第47話宵闇の美学(9)
闇夜に紛れて何が起きたかと思えば爆発だった。たまたま阿佐ヶ谷のライブスタジオにいた楽器屋にもその音は聞こえた。ライブの準備をしていた面々も騒がしくなった。地下階段を登って地上に出てみれば、西のほうの空が赤く光っていた。ライブに足を運んでいた客たちも入り混じってなんだなんだと口々に騒ぎ立てる。
スタッフがライブを予定通り開催するか否かを話し合っている最中、楽器屋は人知れず赤く光る空のほうへ走り出していた。路地裏を走り抜け、その方角へ走るにつれて光は鋭さを増していく。この方角、もしかすると、と心がざわついた。確かあの方角には肉屋の喫茶店があったはずだ。まさかとは思うが、そのまさかではないように願いながらとにかく走った。携帯電話を持ってくることを忘れてしまって連絡のしようがない。とにかく走って路地を抜け、大通りを横断し、ショートカットしてさらに路地裏へ入る。その時だった。
「おいおい、ライブはいいのかあ?」
ひゅん、と風切り音がして路地裏の出口に影が一つ降り立った。踏み出した足を踏ん張って楽器屋が急ブレーキをかけた。
「そんなに急いでどこに行くつもりだあ? ”楽器屋”さんよお」
首をふねふねと左右に振りながらパーカーのフードを深くかぶった細身で身長の低い青年が尋ねてきた。
楽器屋、と呼ばれたことに身構える。
「なんだよてめえ。そこ、邪魔なんだけど」
「邪魔かあ。ならいい。俺は邪魔をしに来てんだあ」
間の抜けた高いしゃべり口で青年は笑った。
「ところで楽器屋ってことは楽器を売ってるのかなあ? 俺、最近楽器を始めようと思うんだが、みてくれを見てくれたらわかるとおり
「ああ? てめえの好きなものをやりゃいいだろ。こっちは急いでるんだ。そこどけ」
「だからあ、そうはいかねえんだってえ。カッシェの爺のことだあ。どうせ長話してるんだあ。なあ、年寄の長話を止める方法を知らねえかあ? やっぱ殺すしかねえのかなあ」
ずいぶんと物騒なやつだ。極論すぎる、と楽器屋は眉をひそめた。
「でもよお。カッシェの爺はそんなこと言ったって強いからなあ。俺には多分無理なんだよなあ。はあーあ」
青年が深くため息をついて肩を落とした。こいつは何をしたいのだ。
「どかねえなら、力づくでどかすぞ」
苛立ちながら楽器屋がブーツに手をかける。鉄のバトン二本を取り出そうと構えた。それを見て青年が「おっ」と嬉々とした声を出した。
「だったら俺も力づくで邪魔するだけだあ。かは、でも確か屋号会って無駄な殺生はしないんだろお?」
「ああ、半殺しにしといてやるよ」
「かは、ほんとかよお。俺だったらそんな手加減できる気がしねえけどなあ。せっかくだしお手並み拝見させてもらおうかなあ」
まいったねえと青年は軽く屈伸をして、だらしなく伸びた袖口から身長に合わないほど異様に長い腕を出した。そして思い出したようにぽんと手をたたいた。
「一応名乗っておくかあ。俺は百鬼夜行組合
名乗って一太刀は屈み、跳ねた。空中で体をひねってその腕をしならせた。鞭がしなって叩きつけられるように関節を無視した攻撃が楽器屋の顔面めがけてやってくる。ブーツから取り出した二本の鉄バトンで返して距離を取った。
「やるなあ。反射神経良すぎい。目もいいのかあ?」
「うるせえ、ぶっ殺すぞ」
「やれるもんならやれよお。やらねえと肉屋だっけえ? あの人死ぬよお?」
飄々と一太刀が言って、かは、と笑った。
楽器屋の顔が険しくなった。
「カッシェの爺のことだあ、どうせ長話したあとはめんどくさくなって爆発させるんだあ。さっきの爆発はきっとそれだろお? だとすっと俺としてはあ、ここでお前を足止めして万が一に備えるのが役目だと思うんだよなあ。きっと肉屋とかいうのは救急車——だっけ? それには乗れねえだろう? となってくると助けに行くのはお前とかあ、ほかの屋号会の面々だあ。でえ、お前が一番近いからお前さえ潰しときゃあどうにかなるって寸法だあ」
「てめえも話が長えんだよっ!」
楽器屋がたまらず跳躍し、振りかぶって鉄バトンで頭蓋を狙う。一太刀が後ろへ跳んで躱す。
「これも作戦だあ。もう少しおしゃべりしようぜえ?」
「——ぶっ殺す」
「だからあ、やれるもんならやれよお。かは」
一太刀が手を広げて首を傾げた。
楽器屋が鉄バトンを居合抜きをするがごとく腰元へもっていく。だつ、と飛んで傾げた首めがけて振りぬいた。あっさりと一太刀が後ろへのけぞって足を前に出し、そのまま楽器屋の踏み込んだ足にひっかけようとした。瞬時に跳躍し、楽器屋も躱す。楽器屋が跳ねた勢いをつけて上から鉄バトンを叩きつけたが一太刀は身をかえして、すっと右手を突き出した。
たらりと楽器屋の右頬に血が垂れた。
「はい、俺の勝ちい」
かははと笑って一太刀が距離を取る。
「どうするう? 次はあ?」
楽しそうな一太刀と対照的に楽器屋は眉間にしわを寄せる。
(今のは何で斬られた? 腕? 違う——爪か?)
