第一章 雛鳥の最後

1-1 始まりの出会い

さて、少し昔話をしよう。


オルタリアの国王・ジョシュア・プラリードは誰もが絵に描いたような出来た国王だった。


民のことを考え、国を考え、時たま城を抜け出して国民と触れ合うような、国と民がいつも隣にいることを体現するような人間だった。


彼は、長年一人で過ごし伴侶を持つことをしなかった。

何人もの隣国の姫が王の后として名乗りを上げたが、彼は誰ともそういった仲になろうとはしなかった。

政治的にも、財政的にも、他国が手を出せぬ程に国を大きくしたいと躍起になる大臣たちとは裏腹に、国王は一人でいることを楽しんでいるようだった。


謁見する隣国の姫君たちに「申し訳ない」と謝って、よく町に繰り出しては、使いの者達を困らせていた。



「あら、国王じゃないかい?また抜け出して!」

「しっ!!…いいんだ。見合いはつまらないだろうし、それに親子程に年の離れた夫では妻が可哀想だろう?」

「先に死なれちゃ悲しいね…でも!国王は長生きしそうだよ!」


はっはっはっ。と豪快に笑った酒屋の女は近くにあった真っ赤なリンゴをジョシュアに放り投げた。


今頃、城ではまた騒ぎ起こっているだろうから、今日はもう少し帰るのを遅くしよう。と、リンゴを受け取ったジョシュアは酒屋の女に礼を言って数枚の金貨を置いて店を後にした。



こんな感じの王だから、彼は国民の皆に好かれていた。

そんな彼には、誰にもいえない秘密があった。

誰かに知られてしまえば、自分が城から抜け出しているもう1つの理由、たった一つの望みが消えてしまう。


ジョシュアは街を離れ、通い慣れた道を軽快に小走りで進んだ。

街から少し離れた場所にある大きな幹の木が立ち並ぶ森は、少し涼しく感じる。

彼が訪れた時とは違った、新しいけもの道。

彼は迷わずそこに体を滑り込ませた。

新緑の匂いと、青苔の柔らかさを感じながら、彼は前へ前へと進む。


しばらくそのまま進んでいると、細かったけもの道は小さな馬車が通れる程の道に繋がった。


「そうか、ここに出るのか。いや、面白かった。」


ジョシュアはいい土産話が見つかった事に気持ちをさらに軽くさせ、いつもの小道をかけた。

小道は、小さな湖に繋がっていた。

湖の近くには、小屋が見え、煙突から細く白い煙が天に伸びている。



「イザベラァーーー!!」


ちょうど小屋から出てきた女性に、ジョシュアは歓喜の声を上げて駆け寄った。



ー 彼女がどんなに美しいか。まるで絵画から出てきた天使・・・いや、女神のようだ。もし、この事が知られてしまったら、彼女に会う事が出来なくなってしまう。それだけは避けなければ・・・ ー


壊れるのではないかと言うほどに駆け寄って抱きしめる。

いつもの事ながら、イザベラと呼ばれた女性は驚いた後、照れ笑いを浮かべた。


「どうしたんですか?」


ほんの少しの間離れていただけだ。

それでも、見るたびにイザベラを美しく愛おしいと思うジョシュアは彼女に見惚れていた。


「あ、いや。イザベラがあまりに美しいのでね。」

「いやだわ。ジョシュアさんったら・・・。」


照れ合う2人は、見つめ合って静かに近づいた。

重なった唇は少し離れてまた重なった。


ジョシュアが穏やかに心静かに過ごせる時間。

この時間だけは、自分が国王であることを忘れられる唯一の幸せだと思える瞬間だった。


しばらくしてやっと離れたジョシュアから、イザベラは漆黒の髪で顔を隠した。透き通るような色白の肌はジョシュアに触れた温かさに恥ずかしさを覚えて赤く染まっている。

イザベラは自分の真紅の唇に触れ、先ほどの出来事を思い出すかのように頬を赤く染めた。



「・・・もし、もしもだ。」

「ん?」


ジョシュアは、言いにくそうに、そして躊躇った言い方をして少し間を空けた。

不思議がるイザベラの瞳に、不安げな表情の自分を見つけると、大きく深呼吸をした。


「私が・・・地位のある人間だとしたら…君は今と変わらず、私に笑顔を向けてくれるだろうか。」


真剣なジョシュアに感化されたのか、イザベラも背筋をしゃんと伸ばして真っ直ぐに不安に揺れる瞳を見つめた。


「…そうですね。どんな立場の方であろうと、私の知るジョシュアさんはあなただけです。」


ゆったりと笑みを向けたイザベラが、小さく微笑む。

それだけで、彼の中で大きく膨らむものが増えていくのをジョシュアはしっかりと感じていた。


国王として、国の代表である事の誇りと責任を若き日から数十年と捨てずに生きてきた彼でさえ、これまでに感じた事のなかった感情だった。


イザベラは、彼女の告白に喜びと幸せを噛み締めているジョシュアの肩にもたれかかって、ゆっくりとポツリポツリと言葉を発していく。





「ジョシュアさん…いえ、ジョシュア様。

私はあなたがどなたかを知っております。この街に住み、生きてきた私があなた様を知らないわけがありませんわ。人里離れていても、あなたの名声はどこにいたって耳に届くものですから。

ですから…これは1人の町娘の戯言と思ってお聞き下さい。

どんな立場でも良いのです。私はあなたの隣にいたい。いえ、隣が無理ならお側に…どんな時であろうと、私はあなたを…」



イザベラは、そこで言葉を切って瞳に浮かぶ涙を長くキレイな黒髪で隠した。


ジョシュアは、彼女が気付いていた事にも驚いたが、知っていながらこれまでどんなに苦しい想いをさせてしまっただろうと、自分の不甲斐なさに拳を握り締めた。



「…イザベラ。私は決めたぞ!!」

「ジョシュア、様?」

「待っていろ!明日、必ず迎えに来る!だから、待っていろ!」



立ち上がったジョシュアは、イザベラにそう言い残してその場を足早に立ち去った。

かけていく背中を見送るイザベラは、やはり遠い方だ。と見えなくなるまでその背中を見送った。

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