第5話 決断と対峙

その日は静かな夜だった。

ほーうほーうと梟の鳴き声が聞こえる。

今は午前三時。


家の中には、二人の写真の母子の姿はすでになく、

明かりのない寝室でメノンがただ一人立っている。

足音がギシギシと響く。気配を殺して、忍び寄る様に……。

足音の主が寝室の中に入った瞬間、メノンが部屋の明かりをつけて足音の主と対峙する。

大きな男だった。身長は180センチ。

体格はがっちりとしており、手には刃物を持っている。

男が口を開いた。


「誰だお前……?」

「ふふ。別にどうと言う人間じゃないよ。

でも、多分あなたと『同じ境遇』なんじゃないかな?」


「ん?……ああ、そう言う事か。

お前も『記憶がない』んだな?」


「そういうこと。あなたも自分の言葉を聴いてここに来たんでしょ?」


「ああ、そうだとも。なら話は早い。親子はどこにいる?」

「もう私が殺しちゃったよ」

「な、なんだと!」

「ざーんねん。早い者勝ちだね!」


「……。そっか。仕方がねえなぁ。

だったら聞くけど……蘇った記憶、どんなのか教えてくれ」

「え?ああ、うん。でもどーしようかな。

じゃあ正直に告白するけど……大切な初恋の記憶だったよ」

「……嘘だな」

「本当だよ~!」

「失った記憶はそんな程度のものじゃない。

もっと重大な記憶だ。それがあれば、自分の人生ががらりと変わるようなものだ。

あるいは多くのものを手に入れられるような……。そんな記憶だ。

俺の人生の全てがそれに捧げられてきた。きっとそうだ!

だから、俺の精神が記憶を渇望しているんだッ!

人だって、殺せるほどにな」

「……何を根拠に?」

「直感だよ。確信してる。お前は嘘を言って誤魔化そうとしているとわかる」

「論理でなく、そういう感覚で生きてるんだね。

じゃあ仕方ないっか……」

「親子はどこにいる?」

「ここにはいないよ」



それは4時間ほど前の事だった。

メノンは林から静かに親子の家へと侵入した。

他の監視者にバレないように、気配を隠しながら。

目的は他の参加者、暗殺者から親子を守るため。


「もしもしお母さん!ここは危険ですよ!」


メノンはいきなりリビングに押し入り、

テレビを見ながらくつろいでる母親に話しかけた。


「な、なんですかあなたは!?いつ入ってきたんですか!?


当然だが、母親は強く警戒している。

それでも彼女が逃げ出さなかったのは、メノンが10代の少女だからだろう。


「お母さんとお子さんは地下マフィアに狙われているんです!!」


もちろん地下マフィアというのは何の根拠もなく、適当に決めたものである。

何だかわからないものがあなたを襲う!と言っても、説得するのは難しいためだ。



「そ、そんなもの孤立国家ならともかく統一国家にあるはずがないですよ!」

「あるんですよ!少人数によって統一国家の目から逃れた悪の組織が!!」

「しょ、証拠はあるんですか?」

「もちろん。何枚も写真があります」


監視していた大柄な男の写真を見せる。

強く警戒しており、撮影は非常に難しかったが、

三枚ほど隠し撮りに成功した。

他にも二人の参加者らしき人間を撮影した。

警戒も薄く、本当に親子に手をかけるか悩んでいるようだった。

気の迷いが見てとれる。


「ううっ!?な、なんで……?

なぜ私達が狙われなきゃいけないんですか……」

「それはもうあれですよ!お母さんが美しいためですよ!

マフィアがその歪んだ猟奇趣味を満たすために選ばれたのです!!」


もちろんメノンが適当に考えた動機である。


(本当はむしろ殺人を指示された私達に何らかの理由があるのだろう。

……何人いるかわからないけど)


「ひぃ!け、警察を呼ばなきゃ」

「……呼んでみてはいかがですか?私は少し不安なのですが……」

「へ?どういうこと?と、とにかく警察に相談します」


母親は警察に電話をかけ、何分か警官と話し込んだ。

彼女が電話を切ったとき、冷汗が頬を伝って流れていた。


「どうですか?大分話し込んでいましたが」

「お、おかしい。おかしいんです。取り合ってくれないんですよ!

証拠もあると言ってるのに!

『今は別件で忙しい』『奥さんの心配性では?』と言って、ごまかされました。

最後に粘ってやっと約束したのが、『四時間後に行く』でした。

こんな事聞いた事ありません。四時間後って深夜三時よ!?おかしいじゃない!!」

「やっぱり警察に任せてもダメみたいですね。予想はできました。

この件にはとても大きな力が関わっています。

警察にいくら言ってもすぐには来ることはないでしょう。

それに、この暗殺者は今は覗きや不法侵入ぐらいの微罪しか犯していません。

仮に警察が来たとしてもそれでめでたしめでたしではないのです。

あなたは家に監視カメラがない事にお気づきですか?」

「もちろん。昨日行政の人がやってきました。

なんでも故障しているので、取り替えますと。

たまたま在庫が切れていて、一週間かかりますと言ってました」

「在庫がなければ他の地区の在庫を取ってくればいいんですよ!

