五章 地都の星祭り 4
どどん!
雷鳴にも似た音で、かさねは飛び起きた。
「ぬお?」
あたりを見回すが、雑魚寝をしていたはずの芸座の者たちはいなくなり、イチだけが残って窓の桟に腰掛けていた。夜明け前なのか、その背には群青紫の空が広がっている。
どどん!
再び響いた音にやっぱり飛び上がってしまい、「何が起きているのじゃ」とイチの袖を引っ張る。
「十連打だ」
「じゅうれんだ?」
「星祭りがはじまるときの太鼓の奉納。十捧げるから、十連打」
「祭りがはじまるのか」
祭り見物のために来たわけではないものの、そう聞くと胸が高鳴った。イチの隣に立って夜明けの地都を見渡すと、海港に面した広場で太鼓を叩く男たちの姿が見えた。
どどん! どん! どん!
大地を震わせる音は徐々に間隔が狭まり、しまいには激しい連打に変わる。張りつめた空気まできりきりと振動するようだ。
どん!
最後にひときわ大きな音が弾け、十連打の奉納は終わった。地都で催される、年に一度の星祭りが始まる。
「身体は?」
荷物をまとめて茶屋を出るとき、イチが珍しく尋ねた。非常に珍しいので、かさねはイチを見上げたまま、ぽかんと呆けた顔をしてしまう。
「何だ?」
「いや、イチがひとの心配などするものだから、珍しかろうて。そなた、成長したのう……」
ハナの真似をして薄い胸を突き出すと、イチは何やら不服そうに顔をしかめた。荷物を担ぎ、さっさと歩き出してしまったイチを慌てて追いかける。
「なんじゃ褒めておるのに、不満げに!」
実際、熱は下がって頭もしゃっきりとしていたし、不快な下腹の痛みもおさまっていた。月のものが二年前に来たばかりのかさねは、周期もまだ安定せず、ひどく重いときや軽いときなど、季節や体調によってまちまちだ。今回は芸座のまじない師が飲ませてくれた痛みを抑える薬がよく効いたのだろう。
『あんまり無理をしちゃだめよ、うさぎさん』
昨晩、かさねに夜具をかけ直しながら、ハナがたしなめるように言った。
『身体のほうがまいっちゃうからね。あんたにも帰る場所はあるんでしょ?』
『しかしのう……』
『イチは放っておけない?』
眸を弓なりに細められて、かさねはむくれた顔つきをする。どうやらそのようだった。
『面倒くさい男よ。見限るなら、今のうちだとあたしは思うけどなあ』
『……うむ』
確かにこのまま地都を抜ければ、かさねは莵道を開くか開かぬかの二択を突き付けられることになる。ハナの言うとおり、覚悟を決めねばならなかった。
(ほんにイチを天都へ案内するのか。その心に悪しきものはないのか)
そも、かつて追放された天都をイチは何故再び目指すのだろう。
(たとえば、天都への復讐か?)
思いつくものとしてはそれだが、いくら何でもひとりで天都を相手取るというのは無謀に過ぎる。イチはときどき投げやりな物言いをすることもあるものの、基本的には冷静に事態を見極め、事を進めているように見えた。
(それに、イチはものを憐れむ心を持っている)
(山犬様を弔ったように)
微熱のせいか痛んできたこめかみを指で揉んだ。旅の間に思わぬ変化を遂げたのは、むしろかさねの心境のほうかもしれない。
かさねはたぶん、イチを信じたいと思い始めている。
イチの心にあるものが悪しき願望でなければよいと。
どこかで願っている。
『あやつは何かの……誰かのために天都をめざしておる。そんな気がする。だから、かさねは……。なるべく、できたら、イチの願いを叶えてやりたいとも思うのじゃ』
『……そう。そっか』
かさねを見つめるハナの目がふいにやさしくまろんだ。
『あんた小さいけど、見る目はあるわよ、うさぎさん』
『だろう?』
『だけど、イチは別。あいつはね』
どうしようもない、というようにハナは思いきり肩をすくめた。
『たぶんあんたが考えているより、ずっと大馬鹿ものなの。救いようがないわ』
救いようがない。
それはいったいどういう意味なのだろう……。
いつの間にか回想にふけっていたかさねは、目の前にどんと置かれた茶粥で我に返った。
「おお!」
