1-3 突然の奇襲



青々とした芝生のしかれた庭から、木の当たる鈍い音と気合の入った声が挙げられている。



「王子、脇を締めて!」

「てやっ」

「足幅は細かく!」



背の高い老人がリタの繰り出す突きを難なくかわして、幅広く前に出しているリタの足を払いのけた。


「あっ?!いってぇー…」

「王子、体格の差を考えなされ。」

「っつぅー…分かってる!難しいんだっ!」




息の切れるリタと打って変わって、余裕の表情を見せる老人 ハンス・バドラー。

彼はかつて、オルタリアの騎士団団長として先代国王と現国王からの絶大な信頼を受け取った人間だ。

体は老いたとしても、その技量が老いる感じは見られなかった。


だが彼も、自分の身分や立場をよく知っている。

拗ねた顔のリタを前にして、呆れつつも痛くもない腰をさすって疲れたように大きくため息をついて見せた。



「いやはや、それにしても日増しに王子の太刀筋は強くなりますなぁ。この老ぼれではそろそろ王子のお相手も辛くなってきた。」

「…そうか。強くなっているのか!!…バドラー、お前も若くないのだ。あまり無理をしてはいけないし、今日はこれくらいにしておこう!」

「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて、今日のところはこれにて。」

「あぁ!ゆっくりしていくと良い。私は父上と母上に報告してこよう!!」



すっかり機嫌の良くなったリタは、バドラーを置いて城へ向かった。


「バドラー様。王子の失礼、とうかお許し下さい。」

「シュア殿か。お主も大変よのぉ。」


バドラーは、リタと入れ違いに城から出てきた青年に声をかけた。

シュアと呼ばれた男は、青年は端正な顔つきに、褐色の肌と緑の目の南国で育ったような外見だった。


シュアノーマ・アルシュナダは、リタが生まれた頃にお付きとして、雇われた男だった。

普段はイタズラ好きなリタの尻拭いに右往左往しているようだと専らの噂だ。


「…はぁ、いつまでもあれでは困るのですが…」

「まぁ、いずれは悟るだろう。…国王の方はどうじゃ?」

「…難しいですね。もう、お体を起こすのもお辛いご様子で…女王様も気丈に振舞っておいでですが、以前にも増してやつれておいでです。」

「…そうか…王子だけが、今この国の希望、というわけじゃな。」



2人は軽くため息をついて城を見たが、リタのあの性格は今に始まった事ではない。

ため息は、諦めにも似ていた。







「父上、母上!聞いて下さい。今日はあのバドラーに疲れた。と言わせたのです!」


ノックをする事なく、国王のいる寝室に身を滑らせたリタ。

ちょうどベッドに背を向け、ドアの方に体を向けていたイザベラの胸に飛び込んだ。



「まぁ、バドラーに詳細を聞いておかねばなりませんね。」

「はい!…それから、父上のご様子は…」


リタは声を落として薄いベールの向こうに横たわる影に視線を向けた。


「…先程、薬で落ち着きました。今しがた眠られたところよ。」

「そうですか…」



落胆するリタの肩に手を置いて、イザベラが口を開いたのと、ドアがノックされたのはほぼ同時だった。



「女王陛下。すぐに謁見の間へ。」

「何事ですか。」

「ラシュディ卿がお見えです。早急に申し伝えねばならないと…」


イザベラは大きなため息をついて、背筋をピンと伸ばし、顔を上げた。



「…わかりました。準備をしますので、待つよう伝えなさい。リタ、あなたも準備をして。」

「…はい、母上。」



ここ数年、イザベラは床に伏せる国王の代わりに公務の全てをこなしていた。

オルタリアにとって、彼女は第2の王でもあった。

これまでと変わらず、国を思って全てを判断して来た彼女にとって、身内の訪問は少し煩わしささえあった。

未だに、イザベラが女王として鎮座している事をネチネチを影で言うものもいる。特に、花嫁候補を娘に持っていた連中は酷いものだった。

そんな理由もあって、イザベラは国王の代行公務が忙しいという理由で身内の集まりにはあまり顔を見せようとはしていなかった。


イザベラは、儀礼服に着替えながら重くなっていく気分を払うように大きなため息をしてみせた。



オルタリアの城の中で、一番に豪奢な作りの部屋が謁見の間だった。


どちらが上かも分からないほどに、天井が写るピカピカの大理石の床。

左右には均等な配列で乳白色の柱が並び、柱が支える天井には7人の神々が描かれている。




リタはここに来るのが好きだった。

いつか自分が王となる時、ここに鎮座する事になるのかと思うと、胸が踊るのが分かった。

しかし、今日だけはその胸の高鳴りに嫌悪感を抱いていた。

高ぶる感情はなく、これから先に起こる事が悪い事ではないようにと願って、謁見の間に入るドアの前でぎゅっと目を閉じた。



「リタ、大丈夫ですよ。目をしっかりと開けて、凛々しくありなさい。」



イザベラは少しばかり震えているリタの肩に手を置き、自分にも言い聞かせる様にリタの目をまっすぐに見つめた。

リタは不安な様子の自分がイザベラの瞳に映っているのを見て、これでは母上に余計な心配をかけてしまうと軽く深呼吸をして背筋を伸ばした。




「…ロベルト、開けなさい。」


イザベラは、リタの表情が変わった所で脇に控えていたロベルトに謁見の間の扉を開けさせた。



中央に、片膝を付き、頭を垂らした男が2人並んでいた。

イザベラはその様を目の端に映して、王座の横に並べられた椅子に腰を下ろした。



「…ラキュバス卿、頭を上げなさい。」

「イザベラ女王陛下。お久しゅうございます。相も変わらずお美しくていらっしゃる。」

「……さて、今日の要件を手短に話しなさい。」



ラキュバスは、イザベラが妃となる事を1番に反対し、他の貴族や大臣たちを焚きつけた事でジョシュアから、首都より離れた場所の首領を命じられた。

それは、王家との離縁を申し渡されたと同じ事だった。

そのラキュバスが不敵な笑みをイザベラに向けている。


脇に控えているロベルトは嫌な胸騒ぎを感じていた。




「大変に胸が苦しいのですが、愛する王国を思って…私は貴方様に伝えねばならぬのですよ…」

「…勿体つけずに、要件だけ言いなさい。私もロベルトもそしてリタも、時間は限られているのです。」


イザベラは、地を這うようなねっとりとした声のラキュバスをピシャリと跳ね除けた。

ほんの少し、眉間に皺を寄せたラキュバスが溜息と一緒に声を発した。



「では…お伝えしましょう。本日、この場を持って、リタ王子にはその座から降りて頂く!」



ラキュバスの声は、大きな謁見の間で少し響いて聞こえたが、リタは大きな鐘の音を真近で全身に浴びたように感じていた。

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8th Dragons -リタと赤いドラゴン- 灰ノ路 麻子 @amno104

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