第9話 ゲームを仕掛ける 後編

 嘘はなるべくつかない。

 それは最上にハーレムの話をされるよりも前から、俺が俺自身に課しているマイルールのようなものである。

 そんなルールを作ることで俺の何かが良くなるとかそういうことはない。ただ、何かに迷った時にとりあえずこのルールに従う、つまり自分の"キャラ"の範囲内で好きなように動くとするのはなかなか楽だ。

 もちろんこんなルールが自分の中にある理由はなんとなくわかっている。嘘というものはバレるものだ。バレることを前提としてつく嘘は良いが、事実と違うと知っていることを悪意をもって人に伝えることは、バレた時に信頼関係を失うし、取り返しのつかないことになる可能性がもある。

 誤魔化す、誤解させる、言葉遊びのようなものだが嘘をつくとそれらは一つ境界線がある。もちろん嘘をつかないわけではない。その人のためを思ってや、その人が好きだから咄嗟の嘘というもの全てを制限しているつもりではない。

 ただやっぱり、この騙しているようないないようなこの状態は奇妙なもので。

 東雲は騙されやすそうで、なんだか心配になってくるのだ。


「東雲って何部だっけ?」


 廊下を歩きながら尋ねる。

 図書委員の仕事をしている様子はよく見かけたが、部活動をしている様子は見たことがなかった。なんてストーカー宣言みたいなことは言えないので、何も知らない風を装った。「帰宅部?」って聞くのはなんか失礼な気もするし、もしかしたらすごく活動日の少ない部活なのかもしれないと思いつつ。

 東雲は相変わらずの歯切れ悪さがいっそう濃くなり、目が僅かに泳いだ。


「ええと……美術部、なの……」

「美術部なのか。じゃあ作品とか出してるの?」

「うん。どうしても出さなきゃいけないのがあって……その展覧会に出す作品を描くために、その作る期間だけ……気に、なるの?」

「気になるけどなんか話しづらそうなネタならいいや」

「ごめんね……私もそんなに、うーん、その……」


 多分、東雲は美術部にそこまで積極的ではないのだろう。美術部の他の人とそこまで仲が良くないとか、あまり意欲的な部活ではないとか。そんな感じで。

 美術部の名前なんて部活動の表彰式や部活紹介ぐらいでしか聞いたことがない。つまり部活動というひとまとまりの美術部を見たことがない。

 その雰囲気を東雲はうまく言葉にできないでいる。

 そのうち、聞けるだろうか。


「西下くんと最上さんは?」

「俺? 帰宅部」

「私もー」

「そう、なんだ……」


 何故お前が浮かない顔をする。

 軽く明るくを意識しながら理由を訊く。


「なにか、帰宅部に思うところでもあるか?」

「そ、そういうわけじゃないの……ただ……」

「ただ?」

「ううん、私のことだから」


 読みきれない。女の子の心は、なんて男女差別をするつもりはない。人の心は読みきれない。深く関わろうと、踏み出した一歩が沼にとらわれそうになるように。

 表面上の付き合いなら、今の俺程度の察しの良さでも普通にはやっていける。

 ただ、誰も見ようとしない、怯えて目を背けるようなその俯きぎみの顔を俺に向けてみたいと思った。



「西下ってそういや中学の時部活動してたの?」

「あ、私も気になる。西下くん、何の部活してたの?」


 最上と東雲の対照的で一長一短な質問にふと中学時代のことを思い出した。


「演劇部、だな」

「へー、意外だな……」

「そう? むしろ私は納得っていうかお似合いすぎて驚いてるんだけど」


 そこはハーレム云々で、計算通りに演技する俺を知っているかどうかの違いだろう。

 だがな最上、演劇はキャラに入り込むが現実では自分のキャラを壊さない程度に本音で話してるからな? 演技って言っても嘘をついてるわけじゃないから別物だ。

 結局華がないから脇役、端役が多かったことは黙っておこう。わざわざ自虐ネタを掘り起こす必要もない。


「で、大役を任されたことはあったの?」


 と思っていたらこの仕打ち。天然サディストか何かか。いや、これはワザとだ。東雲の期待の目と最上の期待の目はベクトルが逆のようだ。


「一度だけ……」

「どんな役?」

「病気で心を閉ざした少年がだんだんと心を開くっていうストーリーの少年役」

「おおー」

「無表情からぎこちない笑顔までゆっくりと劇中で変えていくんだよな」


 それが俺の選ばれた理由だったりする。

 

