第42話「宵闇の美学」(4)

 バー『ノルニル』に着くと、店内ではまだ昼間だというのにアルコールの匂いが漂っていた。しゃっくりをしながら男が一人、カウンターテーブルで浮かれ気味に酒を飲んでいる。


「いいご身分だな」


 私がそう声をかけながら隣の席に座る。気の抜けた顔をこちらに見せた。首元には金綺羅金のヘッドフォンをつけていて、マフラーの代わりになりそうだ。

 情報屋——日本のみならず、全世界の情報を網羅する稀有な能力を持つ存在。まさかどの国のお偉方もこんなやつが世界情勢を余すことなく知っているとは思いもしないだろう。


「そりゃいい御身分ですよ? 今日の情報はとっておきですからねえ。いくらで売ろうかなあ。葬儀屋さん、いくらまで出せます?」


 にやにやとしてこちらの顔色を見てきた。付き合いも長いというのにまだ値踏みするような態度をとってくる。


「いくらならお前は満足するんだ?」

「そうだなあ——」

「ここの代金くらいは出してやる。それ以上って言うなら——」的屋がかちゃりと撃鉄をひいて銃口を情報屋の頭に突き付けた。にひひと笑って情報屋はグラスに残った液体を飲み干した。


「わかりましたよ、冗談。俺はね、今日は機嫌がいいからタダでいいです。でもそれだとせっかくここの代金をもってくれるっていう葬儀屋さんの心意気を無碍にしてしまう。だから、そのぶんはもらいますね」

「食えねえ野郎だ」


 けっ、と的屋が拳銃を腰に戻した。


「そんなに上機嫌になるほどいい情報でも手に入れたのか?」

「ええ、やっぱり葬儀屋さんと一緒に仕事をすると退屈しない。今回手に入れた”万事屋”の情報——つうか万事屋っつう存在が素晴らしい」

「素晴らしい?」

「ええ、何せ、こんなことはこれほど科学が発達した世界において起こり得ていいことじゃあない。まさか、あり得るわけがない。こんなことがあり得るなら異世界だってあり得るだろうし、どこぞの宇宙センターがひた隠している宇宙人に関する情報だって霞に等しい」

「もったいぶらずに早く言えよ」的屋が煙草に火をつけた。

「的屋さん、そんなんじゃあ女にもてませんよ? 女って言うのは”カン”で生きているって話ですから。どんなにつまらない話でもしっかり聞いてあげるだけでうれしいそうです。そこらへんはママの方が詳しいでしょうけど」

「多少は認めるわ」


 情報屋がママにウインクすると、ママが頷いた。


「んなことは今どうだっていいだろう。それで、万事屋のこと、なんかわかったんだろ?」


 短く舌打ちして的屋が紫煙を吐き出した。


「ええ、わかりましたよ。とんでもないことがね。その前にママおかわり」


 あいよ、とママが情報屋の手元にある空いたグラスになみなみと日本酒をついでやった。


「ありがとうございます。で、情報ですが——」情報屋の目が真剣になる。

「万事屋——つうのは葬儀屋さんが率いる”屋号会”をまねてつけたものらしく、本来の名は”ぬえ”」

「鵺?」

「ええ、鵺です。すげえおもしれえつうか、眉唾物っつうか、荒唐無稽な話になるんですが、万事屋は——化者ばけものです」

「バケモノ?」

「あい、バケモノ。化ける者、です。つうか人間じゃあないです」

「は?」的屋が煙草を落とした。ママが的屋を怒る。それを尻目に情報屋に話の先を促した。

「人間じゃないとはどういうことだ?」

「その言葉の通りですよ。人間じゃない。名前が鵺、それで化け者——人間じゃない」

「どういうことだってんだ」的屋が情報屋を睨む。

「だから化け者なんですって。人間じゃなくて、妖怪の類です」


 私を含め、その場に静寂が訪れた。誰も、言われたことを信じていないように見える。


「最初に言ったじゃねえすか。荒唐無稽だって。そりゃ俺だって信じられないですよ? でもあいつのことを調べたら、出るわ出るわ摩訶不思議なことばっかり。例えば、人の姿を真似して変装できるとか——でもその真似はまさしく瓜二つ。同位体みたいに細胞からまねてるんじゃねえかってレベルだし、そもそも出生届が出されていなくて戸籍もない。そんなもんだから無戸籍なのかと色々漁ったんですがそれもまた外れ。戸籍どころか、存在が存在しない。わけわかんないでしょ? でもそれが情報です。俺の見つけた情報は随分と馬鹿げてる。もしこれが真実だとしたら——真実なんですけどね——この世界には人間じゃない連中が存在していることになる。それと、万事屋——鵺はとある連中を引き連れているらしいです」

「連中?」

「そいつらは鵺と同じように人間じゃない連中です。”百鬼夜行組合”なんて名前を付けているそうですが、素性は鵺と同じようにわかりません。化け者ってことくらいしか」

「その情報はどこから手に入れたんだ?」

「それを教えるのは今回だけですよ? 日本のとある重要機関から仕入れました。——警視庁です」

「何を言っている」

「ホントのことです。何が何だか俺もわかんないっす。ぶっちゃけ、くっだらねえことやってると思ったけど、天下の警視庁がエイプリルフールでもねえのにそんなことします? 公安使って、その対策支部までできてるんですよ」

「だとしたら俺が——」知らないわけがない、と言いたかったが遮られた。

「知らされることはないと思います。その支部の存在自体が最重要機密トップ・シークレットになってたんで。理由はわかんなかったすけど。でも意味がわからないのが支部とそこに派遣されてるやつらのリストがあるのに、行動如何の情報が何もないんです。データベースに存在しなかった。これ、キナ臭いっすよ。十津川さん、でしたっけ? あのおっさんが管轄外にされたのもそこが原因です。しっかし、あの人凄いっすよね。よく勘だけであそこまで当ててくるもんだ」

「ほんとよね」とママが言った。

「知ってるのか?」ママに尋ねると懐かしむように笑った。

「昔なじみだもの」

「とにかく、葬儀屋さん。気をつけてください。あいつらは軍隊みたいに徒党を組んでる。それでもって、よくわかんねえ対策本部。何をしているのか、何をする気なのかまったくわからない。どちらも、下手したら葬儀屋さんたちの首、捕ることになるかもしれないっすから」

「ありがとう、気をつける」

「いえいえ、あと、百鬼夜行組合の情報リストとその対策支部のリストは今送りますんで、暇な時にでも確認してください」

「助かる。的屋」


 おう、と的屋がドアに向かった。ママに少し多めに金を渡す。


「今日こいつが飲む分だ」

「あらあら」

「ありがとうございますー、今後ともごひいきにー」情報屋がひらひらと手を振った。ママが困ったようにこちらを見た。

「そうちゃん」久しぶりにそう呼ばれた。

「なんだ」

「足りないわよ」


 愕然とした。財布を確認するが、もう空だ。


「……つけといてくれ」

「ごめんね、これが私の仕事だから」

「……あとで払いに来る」


 申し訳なさそうにしているママに小さく頷いて店を後にした。情報屋が蟒蛇うわばみだったのを忘れていた。後で払う分のことを考えると軽く寒気がした。

 的屋の車に乗り込むと、的屋が「行きたいところがある」と言い出した。


「どこに行くんだ?」

「お前も良く知っているところだ」


 それから先は何も言われなかった。私がよく知っているところとはどこだろうか。疑問に思いながらも的屋の運転する車は走り出した。


——◇——◇——◇——◇——

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