第27話「謝罪の美学」(6)
————◇◇◇————
一度男たちの話を聞いてみることにした。
その間に的屋はそそくさと出ていって、私の愛車を直してくるらしい。ありがたいことだ。薬屋は隅の方で何かレポートを書いている。大学のものだろうか。ママは、お腹が空いているから怒りっぽくなるのよ、と言い残してキッチンへと入ったきりだ。
私一人で彼らの話を根気強く聞き続けた。それはもう根気強く。
男たちの話をまとめるとこうだ。
ここ最近、妙な殺しが増えてきているらしい。『妙』というのが厄介で、その殺し方が常人ではないのだとか。確かにニュースに取り上げられていないだけで殺人自体は数多く存在しており、今回のケースもそれに漏れることなく、マスコミには漏れていないものだった。何より、その常軌を逸した殺し方は常人には不可能なものだった。
マスコミに漏れない殺人事件——それは殺し屋同士の殺人か、要人の殺人であるが、今回の場合は前者であった。兼信会一派である徳川商会の若頭——
もしあれが普通なのだという人がいたならば、それは普通からかけ離れた感覚であるので今すぐに精神科にでも連れて行ってやろうと考えるほど、かけ離れたものだった。あれは普通の人間には出来ようがない。故に、我々屋号会によるものだと思ったのだそうだ。
そう思うのも無理はない。何度となく言っていることだが、我々屋号会の面々はそれぞれ美学を持ち合わせているし、それが常人ならざるものである者も幾人かいる。それこそ、今回狙われていた薬屋なんて、もしかすると私が知らないだけで、薬品を用いて水中毒を引き起こして殺すことも出来るやもしれない。
にしても、誤解が解けて良かった。根気よく二時間ちょっと、唾をかけられながらも怒るのを我慢して話し合って正解だった。何度か拳をきつく握りしめたが、そこは大人である私だ。無理をした。
ところで彼らにほかにその常軌を逸した殺人はなかったのかと尋ねると、どうも薬品を用いた殺害方法ばかりが浮かんできた。
ちらりと薬屋を見やると、大きく早く首を振り、「僕じゃないです!」と叫んでいた。殺害に薬品を用いる点においては薬屋とかぶるし、薬屋がそんな行動をとったとしても何らおかしくはない。が、それでは”屋号会”の美学に反する。我々屋号会にある鉄の掟として「斡旋された仕事以外では殺さない」というものがある。それをこれまで守り続けてきた真面目っ子なこいつがそんなことをするとは思えない。
「でもわからねえじゃねえか。誰かがそれを見てたのかよ」
井伊が再び吠えた。確かに誰もそれを見ていない。見ていないが、だからこそ薬屋がやったとも言えない。
「俺は薬屋を信じる。仲間故に、だけじゃない。こいつにそんな実験的に薬品を使うようなところがあるとは思えない」
なんだかんだでこいつはランドセルを背負っている頃から知っている。それくらいから見てきているが、そんな危険な面があるようなことはなかった。
ガキの頃は可愛かったものだ。蚊も殺せない、絵に描いたような心優しい子で、今では私に軽口をたたくようになったけれど、その当時は私が薬屋のところへ行けば、ドラゴンクエストのように私の背について回ったものだった。それがどうして——話が逸れた。
「聞けばお前たちの
「そうですよ、僕が使う薬は様々ありますが、僕は標的をあまり苦しませたくないんです。だから、即効性のあるものや、麻酔に近いものを使います。ですが、あなた方がアニキと慕う在原さんの死に方は確実に苦しみ抜いた末に死んだものだ。そんなの、僕の美学に反します」
「というわけだ。なんなら、お前らもこいつの薬を味わうか? 即刻天国か地獄にたどり着ける」
さすがに冗談が過ぎた。
「もう少し情報が必要だ。俺たち屋号会が名を汚されたまま生きていくことになるのも癪に障る。ここは手伝ってくれないか」
私が提案すると、井伊はまわりの男たちと目を合わせて、ぼそりと呟いた。
「アニキを弔ってくれるんだよな」
「ああ、それは心配するな」
「その場に、俺たちもいていいか。それが手伝う条件だ」
「それは条件にならん」
「なんだと!?」
井伊を筆頭に男どもが立ち上がった。血の気が多いなあ。
「落ち着けよ。お前らのアニキなんだろ? お前らがその場にいるのは当たり前のことだろうが。葬儀っつうのはそういうもんだろ。ちゃんと弔ってやれ」
詳しい日時はまたあとで確認するとして、これで手伝ってもらえることになった。まずは、どこから攻めていこうか。
と、そこにママが鍋を持ってやってきた。
「あんたらお腹空いてんでしょ。腹が減ってはなんとやら。まずはお腹いっぱいに食べなさい」