「そういう最上と東雲は?」

「私は中学の時は……何もしてなかった、かな?」

「私はー部活には行かずに水泳してたかな」


 帰宅部と言わずに何もしてなかった、という言葉選びに東雲の消極性が見える気がする。中学の時なんて人によっては部活動をしていないことに引け目を感じることだってあるらしいし。俺にはよくわからんが。以前、俺が帰宅部と言った時にも何か変な顔はしてた気がする。

 最上はなんだ、スイミングスクールでも行ってたのか。


「あれ? 知らなかったっけ? 私のお母さんが市民プールで勤めててね。だから色々融通きくっていうか、楽なんだよね」


 最上の髪は色素が僅かに薄い。それ、市民プールの塩素で漂白されてたりしないよな?




 途中で職員室に寄っていく。先ほど折りたたみ傘はなかったと言ったが、図書館が閉まっているので鍵を借りなければならない。教室を探しているうちに閉館の時刻を過ぎてしまったのだ。

 俺だけでは先生方に怪しまれるが、東雲がいるだけでその問題は解決してしまう。普段から仕事を任されやすい、真面目な女子の図書委員とくれば、「忘れ物をしたかもしれないので」の一言で疑われることなく持ち出せる。


「さすが東雲さん。先生方もいつもお疲れ様なんて言っちゃって」

「よく、仕事任されやすい……からかな?」


 そして第二の候補であり、東雲の憩いの場でもある図書館へとやってきた。新しく入ってきた本のコーナーに紹介のコメントが寄せられている。木製の本棚と金属製の本棚があって、読むための机がある。いつもの図書室である。


 しかしそこから折りたたみ傘を探すのに苦労することはさほどなかった。

 そして最上が隠した場所を見て、その狙いに気がつく。


「ここかよ……」


 そこはかつて東雲と俺たちが会話したことのあるカウンターの向こう側であった。本の整理などをする作業場所にぽつんと置かれたそれは、むしろどうして忘れたのか疑問に思えるほどにわかりやすい隠し場所である。

 確かに、隠す必要はないと言った。見つけることが前提だから、見つけやすい場所に、とも。だがこれはあからさますぎるのではないか。バレたらバレたでいいけど。東雲は気がついたのだろうか。


「よかった……あったね……」


 その声音からは安堵してる様子が伝わってくる。すごく……すごく良い子です。少し胸が痛くなってきた気がする。


「そうだ、ゲームクリアのご褒美だった」

「え……」


 これは何に対しての驚きだろうか。まだゲームだと言い張るのかっていうえ……?かな。それともご褒美なんか言ってたっけ?のえ……?かな。


「いや、ふざけないでいこう。うん。探してくれてありがとう。こんな馬鹿なゲームとか言っても嫌な顔一つせずに図書館まできてくれて。おかげで折りたたみ傘も見つかったしな」

「いきなりゲームだ! なんて言い出した時にはびっくりしたでしょ?」


 誰もゲームじゃないとは言ってないけど、まるで失せ物探しに付き合ってくれたことに対するお礼かのようだ。


「いや、そんな……悪いよ。たいしたことしてないし!」


 珍しく通常の声のトーンの東雲が見られた。両手を前に出しいやいやと左右に振って遠慮している。

 遠慮されるとむしろ構いたくなるとか、いや甘えられても構うだろうとか邪な感想が駆け巡る。健全な男子の萌え中枢的な何かが刺激されそうだ。


「んー、ご褒美、ねえ……」

「ここは私の――」

「却下。それはお前に対するご褒美」

「私だって手伝ったじゃん」


 最上も確かに隠す方で手伝ってくれたわけだし、何か考えとかないとな。


「何かしてほしいことはあるか?って聞かれても困るだろうしなあ……あ、何か困ってることない?」

「えっと、じゃあ……」


 一呼吸おいて東雲が語りだす。

 東雲は今度、体育のために運動できる靴が必要らしい。一年の頃は体育館競技のみを受けていたため、体育館シューズで事足りていた。だが今年の選択科目前期は体育館競技が一つしかなく、あぶれてしまったために運動靴が必要になった、と。

