四章 デイキ島 2
デイキ島は、一周するのにひとの足で一刻ほどの小さな島であるという。島の中央には高い峰が連なり、薄く霧がかって見える。島の鳥居をくぐり、あまり見かけない肉厚の葉が茂る小道を抜けると、数戸の集落が広がった。
「ヒト! また拾いもの?」
「うん」
山間に作られた段々畑はすでに収穫を終えたあとらしい。更地に鳥よけの柵を編み直していた女がヒトに声をかける。十に満たない子どもたちもせっせと蔓を巻くのを手伝っていて、かさねたちに気づくと、人懐っこい笑顔を見せた。
「気さくそうな島民でよかったの」
かさねは隣を歩くイチに囁く。紗弓はいまだ目を覚まさず、イチの背に力なく負ぶわれている。それを背負い直して、「どうだかな」とイチは首をすくめた。
「俺はへんに友好的な奴のほうが苦手だ」
「そりゃあ、そなたはひねくれものであるから」
「あんたが単純なんだろ」
ヒトは坂を上りきったところにある二差路で、こちらを待っていた。小さな身体であるのに、歩くのが速い。
「こっち。『福の方』」
「ヒト。その、福の方とはいったい……?」
「島へ流れ着いたものは、みんな『福』だから。大事にしないと、デイキさまの罰が当たる」
何気なく呟かれた「デイキ」という言葉に、かさねは眉をひそめる。
「デイキ、というのはこの島の名では?」
「デイキさまは島の神様。毎年、海を渡ってやってくるの」
海を渡る、つまりハナが言っていた漂流旅神のことではないか。
顔を見合わせたかさねとイチには頓着せず、ヒトは高台にぽつんともうけられたお社を叩いた。巫女さま、と声をかけると、中からひとの動く気配があり、蔀戸が開かれる。かなり古いもので、戸にかかった蝶番は錆びて壊れていた。ヒトと同じ年頃の少女が顔を出し、心得た様子で社の中へと促す。薄闇の社には御簾がかかり、蠟燭がひとつ灯されていた。焚きしめられたきつい香が鼻腔をくすぐり、かさねは小さくくしゃみをする。
「巫女さま。『福の方』見つけた。今度は三人」
「まあ……」
玲瓏とした、鈴が触れ合うような美声だった。さやかな衣擦れの音がして、御簾内から白い練り絹の千早を身に着けた女人が振り返る。薄闇でもそれとわかる、清楚な美貌の巫女だった。歳はかさねより、ふたつみっつ上といったところか。黒髪に橘の花挿をつけた巫女は、かさねとイチの姿をみとめると、泣き黒子のある目元を和らげた。
「ようこそ、おいでくださりました。さあ、こちらへ」
巫女が手招きをすると、童女たちが手分けして円座を並べる。窓が締め切られているせいで、社には四方の香炉からくゆる独特の香と蝋燭のにおいが充満している。
「わたくしはこの島の巫女。
「莵道かさね。それにイチ、眠っているのが紗弓じゃ。ここはデイキ島で相違ないか?」
「懐かしい。確かに外の方々はこの島をそう呼んでおりました」
微笑み、千はうなずいた。思ったよりも友好的な巫女の様子にほっとして、かさねは話を続ける。
「漂流旅神――天帝の兄神たる御方が流れ着いた島であると聞く。そなたらはかの神を祀る島の民なのだろうか」
「おっしゃるとおり、わたくしはデイキ神の眷属。千年にわたり、デイキ神に仕えてきた一族のすえでございます」
やはりデイキというのが漂流旅神の名のようだ。「そのデイキ神が」と言い直して、かさねは巫女を見つめた。
「海を渡ってこの島へやってくると、先ほどヒトが言っていたのだが……」
「ええ。一年に一度、冬至の頃においでになります。今はちょうど、デイキ神の迎えの準備をしているところだったのですよ。ね、ヒト?」
話を向けられたヒトが言葉少なに「はい」とうなずく。俯きがちの少女の表情は何故か昏い。一年に一度神を迎える日とあらば、祝い事であるはずだが、フタも同様に表情を消して唇を引き結んでいる。
「かさねたちはデイキ神を探して、この島へやってきた。その迎えの日に立ち会わせてもらうことはできるかの……?」
慎重にかさねは尋ねた。ふつう、神迎えの儀式は邑の者で秘されて行われることが多い。莵道の里では反対に、祝い事ゆえとあえて「よそもん」を招き、歌や踊りで賑々しく騒ぐのが常であったけれど、このデイキ島ではどうだろうか。
まあ……と呟いた島巫女がしゃらしゃらと衣擦れの音をさせて、御簾まで近寄ってくる。かの香は巫女自身の身体にも焚きしめられているようだ。むっと強いにおいが押し寄せて、イチが頬を歪めるのがわかった。
「もちろんですとも。デイキ神を迎えるまでの夜は、連日『月の宴』を催すもの。『福の方』のみなさんが参加してくださるのなら、縁起がよいわ」
「みな? かさねたちのほかにも、流れ着いた者がいるのか?」
「ええ、三人ほど」
平然とうなずく巫女に、かさねは眉をひそめる。いくら海流の影響でものが流れ着きやすいとはいえ、生きた人間がそう何人も打ち上げられるものだろうか。疑問に思いはしたが、口にすることははばかられた。今、島巫女の不興を買うのは得策ではない。
「ああ、それと」
ふいに何かを思いついた様子で、巫女が手を合わせた。
「この島を取り巻く海流のせいで、冬至を過ぎるまでは島の外へは船を出せませんの」
「そう……なのか」
「ですので、どうぞ外のことは忘れ、ごゆるりと滞在ください。『福の方』をもてなすのは、わたくしどもデイキ島の者の役目。浜に打ち上げられた方々は皆、わたくしどもへ『福』をもたらすものですから」
「それはありがたい」
ひとまず島から追い出される、という事態にはならずに済みそうだ。ほっとしたかさねが礼を述べると、「ヒト」と千がかたわらに控える童女を呼んだ。
「お三方の世話はおまえがなさい。『福の方』を大切におもてなしして」
「はい。巫女さま」
うなずくヒトの横顔には年相応の子どもらしさがまるでない。背負い籠に入れていた拾いものはフタが引き取ったようだ。空になった籠を担いで、「こちらへ」とヒトが蔀戸を開く。
「月の宴にいらしてくださいませね?」
脇息によりかかった千は、ふんわりとやさしげな笑みを口元に浮かべ、そのように言った。その目がどこか恍惚とした色を帯びてイチの背中を見つめているのに気づき、かさねは乾きかけの衣の下で立った鳥肌をそっとさすった。
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