第2話 プロローグは唐突に終わる

 始業式が終わるのはあっという間だ。

 もちろん、立って校長先生の無駄話を聞かされている間は長かった。

 だがいざ終わってみるとその間の記憶というのはあまりないもので、気がつけば終わっていたと言える。


 校長の話というのは、古今東西長いものであるらしい。そこばかりは創作物、リアルにたいした差はない。

 どうして抽象的な綺麗事ばかり並べてああも文章を大量に生めるのだろう。

 ただ、紙がないと忘れるほどに頭の中で考えてもいないことを言うのはやめればいいのに。

 ……つーか、自分で考えてるのかあれ。誰かの作ったカンペじゃねーのか。


「ようやく終わったね」


 最後に机から本を出したところで、後ろから声が聞こえた気がした。

 きっと気のせいだろう、と自分の空耳を信じて立ち上がった。


「どこへ行こうと言うのだね、西下くん?」


 悪役にしか使えないセリフを恥ずかしげもなく使いながら、声の主は肩に手をおいて俺を引き止めた。

 そんな奴は最上しかいない。というかこの学期が始まってからの俺の交友関係に、女子はまだ最上しか登場していない。断言できる。


「帰ろうかと思ってな」

「何を朝の話をなかったことにしようとしてるのかな?」


 最上は俺の顔を下から覗き込んだ。

 決して上目遣いとか、心配そうに、なんていう生易しい萌え要素はつかない。むしろチンピラが威嚇するようなポーズである。かろうじて女子の最上がしているから威圧感はない。


「あれ、本気だったのか」


 俺の疑問に最上は心外だ、と声をあげた。

 クラスメイトが教室からいなくなっていることに感謝した。


「私が嘘をついたことなんて覚えている範囲だとないじゃん!」

「それは覚え切れないほど嘘をついたってことでいいか? それとも都合の悪いことは忘れられるお花畑な頭ってことか?」

「前向きなのはいいことだよ」


 最上は誤魔化すように言った。


「違いない」

「世界の半分をあげるから私の提案をのんでみない?」

「どこの魔王だ」


 あまりにも軽い言葉の上っ面とは裏腹に、最上の瞳に浮かぶのはからかいでも高揚でもなかった。むしろひたすらに真摯である。


「じゃ、受けてくれる?」


 上目遣いとか、潤んだ瞳とか、そういう女子特有の武器を一切使うことなく俺に尋ねた。そういうところは嫌いじゃない。

 むしろこいつがそういう武器を持ち出した時点で攻撃とみなして反撃するかもしれない。上目遣いとか嫌いではないけれど。

 こうなった最上はなかなか意見を変えない。過去に一度、二度ほどこんな最上を見たことがあった気がする。


「ハーレム、ねえ……」


 自分がこれを受けたときに、何のメリットがあるかを考えた。


 女の子と仲良くなれる。

 恋愛至上主義ではないが、まあいい。俺だって男だ。女の子と仲良くなることを心から嫌うような感性で、現代のサブカルチャーをあれこれ楽しめるわけがない。

 仲良くってのはいつのまにかなってるんだよ、とリア充特有もしくは子供だから言えたあのセリフも今となっては絵空事。

 自然と仲良くなれる相手ってのは趣味が共通する、もしくは長い時間一緒にいるぐらいのものだ。


 そしてメリットはそれしかない。メリット、と称したが、見方によってはデメリットでもある。


 じゃあデメリットはなんだろうか。

 まず時間がとられる。

 これは大きい。帰ってアニメを見る時間も、ゲームをする時間も削られるからだ。これはまあ、痛手ではあれど、支障ではない。

 次に、周りからの評判だ。女子に下心満載で近づく男。しかもハーレムってことは複数なわけで、バレれば反感を買うこともあるだろう。

 実を言うとこれは結構どうでもいい。

 元来、一人で楽しむタイプの趣味に没頭する人間、というのは集団の中でのヒエラルキーが低くなりがちだ。今更、という面もある。

 最後は、面倒だということ。

 労力を使ってすることが、女子と仲良くなる。これだけ聞けば単なるチャラい男だ。

 チャらくないと自分では思っているので、イメージと違う自分でいるってのは大変だ。

 こうしてあげたところで、学校生活そのものには支障がないことに気がついた。

 帰宅部であり放課後、昼休み、休日の全ては暇である。バイトをしているわけでもない。自分の感情面さえ納得すれば問題ないのだ。


 どうせハーレムなどと言っても作れるはずがない。適当に、そして真面目にそれっぽいことをして、後は楽しく喋ってればそのうち熱も冷めるだろう。

 うまくいけば女の子と仲良くなれるわけだしな。といっても好きでもない女子を口説いたって楽しくなさそうだ。仲良くなりたい子だけにしておこう。


「はあ……幾つか条件をつけるぞ」


 ただ、何も聞かずに了承すれば、何をさせられるかわからない。

 俺は指を折りながら、三つだけ条件をつけた。

 最上はそれを聞くと、何故かやたら嬉しそうに頷いた。


「ま、西下は優しいよね」


 そして自分のスマートフォンをスカートの中央ほどにあるポケットから出してくるくると回す。


「つーか、そんなところにポケットがあるんだな」

「あ、うん。そうなの。知らなかった?」

「女子はズボンの構造ぐらい知ってるだろうけど、男子は女子のスカートの構造なんて知らねえからな」


 男子には触る機会さえそうそう訪れないものだ。触っていいのなら是非という奴もいるだろうけど。

 そういう意味では男女不公平だと主張することもできる。

 女の子がボーイッシュな格好をしていてもファッションで済ませられるけど、男子がスカートを着用すればそれだけで大事件だ。

 次の日には学年……いや、学校中がそいつの名を知っている、なんてことにもなりかねない。

 最上が意外な様子で「そうなの?」と相槌を打つ。


「なーんだ。西下なら女子のスカートの一つや二つ、くすねているとばかり」

「風評被害はやめろ。で、その携帯をどうしようってんだ? まさかその中に俺の恥ずかしい写真が……くっ! そんな脅しにのるものか!」

「西下こそ私をなんだと思ってんの。ここに入ってるのはあんたのじゃなくって女の子の情報よ」


 そう言うとロックを解除して、その中の一つをこちらに向けた。

 俺に見せようとしているのはどうやら写真フォルダらしい。

 その中のひとつをタップすると、見覚えのある写真だった。写真のメンツは去年のクラスメイトで、俺も少しひきつった笑顔で端に写っている。


「人の顔を覚えられない西下はまず、ここの写真の顔と名前を対応させるところからってのはどうでしょう」

「思ったよりまともで驚いてる」

「でしょでしょ? これが終わったら隣のクラスね」


 確かに俺は、去年のクラスメイトの名前も全ては覚えてはいなかった。興味が――なかったのかもしれない。

 ならば、最上の提案した「ハーレムを作ろう」というのは、人を知るという意味では俺にとって大切なことなのかも、などと思うのは自分勝手だろうか。

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