それをしないって事が、行政もグルって事です!」

「ううううぅ!なんてことなの……!」


母親は膝をつき、泣き出した。


メノンは実際に大きな力は感じていた。

この事件を起こした人達が何をしたか?

複数の人間を記憶操作し、

殺人をしやすい環境を整えるため、監視カメラの排除。

しかもその際に動かしたのは公務員だ。

警察を呼んだら終了とはならない事は予想がついた。


「大丈夫です。私に任せてください。今夜、解決して見せます」


メノンはそう言ってはみたものの、

この時点で、有効な手立ては何も見つかってはいない。

交渉や説得をしようと考えているが、成功する確証はない。

しかし、メノンはそれでもなんとなくうまくいく気がした。

自分はこんなことに慣れていて、ある手段によって解決するだろうと。

その手段が具体的に何かまでは解らなかったが、

なぜか確信めいた気持ちがそこにあった。

自分は記憶がなくても、体が何か覚えているのかもしれない。


「まずはお二人は隠れましょう。お子様はどこですか?」

「寝かしつけたところです。そうよ!早くこの家から逃げ出さなきゃ!」

「……逃げられる保証はありませんよ。むしろ可能性としては極めて低いです。

すでに家の外には何人か監視していますから」

「そ、そんなぁ……」


メノンだけならば確実に隠れられる。監視をかいくぐり逃げることができる。

しかしこの親子にはそんな技術はない。恐らく無理だろう。


「その中の一人が今日殺害を実行する予定なんだよ!刃物を持って隠れてる」

「ひ、ひぃ!!」

「相手をするにも外で二人を守る形より、

家の中で私一人が相手する方が何かと都合がいいんです。

なんとか解決してみます。

だから、お家の中で隠れていてください。全てが終わったら呼びますから」


母子は家の中の床下にダンボールで居住空間を作り隠した。



これが四時間前の出来事だ。

今のメノンは目の前にいる凶器を持った大柄な男と対峙している。

いまだに有効な手段は見つかっていない。


「二人は私が必死に説得して逃がしたからねぇ……」

「なんだと?何故そんな事を!」

「あなたはどこの国の人間?」

「ん?何を言っている。統一国家出身に決まってるだろ」

「そこは意外だな……私と同じ孤立国家からの出身かと思った」

「へえ~お前はそうなのか。あの最底辺の非人間的生活してたんだろ?

よく統一国家に来られたもんだ。

子供の頃に社会科見学で見に行って、クラスのみんなと指さして笑ってた記憶があるぜ」

「そうだよ。私の人生はとても貧しかった。

でも、だからと言って正義を失う事はなかったよ」

「ああん?」

「私はあの殺人の指示を聞いて、競争相手がいると言うところに驚いた。

私と同じような境遇で、記憶を取り戻すために人を殺せと言われる人間が複数いる。

何人いるかはわからない。

でも、その中には親子の殺害を決断する人間もいるかもしれない。

いないかもしれないけど。

でも、いたとしたら……私はそれを止めなくてはないと思った」

「なぜ?」

「名も知らぬ人達を守る事。それは、私にとって当然の事だと思ったから」


「よくわからんヤツだな……。非合理的判断だ。

知らない人間などどうでもいいじゃないか。

自分の利益と比較し、利益になるのは殺す。それは当たり前の事だ。

もちろん、凡人が直接的にやれば殺人の罪で自分が刑務所に入るが、

俺みたいな優秀な人間がやれば捕まることはない。

そして、凡人だって、直接的でなくても見殺しにはする。

そうだな。

例えば統一国家の人間は皆生命や財産、豊かな生活を保障されている。

生活にも余裕がある。でも、お前のような貧しい国家の人間を助ける事はほぼない。

むしろその暮らしぶりや悲惨な人生を知ることによって、

幸福にすら感じる。

統一国家では孤立国家を安全な道から観察するというツアーすらある。

社会勉強という名目だが、実際はお前らを嘲笑するためだ。

もちろん全員がそうではない。

統一国家でも一部の人間は悲しい気持ちになる。お前らに同情する。

だから募金などを集めたり、孤立国家の人間を気まぐれによって助けたりして、

自分がまるで天使か何かのような善人だと感じている。

そういった娯楽を生み出している。お前らの価値とはそれだ。


俺は他のぼんやり生きてるカス共と違って、賢く生まれてきた。

そして、自分を鍛えてきた。知識も能力もある優秀な人間だ。

だから合理的判断をする。俺はこの家族を安全に殺し、記憶を取り戻す。

そして得られるはずの大きな利益を手に入れる」

「――それが何かわからないのに?」

「ああ、そうだ。それが何かはわからないが、とてつもなく大きな利益なのだ」


「残念だったね!もう親子は安全な場所に隠れてる。

その不確かな合理的判断が、

私の確かな非合理的判断によって打ち砕かれてしまったよ?

