第15話 東雲文香のエピローグ

 図書委員の仕事は地味だ。そんなこと、言われなくてもわかってる。だけど、それでもなるべく長い間本の側にいたかった。

 私は本が好きだ。いつからだったかはよくわからない。紙の本を一枚一枚めくるたびに、そこに新たな世界がある。私はそこに誰にも邪魔されないようにひっそりと潜り込む。




 ◇


 あれは私が小学校5年生の時だった。

 私は当時、いきものがかりで、メダカにエサをやっていた。

 後ろの方でクラスの女の子たちが話をしていた。紙紐が水色やピンク色だったり、筆箱にジャラジャラとたくさんストラップをつけているような、明るくって自己主張の激しいタイプの女の子たちだった。


「だよねー! きゃはははは」

「ていうかさ、マジウザくない? 友達んち泊まりに行くって言ったらどの? とか向こうの親はーとか」

「うちのお父さんもさ、漫画ばっかり読んでるなよとかさー」


 話題は親の愚痴だった。

 私の家にお父さんはいない。仕事で外国に行ってるのだと聞かされていた。どんな仕事をしているのかもよくわかっていない。

 ただ、いつもクリスマスも誕生日もお母さんと二人だった。それが嫌なわけじゃないけれど、それでもやっぱりお父さんがいないっていうのは少し寂しかった。別に休みの日に遊びに連れていってとかワガママを言うつもりもなかった。ただ、家にいてほしい。それが私にとって一番のワガママだった。


「ああいうの、やだなー」


 同じ班でエサをあげたことを記録していた子がそう言った。


「私の家、お父さんとお母さん仲良いし、お父さん私に誕生日になると『今年はチーズケーキにしようか。プレゼントは何がほしい?』って聞いてくれるんだー、魔法瓶の水筒とか作ってる会社で働いてるんだって」


 やだな、聞きたくない。

 弱い私はそう拒絶することも、耳をふさぐこともできないでいた。悪口も聞きたくない、でも褒める言葉も聞きたくない。私はきっとワガママだ。


「文香ちゃんのお父さんってどんな人?」


 その子に悪気はなかった。なんの気はない、ただの質問だった。けどそれは私の心に深い根を下ろし、私をその場から動けなくした。肺にもその根がはっているようで、息が少し苦しくて、それを吐き出すように答えた。


「ごめんね……わかんないの」

「わかんないって何? お父さんのことだよ?」

「だって私、お父さんのことよく知らなくて……」

「言いたくないならそう言ってよ。遠慮とかしなくていいからさー」


 ちょっと怒ってた。その子が怒った理由が今ならわかる。それは私が誤魔化したと思ったから。


「私の家、お父さんが家にいないから……」


 そう言うと、その子の顔がくしゃりと悲しげに歪んだ。やってしまった、という後悔と何を言っていいかわからない困惑が混ざり合ったそんな顔。

 年に一度帰ってくることができれば御の字。そんな父親のことを、私は幼い頃の記憶でしか知らない。だから、わからない。言葉足らずな私の精いっぱいの答えがそれだった。


「なんか、ごめん……」


 謝られたことで、逆に申し訳なくなって、私はその子の顔が見れなくなった。


「えさ、ここに置いとくね……」


 そう言って私は本に目を落とした。

 その子はそれ以上、話しかけてこなかった。

 それからその子とはなんだかぎくしゃくしてしまって、結局小学校卒業まで遊んだりすることはなかった。

 それまでは多分、一番仲が良かったはずなのに。いや、私にとって一番だっただけで、その子にとっての一番は私じゃなかったんだ。だから、その子は私とあまり話さなくなってしまった後も、明るくクラスの中で過ごしていた。

 ただ、私が本の虫に戻っただけだった。



 ◇


 西下刻也くんという男の子を初めて見たのは、高校一年の二学期にある用事で昼休みに隣のクラスを訪れた時だった。

 みんなが三、四人で徒党を組んで昼食を食べている中、彼は一人自分の席から動くことなく食べていた。だけどそこに悲壮感はなくって、むしろ「理由がないから」そうしてるだけのような気楽さで食べていた。たまに平然と近くの男子と喋っている。だから人と話すのが嫌いなわけでもなさそうだった。

