第7話「それは花屋の美学」(3)


 開けられた扉に最初はだれも気付かず、賭け事に夢中だった。気付いたとしても、新規の客がやってきたのだろうと思う程度で、とくに気にした様子もない。

 後ろでがじゃりと鍵のかかった音がした。

 しかし、すたすたと万年塚にむかって歩いていると、さすがに表に立っていた部下の一人もつかず見知らぬ目を引く来客に万年塚の部下が数人、アイコンタクトを取り合って近づいてきた。

 彼らの顔を見て、花屋は再び鋏を握りなおす。赤黒くてらてらと血が滴った。

「あなたたちも、お仕置きです」

 一人、また一人、と心臓を一突きして二人を殺したところで、近づいてきた残りの三人が花屋の異常さに気づき、腰に一丁前につけたガンホルダーから拳銃を取り出した。

 抜き出したところで一人は死んだ。

 構えたころにもう一人が死んだ。

 引き金を引いたところで最後の一人の顔から血の気が引いた。

 あっけからんと、弾丸が飛ぶ前に懐に入り込まれていた。メルヘンチックな仮面からは想像出来ないほど強引に心臓を抉られた。

 まるでダンスミュージックに乗せて踊っているようだった。ステップを踏んで、くるりとシェネをして、リズムに合わせて動いているようだった。

 一瞬部屋に響いた銃声によって、あれだけうるさかった部屋中は、溜まった水が排水口から流れていくように静かになっていった。

 渡された顔写真には一枚につき四人の顔が載ってあった。照合する顔はあと三人、そして、最後の一枚にでかでかと映った万年塚。

 だん、と跳躍してポーカーゲームに勤しむ万年塚の前に着地する。机の上に置かれたトランプが花弁のように飛び散った。へ、と素っ頓狂な声をあげて万年塚は目の前に現れた花屋を見た。

 花屋は鋏をふたつ、右手に持ち変えるとポシェットから一枚の顔写真を取り出して、目の前にいる万年塚と見比べた。

「写真映りがいいんですね、うらやましいですよう」

 愛らしくぷくりと頬を膨らませた。けれどもその手に持っているのは血塗られた鋏である。その使用法を誤った、殺傷武器に相成った刃物である。その姿は可愛らしさよりも狂気さのほうが勝っていた。

「な、何なんだよお前」

 万年塚は至極当然な疑問をぶつけてきた。

「私はただのお”花屋”さんです」

 至極当然のようにそう答えて、ふふっと小首を傾げて花屋は笑う。マスクの向こうに見える目は細く笑みを浮かべている。

「んなわけあるか! 何なんだよその鋏はよお! その返り血だってなんなんだ! おいお前ら!」

 お前ら、と呼ばれた連中からの返答はなかった。返事がないなんて今まであり得なかった。

 もう一度お前ら! と叫んで後ろを振り向き、やっと自分の置かれている現状を知った。つい今自分の目の前にいた少女がいつの間にか後ろにいて、自分の自己顕示欲の象徴であった腕の立つはずの部下二人をその鋏であっさりと刺殺し、逃げ出そうと出口へ走った最後の一人すらいともたやすく追いついて背後から心臓目掛けてためらいもなく、ぐさりと鋏を突き立てた。これで残る標的は万年塚のみとなった。

 寝っ転がった遺体にまたがって、花屋は万年塚をさらりと見る。

 万年塚は恐怖した。一切の躊躇なく簡単に人を殺す人間が目の前にいる。表情は可憐な少女のままで、手慣れた様子で呼吸をするように心臓に鋏を突き立てる。血しぶきがあがろうと気に留める様子はなく、まるでそうするのが当然であるように、作法がそこにあるように、道程が見えているように。

 花屋は万年塚に向かって駆け出した。

 この殺しの現場に居合わせた客たちは騒然として、出口に向かって走っていく。巣を穿り返された蟻のようにちっぽけなものだった。ぞろぞろとぐちゃぐちゃと我先にと、そこら中に転がる死人を踏みつけ、足を取られ、血にまみれても、とにかく出口を目指した。

 けれども、その一つしかない出口は花屋の使ったマスターキーによってパスコードが改竄されており、開くことはなかった。開かずの扉を何度となく叩いてみても反応はまるでなかった。ではどこから逃げればいいのか。裏口は、と見やるとそこには扉があったが、万年塚が恐怖に負けて一人、そこから逃げ出そうとしていた。

 一人だけ助かろうとする万年塚に対してどす黒い感情が入り混じれど、生きたい一心で万年塚のあとを追おうとして、そこで、彼らは足を止めた。ドミノ倒しのように雪崩れても、その場に留まった。そしてしっかりと見た。見ざるを得なかった。

