1-2 希望の光を願って…
「帰ったぞ!!ロベルト!」
執務室の扉が外れてしまうのではないかという程の勢いで、ジョシュアが部屋の中へ転がり込んできた。
「陛下…また抜け出されたのですね。こちらの身にもなって下さい。毎回毎回、私がどんな思い」
「后を決めたぞ!」
「で公務を管理していると思っているのです。お后様候補のどなたですか。」
流れる様に書類をジョシュアに手渡すこの男は、ロベルト・ロウ・ライドランといい、生真面目で長年国王の公務代行役としてジョシュアのサポートをしている言わば右腕の様な男だ。
その男は、国王が見る書類を仕分けしながら忙しなく王の前を行ったり来たりしている。
ジョシュアはそのロベルトの周りをウロウロしながら、慌てる事のない冷静な男に発言をしている。
はたから見れば、どちらが上の人間なのか分からないような状態だ。
「違うぞ!国の事を愛していない部外者が、国を支える私のパートナーになると思うか?!」
「それは」
「否だ!!国を愛して、この国で育ったもので、私の伴侶となり得る者はただ1人だ!」
誇らしげに語るジョシュアに、嫌な予感を覚えながら、眉間に寄った皺を揉みほぐしながらロベルトが口を開く。
「…どこの親族ですか?それとも、疎遠になっていた弟君の屋敷にいる者ですか?…まさかとは思いますが、街にいる娘などとは言いますまいな?」
凄むロベルトに、ほんの少し顔が引きつった様だが、ジョシュアは芯のある眼差しで黙ったまま真向かいに仁王立ちしていた。
– この方がこうだと決めた事を曲げない事くらい分かってはいるが…はてさて、面倒な事になったもんだ。右往左往する大臣どもをなんと言いくるめたら良いものか… –
「…もう、決めてしまわれたのでしょう?」
「そうだ。私は、彼女を…イザベラだけを欲しているのだ!」
「では、明日にでもイザベラ様をお連れしなくてはいけませんね。…はぁ、埃を被っていた母君の皇居を大急ぎで掃除させねば。」
ロベルトのため息と同時だったろうか、ジョシュアはこれまでにないほどの喜びを野太い雄叫びに変え、手渡された書類をばら撒いて執務室を後にした。
背中から制止の声と怒鳴るロベルトの声が聞こえていたが、ジョシュアはそんな事すら耳に入らずイザベラの元へ向かっていた。
逸る気持ちも、全てが始まる喜びも、これからは全ての瞬間をイザベラと過ごす事ができる。
彼にはそれだけで良かったのだ。
急かす心のままに、馬を走らせイザベラとの未来のためにただの男が愛する女の元へ向かった。
§ § §
数日後、城内も街中も、話題はもっぱら国王の結婚だった。
数十年、ずっと1人で過ごして来たという国王の隣に、やっと王妃が座る。
街中の人が、それが誰でどんな女性なのかに興味津々だった。
反対に、城内はギスギスとしていた。
ロベルトは出来る限りの根回しをして回ったが、大国の王の隣に座るのが、ただの街娘だった事に自分の娘を王妃に出来なかった貴族たちが憤っていた。
「陛下!良いですか!今すぐに考えを改めなされ!」
「……」
「ラキュバス卿の言う通りですな。我が国は豊かですが!国の中心であるここは他国との貿易に疎い。だからこそ、妃は他国より迎えるべきなのです。」
「……」
「さよう。その街娘は…見立てもいいようですし…そうだ、妾にしてはどうです?」
鉤鼻の鋭い目をしたラキュバスが、良いことを思いついた。と表情を明るくして身を乗り出した。
だが、ジョシュアはもう我慢の限界だった。
「ラキュバス殿。これ以上我が妃を愚弄し、その様な扱いを続けるのであれば、再びこの地を安心して歩けなくなると、覚悟することだ。」
怒りを込めた低い声が、執務室にいた数人の王族の勢いを殺した。
先程まで、憤慨していた者達は触れてはならない神の逆鱗の前触れを感じていた。
「陛下、そろそろお時間でございます。」
見計らった様に、執務室に入ってきたロベルトが途端に重い空気を払いのけた。
ジョシュアは怒りを鎮めぬままに、席を立って振り返る事なく部屋を後にした。
空気の軽くなった部屋の中では、逆鱗に恐怖した者達が、安堵の息を吐いた。
ただ1人、ラキュバスだけは直接向けられた刃の鋭さに震える体を隠せずにいた。
「陛下、少し感情を表に出し過ぎております。国王たる者、日々感情の起伏は小さく、冷静な物の見方をせねばいけません。」
鼻息の荒いジョシュアを嗜めるように、ロベルトが後ろから声をかける。
だが、その声はおそらくほとんど届いてはいなかっただろう。
「イザベラは…書室か。」
ロベルトが答える間もなく、大股で書室へ向かう。
