三章 恋占 3

「しーろいおはなとあーかいおはな、うかぶとしずむと、どーっちだ」


 白い紙と赤い紙をひねって作った「おより」を芸座の子どもたちが水盆に浮かべる。花をかたどったおよりは、しばらく水面をたゆとうてから、吸い込まれるように底に沈んだ。固唾をのんで水盆を見守っていたが、わあ、と目を輝かせる。年明けで四つになる、ハナとフエのあいだに生まれた子どもだ。


「いちの願い事は叶いそうさね」


 皺の刻まれた手で濡れたおよりをすくい、芸座の占い師が微笑んだ。


「かさねもやってみる?」

「よいのか?」

「うん。ねえ、いいでしょ、ばばさま」


 かさねの腕を引っ張って、いちが占い師を振り返る。老婆は弓なりに目を細めて、返事の代わりに白い紙と赤い紙とをかさねに差し出した。


「こうして紙にお願い事を書いて、水に浮かべるんだよ。沈んだら、水の神様が願いを叶えてくれる。浮かんだままだったら、聞き入れてもらえなかったということ」

「ふうむ、面白いのう」


 得意げに説明するいちに、かさねはふんふんと感心した様子で聞き入っている。燕楼の縁側で、芸座の子どもたちと戯れる少女を遠巻きに眺め、イチはハナの隣にあぐらをかいた。


「……いちって名前、どうにかならなかったのかよ」

「だって、フエがあんたの名前からつけたいっていうからあ。いちばんめの子どもだから、一太。いい名前じゃない?」

「まぎらわしいんだよ……」


 嘆息して、イチは酒の大瓶をハナの前に置く。大酒飲みのこの女は、今も瓶を一本空にして、二本目の栓を開けているところだった。


「相変わらずド派手にやってんのねえ」


 イチの上着の下からのぞいた包帯に気付いたのだろう。傷に障るかしら、とぼやきつつ、ハナは酒を並々注いだ茶碗をイチに渡した。とろりとした清酒からはふくよかな香りがする。


「お姫さんと旅するようになったって聞いたから、もう少しマシな生き方してるんだろうと思っていたけど、まあ早々に変わるもんじゃないわね」

「森の古老に世話になった。前にあんたが口利きをしてくれた」

「あたしは道を教えただけ。あんたの世話を引き受けてくれたなら、古老があんたを気に入ったってことでしょうよ」


 なんのかのと言いながらひと月ほど庵に置いてくれた古老を思い出し、そっか、とイチはすこしわらった。


「芸座の奴らも少し入れ替わったな」

「あんたがいたときから、ずいぶん経ったもんね。別のところに移った奴もいるし、反対に移ってきたのもいるし。子どもが生まれたり、じいさんが死んだり。まあ、あたしたち流れ者はいつもそんなもんよ」


 ちなみにイチが可愛がっていたじいさん鸚鵡はいまだ健在らしい。いちのそばに置かれた鳥籠の中で、羽を畳んでのんびり居眠りをしている。知っている顔もいれば、知らない顔もあった。さみしいとか懐かしいとは思わないが、二年近く身を置いていた場所なので、わずかばかりの思い入れはある。それとなく紗弓が近くにいないことを確かめ、イチは声をひそめた。


「……あいつ。本当に信じていいのか」

「紗弓のこと?」

「あいつは過去の一件で俺たちを恨んでいる。善意で力を貸すとは思えない」

「あんたたちの間で何があったかはあたしは知らないけど。いい子よ。ちょっと思いつめるところのある子だけどね。それを言うなら、拾ったときのあんたのほうがずっと思いつめた顔してたし、そのうちとんでもないことしでかしそうだったわよ」


 実際しでかしたしね、と意地悪く微笑まれ、イチは黙り込む。壱烏が死んだ直後の、いちばんみっともなくて荒れていた時期に出会ったハナには結局、強くは出られないのだった。


「信用しろ、とは言わないわ」


 酒瓶を傾け、ハナは自分の盃に手酌をする。


「あんたのことも、紗弓のことも、あたし、ぜんぶはわからないもの。ただ言えるのは、紗弓には紗弓なりの意地や目的があって、デイキ島の件に乗ったってこと。そしてそれはあんたたちに仕返しをしてやろうとかいう、せせこましいものじゃないわ。あの子の傷はそんなことで癒されるほど、浅いもんじゃないのよ」

「傷、か」

「愛する者を失ってできた傷。あんたはそれを知っているはずだあわ、イチ。そしてその痛みを想像できるはずよ」


 ハナの言葉に重なるように、水盆を取り囲んだかさねといちから歓声が上がる。かさねの浮かべた願い文が水底に沈んだらしい。イチとちゅうできるうううううう、という声が聞こえてきた。ちゅう? 何の話だ。


「それはそうと、あんたどうなのよ。うさぎさんと」

「どうって?」


 真顔で聞き返すと、ハナは口元を袖で押さえて、「ほら、だからあー」とちらちらとかさねの後ろ姿に目をやった。


「ふたりでずっと旅してるんでしょ? つまりそういうことよね? そうなったということでいいのよね? いやあ、あんたがまだ小さかったお姫さん連れていたとき、もしかしたらって思ったけど、やっぱりおさまるところにおさまったのね。うれしいわあ」

「……?」


 ご満悦そうなハナを胡乱げに眺めて、イチは酒を啜った。

 妙な間が空いたあと、ハナがそっとこちらを振り返る。


「え。まさか何もないなんてことないわよね?」

「あんたさっきから、何の話をしてるんだ」

「あんたの話よ。やだ、嘘でしょうこの男。半年も一緒に寝起きしていて何もないなんて本当にあるの……? しんじられない……」


 頭を抱え、ハナはかさねを見る目を不憫そうなものに変えた。はー、と深いため息をつき、腕を組む。


「というか、実際どうなのよあんた。あんたみたいな奴が一緒にいるってことは、憎からず思ってるわけでしょ。お姫さんのこと。ちがうの?」


 先ほどまでの冷やかす口調からは一転、まじめに訊かれて、イチは口を閉ざす。

 脳裏によぎったのは、少女と生き写しの娘のやさしい微笑みだった。ひより。大地に落とされた前の花嫁。好いているのですね、と彼女は言った。そなたはあの娘を好いている。そうなのかもしれない。あのときは曖昧だった気持ちについて、イチは考えるようになった。きっとたぶん、そうなのだろう。イチはかさねに惹かれている。


「――……けど、『好き』ってなんだ」


 そういう自らに芽生えた変化をみとめたうえで、イチは息を吐き出した。

 

「あいつは面倒くさい。うるさいし、甘えただし、そのくせ肝心なときは絶対ひとに弱みをみせねえし。あいつといると、苛々して、落ち着かなくて、けど目を離すと、見えないところで泣かれてそうでそれも腹が立つし、疲れるんだ。壱烏とぜんぜんちがう。だから、『好き』じゃないのかもしれない」


 普段口にすることのない胸のうちがぽろぽろとこぼれてしまったのは、相手がハナだったからだろう。ばつが悪くなって顔をしかめたイチに、ハナは腹を抱えて笑い出した。


「馬鹿ねえ。それはもう『落ちてる』っていうのよ」

「何に?」

「それくらい自分で考えなさい、朴念仁」


 イチの手から茶碗ごと酒を取り上げ、中のものを自分のほうへ移す。理由はわからないが、ハナは何故か急に上機嫌になって酒をぜんぶ飲み干してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る