第三章 諫早千歳編 後半

第39話 スクランブル

 単純接触効果、という人の心理を表す用語がある。噛み砕いていうと、たくさん出会って繰り返し認識している人間を好きになりやすい、というものだ。

 吊り橋効果とか、そっちを使う方法も考えられた。あれは一瞬の関心を引くのには良いが継続的には使いづらいかと思ったので今回はお蔵入りに。

 今回も俺たちはその、単純接触効果に頼ることになる。


 俺たちが最初に決めた基本方針として、 奇を衒いすぎない、というものがある。

 当たり前を積み重ねて、結果を求める地道で確実な方法だ。たまには遠回りだったり変な手をも使うけれど。

 諫早を見るたびに挨拶し、話しかけて、そうやってとにかく諫早の印象に残り続けようとした。

 そんなこんなをまたしばらく続けていたら――


「どうして……」

 ――俺たち三人が諫早の舎弟になったという噂がたった。

「西下くん、元気出して」

「いいことなんじゃないの? 少なくとも一緒にいるだけの外堀埋めはできたわけだし」

 気遣いが身にしみる。

 いやね、頭ではわかってるんだけど。なんていうかね、諫早の不良っぽさに俺たちが拍車をかけてどうするんだ、と。

「だいたいラブコメの主人公はズルい」

「だから自分たちでしようって話になったんじゃない」

「器量良し、性格良し、強力な属性付きの美少女と強制イベントで一緒にいられてかつフラグ立つんだぞ? お互い積極的に仲良くなろうとしてなくても、自然に!」

「あの、西下くん、私は……」

 ああそうだ。東雲可愛い、だから大丈夫、うん。

「お前とは自然に仲良くなったわけじゃない。積極的に仲良くなろうとしたからなったんだよ」

 こう、なんかこのメンツで数時間とか毎日定期的にとか、強制的に同じ場所に詰め込まれるイベントないかな。


「でもさ、西下」

「ん?」

「あんたそういう風に不満は言うけれど、めちゃくちゃ強いの一つ持ってるじゃん」

「えっ……? なに?」

「あっ」

「あんたの席、諫早さんの隣じゃん」

「そうだけどな」


 俺たちのクラスは一学期の最初だけ、名簿によって席が決められている。

 それは担任が名簿や出席を取るときに覚えやすいからであり、その席順にしてもらえることでこちらとしても覚えやすい。

 諫早はア行のイ段。つまり名簿がかなり早い。赤坂がいるため一番にはなれないが、それでも二番だ。

 一方俺はサ行ア段。ちょうど二列目の座席の二番目に当たる。

 実際、諫早が立ち上がって教室を出ていくその様子を落書きしながらでもつぶさに観察するどころか実況する余裕まであったのは席が近かったからだ。

 そういう意味では実に俺は恵まれていた。


 ◇

 

 授業の最中、筆記用具とノートだけを机の上に用意した。

 そしてチラリと左隣を見る。手元でメモにコソコソと書き込んで、それを左隣に渡した。

 左隣の奴が俺を見て「は? なんで?」という顔をしたが、その紙の最後に書かれたことを見て承諾する。

 俺は一冊の教科書を隣に渡してその紙を回収した。紙はくしゃりと手の中で音をたてて丸め込まれる。

 そして右隣の諫早に目を向けた。

「諫早。悪い、教科書を見せてくれ」

 すると諫早は露骨に嫌な顔をした。そして小さく舌打ちをした。

 周りに聞こえぬように、あからさまな拒絶の答えを返してきた。

「他の隣に借りれば?」

 なるほど。隣の奴は鳶咲とびさきかける、男だ。

 男子が男子に借りるほうが自然ではあるだろう。

 もしも忘れたのならば、だが。

「運が悪い。俺が今、鳶咲に貸したんだ。こっち側だと通路を挟んで読みづらいから俺が諫早に借りればいいってな」

 そこでようやく、鳶咲もことの次第を理解してくれたようで。苦笑いしながら俺が渡した教科書を片手で持ち上げる。

 俺が鳶咲に貸したのは決して偶然ではない。

 渡した紙にはこのように書いた。


『今日はお前が教科書忘れて俺に借りていることにしてくれ。お代はジュース一本奢るから』


 そんな仕込みは事前にしておけ。

 となるかもしれないがわざわざ手紙にしたのは理由がある。

 一つは、ギリギリにして報酬で言うことを聞かせることで、根掘り葉掘り問い詰められることを防いだ。休み時間などに直接口で頼むと、確実に不審だと疑われて聞かれる。

 それが不都合だからワザと手紙にしたのだ。


 次に依頼の内容が漏れることを恐れた。事前に口にしてしまえば、どこかに漏れる可能性がでてくる。どこで誰が聞いているかわからないのだ。

 手紙にしてしまえば、その手紙さえ処理してしまえば他の誰かに見られることはない。


 そして最後に。強制力だ。

 口で頼まれると、断ることは容易になる。口約束、なんて言葉があるように、何かしらの約束や契約というものは文面に起こして見せた方が信用性が高いのだ。

 そこに加えて「報酬」というエサ。バレたとしても俺が頼み込んでいるおかげで何も被害はない。仕事として頼まれているのだから受けやすい。

 教科書を一時間持っているだけでジュースが貰えるというローリスク、ハイリターンな契約であることがわかる。


 それらに加えて重要なのは、「動機が悪意ではないこと」だろうか。

 殺人に加担させられて怒る者はいても、人助けに加担させられて怒ることができる人は少ない。

 つまりは、加担させられたとしてもその行動が社会一般において「悪いこと」ではない限り、つまり正当性がある限りは責めづらいのだ。ましてや俺はきちんと報酬を用意しているのだ。

