第三章

第39話「宵闇の美学」(1)

 困ったもんだよねえ、と少年は言った。

 何が困ったのかと鷲鼻の老人が尋ねる。

 その問いに答えるように少年は笑った。

 残酷なまでに殺意を持って、鮮やかな血潮で頬を紅くして。


「そろそろボクらも本気で行こうかあ」


 ごきごきと首骨を鳴らしてゆっくりと歩いていく。

 ここは朽ちた宿主のいない戸締神社。鳥居をくぐるといつの間にか少年の背には続々と数多の人が並び歩いていた。まるで少年の影が月明りに伸びて好き放題に形どったようだった。


百鬼夜行組合ひゃっきやこうくみあい只今参上って感じ?」


 にふふ、と少年は笑った。

 夏が終わって、秋が来て、冬が遠くで北風を吹かせる頃、季節外れの百物語が幕を開ける。


————◇————◇————◇————


  目覚めるとそこは白い病室だった。昔に読んだ小説の主人公と同じような状況に妙な高揚感があった。動悸のように心臓が高鳴っていたからということもあるが。

 ここは、と口を開こうとして、そんな芝居じみたことがあるかと息を吐いた。辺りを見渡すが、白い病室だ。キャンパスにでも見立てたように私のベッドの隣にある机の上に彩り豊かな花々が飾られていた。

 花屋が持ってきてくれたのだろうか。というか、今はいつだろうか。

 というか。なぜ誰もいないのだ。少しくらいいてもいいのではないだろうか。確かに、我々”屋号会”の面々は全員が成人済みであるし、私がいてもいなくても忙しいのであるだろうが、それであったとしても、誰かしらは交代制にでもして傍にいてくれてもいいのではないだろうか。

 仮に三日四日眠っていたのだとしたら、誰かしらがここにいてもいいと思うし、仮に一か月二か月眠っていたのだとしたら、誰かしらがここにいてもいいと思うし、仮に一年二年眠っていたら(それはさすがにないと思うが)、なおのこと誰かしらがいてもいいと思う。

