五章 地都の星祭り 5

 案内されたのは、港近くにある大地将軍の私邸だった。

 薄闇にぽつりと浮かぶ篝火を見つけ、かさねは眸を眇めた。かさねも菟道の領主筋に生まれついたが、大地将軍の屋敷はそれよりもはるかに大きく、堅固な門を持っていた。

「ほんによかったのか、イチ」

 カムラは屋敷に招くという以外の仔細を伝えなかったので、大地将軍の思惑は読めないままだ。大地将軍のもとにいるという「壱烏皇子」。イチもまた、己が「壱烏」であると主張している。いったいどうなってしまうのか。

「たぶん、あんたも俺も、山犬のときにばれてた。仕方ない」

 イチは肩をすくめて言った。つまり大地将軍は初めて会ったとき、すでにかさねとイチの出自を察していたらしい。

「あやつ、何をする気であろう」

「さあな。どちらにしても、ここは大地将軍の治める土地だから、将軍が否を唱えたら、俺たちは街から出られない」

「――おやまあ。ご主人さまはそのような無粋な真似はいたしませんよ」

 それまで黙っていたカムラが急に引き攣ったように笑い出した。ひっと呻いて、かさねはイチの背中に張り付く。ますます高くなった笑いが内廊にこだました。

「こちらへ」

 カムラは皺だらけの顔に笑みを浮かべ、襖を引いた。思ったよりも高い天井が続いていたことにまず驚く。鳥獣の文様が描かれた天井からは見たことのない照明具が吊るされ、室内を明るく照らしていた。中央に足の長い長卓があり、くだんの大地将軍が幾分くつろいだ服装で座っている。

「イチどの。菟道かさねどの。ぶしつけな招待で済まなかったな」

「本当じゃ!」

 負けじと言い返せば、大地将軍は意外そうに片眉を上げて、笑い出した。

「よもや、私に言い返してくるおなごに出会うとは思わなかった。菟道は面白いな。ゆるせ、かさねどの」

 将軍がかさねたちにも席を勧めると、カムラと入れ替わりで入ってきた侍女が料理と酒を並べていく。

「外つ国からの品だ。果実を発酵させた酒でうまい」

 そう説明して、大地将軍は血のような色をした飲み物を硝子杯に注いだ。かさねはぞっと顔を強張らせたが、将軍は気にしたそぶりもなく一気に飲み干す。硝子杯には一瞥すらやらず、イチが口を開いた。

「用件はなんだ。地都の大地将軍」

「そなたはどうもせっかちな御仁らしい。噂では、壱烏を名乗っているそうだな」

「それが?」

「奇遇にも、私の客人も壱烏を名乗っている。そなたが真か偽か、確かめたくなるは当然のこと」

「意外だ」

 イチはふと咽喉を鳴らした。

「あんたからすれば、俺が偽物でないと困る。そうだろ?」

「確かに。地の支配者が偽の皇子を匿っていたとなれば、私の信頼は地に落ちよう。だが、イチどの。地上の人間は誰ひとり、天の一族の顔を見たことがない。もちろん私も」

 硝子杯に湛えた酒を手の中で揺らし、大地将軍は口端を上げた。

「そなたは菟道の姫をさらい、天都を目指しているらしいと聞いた。無論、そなたが本物の壱烏であろうと偽の壱烏であろうと、天都へ地の者を入れることは許されない。大地を治める者のつとめとして、そなたを天に差し出すこともできるが――」

 大地将軍の黒眸がイチを試すように眇められる。

「私はそなたの手助けができないかと思っている」

「……なんだって?」

 思わぬ申し出に、イチは眉根を寄せた。かさねとて、似たような顔をしていたと思う。何故、地都の将軍がイチに力を貸すというのだろう。

「この地都の成り立ちは聞いているだろう」

 大地将軍が控えていたカムラを呼ぶ。一言耳打ちされると、カムラは心得た様子で部屋から退出した。外に護衛がいる以外、室内は大地将軍とイチ、かさねの三人きりになる。

「私は大地母神と誓約を交わし、地都を治めていた沼主を討伐した。かねてより差し出す贄をしぶったところ、沼主があらぶる神と化したのだ。地都中の娘が手当り次第、さらわれたな。私の姉もそうだった」

