第7話「それは的屋の美学」(1)




 04


 七月七日。

 午前八時——高速道路。

 その男は鼻歌を歌いながらモーガン・プラス8を運転していた。クラシックカーであるが、しっかりと整備してされていて――というか馬鹿の一つ覚えのようにチューンアップをなされていて、後ろにつないだ三畳ほどのコンテナを運ぶのも容易だった。


 ルパン三世のテーマを小気味良くハミングしながら、熱が上がるにつれて歌声に変わりながら、アクセルをがんがんに踏んでいく。あっという間に法定速度を超えていた。


 峠道ということもあり、幸い対向車もモーガンの前にも車はない。後ろでコンテナがガタガタと音を立てるが、エンジン音と男の歌声で聞こえやしない。

 

 大サビが終わって、間もなく口でべらべらと出していた演奏も終わる。小さな声で、「ルパン・ザ・サード」としっとりと言い捨てて彼のステージは終わった。客はモーガン・プラス8のみ。拍手の代わりにフレームを軋ませる。


「やっべ、スピード出し過ぎてたか。どおりで景色が変わるのが早いわけだ」


 アクセルを緩めながら男はよれよれの黒ジャケットの懐を探った。赤い箱を一つ取り出して、器用に右手一つで箱を開けて中から煙草を一本取り出す。箱を再び懐に入れると、今度はオイルライターを取り出した。道路はちょうど直線だからとハンドルから両手を離し、発火やすりをこすると、ぶわっと火が出た。それを消さないように手で覆って煙草に火をつける。紫煙は風に乗って空のほうへ飛んでいく。


 深くかぶったこれまた黒いハットを少し上げて、視界を開けさせる。そろそろ目的地に着く頃合か。


 車道の左側に、八王子、「瑞鴈隆宝寺ずいがんりゅうほうじ」の駐車場を教える看板が見えた。あと二〇〇メートル先を左に入るといいらしい。


 時速は四○キロほどだったが、風を遮るものがないので口に咥えた煙草はあっという間に燃えていく。灰皿に灰を落とすが、その灰皿はとっくに剣山のようになっており、灰はその隙間にうまいこと挟まった。


 もう一口吸ったところでもうその煙草はフィルター近くまで燃え上がり、仕方なく彼は剣山にもう一刺しした。


 ウィンカーをつけて左へ曲がる。そこは三〇台ほどが駐車できる広めの駐車場だった。他には数台トラックが止まっており、恐らく同業者のものだった。


 慣れた手つきでバックで駐車する。一度コンテナをがちゃりと外して、モーガンを近くに駐車させた。降車してコンテナの方に向かう。


 コンテナの奥に回って、扉を開けて、その中を通って反対側に置いてある何やら機械のボタンをカチカチと押す。すると、その機械の背中にあった扉が開いてその機械がまっすぐ倒れていく。それに合わせて彼もいっしょに倒れていき、バイクにまたがるような格好になった。


 手を伸ばしたところにあるバーをがこんがこんと取り出した。まるでバギーやトライクのようになったそれのエンジンをかける。手元のボタンをぽちりと押せば、甲高いエンジン音が駐車場に響いた。


 またさっきのようにルパン三世のテーマを歌いながらアクセルを回す。境内に続く階段横から坂を上って今日の仕事場に向かう。境内にはもうすでに何軒か屋台が組まれていた。


 夏といえば、様々なことが思い浮かぶが、この男にとって、夏といえば、「稼ぎ時」であった。


 通称「テキ屋」と呼ばれるこの長身痩躯の男は型抜きやお面を提供する屋台を祭りのたびに出していた。


 夏だというのに、いつもくたびれたハットとこれまたくたびれた黒のスーツを身にまとい、いつもいつも煙草を咥えては吸って、吸わずとも咥えていた。昔、子供のころに見たルパン三世の次元大介に憧れた彼は、いつもこの格好でいることが好きだった。


 あのコンテナを自分に用意された場所まで運ぶと、コンテナ中の鍵を外して四方にコンテナを開いた。中には屋台骨や、今日の商売道具が積まれていた。そのコンテナを地盤にして、テキ屋は今日、夏祭りが行われる神社の境内でいそいそと屋台を組み立てていた。


