第13話 地雷≒踏み抜くもの

 あの日のやりとりから、東雲からこちらへと話しかける頻度が増えた。

 それ以前は見つけるたびにこちらから声をかけていたのだが、それより先に見つけられることも多くなった。東雲の中で何か変化があったのだろう。

 俺たちが東雲を見つけられていたのは、彼女に関心をもって過ごしていたからだ。人の多い中にあってその姿を追い、探す。つまり東雲に見つけられるようになった、ということは意識的かどうかは別にして、東雲が俺たちを見るようになってきたのではないか。

 といつも深読みしすぎているような気もするけれど、案外穿つことができているのではないだろうか、機微をとらえる方の意味で。


 だけど、まだ足りない。

 仲は深まっているように思える。しかし大事な一線をまだ全然越えられていない。故にあくまで「親しい」だけの人間である。


 最上は大丈夫、大丈夫と楽観的ではあるが、あまり時間もかけられない。大学でラブコメ延長戦ではダメなのだ。高校にいる間にも青春満喫したいじゃないか。大学には大学の青春があるのだろうけれどさ。





 ◇


 だらだらと、本の話をする回数が増えた。

 本日は最初に読んだ「いつまでも僕らの廃屋を」についてである。この本は大学生四人が廃屋を見つけて秘密基地に改造していく話である。


「でさあ、あの廃屋を秘密基地に改造してあって改造が進むほどに大学生らの廃屋へのワクワクが薄れていくのがよくわかるよな」

「最後の話での"あの時の神秘性は失われてしまったのだ"ってのが印象的だったよね」

「私は男の子が『いつまで誤魔化してるつもりだよ』って詰め寄るシーンが好きだったな……」

「あー! あの壁ドン?」

「東雲はそういう意味で好きなんじゃないと思うが」


 最初は廃屋を秘密基地にするっていうからサバイバルや廃屋を舞台にした青春を想像していたのに、最後の方で廃屋はもはや因縁のある場所みたいな扱いになっていていい意味で裏切られた。四人それぞれにストーリーがあって、それがうまく絡み合っているのもいい。

 東雲にあわせて読み始めた本ではあったが、素直に読めてよかったと思う。

 そんなことをつらつらと、他に人のいない図書室で三人で語り合っていた。


「でさ、あの子いるじゃん。父親が単身赴任の」

「ああ、あのちょっと弱気な子な」

「あの子が大学で遠慮して離れていく場面で」


 東雲がピクリと反応した。


「もっと素直になればいいのになって思ったな」

「口に出さなきゃわかんないよねー」


 東雲はそのセリフに眉をひそめ、目を逸らした。

 ビンゴ。これが地雷か。

 地雷とは本来、戦場において地面に埋め込み、踏むと爆発する類の兵器である。対人地雷は殺すよりも足などを欠損させることが目的だとか、踏むとではなく踏んで離れると爆発するとかそのあたりはさておき。

 転じて、苦手とするジャンルや人との会話でのタブーとなる話題のことをさす。事前の想定が困難なもの、という定義もあったり。

 俺たちは東雲に、何が嫌いかとか、不幸な過去とか、もしくは家庭環境などについてまるで聞いていない。つまりは本当の意味で何がコンプレックスになっているかなどわからないのである。

 まだ爆発していない。つまり話題としては踏んだのかもしれないが、まだその足を外していない。ここから何を、どんなことを言えば爆発するのか。核心には届いていない。


「どうしたの? 東雲ちゃん」


 お買い物の日から最上は東雲をさん付けからちゃん付けで呼び出している。


「いや、その……なんでもない……」


 わかりにくい程度に気落ちして、話題から離れようと試みている。しかし普段からあまりペラペラと話す子でもないので、それがあまり違いとして認識できない。


「だいたい、作中でこの子よく父親が家にいないことについて愚痴ってるけど、そんなに辛いもんかね。お父さんが家にいないって」

「あの……!」


 珍しく声を荒げた東雲。

 俺にはここで二つの選択肢がある。

 一つは踏んだかもしれない地雷を確実に踏んだあげく、そのまま思いっきり足を離すか。

 もしくは踏んだ地雷を爆発させないように慎重に処理してしまうか。こちらを選ぶと再び踏むその日までこの話題はそっと心の引き出しにしまうことになる。

 地雷は多くの場合、その人の性質や過去に強く関係している。

 いつまでも地雷を避けていていいものか。黙って嫌われるタイプでなく、感情を爆発させるタイプなら、今踏んでも大丈夫だ。少なくとも知っておかねば今後に差し支える可能性もでてくる。

