第46話宵闇の美学(8)
「無論、金輪際君の可愛い妹に手を下すなんてことはないから安心していい。それは私の"流儀"に反するのでね。君たちで言うところの美学だ。それは自分を戒める枷であり、相手を敬う礼儀でもある。我々にもあるのだよ、そういう美徳が」
肩に担いだハンマーは猛る炎でちりちりと音を立てていた。
「その割にはあなた方のボスは随分と悪趣味でしたけどね」
肉屋がまた苦笑いをして、レジ裏にある火炎放射器に手をかける。
「あれは仕方がないのだ。なにぶん人であって人であらず、妖であって妖でない。育ちも悪い。仕方がない」首を振り男は言った。
「……本当に敬ってます?」
「無論だ。我々のボスは彼だけだ。それに彼の実力は折り紙つきだ。下手をすれば我々の首だって危うい。一薙ぎに——文字通り——飛ばされてしまうだろうな。純粋な狂気と興味だけで生きている馬鹿であるが、その彼の持つ
「随分な自信ですね。まるでこういうことに慣れているようなセリフだ」
「無論だ。今までもこんなことは数え切れないほどにあった。よく戦って来た。面倒なのは多かったが、所詮人間は人間で、体の限界は我々よりもはるかに早くくる」
「自分が化け物だとでも言いたいんですか?」
「化け物という言い方は無粋だな。私は嫌いだ」
「それはすみません。じゃあモンスター、とか」
「それの和訳は怪物だろう。そうだな、言うなれば我々はクリーチャー。架空の存在だ。我々は人にあらず人にならない生き物だ。別段大したものではないが、構造が君たちとまるで違う。思想も違う。遥かに長い年月を生き——と、あまり長く話してしまってはボスの機嫌を損ねてしまうな。何分短気なものでね。いつもいつも顔を合わせては短気は損気だと言って聞かせているのだが、耳を貸す様子もない。老人の口うるさいやっかみだと跳ね返されてしまう。その点、君は私の話を聞いてくれるから実に楽しい時間だった。しかし、いつの世も死は付き物だ。死というものは自然だ。この世に生を得たその時から死に向かって進んでいるのだからな。さあ、長々と話しすぎた。最後にこのコーヒーをいただいたら殺しあおうか——いや、一方的にやられてくれるのだったか」
「もとよりそんなつもりはありませんが、どうやら退いてくれる気もなさそうなので、お相手しますよ。ここで俺が死ねば、妹に何をされるかわかりませんからね」
「おや、ようやく動いてくれる気になったか。退屈せずにすむ」
カッシェがコーヒーをぐいと飲み干す。コーヒーカップを皿に置いたかちゃりという陶器の触れ合う音が切っ掛けだった。カッシェが火炎車を先端につけたハンマーをレジにいる肉屋めがけて振り下ろした。まるで刃物で斬りぬいたようにレジは机ごと真っ二つに割れている。割れた切れ目はちりちりと焼け焦げている。
そこから跳躍して斬撃を躱した肉屋がカッシェの側面から炎をまき散らす。まさしく重火器——機関銃ばりのデザインであるが、ぐるぐると銃口は回って、炎はとぐろを巻いてカッシェに絡みつくように伸びていく。
「最悪だよ、せっかくいろいろ買いそろえたのに。火災保険適用にならなかったら、覚悟してくださいよ。全額請求しますからね」
火炎放射器から放出される熱を防ぐためにつけたマスクで、肉屋の声はくぐもっている。なにより火炎放射の音があまりにも強力でカッシェは聞こえないふりをした。頭上でくるりとハンマーを一回りさせて、背に構えなおす。
「それは申し訳ないが、持ち合わせがなくてね。しかし気にすることはない。君はここで死ぬ。つまり、そんな心配をする必要がないのだ」
「どこまで自信家なんだ」
「どこまでも自信家だ。私は長生きだからね」
にやりと笑ってカッシェがハンマーをくるくると回転させた。回るにつれて火炎車も回り始めて火の勢いが増していく。
「しかし、それにしても長話をしすぎた。すまないが、時間だ。
火炎車をそのまま地に叩きつけた。刹那。
轟炎が波のように不死鳥が羽を広げたようにあたりに伸びていった。肉屋は反応する間もなく炎の波に飲み込まれていく。せめてできたことは目を見開くことだけだった。
爆炎に巻き込まれ、喫茶店『ハナノユメ』は文字通り爆発した。轟轟と火は燃え盛る。秋も暮れ——乾燥した大気はばちばちと火花を咲かせながら溢れ出る炎に勢いをつけさせた。
煌々とした炎の中から紳士的なスーツ姿を全く崩さず、カッシェが出てきた。ネクタイを整えて、ハンチング帽をしっかりとかぶりなおす。
「首を持ってこいと言われていたか……しかしそれは私の”流儀”に反する」
カッシェが足元を見ると、割れたコーヒーカップが目に入った。先にコーヒーが入っていたあれだ。
「ふむ、記念に持っていこう。実にいい品だ。割れてしまったが、君が死んだ証として貰い受けよう」
静かにそれを持ち上げて、月に掲げた。
遥か向こうで消防車のサイレンがする。近所のだれかが連絡したらしい。
燃える喫茶店の大黒柱が炭化して自重に耐え切れなくなって折れた。
雪崩のように崩れていく。すべては炭になっていく。
星空と月夜、それに負けじと辺りを焦がした。
焦がれた炎の中で、どさりとひとつ音がした。
かすかに聞こえたその音に、カッシェは眉をひそめた。
「まさかとは思うが、生きているとでもいうのかね」
そう言って振り返り、カッシェは頭を抱えて笑い出した。
炭になっていく瓦礫の中からまるでゾンビのように肉屋が這い出てきたのだ。
「よもや君もこちら側——ではないようだな。しかし見事だ、素晴らしい。驚きだな。まさか爆発させたというのに生きているとは。”屋号会”——ふふふ、ははははは、面白い。面白いな。気が変わったよ。その首は今度に取っておこう。では、また」
どこか嬉しそうにカッシェはハンチング帽をとって肉屋にお辞儀をした。
「といっても私は私でボスに叱られてしまうのだがなあ。まあそれでも十分、釣りがくるようないい出会いだった。ふふふ」
それからくるりと踵を返すと、ふわりと闇に飲まれていく。
「ま……て……ど——こに——」
ふらふらと立ち上がって肉屋がその姿を追うが、伸ばした右手は空をつかんだ。膝をついて、身を焦がすような炎をまといながら這う。
逃げなければ——まずはここから離れなければ。
この場に駆け付けるであろう救急隊員たちが火炎放射器を見れば確実に面倒なことになる。このままではそれは明白だ。
肉屋は精一杯の気を振り絞り、立ち上がった。
轟炎に巻き込まれながら、その中に黒い影が見える——まるで亡霊のようであったが、とにかくここから離れることだけを考える。瓦礫に埋もれた火炎放射器を取り出して、それを抱えて走り出した。
防炎加工のなされた特殊な制服であったが、それにしてもカッシェの爆発力は馬鹿げていた。肉屋自身が扱う火炎の威力とは桁が違っていた。
「冗談じゃない……」
むせながら、痛む体を引き這うようにとにかく走り出した。
自分は情けをかけられたようだった。手を抜かれただろうし、最後の最後で見逃された。心のどこかにくやしさと虚しさが募る。
何にせよ、まずは屋号会の面々に会わなければ。合流をしなければ——早く百鬼夜行組合が——万事屋が動き出したことを伝えなければ。
夜道、近づいてくるサイレンから逃げるように肉屋はひた走る。
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