第25話「謝罪の美学」(4)
離れたところに駐車していた、ボロボロになってしまった愛車を眺める。遺体の入った黒い大きなバッグが窮屈そうに後部座席に入れてあった。その隣についさっき殴った男を乗せる。
薬屋はずいぶん疲れた様子で、珍しく額に汗をかいていた。
「遺体運び、ありがとな」
薬屋は力なく首を横に振った。
「すごいですね、葬儀屋さん」
「なんだよ急に」
「いつもこんな数を処理してるんでしょう? 僕には骨が折れます。本当に折れそうでした」
「そりゃお前が非力なだけだろ」
車の脇に昏睡している男が三人いた。フィアットに乗り切る気がしない。どうしたものか、と思っていると、そこに一台、馬鹿にけたたましいエンジン音を轟かせて、黒塗りのワゴン車がやってきた。運転席の窓を開けると、そこに見慣れた顎鬚と中折れ帽があった。
「今日は大漁じゃねえか。そんな仕事入ってたっけか?」
「あれ、なんでここにいるんだ?」
出来過ぎた偶然に驚いていると、薬屋が当たり前のように言う。
「僕が呼びました。この車じゃあ、無理でしょう?」
薬屋のありがたい配慮だった。いつも死体を相手にしていたため、乗車する人数がこんなにいると思いもしなかったので、大助かりだった。
ワゴン車から的屋が煙草を咥えながら降りてきて、フィアットの横に倒れている男たちを見て、眉をひそめた。
「おいおい、もしかしてこいつら生きてんのか?」
「ご名答。こいつらは、生きている。だよな、薬屋」
「はい、さっき眠らせました。ここまで運ぶのにとても疲れました。もう帰っていいですか」
「そうさせたいのは山々なんだが、今日はちょっとそうはいかないな」
「……でしょうね」
薬屋が肩をすくめて、ため息をついた。
煙草を咥えて、フィアットに乗せた男を見る。車内でも相変わらずニタニタと笑っていて、気色が悪い。無性に腹が立った。
横から的屋がこいつらは何者かと尋ねてきた。
「俺も知らん。薬屋のところに行った時から――早慶大学からずっと追われていた。それで、首都高に登ると急に銃撃してきたから無力化したんだ」
「お前が?」
「ああ、俺が」
ふうん、と的屋は紫煙を吐き出した。
「珍しいこともあるもんだ。明日あたり台風でもくるんじゃねえか?」
「どういうことだよ」
それはともかく。
「薬屋」
「なんでしょう?」
「自白剤の用意してくれ。これからママのところに行って、こいつらが何者か、調べる。それと、的屋」
「なんだ?」
「助かった。あのシールド、車載しといて正解だった」
「だろ? さすが俺だぜ」
ふん、と鼻で笑って的屋は口角を吊り上げた。
「ああ、それと、こいつの修理頼むわ」
「それは構わねえよ。にしてもだいぶやられたな。もしかすっと、今度は機関銃でも装備しとくといいかもしれねえな」
冗談だろうが、あの状況を経験した身からすると、それも悪くないと思った。
ひとまず、ママのところに行こう。
的屋の乗ってきた黒塗りのワゴンに昏睡している男たちを押し込んで、私は交代した警官のもとに向かった。あの連中の身元を預かることを伝えて、残りの面倒な処理を投げてきた。
敬礼をされて、その後、私は風穴がいたるところに開いた愛車に乗り込んで、ママのいるバーへ向かった。ボロボロのフィアットは非常に風通しが良くて、窮屈な車内は皮肉にも涼しかった。
車内でニタニタと笑っていた男にも薬屋が睡眠剤を飲ませて、そのまま遺体を枕にそいつは眠り込んだ。
ガタガタと音を立ててフィアットは首都高を走る。見るも哀れな姿に涙が出そうだ。
「……初めて見ました」
どれほど走ったか、潮風の香りがしなくなったころ、薬屋が口を開いた。
「初めて、葬儀屋さんが戦う姿を見ました」
「戦えないと思っていたか?」
「ええ、気を悪くしないでくださいね。その、本当に見たことがなかったから」
「見たことなかったろうな。俺が前線に立たなくなってずいぶん経つから」
懐から煙草を取り出して咥えた。
「どうして、前線に立たなくなったんですか?」
「たいした理由じゃねえよ。単純に俺が戦えないからだ」
「どういうことですか?」
「血が苦手なんだ。あと、人を殺す感覚が」
いつだったか。まだ、屋号会を発足させたばかりのころ、掃除屋と名乗り始めた坂口に勧められて、私は前線に出るのをやめた。人を殺した瞬間、生き血を見た瞬間、気分が悪くなって、しょっちゅう倒れていた。それを見かねた坂口が、自分が殺しをするから、お前はその標的たちを弔ってくれ、と提案してきたのだ。それから、私はずっと葬儀屋として、屋号会を率いてきた。
「でも、あの腕はそんな日和見なものじゃなかったです」
「そりゃそうだろう。俺だって、坂口と同じ師匠を持って、同じように鍛えられたからな。腕は一流だと思うぜ? センスだけ、と言った方がいいかもしれないが」