 そこにひとりの男の子がやってきた。屋台を組み立てる堂場をじっと見ている。何かするでもなく、少し離れたところでしゃがみ込み、何が気になるのか男の子はずっとテキ屋を見ていた。その子にテキ屋が声をかける。


「坊主、まだ祭りは始まらねえぞ」

「うん」

「屋台もまだ出来上がらねえ」

「うん」

「何が楽しくてここにいるっつーんだよ」


 ぼそっとテキ屋が吐き捨てると、それに男の子は、「組み立て」と返した。


「屋台が組み立てられてくのが見てて楽しいのか?」

「うん、楽しい」

「何が楽しいんだか」


 テキ屋は咥えていた煙草に火をつける。


「組み立てられるのが楽しい」


 そうかいそうかい、とテキ屋はジャケットの内ポケットからキャンディを取り出す。そしてその男の子に差し出した。


「坊主、名前はなんて言うんだ?」

「ゆうた。木橋雄太きはしゆうた

「じゃあほら、ゆうた、これでもなめて見てろな」

「いいの?」

「いいさ。あんまり近くに来るなよ? ケガしたらお互い困るからな」

「わかった! これ、食べていいの?」

「ああ、いいぞ」

「ありがとおじさん!」


 そういうと雄太は大喜びでキャンディを小袋から取り出して口にぽいっと放り込み、またさっきの定位置でしゃがんで屋台が組み立てられていく様を見ていた。その目は真剣で一刻も見逃すまいとしているようだ。


「なあ雄太。お前はいくつなんだ?」

「ろくさい」

「親父とお袋は?」

「おやじとおふくろ? ふくろはもってない」

「ああ違う違う。えっと、父ちゃんと母ちゃんは?」

「とうちゃんはどっかいった。かあちゃんはわかんない」

「そうか。じゃあ雄太は俺と一緒だな」


 テキ屋は雄太に向かってにかっと笑った。すると雄太は少し戸惑ったのちに、


「おじさんもいっしょなの?」と尋ねた。


「ああ、俺も父ちゃんはどっか行っちまったし、母ちゃんはわかんねえんだ」

「いっしょ!」

「ああ、一緒だ。これもなんかの縁だな。よし、屋台もある程度出来たし、型抜きやってみるか?」

「いいの?」

「ああ、だいぶ早いけど別にいいさ。ほれ、お前が一番乗りだ」

「やったー! ありがとうおじさん!」


 テキ屋が「こっちにこい」と雄太を呼ぶ。屋台の前に背の低いテーブルを置き、その前に余りの木材で作った簡易的なベンチを用意して座らせる。そしてテーブルの上に小さな桃色の型抜き菓子を取り出す。テキ屋には雄太の姿が幼いころの自分と重なって見えていた。


 自分が幼かったころ、両親はどこかに行ってしまい、自分も雄太と同じように夏祭りの準備をしている神社の境内で何をするわけでもなくぼーっとその様子を見ていたことがあった。父方の祖父母に引き取られて、周りに友人もおらず、遊び相手になるものもいなかったあのころ。


 底知れぬ寂しさに押しつぶされそうになったあの過去がふと思い出された。別に自分は出来た人間でも優しい人間でもないけれど、たまにはこんなことがあっても罰はあたらないだろうと、テキ屋は雄太に型抜きのやり方を教えていく。


「いいか、この針を使ってこの線をこうやって、刺していく。すると……」


 ものの数秒で桜の花びらがそこに咲いていた。雄太は眼を輝かせて「すげー!」と叫んだ。今度はお前の番だとテキ屋はもう一枚の型抜き菓子を雄太の前に差し出した。雄太は右手に針をもって、一生懸命に型抜き菓子を削っていく。「出来た!」と雄太が言う。手元には車を簡易に模した型があった。


「なかなかやるじゃねえか。よし、じゃあ雄太。型抜きがうまくいったからプレゼントだ。ちょっと待ってな」


 テキ屋は屋台の中に行って少し大きな段ボールを持ってきた。その段ボールを開けると、中にはたくさんのお面が入っていた。最近やっているヒーロー戦隊や仮面ライダー、プリキュアなどの女児向けのものもあれば、古いヒーローたちのお面もある。