 赤い花が白いキャンパスに描かれていくように、白いワンピースに返り血で赤い花が咲き誇っている花屋の姿を。その両手には凝固し始めた血脂のせいでついにまったく開かなくなった鋏を携えており、小さな体躯が鬼のように見えた。

「最後はあなたですよう」

 死刑宣告。それはあまりにも優しい声色だった。

 がしゃがしゃと恐怖のあまりろくすっぽ鍵を開けることのできない手を止めて、万年塚は花屋と対峙した。その足はがくがくと震えており、話すこともおぼつかないほど、歯が音を立てていたが、それでもどうにか息を絞り出して、一つ、提案をした。

「な、なあ、か、金をやるよ。ほら、いくらほしいんだ。どうせ金なんだろう? いいぜ、いいぜ、払うよ。いくらだ。それで助けてくれよ」

 一歩、また一歩と花屋は万年塚に近づいていく。万年塚にとって、花屋の一歩は処刑台へ自分が一歩近づいていくようなものだった。

「ほら、いえよ、言えよ! いくらだよ! なんだよ、来るなよ、来るんじゃねえよおおお!!」

 無様に万年塚は尻もちをついた。背中で開かずの扉を作り出して、顔を覆うように腕を曲げて、体を隠すように膝を曲げて足を寄せた。

 静かに何も言わず寄ってきた花屋がついに万年塚に鋏を突き立てられる距離に入った。

 腕で隠した万年塚の口元が意地汚く歪んだ。さりげなく後ろに回していた右手でベルトの背中部分に隠していたG26に手をかける。鋏などという刃物が自分の体に穴をあけるよりも、この距離ならば確実に万年塚の拳銃が花屋の腹部、ないしは額に穴をぶち開けるだろう。これはチャンスだと、最後のチャンスだと、万年塚は本気で思っていた。なに、目の前の少女が死んだらまた親父に泣きつけばそれで済む。