 だから俺は、今度は踏み間違えのないように東雲を慎重に観察して、そしてここが地雷だろうというところを確実に踏み抜いた。


「だいたい、残された家族も寂しいだろうけど、それより家族を置いて海外に出かける父親の方がかわいそうだよな」

「ね、ねえ、西下!」


 酷い発言だと思った。寂しいのはどちらも同じはずなのに、まるでわかったような発言をして。

 最上は慌てた。俺が気がつく変化だ、同じ女子である最上にだってわからないはずがない。

 音が鳴った。それが東雲が立ち上がった音だと気がついたのは、東雲が俯いた状態から前を向いた顔が、半泣きになっていた時だった。

 間違いない。これが地雷だったか。


「だいたい大学生にもなってそんなに引きずるものか?」


 東雲はプルプルと両手を握りしめている。まるで何かを耐えるように。


「西下……くん、には……わからないよ……」

「ん?」

「西下くんは、お父さん、家にいるんでしょ?」

「まあ遅い日もあるけどだいたい毎日帰ってくるな」


 さも当然のように答える。


「ねえ西下ったら……」

「なあ、東雲はどう思う?」


 ここでわざと尋ねる。

 意見を述べるための機会を作るために。


「私は、家にお父さんがいなかった。だから小学校の時、友だちがお父さんの話をするときいつも羨ましかった!」


 そうか、だからか。いつも親の話をする時に母親の話題しか出てこなかったのは。

 服を買ってきてくれるのも、スポーツシューズのお金をくれたのも母親。父親がメインで働いていれば家にいる時間は母親の方が長いし、女子なら同じ性別の母親に何かしら持ちかけるのは普通だ。

 しかし、スポーツシューズについて母親が丸投げした時、父親がどういう対応だったかまでは全然聞いていない。これまでまったくといって父親の話が出てこなかった。家にいないのならば話題には出ないし、それを地雷として認識するのは難しい。


「だから……周りの子が、親に口出しされれてうるさいとか、そういうの、わかんなくって……」

「東雲……」


 東雲は俺をひっぱたこうとして、軽くペシンと力なく叩いた。そしてふらふらと歩き出し、準備室に入って扉をバタンと閉めてしまった。

 最上と俺が取り残され、後には静寂だけがあった。


「……ねえ、どうすんのよ」


 俺は、俺が悪いことを自覚している。

 東雲の表情の変化を観察していれば、あの話題を苦手としていることぐらいわかってもよさそうなものなのに、あえてその話を続けた。そして無責任に自分の理解の及ばない領域について、自分のものさしで意見を述べた。まるでそれが常識かのように。それらが東雲の弱い部分をつつく行為だとわかっていて。


「東雲ちゃん、なんかこもっちゃったじゃない」


 二重の意味でな。

 自分の非を理解しているならば、ただ仲直りするだけならば簡単だ。謝ればいい。すれ違っているわけでもないし、誤解があるわけでもない。俺が何か悪いことを言ったなら謝るよ、と何も知らない馬鹿のままに、話を聞き出して、同情して、そして共感を示してやればいい。簡単だ。

 ただ、それでも俺は、東雲に嘘をつく気にはなれなかった。それに本当の意味で理解してやれないことを、話だけ聞いてさもわかったかのように振る舞うことも、まるで自分が無意識に人を傷つける鈍感みたいに思われることも嫌だと思ってしまった。

 ならば方法は一つ。きちんと話してしまうことだ。


「東雲」


 名前を呼びながら扉を叩く。そっとドアノブの手をかければ、鍵がかかっていないことがわかる。本気で拒絶されているわけではない。ただ、どうしていいかわからないだけなのだろう。