鍋のふたをとると、ぐつぐつと煮立った寄せ鍋があった。きのこも白菜も豚肉も様々ごった煮になっていて、だしのいい香りが鼻腔をくすぐる。誰かの腹の虫が鳴った。それを合図にぐうぐうと合唱が始まる。
「馬鹿野郎!」
井伊が後ろにいた若い男に怒るが、後ろの男も「俺じゃないっすよ!」と泣きそうになって言い返す。ガヤガヤとし始めたが、はいはいとママが手を叩いた。男たちがママを見ると、ママは逞しい胸を張って、腰に手を当てた。
「喧嘩しない! いい? お腹がすくのは当たり前のことなの。生理現象ってやつ。生きていくために必要なことなの。お腹がすいたくらいで喧嘩するんじゃないわよ。まだまだたくさんあるし、毒も盛ってない」
それからママが長ネギをひとつ持ち上げて一口ぱくりと食べた。
「美味しいわよ?」
と、井伊らに微笑んだ。井伊たちはごくりと喉を鳴らす。
「何も我慢しなくていいわよ。ほら、とっとと食べなさい?」
ママと井伊たちを見ていて懐かしい感じがした。そういえば、大分昔になるが、私と坂口も同じようにママに言われたっけか。標的としてママと出会い、何の因果か運命か、こいつらと同じように私たちもママにごちそうになった。あの時は確かオムライスとハンバーグだったか。二人でお互いのものを取り合いながらがっつく姿を見て笑われた記憶がある。
そんなにお腹が空いてるならもっと作ってあげるわよ。その言葉に甘えて、私も坂口も久しぶりに腹が膨れて動けなくなるくらいごちそうになった。懐かしい。坂口はハンバーグを四つほど食べて、オムライスは五皿ほど食べたんだった。私はと言えば——
「食べたいのは山々なんだけど——」
——坂口に食い意地を張ってハンバーグを五つほど食べて、オムライスを四皿平らげたあたりで——
「……腕を縛られてて食えない」
すっかり忘れていた。すぐに彼らの腕を解放してやると、即座に目の前に置かれた箸をひっつかんで、鍋に貪りついた。ずいぶんと我慢していたらしい。すまないことをした。
その姿を見て、ママはまだまだあるわよ、とキッチンに戻り、両手にそれぞれ鍋をつかんで運んできた。
どうやって、情報収集するか。どうやって、これから先を進めていくか。今はまだ、話すときではない。彼らは、これからどれほど鍋を平らげるだろうか。ママを見ると、幸せそうに笑っていた。
ここに坂口がいたら、ママのように笑うだろうか。私もそう笑うように。
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彼の朝は静かだ。自分の行動で何か物音を立てぬよう細心の注意を払って動く。
足音。ドアの音。足音。布の摩擦音。ドアの音。蛇口。水の音。歯ブラシの音。靴音。
シェーバーは音の防ぎようがなかったから家を出てから、電車に乗る前に一度公園に寄って、そこでするようにした。
いってきます。と音にせず、口だけを動かして静かな部屋にあいさつをする。妻がほしい、と言って飼い始めたポメラニアンのポポだけが彼を見送ってくれる。
太い人さし指を口元にあて、ありがとう、とポポを撫でる。
お前までいなくなってしまったら、本当に私はどうしたらいいのかわからなくなってしまうよ。心の中でそう言ってみる。無垢な目で彼の顔を見て、いつもより長く玄関にいる主人にむかって、ポポは小首を傾げた。
もう一度彼は音にせず、唇だけで「いってきます」とポポに行って、部屋を後にした。
月々の家賃は十五万ほど。それでいて娘は高校生で大学に進みたいとのことだからまだまだ学費はかかりそうだ。妻は美容に気を遣うからこちらも金は必要になる。一生懸命に働けど仕事だけでは足りなくて、アルバイトまでしている。彼の生活は奴隷のようだった。
それでも、私が選んだ道だ、と彼は自分を鼓舞した。
思い出してみろ。以前の妻はどうだった?——献身的で良い女だった。
思い出してみろ。以前の娘はどうだった?——可愛らしい自慢の娘だった。
今だって、私が情けないばっかりにああいう風になってしまっているだけで、これから先、彼女たちが満足さえすればいつかまた前のように幸せな家庭になるだろう。そんな日が来るだろう。
そのためにはまずはお金が必要だ。アルバイトを増やそうか。どうにか仕事で結果を出して、昇進すれば給料だって上がるだろう。
そう思ったから。そう思ってしまったから。
だから。彼はこれから坂道を転がり落ちていくのだろう。
静かに、音もたてずに、転がり落ちていく。
ただ、掃除屋に出会って、そしてあの日、葬儀屋に出会ったことは、彼にとって運が良かったことかもしれない。
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