ここ最近、イザベラとの時間をゆっくりと過ごせないでいたことも、彼の機嫌が悪い原因の一つだった。
§ § §
湿っぽい書室では、白髭の老人とイザベラが難しい顔で分厚い本を膝に置いて話し込んでいた。
「では、オルタリアの弱点は?」
「そうですね…他国からの進入には厳しい面があると先日聞きましたので、逆に内側が脅威と考えております。」
「うむ、宜しい。オルタリアは伝統と自国を愛する風土が強い為か、他国の情報が入りにくく、出て行きにくい。その分、内部の結束が破れた時には長い内乱が起こりうる。」
「……それは、今のこの状」
バンッ
イザベラが眉間に小さく皺を寄せ、老人に躊躇いがちに言葉を口にした時だった。
書室の扉が外れてしまったのではないかと思うほどの勢いでジョシュアが書室へ入って来た。
「あぁっ?!イザベラ!なぜだ!」
「ど、どうしたのです?」
「なぜ、私と一緒にいてくれない!!」
「…え?」
イザベラへ飛びついたジョシュアが眉毛を下げて訴えているが、その訴えが真面目な物に聞こえた者はいない。
ロベルトは、大きなため息を付いて頭を抱えた。
「女王陛下、申し訳御座いません。」
「ロベルトさん、その呼び方はやめて欲しいと伝えたのに……ジョシュアさん、私がどういった立場なのか分かっているから少し時間が欲しいの。お願いします、分かってください、ね?」
イザベラもジョシュアと同じように眉毛を下げて、彼を嗜める。
その様は妻と言うよりも母に近い物を感じる。
「それにね、お腹の子がびっくりしてしまいますよ?」
「…そうだな。すまない。お腹の子に笑われてしまっては、格好がつかないな。」
ふんわりと柔らかな空気が書室を満たした。
後に、イザベラは国民に最も近い聖人君子として愛された。
並大抵の努力ではなかっただろう。
だが、彼女は『国を育てるにはまず人から。人々が笑顔である国は本当の意味で豊かになる。』と唱え続け、堅く閉ざしていた貴族たちの心も溶かした。
国外へ向けての発信と、国内の身分差を出来る限り縮め始めた事が功を奏し、ゆっくりとではあったがオルタリアという国は他国からの理解を得られるようになった。
そして、オルタリアの国に王子が生まれた。
波乱を経験し、過酷な中で生まれた子だったが、イザベラとジョシュアはオルタリアと我が子の未来に希望の光を放つようにと願いを込めて、『リタ』と名付けた。
リタは、たくさんの愛情を受けた。
イザベラは表情豊かに、イタズラを仕掛け、その度に父と母を困らせるリタにも、変わらない愛情を注いだ。
それはまるで、親の気を惹こうとする様で、きつく叱れなかった。
「ぼっ?!坊っちゃまぁー?!!」
「母上様ぁー!」
「まぁ、リタったら…また皆を困らせているのですね。」
リタは、今にも気を失ってしまいそうな顔色のメイド達と呆れた顔のイザベラを高い木の上から見下ろしていた。
「さぁ、降りていらっしゃいな。一緒にお茶にしましょー!」
イザベラのこの一声に、リタはにっこりと笑って軽々と枝を伝って降りてくる。
枝を降りるたびに小さな悲鳴が聞こえるが、母親のものではないと分かっているのか気にする様子もない。
地面に降り立つと、ホッとして腰を抜かすメイド達を見てニカッと笑って見せた。
「リタ、あまり皆を困らせてはいけませんよ?」
「違うですよ、母上様!小鳥がお家から落ちてしまっていたのです。」
「リタは優しいのですね。きっとお父様も、誇らしい事でしょう。」
リタは母の褒め言葉に、照れたように頬を染めて口角を上げた。
リタにとって、母親の褒め言葉は普段公務で忙しい父親の言葉とも重なっているように感じていた。
いつまでも仲睦まじく、国民に愛される両親。
その2人に愛されて成長するリタ。
まさに理想の家族がそこにあるようだった。
「小鳥もね、僕のように母上様のそばにいたいと思ったんだ!寂しいのは悲しいでしょ?」
「…そうですね…そうかもしれませんね。いつかは、そうでなくなる事もあるでしょうけれど、今はまだね。」
イザベラの瞳から、すっと色が消えた。
口元は変わらず、優しい笑みを浮かべているのに、リタに向かう視線には笑みが込められていなかった。
「母上様?」
「さぁ!お茶に行きましょう。今日のおやつは木苺のタルトだそうよ!」
一瞬の出来事だった。
視線を向けられていたリタでさえ、気づいていない程の時間。
それは遠い未来の事を思った、母親のものだった事だろう。
楽しいお茶会に胸を踊らせる親子の後ろで、パサっと木の根元に小鳥が落ちた。
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