記憶喪失とスパイ

第11話 『東の孤立国家』について

メノンは永い眠りから目を覚まし、意識を取り戻した。

自分は椅子に座っていた。彼女は周囲を見回す。

目につくのは高級な家具に古臭い家電。

メノンは部屋を見て、ここは東の孤立国家かもしれないと思った。

統一国家にはこんな古臭い家電は見かけなかった。

これは東の孤立国家の富裕層が持つものだ。

机の上には見覚えのあるお菓子。

統一国家の人は口にしないであろう、メノンの祖国のお菓子だ。


この部屋の正面にはモニターがいくつもあった。

それらに映っているのは、監視カメラの映像だろうか?

統一国家の人々の日常が移っている。


モニターを背にして、古臭い軍人のような服を着た男が一人いた。

痩せた中年の男性で、厳めしい表情をして、目覚めたメノンに声をかけた。


「どうやら生き残ったようだな『0064番』。生き残ったのはお前だけだったぞ。

貴様のような劣等生が生き残るとは不思議なものだ」


「0064番とは何ですか?」


「お前の番号だろうが!忘れたのか!?

貴様は我が国のスパイだ。東の孤立国家のスパイだ」


「スパイ!?私がですか!?」


「貴様、そんな事まで統一国家で忘れさせられたのか!?

その表情では本当に忘れているらしいな。我々が回収したから良かったようなものだな。

お前、あのままだったら始末されていたぞ」


「……回収?」


「虚ろな表情で回収場所の港に来ただろう!?それすら覚えてないのか!?

まったく何という事だ!!」


「……はぁ。そうですか」


「仕方ない。出来損ないのお前に私が説明してやろう。

貴様は統一国家のスパイとして潜入した。

しかし、任務途中で失敗し、『ゲーム』に参加させられた」


「あれがゲーム?」


「そうだよ。ゲームだ。全てはゲーム。

統一国家の宗教によるゲームだ。

合理的主義という宗教。それに反するものをあの非合理的ゲームに放り込み、

そのデータを取るのだ。

彼ら統一国家の豚どもが言うには社会科学的実験の意味を持つと言うが、

本当にそんなものがあれにあるとでも思うか?どうだ?」


「少なくとも、私はただのゲームとは感じませんでしたね」


「貴様!私に逆らうのか!?」


「貴方が誰なのかいまいちわかりません。

設定からすると私の上司なんでしょう。

しかし、設定はともかく、実際のところの貴方が何者なのかわかりません」


「何を言っている!?貴様は私の命令通りに動けばいいのだ!!」


男はメノンの襟首を掴んだ。

メノンは素早くその腕を掴み、引きはがした。


「これ以上私に触れるつもりなのであれば実力にて排除しますが――」


「貴様ァ!!!……ふん!まあいい。

折角戻ってきたのだ。貴様の処分は情報を引き出した後にしてやる!!」


「ふぅ……」


「本当にお前は劣等生だな。出来損ないだ。上下関係と言うのがなっとらん。

昔から反抗的だったよ。どうしようもないやつだ。

しかし、それでもお前をスパイにしたのは――お前が国家への忠誠を誓ったからだ!

そう!お前の中にある強い愛国心のためだ!!貴様は言っていただろう!?

私に向かって熱く誓っただろうが!!?」


「な、何をですか?」


「いいか!統一国家ほど貧富の差が激しい国家はない。それはそうだ。まず働く人間が少ない。

それで国家に対して文句が出ないのは、働かない人が豊かだからだ。

最底辺の人間でさえ過去それまでになかったほど豊かだ。

孤立国家におけるほんの一部の特権階級がする暮らしと同程度なのだ。

欲しいものは最高級品でなければいくらでも手に入る。

土地や家や車は申請すれば配給も可能。信じられるか?そんな世界を。

そこまで豊かな理由は科学技術の発展だと彼らは言う。

しかし、そんなのは嘘だ!欺瞞だ!!」


「私はあの国を確かに見てきましたが、確かに機械による生産力は存在しました。

我が祖国とは比べ物にならないほど科学技術は発展しており、もはや真似できないほどです。

小さなオフィスの様に作られた工場を想像できますか?

そこで働く小さな妖精のようなロボット達が確かにいたんです」


「うるさい!洗脳されてしまったか0064番!情けないぞ!!