自分で言うのも何だけれど。
そうこうしている間に、ママのバーについた。裏口から店内に入り、遺体と、今なお眠り続ける男たちを連れ込んだ。
ばたり、とフィアットのドアを閉めたとき、嫌な音がして、そのままドアが剥がれ落ちた。くそったれ。
薬屋は入ると隅の席に座って、鞄の中から薬品をいくつかテーブルの上に出した。薬屋に自白剤を調合してもらっている間に、私と的屋は一息をついた。お互いカウンター席に座り、煙草に火をつけると、キッチンにいたらしいママがコーヒーと軽食のサンドイッチを持って現れた。
「お疲れさま。ほらね、薬屋。なんとかなったでしょ?」
ウインクをして、それらを私たちの前に置いた。薬屋は無言で頷いて、調合する手に集中していた。
「それにしても災難だったわね。あら、こいつら徳川商会の子たちじゃない」
ママが男たちのスーツに付いていたバッジを見て、そう言った。そう言われてバッジを見てみれば、確かに、徳川の家紋に似た模様をしている。けれども、似ただけであって、よく見なければ――よく見ても、そう言われなければわからないような模様だった。
「徳川商会? ああ、あのキナ臭ぇ連中か。なんだってこいつらに葬儀屋が追われるんだ? お前なんかした?」
的屋が訝しんで私を見た。してねえっつうの。
「何もしてねえよ」
「わからねえぞ、いつだって恨みつらみっつうのは理不尽なもんだ」
「そうよ。私だってね、この傷つけられた理由なんて、デカイ図体してスパンコールを着ていたから、なんてしょうもない理由だったんだから」
あら大変ね、なんて的屋が返してママと盛り上がり始めた。
徳川商会。徳川、という名前がついているように、江戸時代を築いた征夷大将軍であった徳川家の子孫、と言われているが、その実、子孫は子孫でも、何代目だったかの妾の子の子孫であり、その家柄は世辞にも由緒あるものとは言えない、裏家業に生きてきた家系を筆頭とした組織であった。
表向きはクリーンな警備会社、と銘打っているが、その得意先は政府の天下り先だとか、その官僚だったりとかして、荒稼ぎをしている、半反社会勢力のようだった。
盛り上がっている二人をよそに、さらさらと前髪を流しながら、薬屋は自白剤を完成させた。
「出来ましたよ」
手際の良さに関心しながら、礼を言って、さっそくその自白剤をその場にいた男に飲ませようとした。しかしその手を止めた。
「起きてるな?」
今だに狸寝入りを続ける男に話しかけた。
「これは自白剤だ。副作用で髪が抜けるとか、骨が融けるとか、様々あるが、情報さえ聞き出せれば、こちらとしては何ら問題はない。逆を返せば、情報さえもらえればそれでいいわけだから、お前が余計な反抗をせずに話してくれれば、こちらとしてもお前に危害は加えない。いや、もう加えてしまっていたな。これ以上、の危害は加えない。どうしたい」
男は静かに目を開けて、こちらをまっすぐににらんだ。殺気立っている目をしている。ここまで、相手に殺気を当てられると、もしかしたら、忘れてしまっているだけで何かしてしまったのではないかと思ってしまう。
「…………」
男は何も話さず、ただただにらむ。
「一つ聞かせてくれ。兼信会一派の構成員が殺されたらしいが、それと関係あるか?」
男はこちらに唾を吐いた。的屋が殴りかかろうとしたのを手で制した。的屋が渋々下がる。カウンター席に腰かけると、ママがコーヒーを一杯入れてくれていた。
「関係あるんだな。その一派とやらにお前たち徳川商会も含まれているもんな。今回俺たちを襲ったのは、その殺しが俺たちによるものだと思ったから、で違いないか?」
「何を白々しい。お前たちがやったんだろうが!!」
男が激昂した。ようやく口を開いてくれた。
「あんな不気味な殺しをするのはお前たちに決まっている! 何人も殺しやがって、俺たちは何もしてねえだろう!? あいつは、あいつはもう足を洗うつもりだったんだ。殺しだってしてねえし、汚れの仕事だってほとんどしちゃいねえのに、なんであいつを殺した!!」
「ちょっと待て、何人も殺したって、どういうことだ」
「今更何だよ、こないだからずっと、俺たちのアニキもタツシも、みんなお前らがやったんだろうが!!」
的屋たちと顔を見合わせた。みな、思っていることは同じらしい。
「一つ、断言しておく。俺たち屋号会は、お前の仲間を殺しちゃいない。今日を除いてな。今日死んじまった連中は俺がしっかりと弔う。それに、もしお前が望むなら、お前のいうアニキやタツシとやらのことも弔おう。それにしても、お前らの仇はおそらく、俺たち屋号会の仇でもあるかもしれないな」
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