第24話「謝罪の美学」(3)

 

 と、そこまではよかったのだが。


「なあ、薬屋」

「なんですか? またくだらないこと言ったら承知しませんよ!」


 薬屋は鬼の形相でこちらを見た。そんなに怒らなくたっていいじゃないか。


「運転代わってくれ」

「なんでですか!?」

「この際免許がなくたっていい。アクセル踏んで、ハンドル握って、とにかく前に走らせろ」

「いやです! そもそも免許持ってないんだから運転方法なんてわかるわけないでしょ!?」

「頼む」

「なんでですか! こんな危機的状況で、ペーパードライバーですらない僕が運転をするなんて自殺行為です!」


 そこまで言って、薬屋は後ろを振り向いた。即座に前に顔を戻して、高速で頭を振った。


「無理無理無理無理無理!! 無理です!」

「無理じゃねえよ! なに、あれくらい——」


 そこまで言って、今度は私が後ろを向いた。一瞬。一瞬だったが、どんなに飛ばしてもひたすら後続であり続けるその三台のクラウンの、助手席と後部座席から三人ずつサングラスを掛けた男たちがアサルトライフル片手に身を乗り出して、構えているのが見えた。


「——俺が悪かった。吐きそうなのは我慢する」

「そうしてください」


 その瞬間、アサルトライフルが火を噴いた。音が聞こえなかったが、鉄の礫がフィアット500のリアガラスやらテールランプやらサイドミラーやら見境なしに撃ち抜かれていく。


「屈め!」


 返事をするように薬屋は体勢を低くした。

 ちくしょう、私の大事な愛車を下手な射撃で汚くしやがって。腹が立って仕方なかった。的屋が保険だ、と言ってシートの内部に防弾シートを何重かにして入れておいてくれたので、横から撃たれなければ、まずケガをすることはなさそうだ。あの時は、いったいいつそんな物騒なことに巻き込まれるやら、と鼻で笑っていたが、実際に今回あった。あとで的屋に酒の一杯でもごちそうしてやろうと心に決めた。


 けれども、シートにそんな加工をするなら、せっかくだからリアガラスも防弾にしてくれればよかったのに、とどこかで紫煙をくゆらしているであろう男の姿を思い浮かべた。ついでに言えば、どこかに重火器でも隠しておいてくれたらよかった。


 にしてもだ。せっかく一昨日、丹精込めて洗車をしたというのに、洗ってもきれいにできないくらい汚くしてくれたものだ。ちらりと後ろを見れば、リアガラスは難易度の高いパズルピースのように後部座席にばらまかれていた。それ以上を想像するだけで泣きたくなったので、見るのはやめた。


 仕方ない。こうなってしまったのは仕方ない。どうしてこうなったのかは今のところ見当がついていないけれど、もう過ぎてしまったことだ。愛車が傷だらけになってしまったのも仕方ない。仕方ないと思って、煙草に火をつけようとするが、なかなか火が付かない。仕方がない。私は今、怒っている。こんな迷惑なことに巻き込みやがって、いい迷惑だ。手が震えているのは仕方がない。


 アクセルも随分と踏み込んでいるし、おそらく二五十キロを超えているはずだ。フレームが少し軋んでいるので、これ以上アクセルを踏み込むのはよくない気がする。


 ようやく煙草に火が付いた。少し落ち着こう。落ち着こうと一息、煙を吸い込んで吐きかけた。落ち着けない。


「何やってんですか!! はい水!」

「悪ぃ」


 普段は冷静な薬屋も予想外の殺意にどぎまぎしているようだ。私も愛車を傷つけられて気が気じゃないが、このままではいけない。


 もう一度紫煙を吸い込んで、ようやく落ち着いた。

 懐から携帯を取り出して、舟屋に連絡を入れる。

 電話口のママは寝起きのようで、いつも以上にガラガラとドスの効いた声をしていた。ハンズフリーで話そうと、スピーカーモードにしてボトルホルダーに突っ込んだ。


『どうしたの』

「今変な連中に追われているんだ。心当たりねえか?」

『ないわよ、私、基本的に標的の組織は根絶やしにするし』

「だよなあ。鍛冶屋さんもそうだろうし、もしかして、これは俺のかあ……?」

『なに、あんた悪さしたの?』

「してねえよ。してたら多少は予想もできるんだがな」


 困った、とママに言うと、隣の薬屋が叫んだ。


「こんな状況で気の抜けたような会話しないでもらえます!?」

「なにカッカしてんだよ、落ち着けよ」

『あら、薬屋も一緒なの? あの子も災難ね』

「うっさいです! ああああああ、もう嫌だあああああああ!!!!!」


 後ろからまた弾が飛んできた。強烈な一点集中だった。どうにか私たちを殺そうとシートめがけて撃ってくる。流れ弾がフロントガラスにひびを入れた。薬屋は短く悲鳴を上げた。


