五章 ふたつにひとつ 4

 道はふたつ、選ぶはひとつ。

 イチを救うか、自身を救うか。

 決断せよ、とカムラは言う。ふたつにひとつ、どちらを選ぶのか。

 決断召されませ、天帝の花嫁。


 長い沈黙がその場を支配していた。

 松明の薪が大きくしなって、火の粉が激しく弾ける。かさねはじっとカムラの目を見つめていた。鏡面のごとき黒目に映る己の姿を。


「……しかたない」


 ふう、と息をつき、かさねは顔を上げた。

 物問いたげなカムラに口端を上げてみせる。


「かさねはどちらも選ばぬ。――何故なら、どちらの道にもかさねの望むものはないからじゃ」


 カムラの顔にはじめて人間らしい表情が浮かんだ。

 いぶかしげな顔をしている。常に飄々と高みから見下ろすような老婆にこの顔をさせたかと思うと、少し胸がすいた。


「かさねはイチを救いたい。が、そのために自分が犠牲になってよいとは思えぬ。かさねだってわが身がかわいいし、あやつをまたひとり置いていきとうない」


 イチはかつて最愛のあるじであった壱烏を目の前で失った。

 緩慢な死に引きずられていくあるじを見ているのは、いかほどにつらく、恐ろしかっただろう。そして、わずかな希望が絶えたときの絶望と悲しみはどれほど深かったのか。そのような道をどうして選ぶことができよう。


「では、どうすると?」

「第三の道を探す」


 こぶしを握り、かさねは言った。


「『鏡』はイチに使う。かさねは――……最後の神器『玉』を探す。それは大地女神が所有しておると聞いた」

「黄泉への道は、ふつう閉ざされております。あすこは死した魂の集まる場所。死した身でなければ、降りることはできぬと言いますが?」

「それでも、探す。なあに、一度黄泉へは下りているのだ。抜け道のひとつくらいはあろう」

「あなたの身体はそれまでもつ?」


 冷ややかに尋ねたカムラに、かさねは苦笑する。

 どうだろう。かさねにももうわからなかった。

 女神の力の代償に、右目と右腕は完全に機能を止めた。左に障りが出るのも時間の問題だろう。そうでなくても、身体が作り替えられるような激痛はたびたびかさねを襲う。ひとでなくなっていく。徐々に。かさねはあとどれくらい、かさねとして動けるのだろうか。

 悪夢のような想像はかさねの脳裏にも繰り返しよぎっている。

 イチの身体を取り戻す前に大地女神へと転じ、地に落とされる想像だ。

 男を遺したまま、あの常闇と無音の世界に落ちる、ひとり。

 そして、狂う。ひよりと同じように。

 己のさだめを呪い、天帝の仕打ちに憤り、やがてただ呪詛を吐くだけの塊と化す。そういう想像を繰り返す。ひとり、飽きるほど。

 だが、それらはかさねの行く道の、何を照らすというのだろう。

 かさねは目を瞑った。


「婚礼の衣装は何がよいと思う?」


 だしぬけに尋ねたかさねに、カムラは変な顔をした。

 

「都合、四度花嫁衣裳を着たが、異国風のこの服もなかなかによかった。ひらひらと裳が軽やかに舞ってのう。髪に大輪の花を挿したら映えそうじゃ。とはいえ、かさねはやはり莵道の昔ながらの花嫁装束がいっとう好きじゃ。鳥と花の吉祥文様の白絹に、守りの紐と小刀、綿帽子をかむってな。つつましやかでよいとは思わぬか。かさねは、やっぱり婚礼のときはあれが着たい。それでイチにかわいいと言ってもらうのじゃ」


 思い描いた想像にかさねは頬を緩め、こぶしを握ってさらに力説する。


「初夜はたぶん緊張する。が、かさねは夜の奥義四十八手を極めておるし、手取り足取りイチに尽くしてやれるから大丈夫じゃ。それで子どもはたくさん授かる。どれもみんなかわいがってやる。狐に嫁がせたりはせぬよ。そして、みんな巣立ったら、またイチと旅に出る。この天地をめぐるのだ。だが、最後は家でささいな話などをしてのんびり暮らす。子どもら孫らに飽きられるくらい長生きするのじゃ」


 最後はカムラの手を取る勢いで語り倒し、かさねは自分の言葉にうむ、とうなずいた。


「かさねが望むのはそういう道じゃ」


 壊されても、壊されても、

 理想を描いて、ここまで歩いてきた。

 立ち上がる。思い描く。

 夢を。望みを。

 手を伸ばす。伸ばし続ける。


「ないなら、作る。かさねが切りひらく」


 自分には、その力がある。

 

「……なんと欲深な女神であることか」


 かさねを見つめたまま、カムラは呆れた風に息をつく。

 しかしその目は存外、愉快がるような光を帯びている。

 かさねは笑った。

 

「かさねは己の道を示したぞ。さぁ、約束どおり『鏡』の在処を教えよ、カムラ」

 

