第4話「それは薬屋の美学」(3)
かしこまりました、とその女性がそそそと水を持ってきた。ご注文は、と聞くのでまたあとで声をかけますと頭を下げた。
女性はそのまま店奥に入って行った。
薬屋は女性——その店の店主の奥さんが持ってきたもう一人分の水に持ってきた粉をさらっと入れて三回ほどグラスごと回した。それからテーブルに置くと、そのグラスの中には水があるだけだった。
店内を見回す。薬屋が腰を掛けた二人掛けのテーブル席は、他に同じようなものが三セットあり、あとはカウンターが一五席と、座敷が一〇人分ほど。座敷とカウンターの上にテレビがあり、それはいつ頃買い替えたのか薄型テレビではあった。座敷の方の電源は落とされていて、カウンター上のテレビからはワイドショーが流れている。有名芸能人、なぜ薬物に手を出してしまったのか、と特集を組んでいた。
なんで薬物に手を出したのか、その本人に聞くでもなく憶測が飛び交う不思議な番組だった。
カウンターから横に目をやると本棚があって、日光と油で色の変わった雑誌やコンビニで見る漫画が並べられていた。漫画はおそらく今から数年も前に買ったようなものばかりだった。どれもこれもたくさんの人に読まれたのか表紙も中身もよれよれだった。
ガラガラと背中のほうで引き戸が引かれる音がした。
目を閉じて待っていると、つたつたと足音がして、男が目の前の席に座った。
「君が佐伯か?」
「はい、僕が佐伯です」
目の前に座った男は成上と名乗った。写真と同じ顔をしている。見るからに好青年そうなその顔立ちだが、にっこりと笑うと奥歯のほうに銀歯が四本あった。この男が今回の標的であり、そして葬儀屋の恋敵であった。
「いやあ、外は暑いねえ。この店も暑いが、扇風機が風を送るだけまだましかな」
成上は目の前に置かれていた水を一息に飲み干した。
「うん、うまい。水って体が欲しているときに飲むとどうしてこんなにおいしいんだろうね。君も飲むといい」
「発汗した分を補いたくて体に染み渡るのでしょう。だからこんなに、美味しい」
薬屋は一口水を飲んでにこりと微笑んだ。
うんうんと成上は頷いて、さて、と話を始めた。
「君はまだ若いから、と言っても俺の方が少し年上なだけなんだけれども、ことこういうことに明るいのか分からないから俺が話を進めるよ。君が佐伯ということなら、例の薬を持ってきているだろうね。俺はそれに見合った金額を君に渡すことになっている。そのために、俺は君が持ってきた薬の味見をして、それがどれほどのランクのものなのか――一応言っておくと、薬にもランクがあるんだ。肉のようにね。上物なら開いた口がそのままふさがらないほどの値段になる。だから一応、ほら」成上は懐から六法全書ほどの厚さの封筒を取り出した。
「これくらいは持ってきている。まあ、全額出すことになるのかわからないけれど、全額で一千万ある。中身も確認しようか?」
成上が封筒から札束の頭を出して、ぺらぺらとパラパラ漫画のように動かした。福沢諭吉の顔が延々と続く。それにしてもずいぶんと大盤振る舞いだな、と薬屋は心の中で思う。よほど成上のいう薬というものは高価で、さらに使用後の儲けも弾むのだろう。
「さて、それでは君の番だ。その薬を出してもらえるかな」
薬屋は言われた通り、薬を差し出した。漫画の単行本ほどの大きさの封筒にいくつかの袋に分けられて数えきれないほど大量に錠剤が入っていた。
「これがエクスタシーです」
うんうんと成上は再び頭を縦に振った。
「どれ、味見してみよう」
成上は一袋開けると、その錠剤を飲み込んだ。一つ飲みこんで頷き、それからもうひとつ口に放って、がりがりと噛み砕いた。
頬を紅潮させて、悦に入った。エクスタシーの効能だ。
「ああ、いい。これはすごくいいものだ。君も飲むかい? ああでもそれじゃあ値段が変わっちゃうからダメか。ははは、すまないね。一千万出すよ。これはそれだけ出しても問題ない、むしろもっと出してもいいのだろうけれど、これ以上出すとうちも立ち行かなくなるからね」
「こちらとしては支払ってもらえればいいので」
