五章 月の宴 2

「では、そなたらも?」


 目を丸くしたかさねに、男は苦笑まじりに顎を引く。


「俺はひと月前、こいつは半月前、そっちが五日前。みんな、この島に流れ着いたのを嬢ちゃんに拾われた」

「なんと……」


 かさねは山国で生まれ育ったのでいまひとつわからないが、島の浜というのはかようにひとが流れ着くものなのだろうか。考え込みつつ、ミツに促され、男たちの対面に座る。給仕をしているのは島の女たちのようで、島巫女の姿はない。聞けば、島巫女は何日かに一度、限られた人間としか会わないらしい。


「神に仕える身ゆえ、平素は奥社にこもって外には姿を現さないそうだ。時が来ると、島巫女さんのほうからお呼びがかかる。宴の終わりに赤いおよりを渡されたら、会える、ということだ」


 いちばん長く滞在している年嵩の男――まどかが教えてくれた。漁師を生業としているそうで、漁のさなかに鮫の群れに船を襲われて海に落ちたらしい。必死に鮫から逃げていたところ、いつの間にかこの島に打ち上げられていたという。ほかの男たちも似たようなもので、ひとりは酒に酔って足を滑らせて海に落ちたところを、もうひとりは世を儚んで海に身を投じたところをそれぞれ浜に打ち上げられたという話だった。


「島巫女に呼ばれると、何かよいことがあるのかのう」


 いただきます、と手を合わせたかさねが膳に並んだ料理に箸をつけようとすると、すかさずイチに手をはたかれた。代わりに、イチは自分が食べていた山菜と芋の煮っ転がしをかさねの皿に移す。注意深いこの男は毒見をしていたらしい。


「そりゃあ嬢ちゃん、あの絶世の美女が夜に呼ぶんだぞ。やることはひとつじゃねえか」


 意味深な言い方をして、円はにやにやと紗弓に横目をやる。この下等な生物が、と紗弓が小声で悪態をついた。イチがなんとなくかさねを背に押しやるようにしたが、円はかさねにはさほど関心がないようだった。


「むーん。しかし、そなたも呼ばれたことがあるのか?」

「いや? 呼ばれた奴らは皆、翌日には島を出ていっちまう。俺の前にもふたり『福の方』がいたが、赤いおよりが来たあと、船の修理が済んだとかでいなくなったよ。たぶん、もうすぐ島を出る奴に声をかけてるんじゃねえかな」

「ふうむ」


 確か島巫女が、冬至が過ぎるまでは海流のせいで島から外には出られないと言っていたが……。船の作りや時間帯によっては抜け道があるのだろうか。あのときは島に入れたことにほっとしていて、あまり深く尋ねなかった。


「私は呼ばれたくないなあ……。戻りたくないもの……」


 一同の中では年若の、蒼白い顔をした青年がもじもじと呟いた。先ほどの身の上ばなしでは、世を儚んで海に身を投じたと言っていた。職業は算術家で、世を儚んだ理由は一引く一が零になることが理解できなくなったからだという。世にはさまざまな悩みがあるものだ。

 

「俺は足も治ってきたからね。皆心配しているだろうし、そろそろ帰りたい」


 足を滑らせて海に落ちた、という青年が右脚をさすりながら言った。ふむふむと三者三様の事情に相槌を打ちつつ、かさねはイチが移してくれた煮っ転がしに箸をつける。だしが芋にじっくり染みていておいしい。塩を振った焼き魚はあつあつで、かぶりつくと脂が口の中に広がった。


「どれもうまいのう……!」

「よい食べっぷりだなあ、嬢ちゃん。酒ものむか?」

「うむ!」

「おい、あんた酒のむと暴れるだろうが」


 かさねの後ろでくくった髪を引っ張って、イチは円が差し出す盃を横からかすめとった。紗弓には算術家の青年がお酌をしている。一口酒を口に含んだイチが「……強」と呟いた。


「どれどれ、かさねもちと」


 イチが離した盃を両手で持って、猫が舐める程度に口をつける。とたんに咽喉が焼けるような甘ったるい味が広がって、「ふごっ」とかさねは変な声を出した。


「……しゅご……すごい、お味というか、き、奇抜、というか……」


 かさねの素直な感想に、男たちはけらけらと笑い声を上げる。


「だろ? 飯はおいしいのに、酒だけはすげえ味なんだ。まあ、もう慣れたがな」

「……発酵させただけの酒だな、これ。かなり昔の製法だ」


 白濁した酒を盃の上で回し、イチが呟いた。それきり顎に手をあてて考え込んでしまったイチをよそに、かさねは口直しにと果物を齧る。


「それで、おたくさんはどうなんだ?」

「どう、とは?」

「何故、この島へ来た? 美男美女のつれあいで、心中未遂でもしたか?」

「やはりそう見えるかの!?」


 円の言葉に目を輝かせて、かさねはずずいと前のめりになった。


「いやあ、これには深い訳があってのう……。まあかさねの魅力が行く先々、自然と発揮されてしまうというか、求婚者が絶えなくてだな」

「いや俺が言ったのはそちらの……。まあいいか」


 紗弓のほうへ目をやってから、円は頬をかいた。


「俺は嬢ちゃんみたいなのも好きだぞ。親しみがわく顔ってやつだな!」

「であろう、であろう。ふふん、かさねに惚れるでないぞ」

「おう、安心しろ!」


 盃をかち合わせて、同時に煽る。円は話好きの気質であるらしい。かさねを隣に招いて、島のことや故郷の話を面白おかしく聞かせてくれた。


「デイキってのは、俺ら漁師にとっちゃまぼろしの島なんだ。まさか本当にあるなんてなあ。こりゃあ娘へのいい土産話ができたぜ」

「そなた、娘御がおるのか?」

「ああ、来年で四つになる。碧水には、この島の御伽噺もあるんだぜ。美しい女人にもてなされ、毎日ごちそうを食べ暮らせる島……。そこでは老いることも死ぬこともないという。確かに美しい女人とごちそうのあたりは本当だったな」