 陣幕のうちに一陣の風が駆け抜ける。

 舞い上がった火の粉が頬をかすめ、はらはらと輝きながら散った。それをまばゆげに眺め、カムラは瞼を閉じた。


「天都にございます」


 明かされた神器の在処に、かさねは眉をひそめる。


「天都?」

「かのまほろばの地の天帝を祀る祭壇。その場所に、先祖が鍛え直した鏡は据え置かれている。どう使うかは、あなた次第。あなたの示した道筋、楽しく拝見させていただきますよ」


 にっと笑い、カムラは目礼をした。



 *



 芸座の舞はつつがなく終わり、陣幕の一角に寝泊りをする場所を与えられた。かさねとイチは夜陰に紛れて陣幕を離れ、夜の峠で一晩を明かす。カムラに教えてもらった「鏡」を手に入れ、天帝と対峙するため、朝には天都に向けて旅立つつもりだった。


「フエたちに宴の料理をもらっておいてよかったのう」


 獣よけの火を足元で燃やしながら、かさねはフエが渡してくれた包みをひらく。中には、鹿肉を香草と一緒に焼いたものや乳を発酵させて蜜をかけたもの、根菜を甘辛く煮たものなど、とりどりの料理が少しずつ取り分けてあった。膝にのせたイチに根菜を差し出してやる。雛鳥を餌付けしているみたいで、なんだかかわいい。


「カムラは大丈夫だったのか」

「ふふん」

「……なんだよ」

「外で聞いておったくせに。そなたが素直にカムラの言うことを聞くわけがなかろう」


 小さく笑ってやると、イチはばつが悪そうに根菜をついばんだ。

 かさねが答え方をまちがえれば、この男はすぐに飛び出てきてかさねを守ろうとしただろう。たぶんカムラも気付いていて目を瞑った。

 焼いた鹿肉をほおばっていたかさねは、思いつくことがあって、「のう」とイチの首のあたりをつつく。


「イチはどの花嫁衣装のかさねがいちばんかわいかった?」

「はあ?」

「朧に嫁いだときとー、六海の龍神の贄になったときとー、ひよりの代わりのしたときとー、それと今回と! かさねとしてはやはり莵道の花嫁装束に思い入れがあるのだが、イチが別がよいなら尊重するぞ」

「……べつに、どれもおんなじだろ」


 根菜をついばみ始めた小鳥を見やり、かさねは頬を緩める。


「どんなかさねだってかわいいものなー?」

「というか、四十八手ってなんだよ。何を学んできてるんだ、おまえは」

「ほら、嫁入り前にいろいろ教わるであろ。イチがどんな特殊な性癖を持っていても受け入れられるから、安心してかさねに身を任せよ」


 得意になって胸を叩くと、小鳥は疑惑に満ちた目をかさねに向け、息をついた。面倒くさくなったらしい。

 

「天都までの道はどうのぼる?」


 話を替えたイチに、かさねはうむ、とうなずく。


「莵道をひらくわけにはゆかぬし……。燐圭が天帝とぶつかる前に、孔雀姫と話せるとよいのだが」

「それなら、やり方があるかもしれない。燐圭が兵を集めているせいで、天都が物見の鳥を放っている。一羽を捕まえて小鳥あてに文を持たせれば、孔雀姫に届く可能性がある。賭けにはなるが」

「やってみよう。まず動いてみなければ、始まらぬ」


 以前天都をめざした折、たどった道のりを思い描く。正しい手順を踏まなければたどりつくことができないのが天都だが、ひとまずはイチの言う物見の鳥を探しながら近づくのがよいだろう。


「大地将軍もあすの朝に天都に向けて出兵するらしい。ハナが聞きつけた」

「どちらにしても、あやつとは競ることになるか……」


 陣幕から離れて少しはマシになったが、大地女神の放つ呪詛の念は静かに大地から伝わってくる。地揺れは断続的に激しくなりながら続いていた。大地の咆哮と天の雷鳴と。ぶつかりあったとき、いったい何が起きてしまうのか。

 隣で焚火の照り返しを受けているイチをかさねは見つめた。


「のう。そなたは何を考えている?」

「うん?」

「そなたは今どうしたいと思っている? そなたの話もかさねは聞きたい」


 抱えた膝頭に顎をくっつけて尋ねると、イチは少し口ごもる気配を見せた。

 俺は、と呟いたきり一度言葉が途切れる。考えをまとめているというよりは、言うべきかためらっているような、そういう仕草だった。


「俺は……おまえの右目も右腕も、代わってやれたらいいのにって思ってる。おまえを苦しませているものすべて、消してやれたらいいのにって」

「イチ」

「でも、それが無意味なことだともわかってるんだ。身代わる身体がないし、そもそも身代わるようなものでもないんだろう。『鏡』もおまえに与えてやりたいけど、おまえはそれは嫌だと、不幸せだと言う」


 小さく息をつき、イチは口をひらいた。


「だから、おまえが笑ってくれる道を探してる」

「かさねと一緒に探してくれるか?」

「あぁ」

「じゃあ、一緒に探そう。さいごのさいごまで諦めないで探そう。約束じゃ」


 宙に左の小指を差し出す。

 蒼い月光が木々のあいまから射して、痣の浮かんだ小指を照らす。そこに骨ばった男の指が絡んだ気配がした。微笑んだかさねに、約束する、とイチは言った。

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