第三章 諫早千歳編 前半

第29話 プロローグは授業中に始まる

 朝から東雲と最上が喋っていた。

 内容は少女漫画についてだった。

 高校にあるホストクラブの話らしい。主人公?がすごく愛され系のようだ。美形集団の中で紅一点が男装して客を集めるとはなんとも楽しそうな話だ。

 読んだことのない俺には詳しくはわからなかった。

「西下くんは、読んだこと……ない?」

「名前は聞いたことあるんだけどな」

「今度貸そうか?」

「じゃあ頼む。読んでみたいし」

 最上はもっているらしい。貸してくれるという。

「いや、妹がね?」

「妹のものを勝手に貸す約束してやるなよ……つーか、妹いたんだな」

「いいのいいの。妹の本は私のもの、私の本は妹のもの」

 どうやら仲はいいらしい。

 一人っ子の俺にはよくわからないが、姉妹って仲良いものなのだろうか。

 兄弟姉妹のいる人間は口を揃えて「別にいいもんじゃない」と証言していたような記憶しかない。

「東雲は姉妹とかいたっけ?」

「ううん、一人っ子」

「そんな感じするよね」

 最上、それ、褒めてんのか?

 東雲に抱きつきながら、「私がお姉ちゃんになってあげようか?」などとのたまっている最上を見る。

「えっ、西下も弟になりたいの?」

「いや、東雲は別にお姉ちゃんが欲しいとは言ってないだろ」

「文香ちゃん"は"ってことは、やっぱり私に……」

「お前は深読みしすぎだ」

 否定はしない。

 一人っ子男子ってのは、姉とか妹に夢を見ているものだ。そんな素敵なものでもないことを頭ではわかってるから、本気で欲しいと願ったこともないが。

 この前は冗談で親に向かって「娘が欲しいか? 今からでも遅くはない」などと言っていたが、今からできた妹(0歳)とか可愛らしい盛りに俺が家を出て一人立ちする方向で別れがくる。年齢差的にはもはや叔父さんレベル。それはそれでいいな。

 あれ? 両親の弟は叔父と伯父、どっちだったっけ。叔父か。

 最上が姉か……すごく、おもちゃにされそうだ。

「義理のとかなにそれエロゲ? って感じだしなぁ」

「姉みたいな幼馴染って失恋フラグだよね」

「今自然に俺を男対象外にしたか?」

「西下くん、は……お兄ちゃん、って感じだけど……」

「そうか?」

 嬉しいことを言ってくれる。

 嬉しいこと、なのか? 少なくとも「弟みたい」と言われると頼り甲斐なさそうとか、そんなイメージだから男としてはそちらの方がイメージは良さそうだ。

「うん……でも、私はお姉ちゃんより妹、の方が欲しい、かなぁ……」

 東雲お姉ちゃん、か。弟はダメですか?

