第44話「宵闇の美学」(6)

 その昔、まだ大学生だったころ。坂口がふと、言ったことがあった。


「お前は天狗だ」——と。


 その言葉の真意を知るに足らず、今まで至った。その当時は何を急に文句を言ってきたかと憤慨した。いつものことだが、坂口は言葉が足りない。いつも足りない。何かと足りないのだ。主語と述語がありゃいいってもんじゃない。

 当時の私は、今祖父に返した通り、「はあ?」と片眉をあげて、眉間にしわをよせ、なんなんだ、と続けた。

 突然、唐突にそんなことを言われたって、訳が分からない。

 坂口はもう一度、「お前は天狗だ」とだけ言った。


「俺が最近調子に乗ってるって言いたいのか?」

「そういうことではない」

「じゃあなんだよ」喧嘩腰の私に整然と「わからないならいい」と言って部屋を先に出て行った。

 今ならわかる。少なくとも、その当時の私が調子に乗っていたという意味で言ったわけではない。


「お前は天狗の孫だ」祖父はそういった。

「つまりおれが天狗だ」祖父はそういって、茶を飲んだ。

「わけわかんねえこというためにここまで来たのか」

「そうではない。わけはわからないだろうが、事実だ」

「意味が分からない」

「意味が分からなくとも、お前には天狗の血が流れている。今まで何事もなく過ごしてこれたのはおれがお前を鍛えたからだ。そして何より——大和がお前を守っていたからだ。そのために大和を鍛えた」


 祖父が窓から向こうに見える山を見た。


「あいつは——大和はお前のために戦っていた。あいつに一本、おれが持たせたものがあった。それは破魔の刀はまのとうと呼ばれる代物で、おれが作った。お前の中に眠る血を眠らせるためにな。お前の中の血が暴れだしたらそれでお前を斬れと言って。斬れば血は眠る。眠ればお前はただの人だ」

「そうはいうが、俺に自覚がない。暴れた記憶はない」

「当たり前だ。血が暴れればお前は眠る。そのたび、お前の知らぬところで周りの連中がお前を止めに走っていたのだ」

「そうなのか……?」


 隣の的屋に尋ねた。的屋はそっぽをむいて、「さあねえ」といった。それはそうだと言っているようなものじゃないか。


「最近だといつだ」

「知らねえ。そんなの初耳だ」

「教えてくれ。いつだ」

「知らねえって」


 的屋が懐から煙草を取り出して、口にくわえて、火をつけずにまた箱に戻した。

 まさか。あのとき、万事屋と対峙したとき。あの時の怪我は私が……?


「すまなかった」

「なんで謝る? わけがわかんねえぞ」

「あの怪我は俺が原因だろう」

「バカ言うな。お前なんかに俺が傷負わされるか? んなわけねえだろ」


 だが、というと、的屋が「煙草吸ってくらァ」と言って、出て行ってしまった。


「総司」祖父が呼んだ。

「なんだよ」

「お前は手を引け」

「……話が飲み込めない」

「これを見ろ」


 祖父がそう言って懐から手紙を出した。


「”挑戦状”?」

「ああ、万事屋とお前たちが呼んでいるものからだ」

「なぜ爺さんに?」

「もともとは、あいつらもおれの傘下だったからだ」


 どういうことだ?


「その昔、おれが葬儀屋をやっていたころは人の手は借りていなかった。おれたちが、妖がやっていたんだよ。人を裁くのは人にあらず。私刑というのは人には荷が重すぎる。けれども、私刑を望むものも多い。それほど苦しく、悲しいことが多すぎた。おれはそれを減らしたくてそんなことをしていたんだが、時は流れた。もう昔とは違う。その当時の傘下にいた連中で、血気盛んなのがいた。そいつらは人と共存を望まなかった。殺し屋として生きることに嫌気が差したんだろうなあ。嫌気が差して、それでおれの元を離れるだけならよかったが……妖というのは妙でな。この世で生きづらいのだ。必ずしも人が認めてくれるわけじゃあない。それは人も一緒だろうが、より奇異の目にさらされる。そりゃそうだ、人ではないのだからな。しかしそれでも、おれは人と生きていたかった。生きていたかったがやつらはそれを良しとしなかった。生きづらいなら世界を変えればいいと言って、人を殺し始めた。それはおれたちの矜持に反する。だから斬った。しかし、妖は妖で生きている。妖もまた、人と等しく生きている。これはおれの過ちだ」