どーするの?」

「ん?抵抗するのか?

しかし、それならそれでも構わないぞ。

俺は予定を変更せず、親子を殺す。

それが簡単にできるからな。

……何故だかわかるか?」


男はにやりと笑った。不気味で、嫌らしい笑顔だった。


「うぐっ……」


メノンにはその言葉の意味が痛いほど解る。


「親子の行き先はお前から聞き出せばいいだけだ。

むしろ、お前も手伝えばいいんじゃないか?

そうすれば一緒に記憶が戻るかもしれない。

断れば吐くまで拷問して、最終的に殺してやる。

今からしゃべった方がよほど賢い。合理的だ。

ま、いずれにせよお前に選択の余地はないって事だな」


メノンには男が本気で言ってる事が解った。


「せ、選択の余地が無い?ふふん。それは間違ってるよ」

「……何がだ?まさか、まだ状況が呑み込めていないとでも?」


メノンは胸に手を力強く当てて、覚悟を込めた真剣な表情で宣言した。


「選択は私の中にある。誰かに与えられるものではないッ!!」


今までへらへらしていた少女のものとは思えぬ威厳のある表情。

そして周囲の人間を押しつぶす様な威圧感。目に宿る極めて強い意思。

今までとはまったく違う様子になったメノンを見て、男は思わず怯んだ。

しかし、数瞬の後――冷静さを取り戻し、

静かに手の刃物を構え、人を殺すための冷徹な目をしてメノンを見る。

男も覚悟を決めた。この女は殺すしかない。


男と対峙したメノンは自嘲気味に笑った。


(ふふ……恰好のいい事を言ってしまったけど、どーしようもないね。

目の前の男との、この体格差。その上、あっちは武器を持ってる。

勝てる訳がない。

きっと私は酷い目にあうんだろうな……)


メノンはそう確信していた。

しかし最後まで、頑張らなくてはない。非力な私でも、時間を稼がなくては。

できれば何らかの怪我を負わせたい……。

そう思っていた。


十秒ほどの静寂が二人を包んでいた。互いの目を見ながら初動を警戒する。

最初に動いたのはメノンだった。



二人の戦いは、ほんの数十秒で決着はついた。

電灯が明るく照らす寝室の中。

信じられない事だが……顔から大量の血を流して倒れているのは大男。

無傷で立っているのは、少女。

彼女は非常に驚いていた。


「なんとかなっちゃった!」


メノンは自分の力に驚いた。

単純に、正面から刃物を持った大きな男を、

単なる格闘技術によって捻じ伏せたのだから。


「大人の男の人を徒手空拳で制圧できる私の力はなんなの?

一人の女子としてドン引きなんだけど……。

刃物を手刀で叩き落した後、片足タックルでテイクダウン、

マウントとってパウンド連打までの流れが見事すぎるでしょ……」


自分の拳を見ると見事に皮膚が硬質化していた。いわゆる拳ダコと言うやつだ。


「うわあ……よく見たら女の子の手じゃなかったんだね。私」


メノンは気絶した男を縄でベッドに縛り、安全に拘束した。


「私のパワー、常識的に考えておかしくない?

相当トレーニングしてたんだろうな……」


遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。

その音は段々と近付いており、やがて家の前に止まる。


「あ、本当に4時間後に来たんだ」


大柄な男に負けても、

メノンが親子の居場所を知っている以上、

すぐには殺されないだろう事は予想がついていた。

なので、その場合は警察が来ることを期待して四時間粘ろうと考えていた。

男が家に押し入るのが0時ごろならば、3時間拷問に耐えようと。

ただ大きな力が働いている以上、

警察の4時間後に来るというのも信用してはいなかった。


メノンはそもそも警察をあまり信用していなかった。

孤立国家の警察は人が死なないと働かない。

いや、死んでも働くかどうかはわからない。

ちょっとした事で真実を自由に捻じ曲げてしまう。腐敗した警察だった。


しかしそれでも、目の前に拘束された犯罪者がいれば……。

刑務所に入れる事ぐらいはしてくれるはずだ。

それが『敵』でなければ。

私や他の参加者に出ていた指示は親子の殺人の筈。

そして警察組織にまで影響しているとなれば、ここに来る警官には十分な警戒が必要だ。


「おまわりさん!こっち!こっちですよ!」


メノンは玄関で四人の警官を出迎えた。

そして、男を逮捕してもらおうと寝室へ向かう。


警官達のドタドタと無遠慮な足音がメノンの耳に入る。

彼女は今日あった事を思い出す。色々な事があった。楽しい観光や、親切な人との出会い。

そして命をかけた戦い。

一つ気にあることがある。うん。そうだ。ずっと考えてた。

あれが明らかに不自然だ。だって、それはおかしい。例えばさ……。



『メノンの記憶はここで消えてしまった』

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