 とにもかくにも曲りなりにも私は屋号会のリーダーのはずなのだ。リーダーが入院しているというのにその部下は誰一人としてそばにいないとはずいぶんと寂しいものだ。

 白い病室は白いだけで何も面白くない。まったく————


「起きてんのか」


 不躾にドアをがらりと開けて、煙草を咥えてやってきたのは的屋だった。その腕は包帯が巻かれていて、首から吊られていた。


「酷い有様だな」

「誰のせいだと思ってやがんだよ」


 的屋は近くにあった椅子を引っ張って私のベッドの隣に座った。少し静寂があった。


「俺は、どれくらい寝ていた」

「十二時間くらいじゃねえか?」

「————そうか」


 恥ずかしかった。そんなに眠っていなかった。さっぱり昏睡状態というわけでもなかった。

 これ見よがしに煙草に火をつけて、的屋は咽た。


「にしてもお前のその恰好、どうしたんだ」

「ああ? お前が寝てるうちにちっとな」

「まさか万事屋か?」

「大正解。まあたいしたことねえよ。煙草も吸えるしな」

「それはいつだってそうだろう。傷はどれくらい酷いんだ」


 ゆっくりと紫煙をくゆらせて、的屋はくうを見た。


「問題ねえよ。俺は屋号会の的屋だぜ?」


 もう一度深く紫煙を吸い込んで、長く細く息を吐いた。


「俺は、また倒れたのか」


 何度目だろうか。最近はなかったが、どうも、自分の精神が弱いのかわからないが、ああいうときに限って倒れてしまう。軟弱者だ。


「まあしゃあねえだろう。お前は屋号会のリーダーで、屋号会一の軟弱者だからな」


 的屋が鼻で笑った。


「だが、そのせいでお前は怪我をしたんだろう。何も考えずに俺が前線に出たばっかりにすまなかった」

「気にすんなって。たいした怪我じゃねえんだ。まあ、一か月二か月は静かな仕事を要求したいがな」


 にやりと笑って紫煙を吸い込んだ。


「思いのほか起きるのが早かったな。ま、ゆっくりしとけよ。今日は俺もゆっくりさせてもらう。んじゃな」


 ふらふらと的屋は出ていった。入院着の下に見えた包帯から察するに、胸部か腹部を傷つけられたようだ。どれほどのものなのかは分からないが、きっと軽傷ではないだろう。

 上体を起こしてみる。背中が妙に痛んだ。我慢できずにそのまま倒れていく。どさりとベッドが背を包んだ。天井を見る。そこから首を動かして窓を眺める。陽が照っているようだ。反対にあるドアを見る。誰も開ける気配はない。

 もう一度天井を見た。それから目を閉じた。

 もう少しだけ眠ろう。もう少しだけ。


————◇————◇————◇————


 大学生になって、私と坂口は上京した。お互いに初めての東京で、その頃はまだ屋号会ではなく、その前身として奥州会(故郷が東北なので)と銘打って裏の仕事をしていた。といっても、今ほど金もなく、信頼もないので仕事も回ってこず、ぼろぼろの木造アパートの一室に二人で住んでいたくらいの貧乏をしていた。

 四畳一間のその部屋であぐらをかいてそのまま寝っ転がった私が、剣山のようになった灰皿からまだ背のある煙草を取り出して、咥えて火を着けた。すぐに燃えていった煙草は一息吸っただけでもうフィルターが焦げた。灰皿の隅でもみ消して、他の煙草を探す。

 横目に坂口を見ると、見事な得物の手入れをしていた。四畳一間というこの空間にも、持ち主の大学生にも似合わないものだ。丁寧に磨かれている刀身に夕日が反射する。


「暇だなあ」


 途中から漏れたあくびのせいで最後の方は何を言っているのかわからなかったかもしれない。坂口を見ると、全く聞いていないようだった。


「暇だなあ」


 坂口はぽんぽんと粉打ってかちゃかちゃとしている。


「暇だなあ」


 背のある煙草を見つけて火を着けた。一息でそれもまた終わった。


「暇だなあ」


 煙草を灰皿に押し当てて坂口のほうへ振り返ると、鋭く綺麗に磨かれた切っ先が首筋に降りてきた。寸でのところで止まって、背筋に冷や汗が垂れた。


「危機一髪ゲームだ」

「馬ッッッ鹿じゃねえええのおおお!!??」


 整然と坂口はその刀を上にあげて、もう一度刀身の確認をしている。私は立ち上がって坂口に唾を飛ばした。坂口は手を振って煙たそうにしている。何様だ!


「危機一髪すぎるだろうが! お前のさじ加減で俺が死んじまうわ!」

「少しは気が紛れたか?」

「紛れたけど紛れてねえよ!!」

「紛れたのに紛れてないのか。哲学か? それとも間違い探しか何かか?」


 急に叫んだからか、さらにエネルギーが消費されたからか、空腹が痛いくらいで、坂口の間の抜けた返しにさっぱり反応できなかった。

 どさりと畳に倒れて、ああああ、と声が漏れた。


「どうした」


 坂口がこちらを見た。


「どうしたもこうしたも、腹減ったっつうの」

「そうか」

「そうか、って。お前は減らねえの?」

「食わずとも何とかなる」

「なんだそれ。お前は修行僧かよ」

「人生は修行ともいうだろう。結婚は墓場であの世は地獄と」

「おいおい、それじゃあ結局は不幸にしかなれねえじゃねえか」

「徳を積んだところでどうなるのだろうなあ。どうだ、気は紛れたか?」


 ぐうううと腹の虫が鳴いた。


「今のが答えだ」


 いつからものを食べていないのか思い出してみると、一週間は食べていなかった。


「あー、腹減った」


 それに答えるように、開け放った窓から入ってきた風が、季節外れの風鈴を鳴らしていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る