 挑戦状とふざけて書かれたその手紙には万事屋から屋号会を殲滅すると書いてあった。


「それを書いた万事屋はおれの斬った妖の子孫だろう。どの代かわからんが、なんにせよ、一筋縄ではいかん。おれは、この決着をつけねばならん。総司、依を頼む」

「何を言ってる」

「お前がこれ以上手を汚す必要はない。元はといえばおれの仕事だ。確かにおまえが葬儀屋を継いでくれたとき、嬉しく思った。だが、人を殺すことを喜ぶのはおかしな話だ。お前は人として生きろ。いや、お前だけじゃない、ほかの者たちも人として生きろ。同じ人同士で殺しあうな。もういいんだ。あとはおれがやる」

「そうはいかない」

「なぜだ」

「坂口が殺されたんだ。俺は決めたんだ。何があろうと万事屋あいつだけは俺が殺す。それだけじゃない。私刑なんて戯言を誰かがやらなきゃ泣くものが現れる。法は絶対じゃない。法治国家だとしても、その法に守られる、その法をかいくぐるやつらがいる。それは法では裁けない。なら、それを裁くものが要る。それが俺たちだ。屋号会は、汚い世界で汚れをふき取るスポンジだ。でもそれでいい。それで、誰かがきれいになるならそれでいい。坂口だってそれを望んでいた。今だってきっと」


 それに。


「屋号会は、みんなは、爺さんが思っているほど柔じゃない。皆が殺し屋としての超精鋭スペシャリストだ。俺たちが持つ美学のもとに生きている。だから問題ない」

「問題ない、か」祖父が微笑んだ。

「大和もよく言っていたな。何かあれば問題ない、と。総司」

「なんだ」

「なら聞け。天狗の血を操れ。妖とて無敵ではない。戦えば、勝つことだって可能だろう。だが、今のお前では万事屋は殺せん。あれは、もしあれの子孫なら、無理だ」

「わかってる。無理は承知だ」

「なら、血を操れ。どうにか、操れるようになれ。そうするほかない」

「どうすればいい」

「それは——」祖父が目を閉じた。

「わからん」断言した。

「はあ?」

「わからんのだ。そもそもおれは天狗だ。生粋の天狗だ。純度百パーセントの妖だ。だがお前は違う。お前の父は天狗だが、お前の母は人間だ。半分人で半分妖のどうこうなんておれにはわからん」さらに断言した。

「そこまで言っといてそれはないだろ!」

「そんなこと言われたってな! 孫のお前には普通に生きてほしかったのにいろいろと規格外なんじゃい! 葬儀屋継ぐだけじゃなくて挙句の果てには血が暴走するってなんなんだ!」知らねえよ!

「とにかく、お前がそれだけの覚悟を持っているなら自分にどうにかせい。もう老いぼれの俺は、依を守るだけで精一杯だ。それにお前も大人になったんだ。大切なものたちは自分で守れ。大和がそうしてきたように。さて、おれは帰る。その前にスカイツリーに行かなきゃな」


 祖父はそういうと携帯を取り出した。いつのまに買ったんだ。


「もしもし、依。そろそろいいか? なに? まだ? ううん、でもほら、スカイツリーに行かないか? 銀座? 薫子ちゃんとご飯食べてる? ああ、そうなの。ああ、はあはあ、なるほどな。うん、そうかあ。ええ、じゃあどうするかなあ。え? ああ総司? 忙しいんだとさ。会おうと思ったんだが、忙しくて顔も出せないって。しかたないな。え? 明日? 総司のところに? いやそれはかわいそうだろ。あいつも仕事頑張っているんだから迷惑もかけられんだろう」

