第6話「それは花屋の美学」(2)


 それからは早かった。手際よく、迷いなく、茎を切っていく。これはこうした方がいいとか、こっちのほうが見栄えがいいのでは、とかそんな風に見直すことも考え直すこともない。彼女の頭の中で、そして彼女の手元に、彼女だけが見える完成形に沿ってハサミを動かした。

 数分でその花々はれっきとした花束になった。プルメリアやペンモステンが色とりどりに額縁となって、小さなひまわりがその中央に咲き誇っていた。

 これでよし、と彼女は花束をするりとリボンで括ってそれを手に其葉のもとへやってきた。

 誰からともなく拍手が上がった。店中に喝采が響く。照れくさそうに彼女は頬を赤らめてど、どうぞと差し出した。

 ぱあっと目を輝かせた其葉はその花束を受け取ると、ぶあんと空を切るように頭を下げて「ありがとうございました!」と泣いた。ぼろぼろと男泣きをして、ぐしゃぐしゃの顔でもう一度「ありがとうございました」と頭を下げた。

 ぶんぶんと彼女は手を振って顔を上げるように頼んだ。それでも其葉は頭を下げて、また彼女が手を振って、の繰り返しになった。

 あらあらと周りの奥様方は優しく見守っている。と、一人がもうこんな時間、とそそくさと帰り支度を始めた。腕時計の針は一一時を指していた。またお義母さんに文句言われちゃうとぶつくさ言いながら帰って行ったのをきっかけにしたように、店にいたみんなが去って行った。

 そこに一人残った其葉がもう一度、ありがとうございました、と言った。その顔はもう泣いておらず、頬は濡れていたし、目はうるんでいたけれど、とてもいい顔をしていた。

「どういたしまして」と彼女は微笑む。「今度はぜひ、お二人でいらしてくださいね」と手を振った。

 其葉はその言葉に頷いて、アイリスを後にした。

 その直後、まるで皆がいなくなるのを待っていたように葬儀屋が現れた。

 二人は走って行った其葉の背中を見ていた。

「今日も相変わらずの盛況ぶりだな」火をつけず、煙草を咥えている。

「いらしてたんですか」

「ああ、いい花束だった」

「ありがとうございます」

 小さくなっていく其葉の背中を見送って、見えなくなった頃、葬儀屋が懐から写真を数枚取り出した。

「仕事だ」と葬儀屋は一言。彼女はこくり、と頷いた。

「こないだ靖国通りで事故があったのは知っているか?」

「はい、もしかして……」彼女は葬儀屋を見上げた。

「そう、あの青年の言っていた事故のことだ。その犯人が今回の標的だ」

「聞いていたんですか」

「聞こえちまったんだよ。ほれ」

 葬儀屋が取り出した数枚の顔写真を彼女に渡して、自分は煙草に火を着けた。一応、少し離れて、花に誤って灰が飛ばないように気をつけているらしい。

「標的の名前は万年塚金剛まんねんづかかねつよ。万年塚コーポレーションの長男で、金持ちらしく好き放題やってるらしい。で、その事件もそいつが引き起こしたんだが」

 ふう、と紫煙を吐き出した。

「親の金にもの言わせて物的証拠をすべてもみ消したんだ」

「車の損傷した部品だとか見つからなかったんですか?」

「見つかったらしい。けれどもなにしろ、車本体は裏のルートで海外に送っちまったみたいだしオーナーデータは消去されちまったしで結局証拠不十分な状態なんだ」

「それはひどいです……」

 その言葉が、誰に向けての言葉だったのか、葬儀屋は少し考えて、煙草をくゆらせた。

「これも、運命なんでしょうか」かもな、と葬儀屋は静かに言う。

「でもよかったですよう。捕まってしまっていたら、私たちは手出しができませんから」

 怖いくらいにあどけなく、彼女は笑った。笑顔が怖い、と葬儀屋が言うと、傷つきます、と彼女は頬を膨らませた。

「そんなわけだから”花屋”、店じまいしてくれ。現場までは俺が送ってく」

 車で待ってる、と手をあげて葬儀屋は去っていった。

 その背中にわかりました、と言って少し早いが花屋は店じまいを始めた。二〇分ほどすると完璧に片づけが終わって、エプロンと三角巾を脱いだ。代わりに白百合のような丈の長いワンピースを着て、上にカーディガンを羽織る。小さめの淡い桃色をしたポシェットを肩から下げて店を出た。