地都に入ってからというもの、食べ物が群を抜いて向上したのは喜ぶべきことだ。顔につけていた面を引き上げて手を合わせ、今日の朝餉をかきこむ。人相書きの件があったため、イチもかさねも街中を歩くときは行商から買った安物の面をつけるようにしていた。星祭りでは神とひとが交わり遊んだ上代の名残で、面をつけて騒ぐのが普通だから、こちらのほうがむしろ溶け込んでしまえる。
「地都から先は日向三山へ向かう」
かさねが半分も食べないうちに、ぺろりと粥を平らげたイチは改めて告げた。
「日向三山から先は、あんたが必要になる」
つまり、天都が近いという意味だ。
かさねは匙を握ったまま、表情を固くした。
「イチ。そのことだが」
姿勢を正して、かさねはまっすぐイチを見つめた。
「かさねはそなたが天都をめざす理由を教えてほしい。莵道を開くそれが条件じゃ」
「嫌だと言ったら?」
「道は開かぬ。そなたがかさねに何をしようが絶対に」
これがかさねにとってのぎりぎりの譲歩だった。イチがうなずくかはわからない。それでも、イチの願いを叶えてやりたいとかさねも思うからこそ、持ち出した条件だった。しばらくかさねの表情をうかがっていたイチはやがて軽く息を吐いた。
「……わかった」
「イチ?」
「日向三山に入る前に話す。それでいいだろ」
空にした茶碗に白湯を注いだイチがそれを口に含んで立ち上がる。ごちそうさん、と茶屋の娘を呼びつけて茶碗を返してしまうので、かさねは急いで残りの茶粥をかきこんだ。
「イチ! そなたはすぐかさねを置いていく……!」
店を飛び出して、イチの上着をつかむ。いちおう歩調を落としてくれてはいたようだ。大路に出ると、朝であるにもかかわらず大賑わいで、横切ることも困難なほど。道端にはセワの染布をかけた露店が並び、果実を固めた水飴や、砂糖と白玉を入れた冷やし水、鹿の炙り肉など、さまざまなものが売られている。甘さとしょっぱさが混じったにおいがくゆってきて、まだ朝餉を食べ終えたばかりだというのに、かさねの腹の虫がぐうと鳴った。
『大地将軍は祭り好きだからねえ』
幼い子どもでも見守るような眼差しで、茶屋のおばばが教えてくれた。地都も昔は沼主との契りで、数十年に一度、贄の娘を差し出さなければならなかったらしい。この契りを怠ったところ、沼主はたちまち山から土砂を押し流し、家々を埋め、若い娘たちをさらって食べた。ひどい時代だったという。富のある者は金を払って兵を雇い、娘を屋敷に囲いこんだため、代わりに働き者の若い娘ばかりがさらわれていった。沼主の気まぐれひとつで天候は変わり、田畑が流れる。不作が続いて口減らしが始まる。
それを討伐したのが大地将軍だった。下級役人の家の生まれに過ぎなかった青年は、大地母神を見つけ出して誓約を交わすと、神斬りの太刀をもって沼主を討った。千々の肉片となった沼主は海へと沈み、地都は久方ぶりの青空を取り戻したのだという。以後、大地将軍のもと、地都は発展を続け、たった十年でかつての「うるわしの都」の名を取り戻すに至った。
「おや、あんたら三山へ抜けるのかい?」
日向三山と書かれた門にたどりつくと、脇にもうけられたた屯所から、温厚そうな老爺が顔を出した。屯所の外にはサスマタなどの武具が立てかけてあったが、とてもそれらを振り回せるようには見えない。
「ああ。三山への門は今日は閉まってんのか」
「大地将軍のご命令でね。星祭りの間は日向三山への出入りは禁じている」
「金ならあるが」
イチがさりげなく腰袋を探るそぶりを見せたが、老爺は首を振った。
「例外はないよ、旅の方。星祭りが終わったあとに来るといい。俺は星祭りの間だけの門番だから、あんたらがいつもの門番の目にかなうかはわからないけど」
「鍵はあんたが持ってんのか」
「さあねえ。確かめてみる?」
窓枠に頬杖をついた老爺が底知れない微笑みを浮かべる。しばらく老爺を見ていたイチは「いや」とあっさり身を引いた。
「また来る。星祭りの終わりに」
「よかったよ。あんたはともかくお嬢ちゃんを死体に変えるのは忍びない」
(したい!)
