第43話「宵闇の美学」(5)

 適当な鼻歌を聞かされながら的屋に連れてこられたのは高尾山だった。用があるのは、その麓にある、堅牢そうな立派な木門の向こうにある屋敷だった。どっしりと構えられているその門の戸は開いており、的屋はその近隣に停車して、ここだ、と助手席に座る私に言ってきた。

 ここは、鍛冶屋さんの屋敷だ。確かによく知っている。屋号会を引率するにあたって、初めの頃はよくよくここに来ていた。というのも、鍛冶屋さん自体は幼いころから知っている間柄にあったからだ。祖父の知り合いなんだか亡くなった父の知り合いなんだか、とにかく知り合いということで無理を言って手助けを乞うていた。田舎にいるときは祖父に修行をつけてもらっていたが(問答無用の拷問のようなものであったが)こちらに上ってきてからは鍛冶屋さんが私と坂口の師匠のような存在になった。

 そういうこともあって、ここの間取りだって頭に入っている。

 例えば、この大きな木門だが、実は門より南に行ったところに小さな戸があって、そこから離れに直接入れるようになっている。何度か脱走をしたときに見つけたものだ。

 他にも玄関から廊下をまっすぐと進んでつきあたりにある階段の裏には隠し扉があって、そこから地下に降りていける。そこにあるのは鍛冶屋さんが鍛え上げた業物の数々だ。あまりに立派なものだったので、盗み出そうとか、どうにか持ち出して使ってみようなどという浅はかな考えは目の前にそれらを観た時にすぐに消え失せてしまった。

 ともかく、的屋が言う通り、ここは私が良く知っている場所だった。しかし、なぜ、今、ここに来る必要があるのか、それが疑問だった。先に車を降りた的屋の後を追い、門を潜って敷地に入る。まるで、私たちが来ることを先に知っていたように玄関の戸が開いて、布屋が顔を出した。はんなりとお辞儀をされた。


「ようこそ」布屋が微笑む。的屋が手を挙げて、懐から煙草を取り出した。

「禁煙です」笑顔を崩さずに布屋が言った。崩していないが、どことなく空気が張り詰めている。

「わ、分かってるよ。俺ァそういう、気づかいが出来る男だからな」


 うそつけ。冷や汗掻きながら言われたって信用がない。

 布屋の腹は随分と大きくなっていた。二人目の成長は立派なようだ。


「それで、連れてきたはいいが、なんなんだ?」


 的屋が話を逸らすようにそう切り出した。布屋はとりあえず上がってと、奥に入って行く。


「なんだ、お前の指図じゃないのか」的屋に言うと、的屋は首を縦に振った。

 何はともあれ、玄関前で突っ立っていることもないので私たちも屋敷の中へ入って行った。玄関にある草履に見慣れないものがあった。鍛冶屋さんが新調したものだろうか。あのひとは何かと物持ちが良くて、なんでも大切に使う。


「禁煙かあ。もう少し吸ってくりゃよかったなあ」

「同感だ」


 的屋のぼやきに苦笑いしながら頷く。しかし、身重な女性の前でまで煙草を嗜む気にはならないので、今は我慢の時だ。茶の間の引き戸の前で膝をついて布屋がつつつと戸を開けた。中から声がした。鍛冶屋さんと客人がいるのだろうか。頭を下げて中に入る。畳の感触が久々で心地よく感じる。といっても靴下越しではあったが。幼いころから上京する時分まで祖父母の元で育った私はフローリングよりも畳のほうがなじみがあって落ち着く。頭を上げて驚いた。


「久しぶりだな」


 好々爺がいた。灰色がかった白色の顎鬚を蓄えて、前髪をしっかりとあげ、伸びた襟足を一つに束ね、時代錯誤な着物姿で(布屋も鍛冶屋さんも着物だからここでは目を惹くこともないが)座布団に腰を下ろしている。かれこれもう十年近くぶりに会った。