 電話口から、大変そうね、と労われた。


「ああ、前が見えづらくて大変だよ。あいつらフロントガラスまで割りやがった。こりゃ修理代請求しねえと話にならん」

『あら大変。ま、くれぐれも事故には気を付けるのよ? それじゃ、私はもう少し寝るから。頑張ってちょうだい』

「え、ちょっと、ママさん寝ちゃうんですか!? 心配もしてくれないんですか!?」


 薬屋が今まで、縮こまっていたのに、急に体を前に出して、ボトルホルダーに入れた携帯に顔を寄せ付けた。そんな姿がママに見えるわけもなく、ママはけだるげに、興味なさげにこたえる。


『寝るわよ、心配するようなことじゃないでしょ』

「なんでそこまで言い切れるんですか!」

『大丈夫、葬儀屋はなんだかんだで私たちのトップにいるだけあるわよ。それに——』

「それになんだよ、もっと褒めてくれんのかい?」

『私の占いだとあんたたちは生きて帰るみたいだから』

「信用ならない占いだしなあ。ま、参考にはするよ」

『それじゃ、おやすみー』


 そういうと、通話は切れた。あっさりとしたものだった。隣で薬屋はうなだれている。少し心外であるが、私自身、先に舟屋のママが言ったほどの実力がある気はしていないので、うなだれる気持ちはわかった。わかったからこそ、しっかりと戦力を理解しているからこそ、がっかりとしたのだった。


 屋号会のトップこと、葬儀屋、こと私は、別に大した技能があるわけじゃあない。ちょいとした昔馴染みの気を紛らわせるためにそうなっただけで、人並みだ。といっても、おそらく一般人の域は抜き出ているだろうけれど、超人染みたことはできない。あくまで私は常人のままだった。


 こうやってアクセルを踏み込めるのも、ハンドルをくるくると回しているのも、妙に冷静な心境でこのデッドヒートを楽しんでいるのも、あくまで常人だからこそだ。隣でおびえている青臭い大学生の青年は、今でこそこんなに情けない声を出して、冷や汗をかきながら縮こまっているが、ふたを開けてみれば、百発百殺の毒のプロだし、多人数が相手だって、状況さえ作ることができれば、まず圧勝できるはずだ。


 しかし今回は状況もさることながら、追いかけまわしてくれている後ろのクラウン三台の所有者がわからない。真っ黒のスーツに白のワイシャツ、それに黒のネクタイに真っ黒のサングラス。——まるでメン・イン・ブラックのようだ。機密を保持し、秘匿する超エリート惑星外交官とでも呼べばいいだろうか。とにかくそんな成をしていたが、その手に持たれたのが対人用のアサルトライフルであったので、悠長なことも言ってられなかった。


 どうしたらいいだろうか。特に大した能力もなく、瞬殺も虐殺も不可能なこの状況で、被害を最小限に抑えて、迫りくる脅威だけを根こそぎ排除する方法はないものだろうか。


 なんにせよだ。もうおそらく警察が動き出してしまっただろう。恐らくではあるが、きっと、十津川さんも私と同じようにアクセルを踏み込んでいるはずだ。仕事だと言いながら、悪人のように顔をゆがませながら。


 と思った矢先に着信があった。十津川さんだった。すぐに着信を選択した。

 車道はまもなく首都高を一周し終えるころだった。なかなか申し分ないタイムだ。レースなら表彰台に上がれるだろう。


「十津川さん? どうしました?」

『どうしたもこうしたもねえよ。おめえ今どこにいるんだ?』

「どこ、と言われましても」

『首都高じゃあ、ねえよなあ?』

「どうでしょうねえ、ここは首都高じゃあないと思いますけれども」

『ほう、そうか。じゃあおめえのGPSは壊れちまってるってことでいいのか?』


 しまった、あのジジイついに文明の利器に手を出しやがったか。あれだけ嫌がっていたくせに、急にこうなるんだからたまったもんじゃない。


「それ、犯罪ですよ、十津川さん」

『知るかよ。通報じゃあ、三台の黒塗りのクラウンがフィアット500と首都高でチキンレースやってる挙句、先頭をひた走るフィアットめがけてバカスカ弾撃ってるらしいじゃねえか』