「姉? そなたにも姉がいたのか?」

「ああ」

 硝子杯のふちを撫でて、大地将軍はうなずいた。

「土砂で潰れた家屋から住人を助け出していたさなかに、沼主にさらわれた。沼主はさらった娘を丸のみするゆえな。髪しか残らなかった」

 戻ってきたカムラが布に包まれた太刀を差し出す。むっと強くなった臭気に、かさねは顔をしかめる。大地将軍が面白がるように唸った。

「呪に気付かれるか、かさねどの。よく効く鼻をお持ちだ。――これは姉の遺髪を埋めて鍛えた太刀。沼主を斬り捨てるほどに力を持った妖刀だ。今では、地神を斬りすぎて、すっかり瘴気を纏ってしまったが」

 それでも、いとしげに妖刀を撫でて、大地将軍は鞘におさまったそれをカムラに返した。

「この地はいにしえの時代、天帝が地神に分け与えたもの。我々人間は地神を祀り、供物と引き換えに、大地の一部を貸し与えられている。地神の機嫌を損ねれば、その土地があらぶる。ゆえ我々は地神の機嫌をうかがい、饗応し、ときに贄を捧げて生き抜いてきた。それが千年続いたことわり。だが、時代は変わった。そろそろ、新たなことわりが必要なのではないか」

「それが地神を狩ることか」

「天の一族は何ゆえためらう」

 大地将軍はイチを見つめた。

「恐怖か、信仰か? だが、地神を討つことでこの地都は変わった。嵐は減り、沼主の機嫌でたびたび氾濫を起こしていた川は沈黙した。川から水を引くことが可能になり、田畑は増え、民の暮らしは確実によくなったぞ」

 これまで見てきたどの里よりも繁栄する地都。なんと賑々しく、活気に満ちているのだろうとかさねも思った。

「天都をめざすそなたの護衛、この大地将軍が引き受けよう。代わりに、天都へは私も連れて行っていただきたい」

「ただ、天都見物をするってわけじゃないだろう。何が目的だ?」

「――天帝を弑す」

 大地将軍は薄く笑った。

「天帝を奪われた神々は、あらぶるぞ」

「それでよい。あらぶる神は私がすべて斬り伏せる。この地から一掃してしまえばよい」

 唐突にかさねの脳裏に、桑の葉色の水干を翻す蚕神の姿が浮かんだ。あらぶる山犬たちに何かを切々と語りかけていた小さな童子……。

「ならん!!」

 イチが答えるより前に、かさねは立ち上がって長卓を叩きつけていた。イチと大地将軍、それにカムラが面食らった様子でかさねを見やる。周囲の視線が一気に集まったことにたじろぎはしたものの、かさねは引かなかった。

「イチ、こやつはえらそうな顔をして、言っていることがおかしい。耳を貸してはならんぞ」

「かさねどの。あなたとて、菟道では狐に喰われかけ、逃げてきたのでは?」

「だとしても、かさねは狐を斬れば万事解決するとは思わん。かさねにはかさねの、狐には狐の言い分がある。そなたの理屈は、子どもじゃ、将軍。奪われたら、奪い返せばよいのか」

「あなたこそ、その身で何を語れるというのか。狐にへつらうことで生き延びてきた莵道の姫よ。蹂躙されることへの怒りも、屈辱も知らないあなたが?」

「それは――……」

「かさね」

 それまで口を閉ざしていたイチがおもむろに立ち上がった。

「帰るぞ」

「だ、だが、イチ」

「逃げるか」

 長卓に頬杖をつき、大地将軍が嘲笑った。

「皇子を名乗る方にしてはずいぶん腰抜けでいらっしゃる。天帝にへつらうだけの天の一族らしいといえば、そうだが」

「そなた!」

 小馬鹿にするような声に、かさねは悔しさで身体が熱くなる。

「黙って聞いておれば、勝手に――」

「確かに、壱烏は腰抜けだよ」

 かさねの怒号を遮って、イチが呟いた。大地将軍でもかさねでもない場所へ向けられた眼差しは、玻璃のように果敢ない。イチは苦笑した。

「喧嘩が嫌いな腰抜けの馬鹿やろう。仕方ないだろ。それが壱烏なんだから」

「成程」

 顎を引き、大地将軍は黒眸を仕切りに使っていた屏風の先へ向けた。

「だそうだ。どう思われる、『壱烏』どの?」

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