 私は一人でご飯を食べる時、いつも俯いて周りを見ないようにひっそりと食べているのに。


 その時はまだ、顔も名前もよく覚えてなくって、ただそういう人がいたってことを知っただけだった。記憶の片隅においやられてたいしたものではなかったと片付けられた。


 初めて出会ったのは図書委員をしていた時のことだった。

 私もよく知っている本を返却したのを見て、あ、この人も読むんだと嬉しくなった。


「この本、知ってるのか?」


 それを見抜かれた。

 私のワガママも見抜かれるんだろうかと思った。


 次に出会ったのは最上さんと二人で手伝いを申し出てくれた時だった。


「手伝おっか?」


 遠慮したけど、なんだかずるずると手伝われちゃった。でもこうやって一緒に作業っていうのあまりなかったから、結構嬉しかった。

 最上さんと西下くんは仲が良いみたいだった。息がぴったりで、すごく自然に接してて、お互いわかりあってるっていうか、無理をしてない感じだった。

 最上さんもすごくいい人だった。こんなお手伝い、楽しいわけがないのに。私は本を眺めていたいから平気だけど、私、知ってる。周りの子はいつもこういうの愚痴をこぼしながらやってるのを。最上さんと西下くんはそれを全然嫌な顔せずに手伝ってくれた。こんな地味で暗くて、話していてもたいして楽しくないような私と一緒にいてもずっと楽しそうにしていた。

 もしかして二人は付き合っている……とは違うのかな。



 そんな西下くんが折りたたみ傘を探して欲しいと頼んできた。何故かゲームだと言い張っていたけど。そして何故か最上さんもそれにのっかっていた。

 最上さんは明るい人だ。私とは違って、人と楽しそうに話す。私だって楽しくないわけじゃないけど、それがちゃんと顔に出せない。それがなんだかすごく寂しい。

 見つけた時にはすごくお礼を言われて、何か困ってることはないかと聞かれた。西下くん、ゲームならそんなにお礼を言うのは変だよ?



 スポーツシューズを買うのに二人して付き合ってくれるという。

 なんだか悪いなって思うんだけど、一人で行くのも不安だし。

 本屋さんだったら一人でも気楽なのにな。



 スポーツシューズを買う前に、お昼ご飯。

 私は小食で、一番小さなのを頼んだんだけど食べきれなかった。

 西下くんが食べてくれるというので頼んだ。そして気がつく。これ、間接キスじゃん……。さっきまで自分が食べていたうどんを西下くんが食べているのを見るのはなんだか気恥ずかしくて少し顔を背けてしまった。


 トイレにいって、出てきたら二人とはぐれてしまった。

 私の前を知らない人が通り過ぎていく。慌ててスマートフォンを確認すると、西下くんから連絡が入っていた。それに最上さんが応えて……私は待つだけとなった。

 そんな私に知らない人が話しかけてきた。同じぐらいの年だけど私よりもずっと大人びていて、落ち着いた雰囲気の女の子だった。そういう人にはすごく話しづらくって、しどろもどろになってしまう。ただでさえ知らない人と話すのは苦手なのに……そんな私に嫌な顔せずに色々聞いてくれる二人にますます申し訳なくなって、誰か助けて、と祈ったその時、西下くんがきてくれた。

 ホッとして、隠れてしまって失礼なことしちゃったな……

 私がもうはぐれたくないなって思って西下くんの服を掴んでいるのに気がついてまた恥ずかしくなった。




 その西下くんに酷いことを言った。

 私が勝手に怒って、勝手に叩いて、勝手に飛び出した。実際は隣の準備室に行っただけだったけど、周りから隔絶されたこの部屋は私を落ち着かせてくれる、そんな思いで。


 また私は、逃げるのだろうか。

 あの時みたいに、人から目をそらし、顔を背けて逃げるのだろうか。そうしたら、最上さんとも西下くんともそれっきりになっちゃうんだろうか。

 ……それは、嫌だな。


「聞いてない」

「ね、話そう?」


 言わなくてもわかってほしい。

 多分それは、「言っても聞いてもらえない」と思い込んでいたからだ。私は声が小さくて、すらすら話せないし、あまり言葉もうまくないから、いつもみんなは適当に頷いて笑顔でごまかして、気がつけばいなくなってた。

 けど、二人は違うんだ。私のこと、ちゃんと聞いてくれるんだ。だってこれまで何回か喋っていた間も、私が話すと二人とも黙って私の方を見ててくれていた。ちゃんと聞いててくれたんだから。私がそれを言い訳にしちゃ駄目なんだ。……ずるいよ。逃げ道をふさぐなんて。

 話すと、頷いて、でもそれを悪いとかいいとか言わなくって。


 私がお詫びをしたいと言うと、一緒に昼ごはんを食べようと言ってくれた。やっぱり二人は付き合ってないのかな……?

 でもそれじゃあ、お詫びにならないよ……

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