三章 天帝
三章 天帝 1
「何とぞお頼み申す!」
星和をはじめとした莵道の面々に一斉に額づかれ、「待て待て待てい!」とかさねは手を振った。ひよりの失踪により、花嫁行列は中途で立ち往生を続けていた。何しろ、運ぶべき花嫁がいないのだから当然である。これを案じた天上から鳥の遣いが催促に来たのが先刻。星和は選択を迫られていた。つまり花嫁行列を続けるか否かである。
天幕の中で、星和は相対したかさねに、改めて額づいた。
「月がひとつめぐるまでには必ず帰るとひよりは言った。かさねさま。どうかそれまでの間、ひよりに代わって花嫁のふりをしてくれないか」
「かさねとてそなたらの力になりたいが、しかしのう……」
懸念といえば、かさねがこの時代の者ではないことだ。もともと口琴を盗むために訪れたこの場所で、そこまで深い関わりを持ってしまってよいのか。
「……どう思う? イチ」
途方に暮れて尋ねると、イチもまた難しげな表情で腕を組んでいた。セワの樹影がちょうどその横顔に射して、表情を見えづらくしている。夕刻のせいで、あたりは薄暗い。
「もし仮に、ひよりの失踪がばれたらどうなる」
しばしの沈黙ののち、イチは星和に訊いた。
「おそらく天帝の眷属たちが黙ってはいまい。見せしめに莵道の里を滅ぼされるか、あるいは……。天帝の怒りがいかほどか想像することも恐ろしい」
「莵道の里が? まことか、それは」
「莵道の里だけで済めばいいほうだろう。その気がなくても、ひよりは今、天帝の意に背いてるんだ」
そっけないイチの物言いに、星和が渋面を作る。かさねは息を吐き出した。どうにもならんな、と呟く。おそらくイチも同じことを考えたから、難しい表情をしていたのだろう。
「あいわかった。星和の言うとおり、ひよりどのが戻るまでは、かさねが花嫁の代わりをやろう。莵道の里が滅ぼされては、かさねとて困るからな」
「……すまない、かさねどの」
「ひよりの居場所に心当たりはあるのか?」
尋ねたイチに、星和は顎を引いた。
「あるにはある」
「まことか?」
ぱっと顔を明るくして、かさねは身を乗り出した。
「ならば、さっそくにでも――」
「ひよりが向かったのはおそらく、俺の祖・樹木神がおわする森だ。口琴をあつらえに行ったのだと思う。あなたたちに渡すと言った口琴はもともとふたつとないもの。樹木神の木膚より彫りだした特別なものなんだ。それに、樹木神とひよりを結ぶ道しるべにもなっている」
「つまり、ひよりどのはかさねたちの願いを汲んで、樹木神のもとへ向かったと?」
「おそらく」
うなずいた星和に、「しかし、何もひとりでゆかずとも……」とかさねはつい呟いてしまう。何しろ、ひよりは胎に天帝との子どもを宿した身である。輿に乗るだけでも顔を蒼白にさせていたのに平気だろうか。
「樹木神へ通じる道はいつも突然開くんだ。そしてすぐに閉じてしまう。ひよりが書き置きだけを残していったのも、だからだろう」
「そなたは樹木神から生まれた化生なのだろう? ひよりどのを追うことは?」
「できなくはないが、ひよりは俺に行列を進めよと言った。俺はひよりの言葉を信じたい」
あくまで星和の意志は固いようだ。旅慣れない莵道の面々に代わって、実質、花嫁行列のしきりは星和がしていたから、ここで星和に抜けられれば、行程そのものに遅滞が生じかねない。――とにかく、ひよりの戻りを信じるほかないのだ。
「最後にひとつ聞いておく」
話が収束に向かったのを察したらしい。灰と金の眸を眇めて、イチが口を開いた。
「ひよりが役目を捨てて、帰らない可能性は?」
「――ない」
断じる星和の目に、曇りはなかった。
「ひよりは言った、必ず帰ると。ならば、あいつは必ず俺のもとへ戻ってくる」
表情こそ変わらなかったが、深い信頼と愛情に支えられた声だった。天幕のうちに残された花嫁装束をひととき見つめ、かさねは膝に置いた手を軽く握った。
「わかった。かさねもひよりどのを信じよう」
*
「話はまとまったのか」
その場が一度解散になると、天幕の外で草鞋を繕っていた男が顔を上げた。あらぶる神がそのままひとがたを取ったようなたたずまい、何よりも、かたわらに立てかけられた太刀はみまごうはずもない。大地将軍・燐圭である。
「何ゆえそなたがここにおるのだ、将軍」
「不躾な物言いだな」
「そなたが現れると、ろくなことがない」
改めて対峙した燐圭をかさねは冷たく睥睨する。先ほどはひよりの失踪で、話が途中になってしまった。警戒心をむき出しにするかさねをしげしげと見下ろし、燐圭はおもむろに突きつけた指で額を弾いた。
「なっ、何をする!」
「――やはりな」
思いきりあとずさるかさねに対して、燐圭はあくまで冷静だ。
「私もそなたらも、確かに今ここに存在しているらしい。女神に突然かような場所に飛ばされたゆえ、よもや夢でも見ているのではあるまいかと疑っていたのよ」
うららかな春の陽を受ける燐圭は、相変わらず精気にみなぎっていたものの、頬のあたりは鋭利に削ぎ落ちていた。こちらの放浪は燐圭にとっても一苦労あったのだろう。
「女神に飛ばされた、と言うたな。そなたも黄泉へ落ちたのか?」
