正解。こうやって自分で自分に見た目のレッテルをはれば、余計な詮索を受けずに自分にとっての本当の弱点である双子について話さなくて済む。

 それをわかっていて、あんな脅迫をしたわけ。

 性格は最悪。

 東雲がこいつらとつるんでいるのか、今の今までまるでわかんなかった。

 けど今回のことで少しわかった。

 なんか騙されてそう。そう思うのは私だけなのだろうか。

 たった一年、同じ学年にいただけで。

 たった一学期見ていただけで。

 三年一緒のクラスだった女子も、担任の教師もわからなかったそれを、引きずり出した。その見透かすような目に鳥肌がたった。

「で、その答えを聞いてどうするわけ?」

「答え合わせだからな……今後のお前との会話で気に留めておく点としておく、ぐらいか?」

「バラすつもりは、ないわけ?」

「みんなに言ったり、しないよ……?」

「バラす意味ないじゃん」

 どうやらそれは本当みたい。

 ダメだ。こいつらの考えてること、私にはさっぱりわからない。

「そんなに怖いなら近くで見張っとけば?」

「そうそう。バラさないかとか」

「それに、東雲も心配なんだろう?」

 そう言ってぐいっと東雲の肩を抱き寄せた。

 東雲がめちゃくちゃ驚いて声にならない声をあげているけど、なんかあまり拒否してない……ような。

 逆にそれが心配。

「そうだよねー私たち、文香ちゃん大好きだし?」

 そう言って最上が東雲に抱きつく。

 二人が東雲を挟む形になった。

 なんか無性に腹が立った。

 私が東雲を心配していることを見透かされたからか。

 それとも……

「……いいよ。あんたらがどんな人間か、バラさないって信じられるまでぐらいは相手してあげる」

 東雲を挟んでハイタッチをする二人にドロップキックを食らわしてやりたかったのを堪えた私は偉いと思う。



 

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