「ね、一度話そう?」


 最上が不安と心配に満ちた顔で笑いかける。そして俺にヒソヒソ声でまくしたてる。


「仲良くしようってんだから、怒らせちゃダメでしょ! ほら! 東雲ちゃんが出てこない!」

「いいんだ、わかっててやった」


 俺がそう言うと、最上は片手を頭に当ててため息をついた。

 そんな最上をスルーして、俺は無造作に東雲のいる準備室の扉を開けた。

 東雲は部屋の隅に耳をふさぐように頭を抱えて三角座りをしていた。俺が扉を開けた音にビクリと反応し、そして恐る恐る見上げた。


「西下……くん。それに、最上さんも……」

「東雲、もう一度言う。俺はああいえばお前が嫌かもしれないとわかってて言った」

「どうして……」

「どうしてってそりゃあ、お前、俺たちに父親が家にいないこととか、それが嫌だったこととかまるで話してないじゃねえか。言わなきゃわかんないだろ」

「でも今、わかってて、って」

「だからさ、それでも俺はお前に聞いてないんだよ」


 いつもの俺なら、絶対にありえない物言い。だがそれが突き放したととられないように、なるべく優しく語りかけている。東雲にはどれほど優しく聞こえているだろうか。大丈夫だ、だって俺はこうしている間も東雲に負の感情がないのだから。

 夕日が落ちて、あたりが暗くなっている。それに従い、さきほどまで明るかった図書館内も薄暗くなる。


「お前の気持ちを、考えを聞いてない。俺がこの先もお前の思ってること全て察してやれるわけじゃないぞ」


 気が弱いことは別に悪いことじゃない。配慮、気遣いも人として欠点だとは言いがたい。しかし配慮と遠慮は違う。俺はやっぱり気持ちを聞きたい。それがたとえ負の感情や本人にとっては辛い過去であったとしても。


「ねえ東雲ちゃん。西下の物言いは結構ぶっきらぼうで、厳しく聞こえるかもしれない。ある意味デリカシーないし。でも西下の言いたいこともわかるんだ。やっぱり私たち、東雲ちゃんと仲良くなりたいなって」


 その時の最上は優しい顔をしていた。演技や上辺だけのそれではない、慈愛に満ちたそんな顔。俺にいつも向けているいたずらっ子のような不敵な笑みとはまったく違うそれに少なからず驚いた。


 そして二人から言葉こそ少し婉曲的ではあるが、人の機微というか日本語を理解していれば十分伝わるほど真っ直ぐに好意を向けられた東雲は――


「……ありがとう。私、そういうの……慣れてなくって…………」

「いいよ、ゆっくりで」


 最上がそっと寄り添う。

 なんていうか、もしかしたら失礼なのかもしれないし、東雲が嫌がればセクハラになるかもしれないとわかっていてなお俺はその縮こまった東雲の頭を撫でずにはいれなかった。そのふわりとした混じり気のない黒髪を柔らかく梳くように上から下へと撫でる。


「西下くん、なんだかお父さんみたい……」


 東雲は少し顔をあげるとそう言って微かに笑った。

 よかった、嫌がられてはいないらしい。だが父親というのはどうなんだろうか。家にいないという父親。東雲にとっては何が見えているのか。家族のようで異性には見られていないとか? 女の子の初恋は父親に似た相手になるというが本当だろうか。

 今はただ、信頼されたっぽいことを喜ぼう。だが娘はダメだ。誰が他の男に送り出す側とかやってられるか。


「お前みたいな歳の娘はいないしいらない」

「えっ酷い」

「あははははは、東雲ちゃん、西下は東雲ちゃんみたいな娘がいたら嫁に出すとき辛くなるから娘は嫌だってさ」


 最上が的確に見抜きすぎて俺のツンデレ風味がズタボロだ。こいつ、ちょっと黙らねえかな。後から俺の口からバラしたかったのに。


「そう、なの……?」

「そうだよ」

「どの関係をお望みなんだろうね、西下は」

「はっ、そういうお前はどうなんだよ」

「私? そうだなあ。娘だろうと妹だろうと、たとえ……だろうとうまくやっていける自信はあるけどね」


 聞こえないようにわざと微かな声で挟んだその選択肢に、こいつはどこまで本気なのかわからなくなる。

 こいつならたとえこんなシリアスな場面でさえも場を和ませるためだとか言って冗談を飛ばす。そしてこいつなら冗談であってもわざと聞かせないようにするという演技ぐらいはしてみせる。

 気持ちだけが本物で、言葉選びは計算されている。

 俺と最上はきっとそういうところで似た者同士だ。

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