 そのことを母親に説明すると、高校生だし靴の一つぐらい自分で選ぶわよね、自由に選んできなさいと一万円を渡されたのだという。

 運動靴の相場ってどれぐらいだっけ。一万円もあれば普通に買えるというか多分何かオマケをつけられるぐらいだとは思うけど。まあでもピンキリか。二万を上回るスポーツシューズだってあるだろう。


「私、運動とかしないし……何選んでいいかとかわからないから……」


 恥ずかしげに告げる東雲の手をとって最上はにっこりと微笑んだ。


「水くさいなあ。それぐらいなら、ねえ?」

「そうだな。俺たちがついていって一緒に選んでやろうか?」


 別に俺たちだって運動をバリバリするわけでもないから、そんな凄いアドバイスができるわけではないだろうけど。

 こういう時の「何していいかわからない」は何していいかわからないから、一人でするのが怖い、というものだ。しかし社交的でない人間、コミュニケーション能力が高いわけではない人種からすると、たかが自分の買い物のためだけに誰かを誘うというのはハードルが高い。俺だって無理だと思う。

 東雲がどこまで期待して話したかはわからない。もしかしたらただ単にアドバイスがほしいだけだったとか、どこで売ってるか教えてほしかっただけかもしれない。しかしそんなチャンスを逃す俺と最上ではなかった。


「そ、そこまでしてくれなくっても……」

「そうだなあ……一人で選びたいっていうのもあるかもしれないし……」

「あー横でいろいろ言われたらうるさいかもねーあまり口出しできるとも思えないけど」

「大丈夫……だから。うるさいとか、思ってないから……」


 けらけらとからかうように口を合わせて辞退しようか?ともちかけた俺らに今度は逆に東雲は慌ててフォローする。


「んー、だからもし迷惑じゃなければ今回の景品っていうか、お詫びでそのお買い物に荷物持ちとしてついていかせてもらうけど?」

「あの……最上さんはむしろ西下くんに巻き込まれた側じゃ……」

「あ、東雲さん西下と二人きりがよかった? 私お邪魔虫かな。じゃあ私はやめてお二人さんで……」

「そ、そういうつもりでいったんじゃ……」

「東雲をいじめるのはそれぐらいにしてやれ」


 はっきりしない子である。俺たちが強気なギャル系の女子高生だったらイライラしてるんだろうな。言いたいことがあんならはっきり言いなよ! とかキれてんだろうな。俺はそういうのを見てるのも楽しいし、はっきり言わないからといって中身の考えまでがはっきりしてないとも限らないし。

 東雲はいいように遊ばれている。ツンデレとかとは逆の方向でこちらが自虐ネタを使えば使うほど踊らされている。


「ま。本当に少しでも遠慮しときたかったらやめとくよ。でももし――」


 どうやって断ればいいのか言葉に悩む東雲に問いかける。


「もし困ってて、来てくれると楽だなとかって思ってるならついていくから。俺も最上も迷惑だとか全然そういうのないから」

「むしろそれが目的まであるよね」

「お前はぶっちゃけすぎ」


 最上と二人顔をあわせてあははははーと笑う。


「じゃ、じゃあ……二人に、頼んでもいいですか……?」


 おずおずと、こちらがやや強引に押し切ったにもかかわらず申し訳なさそうに頼んでくる彼女に、最上が普段よりも裏表のない笑顔でこたえた。


「まず土日のどっちかだよね」

「体育は来週の木曜からだったか。今週末に行かなきゃな」

「東雲さん、いけない日とかある?」

「俺は塾にも行ってないし土日両方暇だな」

「やーい暇人」

「黙れ、お前もだろうが」

「私はどっちでもいけるよ……」

「じゃあ日曜にしよっか!」

「あそこは? ◯◯駅前の」

「集合は駅の改札出口にしようか」


 ばたばたと予定を決めていく。

 そして合間に東雲に確認をとる。

 そういえば、と連絡先を交換してなかったね、と繋げた。最上が交換する?と聞けば東雲は目を丸くしたあと頷く。


「うん」


 その時ふへ、と東雲の口元が笑うように緩んだのを俺は見逃さなかった。

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