歴史上もっとも豊かで成功している国。統一国家。

彼らの栄華も、我々孤立国家の人間がいるこそなのだ。

もはや国民から仕事を課す必要すらない統一国家において、

常に不足している資源とは娯楽ッ!!

我々の貧しさは彼らにとっての娯楽である!

彼らの楽園は我々の貧しさに支えられているものだ。

そう!そして、我々は統一国家の皇帝により、わざと貧しく暮らすように仕向けられているのだ!

それが統一国家の幸福管理手法である!

人間は相対評価によって幸福を感じるッ!

我々の貧しさは統一国家皇帝の合理的な判断によってコントロールされている!

そのために、東西南北の孤立国家は存在するのだ!見世物小屋の様に!

これは、全て貴様がした話だぞ!?我々の集会の場でのスピーチだ!!」


「わ、私が!?」


「そうだ!実に屈辱的な事だ!弱い国家と言うのはここまで嘲笑されるべき存在なのか!?

否!それは不正義であるし、そもそも我々は歴史的に見て弱い国家ではないのだ!

過去には世界の中心にいた時だってあるのだ!優秀な民族なのだ!

だからこそ、我々は我々の手によりこの状況を打破しなくてはならない!

そうだろう!?」


「えっ……そ、それはですね……」


メノンは困惑していた。今までの反抗的な態度も取れず、

自分の心が酷く動揺しているのを感じた。


「貴様はなんとも思わんのか!?路傍に落ちている死体!物乞いをする子供達!

ゴミ山に住む家族達!統一国家の観光客!彼らの無遠慮な嘲笑と哀れみ!

これほどの屈辱を味わってなんとも思わんのか!?

心に燃えるものが宿らないのか!?

貴様が通っていた武装図書館など国家の恥だ!!

なぜ我々は知識を得る事にすら暴力が必要なんだ!?

ふざけるな!我々はもっと生きる権利が与えられているはずだ!そうだろう!?

貴様は我らが祖国がこのままであっていいと言うのか!?この恥辱に耐えろと!?」


「いえ、それは――そうは思いません!このままであってはなりません!!」


メノンは唯一そこには反抗できなかった。否定できなかった。

自分がスパイかどうかは今でも疑わしい。いや、ほぼありえないと言える。

しかし、確かに自分には国を思う心が宿っていた。嘘偽りの気持ちではない。

私は自分の国をどうにかしたかったんだ!メノンの目から熱い涙が流れていた。


「そうだ!だからこそ劣等極まる貴様をスパイにしてやったんだ!!」


「そ……そうですか」


(その理由でスパイになるというのが納得できないかな……。

でも、都度、反論しても話が進まないから、これからは流して行こっと!)


「ちなみに、私の任務とは何だったのでしょうか?

生き残りが私だけと言うなら、相当厳しい任務だったのですか」

「貴様そこまで忘れたのか?仕方の無いやつだな!!!

貴様の任務は――――統一国家皇帝暗殺だ」

「ええっ!?そんなの無理に決まってるよ!!」

「なんだと!貴様それでも東の孤立国家の国民かぁ!?

不可能を可能にするのが我らの信念!

信じれば何でもできる!どんな困難な仕事でも、できないのは気合が足りないだけだ!

貴様が無理だというから無理なのだ!貴様が無理でないと思えば無理ではない!

とにかくやり遂げればいいのだ!やり遂げたその時には無理だと言った過去の自分が嘘になるッ!!

それに、なんだ今の言葉遣いは!?貴様ァ!敬語を使え敬語を!!!」


(ああ、そうだ。これだ。これこそが東の孤立国家の基本定理だった。

私の祖国の常套句。懐かしい響きだ)


「へへぇ!承知しました閣下!今すぐ統一国家皇帝めを暗殺してまいりますぅ!!」


メノンは敬礼しつつ、へりくだった態度で返事をした。


「そうだ!それでいいんだ!!その意気で統一国家皇帝を暗殺して来い!

その際には機密情報をできるだけ多く握って来るのだ!!

統一国家の根幹を揺るがしつつ、我が祖国を統一国家以上に発展させるような情報だぞ!いいな!」


(無茶苦茶な要求だよ!!)