「死ねよおおおおお!!」

 よだれをまき散らしながら万年塚はG26を構えた。あぐらのような姿勢になる。左手で体を支えた。銃口は花屋の中心に入っている。

 引き金を引いた。

 バンガンッ! と銃声が部屋中に響く。そして、

 万年塚の太ももに二つ穴が開いた。


「イギャアアアアアアア!!」万年塚がその場にうずくまる。

 鋏がひとつ、G26に突き刺さっていた。万年塚が引き金を引くよりも早く、花屋の左腕は動いていた。

「そんなことしたってだめですよう。あなたはここで死ぬ他にないんですから」

「お、親父に言えばてめえなんてなあ!!」

「言えばの話ですよね? 言えれば、の話ですよね? 死人に口なし、ですよう」

 最後まで、花屋は優しく笑っていた。

「やめてくれよ、なあ、やめて、もう、助けて」

「それはあちらで閻魔様にでも嘆願してください」

 膝をついて、左手で万年塚の頭を押さえる。花屋は右手を槍投げのように後ろに少し引いた。

 万年塚が何かを言おうと口を開く。

 ざくり。

 静寂が訪れた。逃げ出そうとしていた客も、女たちも、誰もなにも話さない。話せない。

 花屋が立ち上がる。ゆっくりと大勢のほうを向く。次は自分の番なのではないかと誰もが肩を震わせた。

 花屋が懐中時計で時刻を確認すると、時刻は一二時三〇分手前だった。意外とかかってしまったが、葬儀屋が戻ってくるにはまだ早い。

「しかたないし、ちょっと待ちます」

 近くの椅子にちょこんと座り、ふう、と一息ついた。まだかなあ、とぐるりと見渡す。彼女の一挙手一投足全てにその場に残されたものたちはびくびくしていた。

 気まずい。気まずいことこの上ない。

 あの、と声をかければ、ぎひぃ! と悲鳴を上げられて、殺さないでくれ、と懇願された。もう仕事は終わったんです、と言っても聞いちゃくれなかった。そりゃそうだ。

 どれくらい経っただろうか。ぱちぱちと懐中時計を何度も開いたが、時計の針は壊れたように遅々として進まず、途中で開くのをやめた。

 はあ、と花屋がため息をつく。

 そのとき、がたがたと音がして、突然、出入り口のドアが開いた。誰かが「開いたぞー!」と叫ぶ。その叫び声を皮切りに誰もが走って逃げていった。

「なんだかおにごっこの鬼の気分です……」

 花屋がぼそりと落ち込んだ。

「なら追いかけるか?」煙草を咥えながら葬儀屋がやってきた。

「言い出しっぺは葬儀屋さんでしょう。葬儀屋さんがドアを開けなければみんな逃げずに済んだんです」

「馬鹿言うな。あいつらは標的じゃねえんだから逃げて当然なんだよ」

「そうでした」

「そうですよ。んで」葬儀屋が部屋中を見渡す。うえっと吐きそうになりながら遺体の数を数えた。

「今回も完璧だな」

「こんなの付けましたけど、だれかに通報されないでしょうか」花屋はマスクをちょんちょんと触る。

「違法賭博場に入り浸っていた、という爆弾を抱えてるからなあ。自決覚悟で通報するようなやつがいれば、話は別だが」

 それに、と葬儀屋は付け加えた。

「ここの監視カメラはここで管理されているし、そのデータも回収した。せいぜいどこかの組合が抗争でも引き起こしたことになるだろう」

「そうですか。ていうか、来るの早すぎません?」

「こちとらどれだけ車を扱ってると思ってんだ。飛ばして裏道、細道通ってでどうにでもなるぜ」あー疲れた、と葬儀屋は首を回した。

「なるほど、さすが葬儀屋さんですね。ところで、其葉さんは」

「きっと今頃彼女の隣で目が覚めるのを待ってるんじゃねえか? お前の花束飾ってさ」

「私も、彼女さんが目を覚ますように願います。では、私はお花を生けてきます」

 はいよ。と葬儀屋は花屋を見届ける。花屋はペチュニアの花を彼らの心臓に重ねていった。花の置かれた遺体から葬儀屋は回収していく。

 全ての遺体を回収したところで、葬儀屋は花屋に着替えを渡した。

「こっち見ないでくださいね」

「誰が見るか」葬儀屋がもう一本煙草に火をつける。

「ちょっとは見てもいいですよ」花屋が唇を尖らせた。葬儀屋はむせた。

「薬屋に怒られるから嫌だね」

「なんで薬屋さんが出てくるんです?」

「あー、仲が良いからかな」

 へーと訝し気に言った花屋に、葬儀屋は話をそらそうと一つ質問をした。

「お前はなんで遺体に花を添えるんだ?」

「弔いです。私なりに」

「ペチュニアじゃなきゃいけないのか?」

「そんなことはないですけど、ペチュニアの花言葉が一番似合っている気がするんです」

 ――心の安らぎ。「死して尚傷つくことはなくていいだろうから、せめて死後には安らぎがあってほしいんです。私のやり方、ひどいですから」と花屋は言った。

 葬儀屋は重たい遺体袋を引きずりながら、花屋はせっかく着替えた服が汚れないように気を付けながら、裏口から外へ出た。

 フィアット500に詰め込みながら葬儀屋はこりゃ多すぎだと一人愚痴る。

 花屋はすっかり疲れたようで先に助手席に乗り込んでぐっすりと眠った。

 起こさないように気をつけて葬儀屋はトランクを静かに閉めた。

「困った嬢ちゃんだよ」キーを差し込んで回した。エンジンが躍動する。

「立派なおねえさんですよう」と花屋が急に喋ったので、ぎくりとして葬儀屋は花屋を見たが、ただの寝言のようだった。

 どんな夢を見ているのか、きっとファンシーな夢だろうと決めつけて、葬儀屋はアイリスへ向かった。

 時刻は一三時になろうとしていた。




 ――『花屋』――

 体力性★★★★☆

 筋力性★★★☆☆

 俊敏性★★★★☆

 知性 ★★★☆☆

 魅力性★★★★★

 本名『夢野ゆり』

 刺殺専門の殺し屋。標的の心臓を貫き仕留めることを美学とする。よく使うのは特注の刃の長い花鋏だが、基本的に刃物であればなんでも凶器に出来る。身長一六〇センチに満たないその小さな体躯で軽やかに動くさまはウサギのような愛らしさとフェレットのような獰猛さを兼ね備えている。彼女は標的を始末すると、必ずその遺体の刺し口に花が一輪生ける。それが彼女なりの手向けであった。肩まで伸びた栗色の髪先をふんわりとカールさせ、いつも三角巾で後ろにまとめている。くりっとした大きな瞳と小さなその口は笑うと緩み、その顔はまるで少女のよう。店のエプロンをつけており私服といえば店の制服であるが、殺し屋の仕事のときは白いワンピースを着ることにしている。とにかく花が大好きで、「死ぬなら花に囲まれて死にたい」というのが彼女の持論。



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