第一章 東雲文香編 前半
第3話 図書委員は本が好き
始業式から三日経った放課後、俺と最上は図書室へとやってきていた。
学校はここを図書館、と呼ぶのだが規模から考えても学校施設の一つであることから見ても、ここを「館」と呼ぶのに抵抗があった。
よって俺はここを「図書室」と呼んでいた。だってワンフロアしかないし、この校舎そんなに大きくないし。
概ね人より高い本棚に埋まるようにして机や通路、椅子が立ち並ぶ。
絶対静かに! と目くじらたてられるほどに真面目に読書や勉学に勤しむ人がいるわけではない。
むしろ人がほとんどいないとも言える。大きな室内でありながら、平日の昼休みや放課後にここを訪れる人は数えるほどしかいないのだ。
「あ、いた」
最上が一人の同級生を目線で示した。
彼女の名前は
隣の文系のクラスの女子で、図書委員をしている。メガネ三つ編みなら完璧だと言いたいが、そんなベタベタな図書委員がいるわけではなかった。
少しおろしぎみのお団子?の根元をくくっているのは、花の飾りがついたものだった。名前はわからない。ヘアゴムでいいのか?
今日は委員の仕事はないようで、木製の机で一冊の本を読んでいる。落ち着いたデザインの文庫本で、題名は手のひらに隠されていて見えない。
「図書委員は本好きのお約束。きっちりあの子もそこのところはバッチリ」
「それ、どっちかっていうと
そもそも図書委員にスポットを当てた作品が多いってわけでもないし。
それに逆ではないだろうか。
本好きの子がとりあえず図書委員になろうとする、みたいな。
俺たちも本は好きだ。図書委員はしていない。東雲の図書委員を始めた理由について深く分析するのはやめておこう。
現在俺たちは二人で彼女をストーキングしている、と言っても過言ではない。敵を知り己を知れば百戦危うからずとかそんな感じだったと思う。敵じゃなくって彼?そんな由来は知らない。
ターゲット、というと物々しくなるか。目をつけたと言うのもなかなかに下品だし。強いて青臭く言うならば「気になっている」だろうか。仲良くなりたくて様子を窺うってなんか気恥ずかしいんだけど。
「ってなに読んでんの」
「ここは図書室だろ。本を読む場所だ。気になる本があれば読んで何が悪い」
「その本って……あっ、いっちゃう」
東雲は目的の本を見つけたのだろう。
返しにきたのもあるか。何をどう手続きしたのかまでは遠目にはわからず、東雲が行った後のカウンターに近づいた。
一方、最上は本人の追跡を続けた。
本日の図書委員はやる気のないペアだ。サボって喋っていてもなんとかなるからこの仕事を選んだように見える。
むしろそれが都合がよかった。
「あ、本借りる? そこの紙に書いといて」
髪を後ろにくくったポニーテールの図書委員に馴れ馴れしくそんなことを言われた。
と思ったらうちのクラスの女子だった。明るく誰にでも気さくな、というと聞こえはよいが距離感を一足飛びに詰めてハイテンションだから大人しい男子からは賛否両論である。
先ほど東雲がした手続きを見た。
そこには本を一冊返却した記録が残っていた。いや、正確には少し異なる。二度目の返却だった。
見れば隣にまだ本棚に戻し終えてないその本が置いてあった。
「あー、じゃあこれ借りられるか」
「マジー? 返す手間省けて助かるわー」
とはあっさり承諾した理由が打算的なのを隠そうともしない。
その本の名前は「いつまでも僕らの廃屋を」とあった。
【大学生四人が誰も入らないような、見つからないようなところに一つの廃墟を見つけた。
彼らはその廃墟を気に入り、綺麗に改修していくことを決めた。掃除し、壊れたところを直して。すると廃屋はだんだんと自分たちの居場所となっていった。それと並行で、彼らを取り巻く環境も人間関係も変化していく。彼らは廃墟に何を見るのか】
そんな感じのあらすじだった。
俺は先ほど行ってしまった最上にスマートフォンで連絡を取る。緑色のSNSアプリを開いてトーク画面に入った。
『今どこだ』
『追跡任務中。教室を経由して現在昇降口に向かっているようだ』
『OK。追跡は中止だ。重要な手がかりを手に入れた』
アプリ画面上に左右から吹き出しでセリフが残る。
あいつのアイコンは広すぎるオタ趣味をライトなものとして勘違いさせるために比較的有名な電気ネズミのぬいぐるみを採用していた。
普段と少し違う作戦部隊ノリで現状を伝え合う。
そのまま昇降口で待ち合わせることになった。
人の少ない廊下を降りていく。
今は部活の時間だ。文化系の部活はそのテリトリーから出てこないし、今日は晴れているため屋外の運動部は中にはこない。
廊下を歩くのは居残ったりしゃべっていた者ばかり。そして先生。
一階に着くと、柱があってその周りが開ける。渡り廊下を挟んで昇降口が見えてくる。