薬屋はまた微笑んだ。その微笑みに気を良くした成上はもう一袋、封筒を差し出した。隣にある封筒の半分ほどの厚さがあった。
「もう五〇〇万だ。これでこれは俺が買おう。きっとみんなも満足してくれるだろう。それじゃあ、俺はこれで」
成上は薬屋に渡された封筒をその札束の代わりに懐に入れて立ち上がった。ちょっと待ってくださいと薬屋が声をかけた。
「せっかくですし、食べていきませんか?」
「ああ、そうしたいのはやまやまなんだけれども、待ってくれている子たちがいるから、俺はその子たちのところへ行かなくちゃいけないんだ」
「そうですか、それは残念です」
「ははは、すまないね。また機会があったらその時はぜひ。今度もまた、これを頼むよ」
「ええ、また”機会”があれば」
薬屋の笑みをどう受け取ったのか定かではないが、成上は高揚して鼻歌を歌いながら店を出て行った。彼に残された時間はもう五分もないだろう。
「最期の晩餐はエクスタシーか。彼らしい、と言えば彼らしいんでしょうか」
一人そう呟いて薬屋は奥さんを呼んだ。それから中華そばを一つ頼む。
待っている間に葬儀屋へ電話を掛けた。
「もしもし、葬儀屋さんですか。僕です。仕事を終えたので、回収をよろしくお願いします」
あいよーと言う声と一緒に電話口からガラガラと引き戸を引く音が聞こえた。
後ろを振り向くとそこには葬儀屋がいた。
「暇なんですか」
「暇なんだよ。あ、おばちゃーん、俺もこいつと同じのよろしくー」
葬儀屋はそのまま薬屋の向いに座った。
「遺体は回収した。つってもまだ遺体じゃねえんだが。どうせあと数分でおっちぬんだろ? いつもいつも手際が良くて助かるぜ。にしても男のイっちまった顔なんて見たかねえんだけどな」うげっと舌を出した。
「しかたないでしょう。まさかあの人があっちの薬まで飲むとは思わなかったんですよ」
「ま、らしいっちゃらしい最期だろ。トランスしながら死ねたんだ。苦しさまで快楽になってな」
葬儀屋がつつつとテーブル端の灰皿を手前に引っ張って、煙草に火をつけた。
「葬儀屋さん、気付いていたんでしょう。園実さんもそうだって」
「ああ、寝た時にな。なーんかおかしいなあと思って鞄調べたらエクスタシーが出てきたってわけだ」
「そんなに、すごかったんですか」
薬屋がぼそぼそと聞く。にやにやと葬儀屋は煙を吐いた。
「なんだー? 気になるのかー? 薬屋もまだまだ男の子だねえ」
「違っ、違いますよ! 僕は単純になんで気付けるのかな、って」
「そりゃお前、少し肌に触れただけでがくがく昇天されたら誰だって疑うわ」
「そうなんですか」
「そうなんですよ。ま、お前も花屋と上手くいけばそういうときが来るだろうさ」
「なっ!」薬屋が茹蛸のように赤面した。
お待たせしましたーと、店奥から中華そばが二杯運ばれてきた。
赤面した自分を誤魔化すように薬屋は熱々の湯気が香り立つ麺を思い切り口に放り込んだ。むせた。口の中を火傷した。
葬儀屋はその姿をみて、青春だねえとにやついた。葬儀屋も火傷した。
――『薬屋』――
体力性★★☆☆☆
筋力性★★☆☆☆
俊敏性★★★☆☆
知性 ★★★★★
魅力性★★★★☆
本名『
毒殺専門の殺し屋。標的を薬に関する豊富な知識で毒殺することを美学とする。薬とその分量を使い分けることで任意の時間で仕留めることが可能。薬は毒であり、毒は薬であると豪語する彼は屋号会にとっては医者代わりの存在でもある。世界各国の薬学に長けており、相手の体にどの薬があうのかを選定したうえで仕留めるので薬さえ相手の体に含めることができればもう彼の一人勝ちは決定する。ひょろりと伸びた一八〇センチ近くある身長に反比例するように筋肉質ではなく、ほっそりとしていて、彼のその端麗で儚げな容姿は在学する大学のみならず、近隣の大学でも話題にのぼるほどで、庇護欲をかられるその容姿に心惹かれるものは少なくない。その容姿に反することなく体力や筋力は他の屋号会には劣る。
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