「行くぞ」
思わず悲鳴を上げそうになったかさねを促し、イチはきびすを返した。
「そういや、大路じゃ大地将軍の馬のお披露目があるっていうよう」
坂道を下るイチの背に、のんびりとした声がかかる。屯所の窓から顔だけを出した老爺は、煙管の先を大路へ向けた。
「暇だっていうんなら、見てったら?」
老爺の眸の奥に、ひととき不気味な光が閃く。かさねが返事をする前に老爺は屯所へと引っ込み、窓辺には煙管の白い煙だけが残された。
「イチ。のう、イチ」
早足でイチに追いつき、かさねは老爺が引っ込んでしまった屯所を振り返る。
「あやつ、なんだったのだろう。イチが殴れば、吹き飛びそうな爺だったが」
「まさか。あれはたぶん、大地将軍の手のものだ」
「大地将軍の?」
「わざわざこの門を閉めたって話ならまずいな」
再び大路に行き当たると、先ほどとは様相が変わり、道の左右に分かれたひとびとを地都の警備兵が押し返し、道を開けさせていた。大地将軍の馬のお披露目とやらの見物人だろう。それにしても、たいそうな数だ。
「イチ」
「ふつうにしてれば、平気だろ」
警備兵を見ても、イチは存外けろりとした様子で言った。大路を横切ることもできなかったので、面をつけたまま大地将軍を待つひとびとの列に加わる。
「しかし何ゆえ、かさねはひょっとこなのじゃ」
「似てたから」
「えっ、ど、どのあたりじゃ?」
「……口?」
首を捻りながら返したイチに、なんだそれは、と唇を尖らせる。それから、言われたとおりの顔をしてしまったと面の上から口のあるあたりを押さえた。ちなみに、イチがつけているのは白塗りの狐面である。これもかさねに対する嫌がらせとしか思えない。
「大地将軍の先頭馬が見えたぞ!」
櫓にのぼっていた男が声を張り上げ、銅鑼のけたたましい音が響き渡った。とたんに集まっていたひとびとから、わっと歓声が上がる。
「大地将軍!」
「将軍、万歳!」
高揚で顔を赤くした男たちがこぶしを突き上げ、大地将軍の名を叫ぶ。
「地都ではほんに、たいそうな人気だな」
「……ああ」
前にも後ろにもひとがいるものだから、容易には身動きが取れない。諦めて、かさねはひとの頭のあいまから、先頭の黒毛馬が鼻面を誇らしげに上げて歩くのを仰ぎ見た。山犬退治の際に見た顔も多い。兵士たちの馬が過ぎると、肩に棒を担いだ人足が続いた。六頭分の山犬の毛皮と、長い大蛇の皮――おそらく東で討伐したという大蛇だろう――を運んでいる。ひとびとの間から、感嘆の吐息が漏れた。
「さすが大地将軍。地神を相手に負け知らずだ」
「すごいわね。大蛇なんて、あんなに大きいのに」
囁き合っていたひとびとが、ひときわ美しい黒毛馬を見つけて、息をひそめる。大地将軍だった。あのとき真っ赤に染まっていた衣は、今はすがすがしい青藍の狩衣に代わり、堂々とした姿で馬を歩かせている。ふと大地将軍の腰に佩かれた大ぶりの太刀に目を留めて、かさねは眉をひそめた。
「……う、」
一瞥すれば、何の変哲もない太刀だが、うっすら纏った瘴気がこちらまで漂ってくる。かさねは手で口を覆った。刺すような腐臭を発しているのに、誰も気付いた様子でないのがいっそ不思議だった。
「――……かさね?」
何かに縋っていないと倒れてしまいそうだ。イチの袖をぎゅっと握り締めて顔をうずめていると、お面を外したイチの手がかさねの額に触れた。ひんやりした手に触れられると、ふ、と空気が通り道を見つけたみたいに息がしやすくなる。
「将軍の太刀は、妖刀ですから。過敏な者はすぐにあてられるのですよ」
そばで上がったしゃがれ声に、イチの気配が緊張を帯びた。誰だ、と鋭く問うたイチに、かさねと変わらぬ背丈の老婆が恭しくこうべを垂れる。
「あたくしは、大地将軍付きのまじない師で、カムラ。イチどの。菟道かさねどの。我が主人があなたがたを屋敷にお招きしたいと申しております」
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