第6話 遠慮の壁を越えて

 東雲はより長く図書室にいる。

 だからか、図書委員の仕事がない時でもよく図書委員の仕事を頼まれる。

 東雲には何かを頼みやすいのもあるだろう。物静かで、おとなしくて、図書室にいつもいるなら暇なのだろう、と。

 今日なんかはうっかり先生が困っているのを見兼ねて「やりましょうか?」などと言ってしまったらしい。

 他の生徒はぞろぞろと逃げてしまったようで、一人で新しく入った図書を整理している。

 とここまでストーカー……もとい調査の結果である。女子相手、とりわけ見知らぬ人間相手への情報収集は最上の方がやりやすい。

 木製のカウンターの向こうにある図書委員と先生だけが入るスペースに大量の本が積まれていた。


「手伝おっか?」


 俺より先に話しかけたのは最上だった。

 こういうときは男子が颯爽と駆けつけた方がイケメンだと思うけど、そういう一般的なかっこよさよりも優先したいことがあったのだ。


「ほら、西下も手伝う」

「ああ、わかったって」


 最上がいつもの外向きフレンドリーキャラを二割増しで俺の腕を引っ張る。

 東雲は最上に引っ張られた俺を見て目を丸くした。

 よし、どうやら俺の顔は覚えられていたようだ。

 こうすることで、前回は接点のなかった最上が東雲に関わることができる。同じ女子と面識のある俺なら扱いには差ができにくくなるのではないか。

 そしてもう一つ、最初に女子が動くことで俺は巻き込まれた人間として東雲に関与することになる。

 最初からやたら優しい男子は下心が強いように思われる。まあ実際下心なわけだが。

 それよりも、だんだん優しいことがわかってくる人間の方が信用されやすいのではないか、そう考えて優しくするのはゆっくりとする。

 誰にでも優しくするタイプではない俺がいきなり優しくなるよりも、もともと親しい最上につられるように、という方が自然でもある。


「ええと……」


 クラスが違い、話したことがないなら覚えていなくてもおかしくはない。

 しかし相手が覚えているのに自分が覚えてないと、申し訳がない。

 そんなことを思うだろう東雲は最上に名前を聞けずに躊躇った。

 行き場のない指先がそわそわとしている。


「最上綾。こっちは西下。東雲さん、だったよね? よろしく」


 こういうときには先に名乗ってしまう。

 そうすることで、覚えていないことを当然としていることが伝わる。あわせて相手の名前を確認するフリもばっちりだ。覚えているけど偶然だから! みたいな。

 こいつ……ついでに俺を紹介しやがった。


「うん……知ってる」


 あれ? 名前を知られていた。

 これはどっちに対しての知ってるだろうか。最上だろうか。それとも俺か。両方という可能性もある。

 もしも俺だった場合、前回の本のやり取りが思った以上に効いていたことになる。本の貸し出しには名前と学年、組を書くから知っていることはおかしくない。

 だが知っていておかしくないことと、覚えているのがおかしくないことは別物である。一度や二度見ただけの他人の名前は覚えてられるものでもないと思う。


「じゃ、そっち貸して」

「私がやるよ……?」

「いいってば」


 本心如何に関わらず、こういうときに東雲みたいな女子はまず厚意を受け取らない。手伝い、などと直接的なものになればなおさら辞退する。

 奥ゆかしければいいってもんじゃない。こういう子に限って、図々しく強引な男子に押し切られたりしてズルズルと付け込まれるんだ。いや、今まさに俺らがしていることに近いけどさ。


「私の仕事だから……最上さんも西下くんも図書委員じゃないし……」

「その図書委員が他にいないからお前が一人でやってんだろうが」

「でも二人の迷惑になるでしょ……?」


 ここで「可愛い女の子と一緒にいられて迷惑なわけないだろ」って口説けたらどれほど楽だろうか。いや、口説くのが目的じゃない。仲良くなるのが目的だ。それに俺はイケメンじゃない。効果は半減、もしくは逆効果だ。


「じゃあ東雲はこの仕事を迷惑だと思いながら引き受けたのか?」


 俺はその逃げ道を一つ塞いだ。

 この言い方はズルいと思う。だってどちらにせよ東雲は「迷惑だ」とは答えられない。もちろん東雲がこの仕事を一人ですることを楽しんでいて、この時間は癒しだとかそういう可能性もある。

 だがもしも一人に押し付けられたことや、仕事そのものを少しでも嫌だとか迷惑だと思っていた場合、それを口に出すことは「手伝って欲しい」と同義である。


 口のうまいやつだとここで幾つか避ける方法がある。

 先生にはあまりここに図書委員じゃない人を入れないように言われてるとか、二人の邪魔しても悪いし、とか。矛先を自分以外に向けて話題を逸らし、そうやって誤魔化すこともできる。