「島から帰ってきた『福の方』が広めた話なのかもしれんのう」


 これだけ頻繁に打ち上げられているなら、帰ったあとに伝わる話も多そうだ。呟いたかさねに、ううむ、と円は首をひねる。


「そういや、実際に島に行って戻ってきたって奴に会ったことはねえなあ」

「そうなのか? では、その御伽噺とやらの結末はどんななのじゃ?」

「確か……島から戻ると、外の世界では数百年の時が経っていて、女房も子どももみんな死んでたっていう……そういう話じゃなかったかね」

「なんぞ恐ろしい話よの」


 うすら寒いものが這い上がり、かさねは衣の上から腕をさする。少し前に大地女神に千年前の世界に飛ばされたが、あれが千年後の世界で、家族や兄姉が皆死に絶えたあとだったらと考えると怖い。しかし、円のほうはさほど気にした風でもなく、「昔話なんてそんなもんさ」と肩をすくめた。


「お嬢ちゃんの故郷はどんななんだ?」

「莵道は貧しい小国ぞ。だが、川と山はきれいじゃ。かさねもあちこち旅をして回ったが、あれに勝るものはないと思う。特に新しい年を迎えるときには、大人も子どもも一緒になって踊ってのう……」


 こうしてああして、と手振り身振りで示しているうちに気分が乗り、かさねは料理の飾りで添えてあった花枝を髪に挿した。裸足になると、桟敷の外に飛び出して、くるんと袖を振って足をさばく。酒が回っているのか、微妙に足元がおぼつかない気がするが、そこは歌でどうとでもしてしまう。円とほかの男たちが調子よく手拍子をしてくれる。


「どじょうがいっぴきー、にひきでー、つがいになってー、ぐるっとまわったらー、はいさんびきー、とんてんしゃん!」


 かさねの朗々とした歌声が、月の上り始めた山間に響いた。


 *


「ああああうううううううあたまがわれるううううう……」


 そして宴が終わる頃にはこのざまである。

 蛙が大合唱を始めたかのような頭を抱え、かさねはイチの背中に額をくっつけた。


「のむなって止めたぞ俺は」

「だって、だーって、いちがーいちがあー」


 ぺけぺけと男の腕を叩いていると、「ほら、もう帰るぞ」と首に腕を回させて、背に負ぶわれる。


「やあーじゃ! かさねもあるくうー!」

「暴れるな、落ちる。最近あんた重いんだ」

「しっけいな! おーとーめーにーおもいとは!?」

「あーうるさい……。まあまあ軽い。まあまあ軽い」


 ぞんざいながらも語調を和らげた言葉をかけられ、かさねはふふんと口元を緩める。少し機嫌を直してイチの首に手を回し、髪の生え際のあたりの白い首筋をつつ、と指でなぞった。とたんにびくっと男が肩を跳ね上げる。


「な、何すんだいきなり」

「首があるなあーと思うて」

「あんたは目の前にあるものなんでも撫ぜるのか?」


 胡乱な顔で訊かれて、かさねはむー、と首を傾げた。


「イチにしかせんぞー」

「……」

「はい、不愉快だから人前でのろけるのやめてちょうだい」


 ぱんぱんと手を打って、紗弓が桟敷から腰を上げた。夜も更け、宴は散会になったようだ。どこからともなく灯りを持ったミツがやってきて、「お宿まで送ります」と告げる。見れば、円やほかの者たちにもひとりひとり提灯を手に提げた子どもたちが迎えにきている。


「嬢ちゃん」


 やはりヒトやミツと同じ年齢、髪型をした少女に先導されていた円が、かさねを負ぶったイチのほうへ近づいてきた。眠たげに瞬きをしたかさねに、そっと手の中のものを見せる。赤のおより。島巫女からの呼び出しのしるしだ。


「よかった。冬至を待たずに帰れそうだ」

「円。そなた……」

「今宵は最上の夜をいただいてくるぜ。嬢ちゃん、あんたのどじょう踊りもなかなかよかった。またあした、別れの挨拶をさせてくれや」


 かさねの頭に日に焼けた手を乗せて、円はくしゃりと破顔する。その姿に何かを警告するような不穏な鈴の音が脳裏で響いて重なった。それはすぐに蛙の大合唱にかき消されて、かさね自身でもよくわからなくなってしまったけれど。


「うむ……。またあした、な」

「ああ。おやすみ」


 軽く手を振ると、円は少女に案内されて坂道をのぼっていく。次第にか細くなる明かりを見送り、かさねはイチの肩に疼いてきた頭を乗せた。


 ――翌日、円はこの島からいなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る