メノンは心の中でツッコミを入れた。




メノンは装備を整え、東の孤立国家から、もう一度統一国家へ出向くことになる。

その前に諜報機関から統一国家についての質問がいくつかあった。

メノンは自国の諜報機関に正直に情報を渡した。

第一に嘘をついてもバレる可能性があると言う事。

どうやっているかはわからないが、諜報機関は統一国家の監視カメラをハッキングしており、

その映像を監視している。

どうやって統一国家の高レベルのセキュリティを突破しているのか?

また、どのレベルの監視カメラまでハッキングで来ているのかは謎だが、

ひょっとしたら自身の行動も監視できていたのかもしれないため。


第二に、あまり役立たない情報だという事だ。

自分の記憶を誰かに話しても何かがわかるとは思えない。

謎が多すぎる出来事だし、国家の秘密を得たような記憶はない。


そして、一番重要な部分の情報は渡さなかった。

それは自分の推理だ。

客観的な情報はすべて渡したが、主観的な情報は渡さなかった。

その推理が正しいのであれば、話してはならない情報だ。

この結論に至った情報こそ、今一番大事なものだと感じていた。


「いやあ、久しぶりの風景だね!」


メノンは自国を散歩する。

自分の故郷はごてごてとした色の住宅ばかりで統一性がない。

道もちゃんと掃除されておらず、汚い。

くさい。

しかし、それでも自分の育った国だ。母国語で会話している人間を見て懐かしさを感じる。


「おや?」


メノンの目に留まったのは小さな女の子と男の子。

お腹を空かせた姉弟だ。怯えた目をしてこちらを見ている。

足元には大きな葉っぱがあり、どうやらそこにお金を投げて欲しいようではあるが、

声を出すこともできない様子だ。


(なぜそこまで自分を恐れているのだろう。……ん?)


メノンは自分の服装に気づいた。政府側の制服を着ている。

そのため、子供達は逮捕でもされると思っているのだろう。


――東の孤立国家では逮捕権は政府側の人間は皆持っており、

一般人は自由に逮捕されてしまう。

一般人でもお金を払えば裁判を受ける権利を貰えるが、

お金の無いものは『上級国民と目があった罪』によって確実に投獄されるのだ。

上級国民とは孤立国家の特権階級の事で、一般国民(=下級国民)とは区別されている。

スパイの私は政府の制服を与えられているので、上級国民という事になる。

上級国民がこんな貧しい地域で散歩する事などまずない。

散歩する理由があるとしたら虫の居所が悪いため、下級国民を虐待するためだ。


幼い姉弟は震えてこちらを見ていた。

そしてメノンと目があっている。逮捕要件は十分に満たしていた。


「ねえ、そこの君達」

「ひ、ひぃッ!!」

「ふえぇ……」


姉が弟を抱きしめ、庇っている。

こんな荒廃した国でも、家族の絆は失われていないのだ。


「どう?何か食べたいものある?お姉さんが奢ってあげるよ?」

「えっ……?」

「ほんとぉ?」


姉弟に直接お金をあげるかと思ったが、周囲の大人にすぐに奪われてしまう可能性もある。

メノンは姉弟を連れて一緒に食事をすることに決めた。

近くの屋台に立ち寄り、お金を払って肉の入ったパンを二個買って姉弟に渡す。


「二人のお名前は何て言うのかな?」

「私はエスク」

「僕はフィル」


「私以外の制服の人間と目を合わしちゃだめだよ?

『上級国民と目があった罪』で逮捕されちゃうからね!」

「うん」

「はぁい」


「お父さんとお母さんはどこにいるの?」

「いなくなっちゃったの……」

「まだ帰ってこないんだぁ」


「そうなんだ……早く帰ってくるといいね」

「うん……」


メノンはエスクの頭を撫でた。

この娘はなんとなく両親がもう帰って来ないのを悟っているようだった。

メノンは姉弟に同情した。二人の安全を確保しなければ。




30分ほど歩くと、

メノンは目的のものを見つけた。

それは統一国家相手の商売を許されている裕福なホテルで、孤立国家の特権階級も使用する。

ホテルを守る護衛もおり、温かいご飯も提供される。

ここに泊まれば、周囲と比べれば安全快適な暮らしができる筈だ。

必要なのは、こんな下級国民お断りのホテルに貧乏な姉弟を預けて安全に育てさせる方法。

メノンが望んでいるのはマジックだ。

そして東の孤立国家ではそんなマジックが簡単にできるのである。

メノンはフロントの正面に立ち、受付に向かってこう言った。


「おい、貴様ッ!!支配人を呼べッ!!」


メノンは自分の上司の真似をしていた。

今まで出した事の無いような、ドスのきいた暴力的な声。

目つきも鋭く、まさに孤立国家における上級国民らしい姿である。


「へ、へへえ!いかがな用事でございましょう」


その声を聴き、すぐさま奥に控えていた支配人が小走りでやってくる。


「何、変な話ではない!例えば、このホテルはあくどく儲けており、反国家的である!

