第8話「それは的屋の美学」(2)




 いらっしゃい、とテキ屋は子供連れの客たちに型抜き菓子を出していく。すぐにそのテーブルは一杯になった。懐かしいと子供と一緒に型抜きする父親や、俺はこれ出来ると勇猛果敢に高難易度の恐竜の型抜きに挑戦する小学生など、ガヤガヤと盛り上がっている。


 ところが、その中に雄太の姿はなかった。そこに雄太の祖母がやってきた。その顔は憔悴していて、藁をもつかむ思いでやってきたように見えた。


「ああ、お兄さん」テキ屋の姿を見つけて祖母――木橋キヌが小走りで寄ってくる。おお、ばあさん、と右手を上げたが、その只ならぬ様子を見てすぐに手を下げた。


「どうした」と尋ねる。すると、「雄太を見ませんでしたか」と尋ねられた。

「まだ来てねえが、一緒じゃねえのか」と逆にテキ屋がキヌに尋ねると、雄太がいなくなった、と泣き出した。


 夕飯を食べ終えた一八時過ぎに、早く行きたいとねだった雄太と祖父の雄蔵がそれについて一足先にここに向かったのだという。キヌは夕飯の後片付けを終えてその後を追ったが、神社についてみると彼らの姿がなかった。人も多いから仕方ないかとぐるぐると見て回ったけれども見つからず、携帯を使って雄蔵に連絡を入れたけれども音沙汰がなく、そういえば昼に雄太がテキ屋に会っていたことを思い出して声をかけたのだという。


 テキ屋はキヌに俺も探すよ、と提案し、神社中を走り回った。屋台の店主たちに雄太を見なかったかと聞いて回るが、誰も見ていないという。困ったことになったぞ、とテキ屋は少し、キヌとは違う心配をしていた。腕時計を見ると二〇時を過ぎた頃だった。ちょっと仲間を呼んでみる、とキヌに断りを入れて、少し離れた場所で電話をかけようと取り出すと、ちょうど相手から電話がかかってきた。すぐにとる。


「緊急事態だ」


 電話口の男がそう言った。


「俺もだ。少し困ったことになってな、出来ればお前の助けがほしい」

「そのことでお前に話があった。今駐車場でぶっ倒れた爺を見つけてな」


 駐車場で待っている、とその男が言うのを聞いてテキ屋は電話を切った。ばあさんは家に帰って休んでてくれ、と肩を叩く。


「雄太は俺が見つけてみせる。爺さんは今俺の仲間が見つけたらしい。大丈夫、あとは全部俺に任せてくれ」


 私も行きます、とキヌはテキ屋の背中を追った。

 駐車場に来てくれ、とテキ屋は走った。

 階段を滑るように降りてモーガンのところに向かうと、葬儀屋が老人に肩を貸して立っていた。


「俺がここに着いたときにあのトラックの陰に倒れていた」葬儀屋がフィアットの近くに止めてあるトラックを顎で指した。


「だが、ここに老人が一人倒れているというのはいささか不思議な話だろう。こんなトラックの陰に隠れて何をすることがある? 頭には何かで殴られた跡があるし、流血はないから、恐らくは脳震盪で気絶しちまったんだろう。後ろから何者かに殴られて」