 動機が判明した今でさえも鳶咲は俺に怒りの目は向けてこない。

 もう一つ、鳶咲を巻き込むメリットはあるがそれは今は良しとしよう。


 そんな俺と鳶咲に思うところもあるのだろうが、そう邪険にもしつづけられないのだろう。

 諫早はぶっきらぼうに「ほら」と教科書の半分を机の左端から出した。

 それに応えるようにして、自分の机を相手の机の隣へとくっつける。

 少々露骨すぎたか? とも危惧したが諫早が疑っている様子はない。もともとそういう駆け引きは苦手なのだろう。考えたこともなさそうだ。

「……人に貸してあんたが読めないんじゃ本末転倒じゃん」

 根は素直極まりない。東雲よりも言葉の裏を読むのに長けていない。

 東雲は本を読むこと、そして自分が積極的に話せない。その分、人のことをよく見て言葉を反芻して考えている。

 だから逆に言えば、以前のような折り畳み傘宝探しゲームのような搦め手は使えないというわけだ。


 タイプと能力さえ読みきればなんとかなる。

 なんのゲームの話だ、という言い回しではあるが、これも人付き合いコミュニケーションである。

 諫早はその点、近づくほどに対人技能の評価が二転三転する。

 俺が一番近づけた時、その評価はどっちに傾いているだろうか。




 ◇


 神は時として数奇ないたずらを仕掛ける。

 それは奇跡と呼ばれたり、祟りと呼ばれるほどの大規模なものもあるかもしれない。

 しかし俺が受けたそれは、実に些細なものであった。

「また大胆に出たね」

「アドバンテージを活かしただけだ」

「何格好つけてんの」

「あれ?」

 俺はふと、見覚えのある後ろ姿に気がついた。

「あ、文香ちゃん」

 東雲は男子二人に絡まれていた。

 いや、男子側には絡んでいる自覚などないだろう。普通に話しかけているだけだ。だが人と話すのが苦手そうな東雲からすれば、話し慣れていない異性二人に同時に話しかけられることは絡まれるといっても過言ではない。

「助けねば」

「ちょっと待って」

 飛び出そうとする俺の肩を最上が掴む。

 こいつ……土壇場で裏切るというのか……!

 と最上にその理由を尋ねようとするその前に、東雲と男子二人の間に割って入った奴がいた。

 男子二人の態度が急激に強張るのがわかった。

 原因は割り込んできた相手にあるだろう。

 それは諫早だった。男子二人とほぼ背が変わらないこともあり、余計に威圧感がある。

 俺たちは様子を見るために、近くの教室に入って扉のすぐ隣で見えないように隠れた。

「あんたら、女子二人で囲んでんな。だっさいの」

 ふん、と鼻で威嚇すると男子たちはもごもごと「いや、俺たち誘ってただけだし……」と言い訳じみた反論をする。

 しかし諫早が「は? なに?」と聞き返すとバツが悪そうに去っていった。

「あ、ありがとう……諫早、さん……」

「これぐらいたいしたことじゃないよ。あんたもはっきり言わないとああいうのはつけあがるよ?」

「ちゃ、ちゃんと、断るつもり……だったもん……」

 断りきれる自信がなかったのか、やや目をそらしながらわたわたと答える。

「そ、ならいいんだけど」

 そしてそれに突っ込まない諫早のイケメンぶりに男として敗北感に打ちひしがれているのがこちら。

 ……なあ、おかしいよな? あいつ、女なんだぜ? どうして女子同士であるはずの東雲と諫早が一番ラブコメしてるんだよ……!

 絶対その場所、俺だろ普通。ちょっとそこ代われって言いたいのはやまやまだけど、というか今すぐにでも飛び出したいんだけど。

「はーい、どうどう」

「俺は馬か」

「暴れ馬、じゃじゃ馬、跳ね馬と馬の呼び方は概ね、そういうのが多いから今の西下もある意味馬みたいなもんじゃ……」

「……わかってるよ、今あそこに俺は邪魔だってのはな」

 理解はしても納得はいかないがな。

 お株を奪われるどころか、配役の間違ったラブコメを完全に敗北者目線で実況ってのは間違っている。

 ……どう転んでも俺に得があるように進んでいることだけが幸いか。

 東雲がたたたっ、と駆けていったところで諫早がこちらに声をかけた。

「そろそろ出てきたら?」

 俺らは隠れる理由もなくなり、二人扉から出て顔を出した。

「なんだ、バレてたんだ」

「いつから気づいてたの?」

「遠巻きに近づいてくるところから、だね。あんたら動きが不自然だから。耳はそんなにだけど身体的に視界は広いんでね」

「なお前回は」

「あれから気をつけるようになったんだっての」

 ……これは照れ隠し、なのか。

 もっと違うものを想像していたんだけど。

「ああ、でも東雲は俺たちのこと何も知らなかったからな。仕込んだとかけしかけたとかじゃないからそこは信じてやってくれ」

「……わーってるよ」

 お? もしかしてこれは。

 最上が隣で最高潮に悪いニヤつき顔を浮かべているのを見て、同じ結論にたどり着いたことを確信する。

 諫早、お前は……これは面白くなってきた。

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