「まあ、なんとかなると思います」

『お前だけおいしい思いしようとしてんじゃねえよ』


 警察とは思えない言動だった。警察にいちゃいけない人種だろ。

 今ここでこちらに十津川さんに来られてしまっては余計なことになりかねない。戦力が増えることはありがたいが、それ以上にいろんなことを知られてしまうほうがまずい。なので私は奥の手を使うことにした。


「十津川さんにはこっちより行ってもらいたい場所があったんだけどなあ。残念だなあ、お孫さんがほしそうなスーパー戦隊ロボみつけたんだけどなあ」

『本当か!?』食いついた。

「いや、でもお孫さんまだ生まれたばかりですし、よくよく考えればいらないですよね。だから気にしないでください。でもきっと喜んでじいじ大好きとか言ってくれると思ったけどなあ。どうすっかなあ」


 待て待て、と電話の向こうで十津川さんが叫んだ。孫に対する愛情を利用するのは申し訳ないと思ったが、今回は背に腹は代えられぬ。


『それはどこにある』


 なんとなく、群馬と言ってみた。ここから二、三時間はかかるだろうし、往復しているころには片を付けてみせる。


「十津川さん、こっちは俺一人でどうにかしますから、応援をこちらに呼ぶのを止めてください」

『それは構わんが、どうしてだ』

「犯人をつまらんことで刺激して被害を増やしたくないんですよ」


 もうすでに犯人たちによって何台かはぼろぼろにされていたし、これ以上の被害を増やしたくないのも本心だった。


 それに、私の愛車を傷つけたことを後悔させねばならない。数人捕まえて、あとはそのまま葬送すればいい。情報は、吐き出してもらわなければ困るけれど、ひとまずは、あの三台を止めればいいのだろう。もうこの際、なりふりも構っていられない。あの三台を止めるためには、近接武器はまず合わない。


『それは報告しておく、あとは任せた。俺は群馬のジャスコに行ってくる』

「無事見つかることを祈ってます」


 通話の切れた音がした。

 使うべき武器は——M1911——通称”コルト・ガバメント"。

 懐からするりと取り出して、ぼろぼろになってしまったサイドミラーを泣く泣く無視して、ウインドウをしゃらりと開けて、左手はハンドルを握ったままに、ドリフトさせて、三台に真横に向かい合うような形を取った。右手で構えたM1911をその流れに任せて、三台のタイヤをしっかり射抜いていく。ドリフトはまだ続いていて、今度はフロントがしっかり三台と向かいあった。そのままアクセルを踏みつける。


 三台はバランスを崩して放射線を描いて首都高の壁に激突した。その三台にはぶつからずに突っ切ってみせた。開けた窓から海の香りがしてきた。ここはどうやら湾岸線のあたりらしい。


「どうだ、少しは見直したか?」


 私の問いかけに薬屋は答えない。気絶でもしてしまったか、と隣をよく見れば、声も出さず、ぶんぶんと首を振り続けている。


「おいおい、なんだよ」

「前!!!」


 前? と前を見やれば、そこには迫りくるトラックがあった。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 即座に、刹那に、瞬時に、とにかく目いっぱいハンドルを切り安全運転をしてその場をしのごうとした。がりがりと助手席側のドアがトラックに当たって嫌な音と火花を散らしている。


 どれほど長い時間、そうやって火花を散らしていたかわからないくらい長く感じたが、どうにか避けきって、トラックの後続の車群をよけきって、どうにかこうにか、無事、私たちは生き延びたのであった。思えば、私が逆走していたので、すべての責任は私にあった。


 それから私は薬屋に遺体の回収と数人の捕獲を任せ、私はその場で交通整理の仕事にとりかかった。帰宅ラッシュに引っかからなくてよかったと思いながら、私は陽に照らされながら、ひたすらに手を振り続けた。


 頃合いを見て、応援を呼んだ。二時間ほどして、ようやく交代の人員が来たので、とっとと交代した。犯人の取り調べも待っている。まずは修理代を回収してやろう、そう意気込んで、目の前でニタニタと笑うサングラスの男の顔面をぶん殴った。



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