第14話 雨を降らせる≒地を固める

 東雲は準備室から出てきた。

 暗くなってきたので最上が照明をつけにいっている間、俺と二人無言で立ち尽くす。東雲は本を両手で胸に抱くようにして、後ろめたさから目を逸らしている。

 戻ってきた最上が抱き寄せてよしよしと頭を撫でているが変化はない。女子同士はスキンシップが過剰でもセクハラになりにくいから羨ましい。俺も生まれ変われるならば女に……なると女の子同士の恋愛の方がハードル上がりそうだから男でいいや。

 先ほどまでの昂りはすっかりなりを潜めているらしい。もう俺をひっぱたこうとか、声をあげて非難しようという感じは見られない。目の前の男はこれだからもう一度ぐらい叩いても誰もお前を責めないぞ。理由なき暴力をふるう女の子じゃないってみんな知ってるからな。

 だからむしろ女子にいきなり叩かれて責められるのは俺だ。たとえ理由がなくてもな。……なんだか痴漢冤罪の一環を見た気がする。


「私のお父さんがね、単身赴任でいないんだけど……」


 東雲は話してくれた。

 こんなに長い話をするのはきっと大変だったと思う。あまり話すのが得意でない東雲が、話しにくいことを。つっかえながら、たまに黙りながらも最後まで話してくれた。

 父親が単身赴任だったこと、同級生が父親について話していて入れなかったこと、父親について蔑ろにする同級生を見て、いない人の気持ちを考えたことがあるのかと憤ったこと……そしてそういうのが煩わしくなってきた頃に、本に出会ったこと。


「多分ね、私本を逃げ場にしちゃってた……大好きなのに、大好きな読書を人付き合いが苦手だからって……」


 しどろもどろで、支離滅裂で、それでも言いたいことはよくわかった。

 あの子達だって本当に父親が嫌いで言っていたわけではなくて照れくさかったからだとか、そして自分だって好きなものを言い訳にしていたそんな罪悪感とか。

 それは結局、東雲の想像、被害妄想に過ぎない。その子たちが東雲を傷つけようとして言っていたとは思えないが、だからといってはたして本当に父親が嫌いじゃなくて照れ隠しで言っていたかなど真実は闇の中、もしくは藪の中だ。誰に聞いてもそれぞれが食い違うような独立した意見がかえってきてもおかしくはない。

 東雲がそう解釈し、それによって心の整理がつくならそれでもいいと思う。人によってはそれを逃避だとか、誤魔化しだと言うかもしれないけれど。


「ごめんね……」


 なにを謝っているんだっけ。えーっと、ああ、本と家族のことで熱くなって俺をひっぱたいたところか。こっちから謝りたいぐらいなんだけどそれ。


「痛かった……よね……? 私、昔から本のことになると……つい熱くなっちゃって。最近は……だいぶ抑えられてたんだけど、本と絡めて家族のああいうこと言われちゃうと……」


 まあ、気にするか。普段声さえ荒げないおとなしい女の子が、人をひっぱたいたのだから。ほとんど痛くなかったけど。全然痛くなかったから。強がりとかじゃなくって。


「そんな気にしてないって」

「でも……」

「そうだよ、東雲さん。西下は叩かれて喜ぶマゾだから気にしなくていいよ」

「ちょっと待て。いつから俺がマゾになった」

「じゃあ何? やっぱり東雲さんに叩かれたのは痛かったし辛かったと?」

「お前……卑怯だぞ、その聞き方は」

「あの、二人とも……?」


 話が逸れた。とりあえずこうやって茶化して笑い話にするぐらいには気にしてないわけだ。


「でね……西下くんはいいっていってくれるけど……やっぱり申し訳ないし……」

「ほら、言うじゃん。雨降って地固まるって。喧嘩なんて滅多にしないんでしょ? 貴重な体験ができたと思って、ね?」


 最上……なにかが違う。励ましやフォローになってないからそれ。俺が考えていたこととかわらないけどそうじゃない。


「何か、私にできることなら……」


 何……だと……?