 すたすたと葬儀屋のもとへ向かう。黒のフィアット500で煙草をくゆらせながら葬儀屋は待っていた。

 今回の標的は六本木にいた。六本木のとある雑居ビル。近隣にはサラリーマンたちがあくせく働く企業ビルが立ち並んでいるその一角。四〇畳ほどの広さのあるその地下一階から一階までを吹き抜けのように拡張して、標的は違法賭博場をそこに作り上げていた。入り口は普通のビルのように簡素なものであったが、そのさらに地下にいくためにはセキュリティコードを入力しなければならないようになっていた。一応、といった具合に見張りも二人ついている。

 室内はというと、防音壁を張り巡らせたのをいいことに、自分の趣味であるクラブミュージックを大音量で流し、まだ昼すぎだというのにまるで深夜のようだった。

 じゃらじゃらとスロット機から溢れるメダルの音や、がこんがこんとビリヤードのボールがぶつかり合う音、しゃしゃしゃとカードがカットされる音、ダーツが的に突き刺さる音、そして、そこで賭け事を楽しむ連中の下卑た笑い声が雑音のように音楽に絡まる。

 万年塚はポーカーゲームで新規の顧客を上手いように勝たせていた。いつもの手段だ。それで味を占めさせて、そのうち万年塚が支払った分を高い利息をつけて回収する。そうしてあくどく金を儲けていた。

 何人かの女性を顎で使い、その席にいた男たちにつかせる。それで気を良くさせて羽振りも良くさせる。

 ちょろい人生だと万年塚は思っていた。

 もしここで問題が起きても、父親に言えばもみ消せる。なにも問題はない。問題なんて起こらない。こないだの事故だってそうだ。あの”ぶつかってきた”人間が生きているかどうかは知らないけれど、こちらの非になるような証拠は全てもみ消した。真相は闇の中だ。

 今までだってそうだった。何人か運悪く死んでしまったこともあったけれど、それは万年塚には関係ない、勝手に死んだだけだ。

 その万年塚のいるビルの前に、青年が一人、立っていた。

 ドアを開けようと取っ手に手をかけたところで、後ろに車が止まった。ばたんと誰かが降りてくる音がした。

「どうしてここにいるんですか?」

 今朝、聞いた声だった。

「お花屋さん、どうして……」

 今朝、聞いた声だった。今朝、楽しそうに思い人のことを話して、涙をこぼしながら思い人のことを想った、其葉の声だった。その手には花束はもう持っておらず、代わりに申し訳程度のペンナイフを隠し持っていた。

「どうして、どうしてあなたがここにいるんですか」

「それは私の台詞ですよう、其葉さん。どうしてあなたがここにいるんですか?」

「それは、その、えっと……」其葉の眼があちらこちらに泳ぐ。

「今ならまだ間に合いますよ。あなたはこちらに来てはいけません」

「でも、僕はここにいる男に用があるんです!」

「奇遇ですね、私も用があるんです、その男に」

 驚いて其葉は花屋を注視した。すると花屋はしっとりと優しく其葉の目を見た。

「どうやって、彼にたどり着いたのかはわかりませんが、あなたはまだ、表の世界で生きている。彼女のために裏の世界に来てはいけません。本当に好きなのなら、大切に想っているのなら、どうか、どうかお願いですから表の世界で彼女のことを想ってください。その隠し持ったペンナイフより、あなたが持つべきものは他にあると思いますよ」

 其葉は右手首を押さえた。そこに隠し持っていたそれに気付かれると思っていなかったのでびくりと肩を震わせた。さっき以上に目が泳いでいる。其葉に向かって花屋は優しく微笑むと後ろのフィアット500へ促した。

 けだるそうに葬儀屋は運転席のドアにもたれて煙草をふかしていた。

「病院まで送ってやるよ。確か日暮里だっけか。なに、金はとらねえ。ボランティアだ」

 葬儀屋がそう言って助手席のほうに回った。そこに肘をついて其葉を見る。

「でも、僕は、夏生ちゃんのことを、あいつを、あいつが、夏生ちゃんを、そうしないと夏生ちゃんが……」

 それは花屋が見た何度目かの其葉の涙だった。下を向いて悔しそうに歯を食いしばり、両手を爪が食い込むほど握りしめていた。

 ランチに向かうOLやサラリーマンたちは不思議そうに其葉を見ていた。向かい合っていたのが花屋で、その後ろにはつまらなそうにしている葬儀屋がいたものだから、別れ話でもされたのかと思ったのだろう。