「それで?」

「おそらくは孫ないし息子娘とここに来ていたと考えたほうがいいだろう。そして」

「その子供を連れ去られた」


 葬儀屋は頷いた。


「そしてこの爺さんはあのトラックの後ろに隠された。標的は動いている。少しばかり予定より早く。すまない」

「謝るのは俺にじゃねえだろ。今回被害を受けたガキどもとその家族にだ」

「ああ、そうだな」

「で、どういう段取りだ」

「好きにしていい。今回の被害者が無事でいれば、それでいい。カーナビに標的の車を登録させた。これを使ってくれ」


 葬儀屋がキーを渡す。そのとき、老人が「ゆうた」と一言つぶやいた。うう、と唸って目が覚める。


「き、貴様もあの男の仲間か!? 雄太をどこにやった!? 警察を呼ぶぞ!」


 老人――木橋雄蔵が葬儀屋の肩をどんと押して、葬儀屋から距離を取った。ふらふらとその場に尻餅をつく。的屋は雄蔵に駆け寄って背中に手を回した。


「おいじいさん、雄太って木橋雄太か?」

「何をぬけぬけと! この馬鹿もんどもが! 雄太を返せ! 返してくれ、頼む……わしの、わしらの大切な孫なんだ……」


 ぐっと歯を食いしばって雄蔵は涙をこらえている。葬儀屋は警察手帳を見せて、「俺たちがその警察です、任せてください」と真剣な目をした。


 そこにキヌがようやくやってきた。あんた、と雄蔵に駆け寄る。キヌ、と名を呼んですまない、と泣いた。雄太は、と名前を何度も呼んで二人は頭を合わせて泣きじゃくる。


「“的屋”。こっちのことは任せろ」


 こくりと的屋は頷く。的屋にキヌが懇願するように頭を下げた。


「お願いです、雄太を見つけてください」


 フィアットの運転席のドアを開けて、「任せてくれよ」と頷いた。

 フィアットに乗り込んだ的屋がキーを差し込もうとすると、葬儀屋が窓を叩いた。


「やつはこの神社の駐車場から車でどこかへむかっているらしい、おそらくやつのアジトだろう。その場所は新宿・宵街町よいまちちょう××―〇〇丁目の×だ。ありがたいことに俺らのテリトリーに入ってきてくれた。やつが出てからまだ二〇分ってところだ」

「葬儀屋」的屋が一言、葬儀屋の名を呼んだ。

「店番頼むわ。いつも通り、カンニングペーパーはあるからよ」

「おう、任せとけ」


 キーを差し込みエンジンをかける。いい音で鳴く。ガソリンがエンジンを巡ってフィアット全体に動力が伝わる。ニュートラルに入っていたギアをローにいれる。的屋は思い切り、アクセルを踏み込んだ。跳ねるようにして動いたフィアットは流星のように流れていく。


 ここ八王子から目的地まではおよそ一時間から二時間ほど。けれども相手はまだそこについてはおらず、道路をひた走っている最中。飛ばせば飛ばすほど雄太のことを救う時間が早まっていく。


 七月に入って最初の日曜日であるが、時間的にまだ道路はすいている。ガチャガチャとギアを動かして車の間を縫って走っていく。時折捕まる信号にむかっ腹が立つ。刻一刻と時は過ぎゆく。標的の尻尾を掴むために、おびき出すために、そんな悠長なことを考えて的屋は今まで動いていなかったが、今はそのことが憎くて仕方ない。自分の詰めの甘さを殴りたかった。今回の標的の被害者の中に雄太がいる。あの楽しそうにしていた顔が浮かぶ。自然とアクセルを踏む足に力が入った。


「まだお面取りに来てねえんだからよ」


 的屋はするどく舌打ちをした。カーナビの画面には、標的の車に葬儀屋がとりつけた発信機から出ている信号が映っている。あと少し、あと一〇キロほどで追いつく。的屋はより強くアクセルを踏む。


 今回の標的――松下康成まつしたやすなりは少年少女愛者で、子供をさらっては自身の欲望のはけ口にしたり、同じような趣味をもつ連中に売りさばいて金をせしめていた。しかし普段はそんなことをおくびにも出さず、堂々と生きていて、事件の証拠もなかなか残さないため警察も捕まえられずにいたのだった。


 アジトへ向かう松下の車中では子供が三人、目隠しと口に布を当てられてしゃべれないようにされており、さらには手首と足首を縄で縛られて逃げ出せずにいた。その中の一人の女の子が泣き出してしまうと、今まで気味悪く笑っていた松下が人が変わったように怒鳴り散らした。


「うるっせええんだよおおおおお!!!! お前俺様のことが嫌いなのかあああああ!?!?!? ああああもうあったま来た、もう泣けないようにしてやるよ」


 車を路肩に急ブレーキで止めて、運転席のドアを開けて降りる。後部座席のドアを開けるとずかずかと乗ってきて、泣いている女の子を優しくなで始めた。


「なあ、おい、俺様のこと嫌いなのか? 怖いのか? なあ? どうなんだよ。おい。ああ? いつまで泣いてんだよぉ。泣くなよ。ほら、いい子だろぉ。ほら、泣くなって。泣くな。泣くな泣くな、泣くな泣くな泣くな泣くな泣くなよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 松下は狂ったように叫ぶとその太い指で女の子の首を絞め始めた。


「お前が悪いんだぞ、俺様のこと好きにならないから。俺様を好きにならないなら人形にしてやる。っひっひひ、人形になったら毎日可愛がってやるよ、なあ、ほら、嬉しいだろ? ぐふひっ、ほら、ほら!!」