「どういうこと?」祖父が携帯を押さえて、こちらをにらんだ。

「ちょっと黙ってろ!」小声で怒鳴られた。

「ええ? ううん、源十郎がな、お前に会いたかったそうだ。ほら、嫁の恵さんのこと紹介したかったって。せがれも会わせたかったとさ。まあでもな、また来たらいいさ。な? とりあえずそっちに向かうから。銀座な? あいあい、あーい」


 というわけだ、と言われた。どういうわけだ。


「この挑戦状のことは依は知らんのだ。相変わらず依は心配性だからな。この場にいたらあんな話もできなかったし、依はお前が警察官になったことしか知らん。葬儀屋を継いでいることは黙ってろ、いいな」

「それはわかったけど、俺も一目くらいは会いたい」

「あとが長いんだ」

「引っ越したいんだろ、こっちに」

「それはそれだ。依がこっちに来てみろ。お前今まで通りの生活ができなくなるぞ」


 ぞっとした。確かに、今までのような自由な生活はできなくなるだろう。監視の目がある、とでも言ったほうがいいような、それほどの心配性である依さんが私の今の生活を見たら、確実に監禁に近いような生活を送ることになるに違いない。


「愛ゆえに、なんだろうが、考え物だな。さて、源十郎、恵さん、お邪魔したな」


 祖父が席を立った。


「いえ、こちらこそ、大したもてなしもできませんで」布屋が頭を下げた。

「なに、おいしい茶においしい和菓子、十分十分、ごちそうさまでした。立派な子を産んでくだされ」


 布屋が礼を言った。


「源十郎、達者でやれよ。また何かあったら来る。それまでは総司を頼む」

「はい」鍛冶屋さんがしっかりうなずいた。

「総司」

「なんだ」

「覚悟を持て。それが力になる。大和のこと、しっかり弔ってくれ」

「ああ、もちろんだ」

「じゃ、邪魔したな」


 戸を引いて、玄関を出ると、祖父は懐から葉を一枚出して、頭上へ放った。ポン、とコルクが抜けたような音がして、祖父は空を飛んで行った。

 空を、飛んで行った——まさしくその姿は天狗だった。


「知ってたんですか」

「まあな」鍛冶屋さんが小さく頷いた。

「言ってくれてもよかったのに」

「そうはいかん。俺は師匠におまえたちを預けられた身だし、何より大和がそのことをお前に伝えることを許さなかった」

「あいつ、何様のつもりなんだか」

「お前の守護者だった」

「間違いないです。でもそれ以前に親友です」

「そうだな」

「師匠」

「久方ぶりに呼ばれたな」

「俺に稽古をつけてください」

「道場で待ってる」


 鍛冶屋さんが踵を返して、道場へ向かった。私はといえば、まずは煙草を吸いに行った的屋に謝らければ。

 布屋が「じゃあお夕飯は多く作らなきゃ」と言って台所へ楽しそうに向かった。

 思いのほか。高揚感があった。それぞれが背負っていた重荷を互いに背負うことができたからだろうか。

 車に行くと、車内では的屋が何本目かもわからない煙草を吸っているところだった。


「的屋」

「なんだー」

「こないだはすまなかった」

「だから、謝られるようなこたされてねえっての」

「ああ、ありがとう。お前のおかげで俺は今ここに立っている。坂口の意思を継いでくれてありがとう」

「ばか、そんなんじゃねえよ。おめえが弱えくせに頭張ってるから露払いしてるだけだ」


 そうか。私が笑うと、気持ち悪いと的屋も笑った。


「今日の夕飯は布屋がご馳走してくれるそうだ」

「お、そいつは楽しみだな。つうか爺さんは?」

「もう行ったよ」

「はあ? ここ出ていくの見てねえぞ?」

「ああ、空を飛んで行った」

「……マジで?」

「ああ、マジだ」

「それはそれは、大した爺さんだ」

「ああ、大した爺さんだ。俺は少し師匠に稽古をつけてもらう。先に食っててくれ」

「おうよ、じゃ、またあとでな」


 ああ、またあとで。道場へ向かおう。少しでも、坂口に近づけるためにも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る