よって即刻潰すべきであると命が下った!……などと言う話ではないのだ。なあ?」

「ひっ!ひぃいいい!何卒、何卒ご勘弁を!!」


「安心しろ!貴様への用事はは実に簡単だ!

ただ、この幼い子供二人を何不自由なく養育し、

大人になるまで責任をもってホテルの一室に住まわせればいいだけだ!!」


「へっ!?いえ、それは……育てるのもタダではいきませぬし……」


「貴様ァ!!私に逆らうのか!?私が誰だか解っているのか!?この制服を見ても理解できないとは!

いいか?私に逆らうという事は、国家に逆らうという事だぞ!?」


「へへえ!申し訳ございませんでした!!」


「この二人の子はようやく見つけた私の甥と姪である!しかし複雑な事情により本家に住まわす事ができぬのだッ!!

だから貴様のような悪徳商人が不当に儲けているホテルを利用してやると言っている!

これは貴様らの罪滅ぼしにもなるし、姉弟が居ることによって突然の接収をされる事が減る効果があるのだぞ!

もし預けなければ即時、このホテルは反国家的となり全財産が接収される事になるのだ!!」


「へ、へえええええええ!わかりました!」


「ふふん。本当にわかっているのか?この状況を。

もし、私が次来た時に姉妹が居なかったら……『上級国民反逆罪』で一族郎党全員銃殺刑だぞ?」


「ひいぃ……へ、へえ!承知いたしました!!」


「とは言え、甘やかすだけでなく、一般的な教育も頼むぞ。

体罰はNGだが、どうしても必要であれば多少は厳しく言いきかせてもいい。

何年か経過して15歳を超えたら働かせてもいいだろう。

ずっとタダ飯食わせていてもホテル側の負担になってしまうからな。

しかし、そこらの労働者相手みたく厳しくしてはいかん。手心を加えて指導しろ。クビは許さん。

そこらへんはバランス良くな!!あくまで私の親戚である事を忘れるなよッ!?」


(む、無茶苦茶な要求だ!)


「へ、へえ!全てうまくやりやす!!」


こんな無茶苦茶な命令でも飲まなくてはならない。

本当にこの国は問題だらけだな……。とメノンは他人事の様に思った。


メノンはエスクとフィルを一階角部屋に案内し、

自身の所持金の内最低限必要な分以外を全て姉弟に渡した。


「大事に使うんだよ。お世話になるホテルの人とも仲良くしてね」

「こ、こんな大金本当にもらっていいの!?」

「いいんだよ。私にとってはたいしたお金じゃないから」

「あ、ありがとうおねえちゃん!」

「ありがとぉ!!」


メノンはエスクとフィルを抱きしめ、ホテルを後にした。

彼女は一人で歩きながら考え事をする。



(私は持っているお金をほとんどあげてしまった。

結局私はこの国でも貧乏になってしまうのだ。

……。


あんな事をしても姉弟が救われない事は解っている。

親はいくら待ってもきっと帰ってこない。……ホテルもどこまで約束を守るだろうか?


あの姉弟は私達の姿なんだ。

私には母親がいて、育ててくれたから、貧しくてもちゃんと暮らせていたけど。

ほんの少し運命がずれたら同じように路上に暮らすしかなかったのだろう。


同じような子供たちがこの国には無数にいるんだ。

あの姉弟のような貧しさに苦しむ子供達を救うには、一人一人の単発的な努力じゃどうにもならない。

国を変えるしかない。この状況を打破するにはそれしかないんだ。


私には恐らく『使命』がある。

だから記憶を失くしている。情報を精査すると、そういうことになる。

どんな運命が待っていようとも、前に進むしかないんだ)



メノンは強い意思を持って、統一国家へ向かった。

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