 葬儀屋が腕時計を見る。時刻は一二時を回ったころだった。

「時間だ」葬儀屋がぼつりと言った。花屋は後ろを振り向いて頷いて、再び其葉を見やった。

「其葉さん。あなたが握るべきは此賀さんの手です。握って、もう離さないで」

 其葉が花屋を見る。花屋のその眼が涙をこらえて訴えていた。ぼろぼろととめどなく溢れる涙を袖で拭って、其葉は言葉なく頷いた。

 葬儀屋が助手席のドアを開けて、顎で乗るように勧める。

 其葉が花屋とすれ違うときに、よろしくお願いします、と呟いた。花屋はこくりと頷いて、今度は二人でお店にいらしてくださいね、と返した。はい、と小さく答えた其葉が車に乗り込むと、葬儀屋はばだんとドアを閉めて、花屋にカードを一枚差し出した。

「これは?」きょとんと花屋が尋ねる。

「このビルのマスターキーだ。見張りも一応対象だから、死体は一般人の眼に触れないようにだけしておいてくれればいい」

「ありがとうございます。気を付けますよう」

「ま、期待しないでおくけども。そんじゃ、また後で来るわ。あいつは俺に任せとけ」

「少しは期待してくださいよぅ。では、よろしくお願いします。またあとで」

 花屋が頬を膨らませてぺこりと頭を下げる。フィアット500の車内で片手をあげて、葬儀屋は病院に車を走らせた。

 花屋はフィアット500が見えなくなるまで見送ると、首にかけた懐中時計をかちりと開いた。

 一二時一○分。

 ポシェットから数枚の顔写真を取り出して確認する。一〇分もあれば事足りるだろうか。

 花屋は目の前に平然とある裏世界への扉をゆっくりと開けた。

 扉を開けると、無人の受付があった。受付だった机には何もなく、ただそこに机があるだけだった。そこから右に進むと、地下に進む階段があった。だがその会談の前には玄関の扉とは比べものにならないほど厳重な扉があった。前には三人、若い男がいた。一人は黒い髪をオールバックにして、右眉が剥げていて、以前何かでそこを切ったような傷があった。一人は金髪をぼさぼさに伸ばしており、あごに少しばかり髭を蓄えている。一人は屈強な体格をしていて、スキンヘッドの頭のせいで、ただでさえ厳つい顔に拍車がかかっていた。

 すたすたとその扉に向かって花屋は歩く。

 花屋に気づいたスキンヘッドがおい、と声をかけた。するとほかの二人も花屋に気づいたようで、歩み寄ってきた。

「嬢ちゃん、ここはお前みたいなガキが来るところじゃねえぞ。ほら、いったいった」

「それともあれか? こいつも万年塚さんの女か?」

「いや、趣味じゃねえだろ」

「確かに」

 げははと薄汚い笑い声だった。花屋はにべもなく、その三人に、

「あなたたちには顔を覚えられても問題ありませんので」

 微笑んだまま、ポシェットから取り出した二つの鋏でざくざくざくと心臓を刺して回った。あまりの手際の良さに男たちは自分が何をされたのか気づかなかったくらいだ。

 各々が胸に痛みを感じて、手を当ててみれば、生暖かい濡れた感触があり、そこからもうとめどなく血が流れ出ていた。手についた血を見て、自分は刺されたのだと認識した時には絶命していた。

「さくっと死んでもらいますよう」

 なぜ、自分が、と考える間もなかった。

 どさりと音を立てて倒れた遺体のその刺し口に一輪ずつ花を生ける。彼女なりの弔いだった。

 花屋がマスターキーを使ってがしゃりとその扉の鍵を開ける。階段を下りて行きながら、今さっき刺した三人へむかって、「私は二四歳のお姉さんですよう」とつぶやいた。

 ここから先は顔が見られるとよくない、と今度はポシェットから顔を隠すように桜の花弁が二ひら、模されたマスクを取り出して、顔につけた。仮面舞踏会のようだ。それとも、正義の味方だろうか。

 とつとつと階段を下りていくとまた扉があった。これもまた鍵がかかっていて、悪の根城は随分と厳重に守られているらしい。またマスターキーを差し込んで扉が開かれた。すると耳が痛くなるほどの雑音が花屋をなぶった。思わず嫌な顔をする。

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