 逆に気の強い、口の悪い奴なら簡単だ。

 慣れてない人に手伝ってもらうのは邪魔だとか、落ち着かないとか、そもそもあまり知らないから一緒にいられても困るとか。

 特に俺が、男子がいることでその拒絶は効果てきめんである。無理に迫るとセクハラになるから。


 東雲は何も言わなかった。

 それが東雲の正解でもある。強く意見を主張することも、いろいろ考えて要領よく器用に立ち回ることもない彼女なりの抵抗である。許可はしないが拒絶もしない。

 戸惑っているのだろう。

 自分にとって、親しくない人間に話しかけることは勇気がいる。ましてやおせっかい、不必要な形で関わってくる人間というものは理解の外にいるはずだ。

 人嫌いってわけじゃないみたいだし、このタイミングで大きな悪印象にはならないとは思いたい。


「……ありがとう」


 ここで「別に頼んでなんかないんだから!」って顔を真っ赤にしたらツンデレ。

 大抵の場合、イケメン以外がこれをすると冷たい目、真顔でこのセリフを言われるから辛い。

 その点、東雲は実に心根の良い子でよかった。


「どういたしまして、っと」

「いいよいいよー。頑張ってる子ってなんか助けたくなるし」


 最上、お前が口説くチャラ男みたいになってどうする。

 男性向け創作物と女性向け創作物ではモテる男性像、モテる女性像が大きく異なる。しかしながらその中に共通する部分は確かにあるのだ。

 最上のそれは少女漫画の王道で最初主人公が憧れる王子様、かつ途中から出てきた俺様系とぶつかるライバル咬ませポジあたりか。

 もしくはヘタレ優柔不断のフラグ乱立系ハーレムラブコメの主人公か。

 誰にでも明るく優しく真剣に。

 スペックはそこそこ高く、顔も悪くない。


 どちらにせよ優しいだけでモテるなら世の中の男子は苦労しない。


 ラブコメの主人公が優しいだけでモテるとしたら、それは優しくされたことのない女子かもしくはそれが過剰に働くシチュエーションであるか、だ。

 たとえば女の子が命の危険に直面したとき、そこに優しい人間が居合わせればなるべく助けようとするだろう。その結果、助けられた相手が好意を持つことは不自然ではないけれど。

 誰だってその場に立てば助けられたかもしれない。その機会がやってこないだけだ。

 物語のラブコメは運の良さも強い要素の一つなのだ。

 でなければ幼い頃に約束した幼馴染なんか登場するはずがない。そういう輩は自分に好意を持った幼馴染がいる時点で人生勝ち組であることを自覚した方がいい。羨ましい。


 そこからはしばらくもくもくと作業が続いた。本を取り出し、渡しては分類し、そして棚ごとに運ぶ。三人だけの図書室は実に居心地がいい。

 もともと俺は自分の作業に没頭しやすい人間だし、東雲は物静かな人間だ。会話が途切れるのは当たり前というか必然的だろう。

 だが最上はというとやや不服そうにその静けさに口を尖らせる。

 だってこいつ、騒がしい生物だし。俺はそれに気がつかないように機を待った。

 その機が訪れたのは、仕事が残り半分をきった頃のことだった。

 俺が手に取った本の作者に見覚えがあり、思わず手を止めた。


「あ、それ……」

「東雲も気がついたか」


 その本は以前に東雲が読み、俺がそれを追うようにして読んだ本と同じ作者だった。


「それはまだ読んでないんだけど。そう言えば西下くん、あの本読んだって言ってたよね」

「面白かったよ。同じ作者ならこれも面白いかな?」

「私もあの本、好きで……一冊買って持ってるの」

「そうなのか。じゃあ返したのは読み終わったってだけじゃなくて持ってる必要がなくなった、ってのもあるのか?」

「うん。本当は三回目も読みたかったけどあまり長く借りてると迷惑かもしれないし……」


 それに他の人がその本を見つける可能性も低くなるしな、と心の中で付け加える。


「私も読んでるよ、あれ」

「えっ? 最上さんも?」

「うん。西下が読んでて面白い? って聞いたら頷いたから」


 うまい。ここでそして第三者から俺の発言が出ることで、俺の言った面白いという感想がお世辞や社交辞令ではなく本心として印象付けられる。俺のフォローをしながら仲間はずれにならないギリギリのラインを見極めてきた。


「あ、じゃあ……ネタバレになるからやめとこっか……また最上さんが読み終わったら……」


 そうなるか。ネタバレを気にせず読む人と、ネタバレをされると急に読む気が失せる人間とがいるから万全を期するならそういう対応にもなるか。

 それに東雲も最上とリアルタイムの感想を言い合いたいのだろう。



「そうだな。後何日ぐらいだ、最上」

「明後日までには読み終わるかなー」

「だってさ」

「そっか」


 はにかむ東雲に最上が悶えていた。

 ああ可愛い可愛いよ文香ちゃん、と顔にかいてある。

 少しは隠せとアイコンタクトする。わかるよ、気持ちはわかる。だが自重しろ。

 そしてまた沈黙へと逆戻りする。


「東雲って本、好きだよなあ」


 話のきっかけとしてはこれ以上ないものだろう。

 ここで難しいのが声の調子だ。呆れや馬鹿にするような口調は確実にアウトだ。あくまで俺も好きなんだけど、言外に繋げられるように。

 それは俺にとって不可能なことではないはずだ。だって俺が本を好きなのは本当なのだから。

 東雲はこれに素直に反応してくれた。


「最上さんと西下くんは本、嫌い?」

「いや、好きだよ」

「私も大好き。文香ちゃんに敵うかどうかはわかんないけど普通に読むよ」


 最上は男子の俺よりも感情はストレートに伝えても嘘くさくならない。

 そして僅かに謙遜を交えることで、「本超読むよ」と言うよりもきちんと読んでいる人間らしく見せる。

 相変わらず、そうした立ち回りは最上の方が圧倒的に上だと素直に感心する。最上が東雲口説く方が早い気がしてきた。


「そう……よかった」


 ま、さすがにここで本を好きになった理由とか、そこまで聞き出せるはずもないか。

 深いところまで踏み込むためには時間が必要だ。それが自分を秘めるタイプであればあるほどに。


 それに本を好きな人間の一体どれほどが自分が好きになった理由を明確に認識しているというのだろうか。

 何も本に限らない。人は嫌いになる理由も、好きになる理由もきちんと把握などしていないことの方が多い。それに理由をつけて、区別して考えるのはそういう癖をつけた人間だけだ。


 今はただ、見ていよう。

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