「この中から一つ選びな」


 いいの? と雄太は尋ねる。その声は明るく跳ねていた。なんでもいいぞ、とテキ屋は返す。どれにしようかなあと雄太は段ボールの中をなめるように見る。

 小一時間悩んだ末に、「あとで決めていい?」と聞いてきた。


「ああいいぜ。あとで来たときにプレゼントしよう。ちゃんとどれも一個ずつ残しといてやるから心配すんな。顔も名前も覚えたからな」テキ屋が優しく笑った。

「ありがとう!」


 遠くからゆうちゃーんと名前を呼ぶ声が聞こえる。その声を聴いた雄太が、「おばあちゃんだ!」と言った。少しするとそこに一人の老婆がやってきた。腰を曲げてゆっくりと歩いている。だが雄太の姿を見つけると小走りになって二人のもとへ寄ってきた。雄太がおばあちゃんのもとへ走っていく。おばあちゃんにむかって雄太は今起こっていたことを楽しそうに話していた。おばあちゃんも楽しそうにその話を聞いている。おばあちゃんが雄太の手を握ってテキ屋のもとへやってくる。


「なんだかいろいろお世話になってしまったみたいでありがとうございます」

「ああ、いや、かまわねえっすよ。俺は別に」

「ほら、ゆうちゃんもお礼を言いなさい」

「さっきたくさん言ったよ」

「そうだな、たくさん言ってたな」

「もう、すみませんねえ」


 おばあちゃんが頭を下げる。「気にしないでくれよ」とテキ屋はそれを制した。それから雄太の前にしゃがんで、「また後で来いな」と頭をくしゃくしゃとなでた。雄太は元気よくうん! と頭を振る。去り際におばあちゃんが「ありがとうございました」と頭を下げてから背を向けた。それから雄太はおばあちゃんに手を引かれて帰っていった。初めて型抜きしたんだよ、と話す雄太は本当に楽しそうで、にこにことその話を聞くおばあちゃんも幸せそうだった。そんな二人の姿を遠目に見て、テキ屋は昔を思い出していた。自分も雄太くらいのころに同じようなことがあったなあと眼を細める。


 境内から出ていくころに、おばあちゃんが振り返ってテキ屋にもう一度頭を下げた。テキ屋は少しだけ、背中を曲げた。少し気恥ずかしい。おばあちゃんの隣で雄太は大きく手を振った。テキ屋も雄太に小さく手を振って、新しく懐から煙草を取り出して咥えて火をつけた。


 一息吸う。紫煙が肺に入って行ってそれを細く吐き出した。二人の姿が見えなくなったころ、テキ屋は残りの屋台の組み立てに取り掛かった。二、三〇分もすると屋台は出来上がり、商品のお面をいつものように飾っていく。


 組み立ては終わったので、屋台の中に置いた組み立て式の椅子に背中をもたれて少し眠った。周りには焼きそばやフランクフルトを焼く音と屋台のエンジン音が響いている。境内を包むように薫る様々ないい匂いが鼻をくすぐった。


 目が覚めると、外はうっすらと暗くなってきており、提灯や境内に置かれた簡易照明が辺りを照らしている。ずいぶんと寝入っていたようだ。


 遠くの山にゆっくりと太陽が沈んでいく。テキ屋が商品の確認やテーブルとイスの数や強度を確認して屋台の準備を終えて、裏で煙草を一本吸っているうちに赤く照らされていた山々ももう黒くなっていた。


 さてそろそろか、とテキ屋は腰を上げた。境内の中央の参道に一列に並ぶ屋台群から少し外れたところでテキ屋は屋台を構えている。少し外れたところと言えど、入り口からはよく見えるので客足が遠のくことはない。


 一九時を過ぎた。

 ぞろぞろと客が境内に集まり始めた。浴衣を着た老若男女も、私服で来ている老若男女も、たくさんの人がいるけれど、どの客たちも顔はニコニコと笑顔だった。



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