 思わず姉になった東雲が妹や弟にかけるだろうセリフを想像してしまう。

 やんちゃな弟を止めるために。

『お母さんが、ダメだって言ってたよ……?』

 母親に夕飯のリクエストを聞かれて。

『食べたいもの……? オムライスが、いいかなぁ……でも食べきれない、かなぁ……?』

 試験勉強をしている妹に向かって。

『勉強、頑張ってね……お姉ちゃん、応援、するから……』

 なにそれヤバイ。すごく……見たいです。

 最上も想像したみたいで、にやける口を押さえてプルプル震えている。顔も真っ赤だ。この調子では明日までにお姉さん派から妹になりたい派に鞍替えしてるかもしれない。

「……えっ? 私、何か変なこと言った?」

 俺たちの様子が変だったことに驚いたのだろう。戸惑うように疑問の声をあげる。

 いいや東雲、お前は何も変じゃない。

 変なのは俺らだ。お姉ちゃんに夢を見ている俺が悪いんだ。

 だからそのままの東雲でいてくれ。



 ◇


 地理の授業を受けていた。

 先生は話を中断しており、黒板をチョークが走る音だけが響いていた。

 南アメリカについての内容で、海流と砂漠の関係について説明されていた。

 そんな時のことだった。

 誰かの携帯のバイブレーションが鳴った。ヴヴヴヴと鈍い振動音がカバンの中でしたのがわかった。だが誰の携帯かはわからない。

 その音に室内が少しだけざわつく。

 同級生たちが誰のだ? お前じゃね? 違う。とお互い目と手振りだけで会話する。

 先生はというと気づいていないのか、それとも聞かぬふりをしてくれているのか一切の反応を見せない。

 今も黒板の方を向いて板書をしている。

 うちの高校は携帯やスマートフォンの持ち込みは禁止されていない。昼休みにいじっていたところで何も言われない。そういう校風なんだ。

 しかし、授業中は電源を切るようにと言われる。もちろんいじるな、ということでもある。もちろんテスト中はその規則が特に厳しくなる。

 とはいえ、授業の前にいちいち確認されるわけでもない。

 面倒ならばマナーモードでバイブレーションもオフにしておけばいい。

 このあたりは自己責任だ。


 今回はいじっていたわけではなく、消し忘れてカバンの中で鳴ったというのが音からもわかる。

 だからこそ先生も聞かなかったふりをしてくれているのかもしれない。出処がわからず、授業の妨害にすらならない僅かな音だから。

 こんなことが時々ある。

 珍しいほどではないのだ。後から犯人がわかれば「鳴らしてんなよー」と笑いながら小突かれる。そんな程度のことだ。

 そんな風に今回も流そうとした。

 クラスメイトは見て見ぬ振りを、騒ぐのをやめてそっとそのまま終わらせようと。


 だが俺たちは驚くことになる。

 一人の女子生徒が立ち上がったのだ。俺の席のすぐ近くで。

 彼女の名前は諫早いさはや千歳ちとせ。遠回しな意訳すると「髪染めはしないように」といった校則に正面から反抗している少女の一人。

 肩甲骨まで届きそうな長い髪を金色に染めている。だが化粧っ気もないしピアスをしているわけでもない。唯一手を加えた部分が髪だけというべきか。

 ……まあ髪色もスカートも多少形骸化している校則ではある。

 公立としては比較的緩いうちの校則の中で数少ない他の公立高校と並んでいるものの一つ。

「えっ、マジ……」

「なにあれ……?」

 彼女はそのまま教室から出ていった。その片手には携帯が握られていた。

 これはクラスメイトを見ていてのおおよそではあるが、実に八割を超えて九割近くの高校生がスマートフォンである。

 残りの二割未満のうち、似たようなタブレット系統の端末を所持している者も多い。そして僅かに残った生徒はガラケーのみ、もしくは所持していない。

 その僅かなガラケー組が諫早である。

 ここで察しがつかないほどでも鈍感ではない。

 他にも女子の大半、そして男子でも目ざとい上半分ぐらいは気がついたかもしれない。

 先ほど鳴ったのは諫早の携帯である、と。

 先生もどんな対応をしていいか困っているようだ。頭ごなしに叱りつけるほどの何かがあるわけではない。携帯が鳴った証拠はなく、今の彼女はただ授業中に立ち去っただけだ。

 おそらくは諫早が戻ってきてからの対応によるだろう。

「南アメリカは今回で終わりだな。次回からは東南アジアに移る。ああ、そうだ。知ってる人もいるかもしれないがジャコウ猫の糞を使ったコーヒーもあるんだとかね。確か……コピ・ルアクとか言ったかな」

 先生が棒読み、僅かに早口で語る。

 そういうコーヒーをあることは知っていたが、名前までは知らなかったかな。

「先生、話を逸らすの下手すぎ」

「臭くねーの?」

「飲みたくねー」

 生徒のうちから軽い野次がとんで少し空気が元に戻る。

 そしてそこに諫早が戻ってくる。自分の席までくると、机の横にある自分のカバンを持ち上げて肩にかついだ。

「ああ、諫早。トイレか? 恥ずかしいかもしれないが少しぐらいは言ってから行けよ。いきなり出ていかれると気まずいから」

 先生の生徒への気遣いレベルが高い。

 ただ、女子への気遣いとしてはやや低い。

 トイレか? などと聞くのは一種のセクハラである。そこまで気にするものでもないとは思うが。

 女子は自分の排泄の音を聞かれたくないがために用を足す前に水を流すと聞いたことがある。

 女子にとってトイレとはそれぐらいデリケートなのだ、という話だ。

 そんな先生の対応に気遣いを見抜いた奴の中にはなぜそんな気を遣ってやらねばならんのかという顔をする奴もいる。

 女子の一部はうわー、と顔をしかめる。やめてやれ。

 諫早はそれに全く反応を見せなかった。ただただ先生の方を向いて。

「センセー、今日はちょっと帰ります」

 ニコリともしないでそう言った。

 それは丁寧語ではあれど、そこに敬意や丁寧さは見られない。

 ぶっきらぼう、そして棒読みであった。

「い、諫早?」

 先生はそれを止めようとした。

 しかし悲しいかな、今日の教育においては乱暴なことはできない。

 体罰は厳重に禁じられており、正座もげんこつも体罰だ。せいぜいアホなことを言うお調子者のアタマを教科書丸めてはたくぐらいだ。それも痛くもかゆくもないような勢いで当てるだけの。

 腕を掴んで止めようものならどこで見ているかわからない目によって密告リークされて次の日は職員会議、校内でのあだ名は暴力教師である。

 ドラマや漫画の熱血教師が不良を殴り飛ばすみたいな展開はまず見られないと思った方がいい。

 授業を出る女子を止めるためだけにそこまでのリスクを負うべきではない。

 ここで止めきれない先生を責める者もいないだろう。

 多分、この時こそ俺が諫早をはっきりと認識した時であったのだろう。

 その間、俺はというとずっと教科書に落書きしていたのだけど。

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