「爺さん。なんでここにいる」


 祖父だった。家を出たあの時から変わらぬ姿でいた。化け物みたいな老化速度だ。遅々として時が進んでいないように見える。


「誰だ?」的屋が耳打ちをして尋ねてきた。

「祖父だ」と短く返すと、「祖父ぅ?」と瞬いた。

「孫の頑張っている姿を一目見ようと新幹線に乗ってやってきた」


 にかりと爺さんが笑った。


「新幹線というのはすごいものだな。ものの二時間で東京に着いてしまった。そこから電車に乗って、ここまで来たが、高尾山というのはなるほど人が多い。しかし、源十郎。いいところに住まいを持ったな。ここならば人里からもそれなりに離れているが、不自由はなかろう。稽古もできるし、暇なら遊びに行ける」鍛冶屋さんが頭を下げた。

「隠居をしたはいいが、何分山奥に引きこもってしまったから暇で暇で仕方がない。毎日やることといえばテレビを見るか熊を狩るかだ。おれもこっちに引っ越そうかなあ。でもなあ、ばあさん怒るよなあ。なあ、総司、お前からもばあさんに言ってくれねえか。孫はかわいくてしかたなかろうて、お前が言えば聞いてくれる気がするんだが」

「それよりなんでここにいるんだ」

「だから言ったろう。お前の頑張っている姿を見ようと遠路はるばるやってきたんだよ。不満か?」

「不満はねえけど、ばあさんは?」

「ばあさんは積もる話があるって言ってな、今は薫子ちゃんのところにおるぞ」なるほど、そういうことか。

「まずは座ったらどうだ。突っ立って話すこともないだろう。恵」


 鍛冶屋さんに促され、爺さんと向かいになるように座布団に腰をおろす。隣に的屋が腰を下ろした。名を呼ばれた布屋が席を立とうとして、思い返したように鍛冶屋さんがそれを制した。


「すまない、俺がやろう。お前は休んでいてくれ」

「少しくらい動いたほうがいいのです。それにあなたがお茶を淹れると妙に熱いでしょう? みなさんはやけどしますよ」

「む……そうか……」

「あなたはお茶請けを用意してくださいな」

「ああ、わかった」


 なんとも、ほほえましい光景だ。一喜一憂している鍛冶屋さんなどそうそう見れたものじゃない。これはずいぶんと面白い。


「ほう、源十郎。お前も尻に敷かれているか」


 爺さんは嬉しそうだった。一人頷いて納得している。用意に立った背に言う。


「亭主というのは尻に敷かれるくらいがちょうどいい。しかし、尻に敷かれすぎるとあれこれやれこれと何かと口うるさくなられてしまう。うちなんてひどいもんだ。新聞を読んでおいたままにしているだけで怒られる」


 それは片づけない爺さんが悪いだろう。


「料理にケチでもつけてみろ。次からカップ麺じゃ。何が悲しくてこの年になってカップ麺をすすらなければならん。でも最近のカップ麺はうまいな。あのな、生めん製法というのがあるんだ。それがうまい。湯を注いでわずかに三分から五分待てばまるで店の味だ。大したものだ」


 何の話だ。


「して、葬儀屋は順調か?」


 ふと、爺さんがこちらを向いた。


「順調だ。相変わらず実入りは大したものにならないが、それは仕方ない。ボランティアだからな」

「そんなものだ。悪人を斬りそれを弔うだけなのだからなあ。殺したいほど憎まれているならば、弔いたいほど思われることはまずない。まさしく慈善事業ぼらんてぃあってやつだなあ」

「そんな話をしにきたのか?」

「そうとも。二代目葬儀屋はしっかり活動しているのか気になってな」


 二代目、か。確かに私は二代目だ。図らずも、祖父から受け継いだあの葬儀場で主をしている。そういう意味では——悪人を斬る?