「なんだなんだあ? 不思議そうな顔してんなあ。わざと外したんだぜえ?」
「避けたんだよ、俺が」
「避けるっつうのはあ、傷がつかないことを言うんだぜえ。それは避けれてねえよお?」
神経を逆なでるように一太刀は整然と言い切った。むしろ一太刀のほうが不思議そうな顔をしている。
「ほんとに俺のこと殺せるのお? 大丈夫う?」
ぶち、と楽器屋のこめかみから音がした。
「腹立つなあ……」
「腹立つかあ? 自分の弱さにい?」
「てめえのその態度にだよ……!」
がりと楽器屋が歯を食いしばる。
「容赦しねえからな。九割殺しにしてやる」
「だからあ、やれるもんならやってみてくれよお」
それが引き金だった。楽器屋が先ほどとは打って変わって倍ほどの速度で一太刀に近づいていく。横にらせんを描くようにひねった上体をどつと一太刀の腹部へ体を沈み込ませながら振り出していく。その時。
「っと、ちょっと待ってくれえ」
路地裏に騒々しいギターリフが鳴り響いた。一太刀が両手を出して楽器屋の体を止めた。この曲は——
「俺の……?」
「ああ、もしもしカッシェ? もう終わったあ? へっ? 撤収しちゃっていいのお? なんでえ? 気が変わったのかあ、わかったあ、俺も変えるかあ。じゃあ、またなあ」
ひと昔まえの折り畳み式の携帯電話をたたむと、一太刀は申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ほんとごめんなあ。カッシェの爺が気が変わったらしいから俺も変えるわあ。ほいどうぞお、助けに行っていいよお。てか、ファンなのバレちゃったあ? かはは」
そっと路地裏のビル屋上まで跳躍し、一太刀が気恥ずかしそうにフードの上から頭を掻いた。
「俺、お前の担当になったからあ、いつまで曲が聴けるか楽しみだあ。じゃあ、またなあ」
一太刀の姿が消えた。しばし呆然としたのち、楽器屋は頭を振って路地裏を抜けた。そのころにはサイレンがあたりに鳴り響き、目的の喫茶店につけば消火活動の最中だった。
愕然とした。喫茶店『ハナノユメ』は跡形もなかった。警察もすでに到着しており、近隣の住民に聴取をしているようだった。消火活動に勤しむ消防隊の中から一人、消防車の近くにいる男に近づいた。
「すんません」
「立ち入り禁止だ! 早く離れて!」
「あ、えっと、近所に彼女が住んでいるんですけど、怪我人とかいませんか?」
「負傷者も死傷者も見つかっていないから安心していい。早く離れなさい」
「すみません、ありがとうございます」
ということは、どうにか肉屋はここから逃げおおせることができたということだろう。そう考えた楽器屋はその場を立ち去って、虱潰しに走り回った。その最中で、携帯電話を取り出そうとしたが、ライブハウスに置いてきてしまった。らちが明かないと楽器屋は最寄りの知り合いの家に行くことにした。あいつならば助けてくれるはずだ。
駅前のライブハウスの近くまで戻って、その東にある住宅地に足を踏み入れた。——見つけた。表札には鎌ヶ谷の文字がある。インターホンを鳴らす。心は急いていた。呼吸は浅い。心臓も跳ねて仕方ない。
がちゃり、とドアが開いた。鎌ヶ谷が顔を出した。驚いた顔で楽器屋を見る。
「どうした?」
「電話貸してくれねえか」
「電話? 急用か? ライブは?」
「頼む! 急いでんだ! 頼む!」
泣きそうになりながら楽器屋が鎌ヶ谷に頼み込む。深刻そうな顔をしている親友を見て、断るわけもない。鎌ヶ谷はうなずいて、中へ招き入れた。
携帯電話を借りて、楽器屋はノルニルへ電話をかけた。気を利かせて鎌ヶ谷が少し離れた。
コール音。コール音。コール音。コール音。
早く出ろ、と眉間にしわが寄る。
コール音。
頼む、と心の中で叫ぶ。
コール音。その途中でがちゃりと音がした。
『はい、こちらバー・ノルニル。ご予約でしょうか?」
「肉屋さんが危険だ、阿佐ヶ谷で」
『……あんた誰』
「楽器屋だよ! 早く来てくれ!」
『ほかには私が伝えるわ。ありがとう』
「またあとで」
一度深呼吸をして、楽器屋は鎌ヶ谷に携帯を返した。
「なあ玄人」
「……なんだ?」
「何かあったら相談してくれ。力になる」
「ありがとう。電話、ありがとう、助かった。じゃあまた」
楽器屋が家を出ていった。残された鎌ヶ谷はその背中を見ていた。親友は何かを背負っている。ギターとバンドだけでなく、何かを背負っている。薄々、何か得体のしれないものを背負っていると感じていたが、自分に何かできることはあるのだろうか、と考える。
楽器屋に連絡を受けた舟屋が早速葬儀屋に連絡を入れた。
「もしもし私よ、舟屋。肉屋が阿佐ヶ谷で襲われた。至急向かって」
『わかった。的屋たちと向かう』
「よろしくね」
バー・ノルニルで一人、舟屋はカウンターに手をついてうつむく。
肉屋の身を案じて不安になる。しかしここにいても何も始まらない。急いで”OPEN”の看板を裏返して鍵を閉めた。
「生きていて、お願い……」
誰にともなく、そうつぶやいた。
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