「私の場合は、『探し当てた』に近いがな。少し前に、空に大きな流星が流れたのは知っているか」
「そういえば、六海でかような話を聞いたような……。それが?」
「流星は古来より変調の兆し。異界への扉が開き、くさきもの、きたなきものが次々に溢れ出すとも言われている。くさきもの、きたなきもの、――つまり黄泉への扉さ。私は黄泉を総べる大地女神に少しばかり用事があってな。これ幸いと、開いた扉から黄泉路をくだったわけさ。そなたらは?」
「女神のほうに勝手に招かれたのじゃ。仕組みはようわからんのだが、気付いたら道を外れて黄泉におった」
「ふうむ。近くに妙な岩はあったか?」
言われて、ああ、とかさねは思い出す。黄泉へ落ちる直前、青黒い色をした不思議な大岩に触れた気がする。「たぶん、落ちた流星の欠片だ」と燐圭は顎を引いた。大地女神の加護を受けた地道の管理者だけに、黄泉に関しては、かさねたちよりもずっと知識を持っているようだ。
「その様子だと、そなたらも大地女神に会ったのだろう。どんな要求をされた?」
「はじめはイチを置いていけと言われたのだが……。女神のほうの気が変わって、黄泉から無事に返してもらう代わりに、ひよりどのの口琴を取ってくるようにと命じられた」
ほう、と顎をさする燐圭は何故か愉快げだ。
「女神め。我らを試しているのか?」
「……どういう意味じゃ」
「私は願いと引き換えに、莵道ひよりの口琴を『破壊するように』命じられた。いわく、それは花の文様が刻まれた茜色の口琴であると」
「なんだと?」
燐圭が語る口琴の特徴は、かさねの知るものと一致している。つまり、大地女神は燐圭に口琴の破壊を命じる一方、かさねたちに対しては口琴を盗ってくるよう異なる命令を出したということになる。だが、口琴はひとつしかない。
「望みを叶えるのは一方だけというわけか。女神め、なかなか粋なはからいをする」
「――待て、大地将軍」
咽喉を鳴らした燐圭に、かさねは手を突き出した。この男にそれを頼むのはかさねの小さな矜持が潰される思いがしたが、背に腹は代えられない。
「今回の件、かさねたちに口琴を譲ってはくれまいか。このとおりじゃ」
燐圭の口ぶりでは、何かの願いと引き換えに口琴を要求されたのであって、かさねたちのように口琴を差し出さなければ黄泉からもとの世界に戻れないといった様子ではなかった。なれば、と頭を下げるかさねを燐圭は静かに見下ろした。
「何かわけがありそうだな?」
「イチの命がかかっている」
藁にもすがる思いでかさねは吐き出した。
おい、とイチが横から口を挟んだが、かさねは引かなかった。
「口琴を女神のもとへ持ってゆかねば、イチは黄泉から帰れなくなってしまう。ゆえ、今回だけはどうか手を引いてほしいのじゃ」
「なるほど?」
腕を組んで、燐圭は無精髭の生えた顎をさする。考え込むような間があってから、やがてふっと息が吐き出された。
「そなたらの事情はわかった」
「なら――」
「しかし、それはできない相談だ」
突き返された答えに、かさねは口をつぐむ。みるみる強張っていくかさねの顔を見て、燐圭は首をすくめた。
「このひとでなし、とでも言いたげだな」
「……それは」
「だがそなたとて、ひとでなしな要求をしておるのだぞ、お姫さま。私は私の願いを叶えるためにここへ来た。そなたらとはちがって、己の覚悟で黄泉路をくだったのだ。顔見知りの命ひとつくらいで、そうやすやす諦められるわけがない。――この理屈、そなたならわかろう?」
話の矛先を向けられたイチは、うなずきこそしなかったが、反論もしなかった。つまり、燐圭の言い分がわからないでもない、ということなのだろう。
「問答無用で斬りかからなかっただけ譲歩したと思え、かさねどの。私も引かん。そなたも引かん。いつものことだろう?」
からりと笑って、燐圭は肩に太刀を担いだ。
「どこへ行くのだ」
「集団で歩くのは好かん。私は私のやり方で、口琴を狙うさ。私が奪うか、そなたらが得るか、ふたつにひとつ。わかりやすくてよいだろう」
細められた燐圭の眸は、うちに炎を宿して、燃え立つかのようである。唇を噛んだかさねの横を、青藍の衣を翻して燐圭が通り過ぎる。――待ってくれ、と。今にも叫び出したくなるのをかさねはかろうじてこらえた。
(あやつの言い分はわかる)
そして燐圭やイチにしてみたら、自分がとても甘い人間であることも。それでも納得をしてしまうのは嫌で、かさねはこぶしをきつく握り締める。
「……何が楽しいというのだ」
吐き出す場所を失くした怒りは別のところへ向いた。
「ひとつしかない口琴をかさねと将軍とに取り合いをさせて。自分はよそから高みの見物か。何が楽しい。大地女神とはいったいなんだというのだ!!!」
力任せに振り上げたこぶしを後ろからやわく包まれる。かち合った金と灰の眼差しは、かさねの激昂に反して、とても静かだった。握ったかさねの手を引いて、「戻るぞ」とイチはそれだけを言った。
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