「あ、悪人を斬るとはなんだ?」


 爺さんはきょとんとした。


「悪人を斬ってるんだろ? 解体屋の孫もそうだと聞いた。血筋は争えんなあ」

「二代目っていうのは」

「おれが初代葬儀屋だ。あの葬儀場は死者を弔うためにある。その死者の大半は我々の手で斬った連中だった。てっきりそういうことをわかったうえで受け継いだんだと思っていたが、なんだ、知らなかったのか」

「知らない、知らないぞ。俺は何も知らない。どういうことだ」

「なんだ、大和のやつ、お前に言ってないのか。まったくあいつはいっつもそうだ。ところで大和は?」


 大和は。


「死んだよ。殺された」


 爺さんは天を仰いで深く息を吐いた。それから吐いた分だけ息を吸い込んだ。


「そうか」小さくうなずきながらそう言った。

「大和は死んだか」

「ああ、殺された。首から上がまだ見つかっていない」

「どういうことだ」

「あいつは首から上を斬られて殺された。殺したクソ野郎が後生大事に持っているんじゃねえか、と考えている。探しても見つからなかったからな」 


 まるで、過去を思い返すように爺さんは目を閉じた。


「あいつがなあ。剣の腕ならお前より上だったのになあ」

「本人を前に言うなよ」

「殺した者の目星はついているのか?」

「ああ、ついている。ついているが、足が掴めない」


 爺さんが腕を組んで低くうなった。


「そろそろ、か」

「なにがだ」

「そろそろお前にも言わないとな」

「何をだ」

「お前の中に眠る血のことだ」

「血?」

「爺さん、とりあえず茶でも飲もうぜ。布屋が戻ってきた」


 的屋が話を遮るように言った。


「血とはなんのことだ?」

「葬儀屋、お前も飲もうぜ。喉が渇いてしかたねえ」


 布屋が茶を入れた湯のみを私たちの前においてくれた。鍛冶屋さんがお茶菓子をその隣に置いた。きれいな和菓子だった。秋らしく、紅葉を見ているような気にさせてくれる。


「爺さん。どういうことだ」

「何があった?」鍛冶屋さんが私たちに声をかけた。

「いや、なんでもねえさ。おお、美味そうな和菓子だ。相変わらずあんたらはチョイスがにくいねえ。どれさっそく」

「的屋。お前もなぜ話を逸らす?」


 口元まで和菓子を運んだ的屋の手がわずかに止まった。それから何事もなかったように口に紅葉山のような和菓子を一息に放り込んで咀嚼した。


「あ? 話を逸らしてる? そんなこたねえだろ」

「そんなことはあるだろう。どういうことだ」

「んなことねえって。なあほらお前も食えよ。美味いぞ」

「的屋」まっすぐと的屋を見る。

「お前は気にするこたねえんだよ。爺さん」的屋が爺さんに向かいなおす。

「問題ねえ。何も問題ねえんだ」

「そうはいかん」

「なんでだよ。こないだだってなんとかできた。俺たちでこいつを守れる」

「守れるとはなんだ」

「あ、だから、お前は弱いからよ。戦力的にそうでもねえだろ?」

「だからといってお前たちに守ってもらうほど弱くもない」失礼な奴だ。

「とにかく問題ねえよ。なあ鍛冶屋さん」


 的屋にふられた鍛冶屋さんは首を横に振った。


「いや、師匠の言う通りだ」

「あ? あんたも爺さんの肩を持つのかよ!?」

「葬儀屋には自分のことを知ってもらうべきだ」

「それじゃあ掃除屋の思いはどうなる?」

「それは……」

「おい」思わず声が出た。

「俺を前にしてそこまで言うんだ。心のどこかで知ってほしいとも思っているんだろう。なら教えてくれ。的屋。爺さんの話を聞こう」

「だけどよ」

「聞こう」


 渋々であったが、的屋が中折れ帽を目深に被って顔を俯かせた。


「わあったよ」

「爺さん。血とはなんだ? 坂口も関係しているのか?」


 うなずいて、祖父は言った。


「お前は天狗の孫だ」——と。

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