昇降口の柱に寄りかかるようにして立つ最上を見つけた。
「あー! 何してたのよ。女の子口説いてたんじゃなきゃ酸素魚雷を食らわせるわよ」
最上も俺を見つけると慌ただしく駆けてきた。
しっかりネタも挟んでくるあたり怒っているわけではなさそうだ。女の子口説いてないのに怒られるって普通逆じゃねえかな。
「お前に見せたいものがある」
「つまらないものだったら西下サブカル一週間禁止ね」
「……これだよ」
地味にきつそうな罰を瞬時に編み出す天性の鬼畜ぶりに戦慄しつつ、俺は先ほど借りた本を取り出した。
「確かに東雲さんは本が好きだけど雑じゃない?」
「いやいやいやいや、適当に持ってきたわけじゃねえぞ?! こいつはな、なんと……東雲が借りて返した本だ」
「うわあ……」
最上は苦虫を噛んだように顔をしかめた。
「えっ? ヒくのか? 名案だと思ったんだが」
「だって女の子が借りた本を後から借りて匂いをなんて……いや、間接タッチ? どっちにしろ変態がかってるっていうか」
「違うっての。借りて読んだ本を偶然読んでたら話題も広がりやすいだろうが」
「ああ、なるほどねー」
わかっていて話を逸らすのは単なるおふざけか。
どちらかというと、本で間接的に触れて興奮するという発想の最上の方が変態のような気がするのは俺だけだろうか。
その日は家に本を持って帰って読んだのだった。
◇
高校というのは結構情報が筒抜けで、プライバシーというものがなかったりする。
クラスのLINEに入れば喋ったことのない人間の連絡先をおさえていることになるし、部活動や委員会などそうした細々とした情報は掲示されたプリントやイベントによる副次作用によりクラスに公表されてしまう。
もちろん同じプライバシーはプライバシーでも親の職業や本人の恋愛模様が全て赤裸々になっているわけではないが。
そうしたものが筒抜けになっているとすれば、そういうグループに属しているから、というだけのことだ。
脱線した。何が言いたいかというと、その気になれば図書委員の当番の日などいくらでも調べられる、ということだ。
東雲の当番の日を調べ、その日までに借りた本を読み終えてきた。
「今日は風が騒がしいな……」
「でもこの風、少し泣いてます。って?」
「返す相手がいないと成立しないのがこのネタなんだよなあ……」
「で、それはこれからの計画に向けての意気込みかなんか?」
「そんな残念な意気込みがあってたまるか」
純粋に冗談だ馬鹿野郎。
いや、馬鹿女郎?
「ねえ、仲良くなろうとする途中であまり仲良くなりたくない人だったらどうするの?」
最上が妙な質問をした。
特に迷うこともないので普通に答えた。
「やめるかな」
「あっさりしてるんだね」
そういう最上こそあっさりしていた。
少し変な顔もしていたけれど、何か面白くない返しだっただろうか。
真面目な話だと思ったから面白さばかり求められても困るのだけれど。
「そりゃあ、好きでもない人間と仲良くなろうとする時間ほど無駄なものはないだろ」
「みんな仲良くーなんて謳い文句はあるけどね」
「みんな仲良くなんて無理だ。そんなもんは仲良くの定義を履き違えているだけだ。誰にでも優しくするなんて、誰とも仲良くなれねえだろうが」
「そうかもね」
そういう最上には心当たりがあるのだろう。
「誰かと仲良くするってことは、そいつを他人より優先することだ。人が持つ時間は限られてるし、優しくするのにも時間が必要なんだよ」
誰にでも優しくするってことは、自分を好きになってくれた人間や自分と仲良くしようとする人間への裏切りだと思う。
時間や気をこちらに割いてくれる人間と、敵対的な態度をとる人間の両方に同じ態度をとるとしよう。そいつは自分に友好的な人間と敵対的な人間を区別していないし、仲良くなろうとする人間を近づけない。
よく物語の主人公が、敵さえ救うことを美点として周りの人間に賞賛される描写がある。あれを見るたびに、助けられたキャラクターたちが過去になっていくのを寂しく思う。
そんな奴を助けている暇があれば、周りで自分のために頑張ってくれている奴らをもっと幸せにしてやれよ、と。
敵の心情を汲み取ってないで、味方の心情にこそ寄り添えばいいのに、と。
そんな風に。
「嫉妬ってのは結局そういうことだろ。自分が捧げた自分よりも相手が自分にくれる感情が少ないことに対する反発だろう」
「嫉妬は恋の一種だと思ってるんだけどなー」
「友達でも嫉妬しねえ? だとしたら友達だと思ってるやつに嫉妬した場合、そいつに恋愛感情を持ってるってことになるわけだが」
「ま、そんなのはまた今度考えよう」
その辺りは今議論する必要性もあまり感じない、とお互いに話題を止めた。
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