 おい横で最上が「いけ! 今だ! 君のファーストキスが欲しいな? って言ってみ? ほら?」って顔してるからさ。女の子がそういうこと言うもんじゃありません。

 俺が体目的のチャラ男なら「じゃあさ、一発ヤらせてよ」とか言い出しかねないし。そうじゃなくても「じゃあ付き合って」とか言われかねないぞ。一番女子が男子にやっちゃいけないお礼だからなそれ。確かに俺もこの前似たようなこと言ったけどあれは男子だからいいんだよ。うん。男子が体要求されようが大したことないっていうかむしろ女友達に要求されるなら全然アリだ。

 だけど俺が欲しいのは背徳感でも一度きりの貞操関係でもないし、名前と形だけの関係でもない。ましてや子どもを得る代わりに社会的地位を失いたくはないんだ。


「じゃあ……」


 口を開くと何を言われるのかと身構えて目をきゅっと瞑る東雲が可愛くてついつい一拍待った。なにこれ、キス待ち? 最上がキスしちゃうんじゃねえの、これ。

 最上に目配せすると、最上は迷いなくスマホのカメラを使って東雲の顔を撮った。

 すると東雲がシャッター音に驚いて目を開いてしまった。写真を撮られたのはわかったがその脈絡がなさすぎて混乱している。肖像権は侵害しないように気をつけろよ、最上。楽しむならば個人的にどうぞ。

 女子同士だから冗談で済んでます、ええ。これを男子から女子にした場合、一枚のお宝と引き換えに色々なものを失います。信頼とか、信用とか、評判とか色々。


「えっ? 何?」

「じゃあ東雲、俺のお願い一つ聞いてもらえるか?」

「できそうなことなら……」

「今度から特に用事のない昼休みは一緒に昼ごはんを食べること」

「えっ? それは、えーっと……西下くんと?」

「いや、二人きりじゃない。安心しろ。最上と三人だ」

「そんな! 私お邪魔虫になるよ!」

「ダメ?」


 必殺、上目遣い。男女問わず相手の意思を殺すことで有名な女の子の武器である。ただしブサイクは除くという辛辣な社会の風潮が後につく。

 最上が攻撃に出た。これに東雲は耐えられるのか。


「それは……西下くんにお昼ご飯を毎日奢れとかいう……」

「東雲にそんなことさせるぐらいなら毎日昼飯抜くまである」

「じゃ、じゃあ……」

「本当に。委員会とか先生に呼ばれたとかでない限り一緒に食べてくれるだけでいいから」


 東雲はこの誘いを断れない。

 当初、できることならなんでもすると言いかけた。東雲の中ではおそらく辛いことが想定されたはずだ。先ほど奢ると口走ったように、労力や精神的負担、金銭的損失を伴うような命令が浮かんでいたのだろう。 そんなことをすれば、たぶんまともな友人関係には戻れない。

 そこに対して放たれたのは『昼食を一緒に食べる』という東雲が俺たちのことを嫌っていない限りは精神的にも物質的にも痛くも痒くもない命令。

 これを断るということは、想定していたものよりもこのお詫びが生理的に無理だということになるので、断られると俺らが落ち込む。それはもうひどく落ち込む。下手をするとフラれた並みに酷い。


 当初の目的であった昼ごはんを一緒に食べるという目的はこれで達成される、のだが――


「ま、あくまでお詫びだから期限をつけとこうか。五月いっぱいまでってのでどうだ? そのあとは自由ってことで」


 わざわざ得られた権利を放棄するような真似をしたのは、昼ごはんを一緒に食べる関係になるにあたっていつまでも「お詫びだから」ってのは味気ない。最初はあくまでお詫びという形でだが、最終的にはお互いの合意の上で一緒に食べてるという状態になりたい。

 俺たちの短期的目標は、この約束がなくなっても自主的に一緒に食べる関係、である。

 こうしてひとまずは東雲と最上と俺の昼食グループが出来上がった。

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