 松下の一〇〇を超える全体重が少しずつ、女の子の首を圧迫していく。女の子の意識が薄れていく。隠された眼の前で誰かもわからない男に誰かもわからない女の子が殺されそうになっている。そのとき、雄太はなぜか、自分でもわからないけれど、思い切り男にタックルをした。しかし松下の体格と雄太の体格ではどうしようもない差がある。

 少しだけ揺れた巨体の持ち主は、ぎろりと雄太を睨む。


「なんだよぉ、お前も俺様が嫌いなのかァ……? おいコラァ、お前俺様のこと嫌いなのかぁああああ!?!?」


 今度は雄太の首を松下はへし折らんばかりに絞め始めた。その太い指が細い雄太の首に食い込んでいく。どんどん息が出来なくなっていく。酸素を欲して吸おうとすれどその空気はのどを通らない。苦しくて、喉が鳴る。意識が遠のいていき、徐々に体にも力が入らなくなっていく。


「ぶっ殺してやる、ぶっ殺してやるよおおおお! あぁ!? ガキのくせに俺様に刃向うんじゃねえよぉ!!」


 雄太が救った女の子はヒューヒューと喉を鳴らしながら眼の前で起こっている何かにおびえていた。もう一人の女の子は恐怖のあまり声も出せず、ガタガタと肩を震わせている。

 そのときだった。


 窓ガラスが割れる音がした。ガシャンというガラスの割れる音と一緒に、かすかに風を切っていく何かの音がした。


 何事かと松下が後ろを振り向く。勢いよく開け放たれた後部のトランクのドア。そこにはくたびれた黒のスーツに、真っ黒のハットを被った男が立っていた。その右手には”S&WM19コンバット・マグナム”が握られている。その次元の風貌の男――的屋はかちゃりとハンマーを起こす。


「な、なんなんだよお前はぁぁぁああ!!!」

「俺の大好きなヒーローはな、雄太。次元大介って名前なんだ。覚えてくれたら嬉しいぜ」


 的屋は松下の言葉に耳を貸さずに雄太に声をかける。


「それと、よく頑張ったな」

「お前何なんだよ俺様の邪魔をするんじゃねえええ――――」


 松下の叫び声は一瞬で消えた。的屋の愛銃からたたき出された弾丸が松下の心臓をぶち抜いて息の根を止めたのだ。

 的屋が愛銃を背中のズボンとシャツの間にしまうと雄太のことを抱きしめた。


「無事か? あありゃ、首痛かったろ? もう大丈夫だからな」


 真っ赤になった首をさすって優しく顔に触れる。的屋は三人の自由を奪っている縄と布をとってやった。


「俺が来たからにはもう大丈夫だ。お前らもよく頑張ったな」


 それから雄太にもう一度むかって、にやっと笑った。


「おじさん!」


 松下の遺体をバッグに入れて担いだ的屋の背中に雄太が声をかけた。


「このことは内緒だぜ。さ、お前らもとっととこっちの車に乗りな」


 フィアットの丸目ライトに照らされた的屋の姿は、逆光で雄太には見えなかったけれども、初めて会ったあの時のように、にかっと笑っていたような気がしていた。


 三人をフィアットに乗せると、的屋はとっととその場から去るように対向車線に入って走っていく。


 携帯を取り出して葬儀屋に電話をかける。長いことコール音が続いて、留守番電話のアナウンスが流れたところで葬儀屋は出た。的屋が仕事の報告をしようとすると、電話口から「ああ、また今度な」と聞こえてきた。


「お前またナンパしてたのか」

「いや、今のはあちらからだよ。俺は今日は店番だからなあ。お前の店のことを守るのが仕事だ」

「じゃあ、売り上げはどのくらいだ?」

「そこらへんはわからん。まあ、だいぶ売れてんじゃねえかな。型抜きとかだいぶ人気だぜ」


 ちゃんと仕事をしているようで、珍しいこともあるもんだ、と的屋はへえと声を漏らした。


「仕事は終わった。標的も回収。お前の発信機も取っておいた。ガキどもも、無事だった」

「そうか、そりゃ何よりだ。ていうか早く帰ってきてくれよ。子供たちは俺が苦手らしい」

「お前が子供苦手なんだろう」


 いつもいつもと的屋が毒づく。苦笑いをして葬儀屋はそうともいう、と返した。


「それに爺さんたちがずっと心配しているからな。早く顔を見せてやってくれ」


 了解と言って電話を切った。助手席の雄太はきらきらと目を輝かせている。


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