第20話「それは舟屋の美学」(3)


「藤三郎」


 名を呼ばれて小説から目を上げて、声を主を探す。教室の入り口で、扉に手をかけて、十津川がこちらを見ていた。


「どうしたが」

「ちっくと来てくれ。おんしの力を借りたい」


 なんだろう、と思いながら舟屋は十津川の後を追った。


「何したが?」

「部員が一人怪我しちまったがだ。やき助っ人頼む」

「野球なんてやったことないよ」

「なんちゃーがやないだって! 運動神経しょうえいからどうにかえる!」


 なんててきとうなやつだ、とあきれながら、十津川と共に、グラウンドに走る。するとそこでは乱闘騒ぎになっていた。


 十津川の姿はもうなく、よく見れば、彼もその乱闘の中に入っているようだ。止めなければと駆け寄ると、そこには見覚えのある顔ばかりがあった。


 青白い、顔ばかり。忘れてならぬ、という具合に、自分が今まで殺してきた連中の顔ばかりがあった。


 あれは組の抗争で潰した井戸野組の面々、あれはこないだの標的の元レスラーの男だったか。あれは、あれは、あれは、あれは、あれは。


 全員が、束になって、学生服の赤川に襲い掛かってくる。その向こうに、小さく十津川の姿があった。


「しょうちゃん!」


 叫ぶけれど、その声が聞こえていないように、誰も守らなくなったホームベースをまたいで、バッターボックスに彼は立つ。


「しょうちゃん!」


 投手も捕手も、審判さえもいないというのに、彼は投げられぬ球をひたすら待ち続ける。きつくバットを握りしめ、脇を絞って、いつでもいいぞと眼光を鋭くする。


 どうにか彼の元まで行きたくて、舟屋は寄ってかかって襲ってくる連中を殺していく。頭を鷲掴みにして、後ろの連中に放って、転がして、踏みつけて、へし折って、前に進もうとする。


 なのになぜだか十津川の背中が遠いままで、なのになぜだか自分の体が重たくなっていって、なのになぜだか足元がどんどんぬかるんでいく。


 よく見れば、足元にはおびただしい量の血があふれ、気付けば沼のようになっていた。それでもと足を進めるが、その足を掴んで離さない亡者の群れがそこにある。


 地獄のようだ。


 冷めた思考回路がそう思った。

 私の生き方は地獄のようだ。

 このままここにいれば沈んでいく。ずぶずぶと音を立てて血なまぐさい泥の中に埋もれていく。それが末路なのだろう、と動くのをやめた。


 するとするりと泥を抜けて、肉屋の店にいた。ハナノユメは今日も盛況で、舟屋のいる隅から見渡せば、空席がなかった。みんなが肉屋と談笑をしながら朝食を食べている。幸せそうな景色だ。その幸せそうな景色の中で、舟屋の血まみれの姿は浮いている。


 自分の目の前には肉屋特製のナポリタンがあった。こればかりは料理上手な舟屋も敵わない肉屋の得意料理だった。美味しそうだと手を伸ばすと、なんだか色が妙に赤い。血色だった。血だった。生々しいほどにてらてらと妖しく光って、どんどんそれが形を失くしていく。気味の悪さに目を背ける。


 よく見れば、肉屋も血にまみれていて、だというのに笑顔で、誰もが笑顔で、それを気に留めることもなく過ごしていて、気持ちが悪い。


 肉屋、と呼んだ時。水を打ったように、静かになり、ピアノ線がそこら中に張り巡らされたように空気が張りつめた。時間が止まった。今まで聞こえていた談笑がぴしゃりと消えて、それどころか客たちの顔から命が消えた。笑顔でいるのに、笑っていないように見える。


 瞬きをすれば、そこに客はいなかった。

 肉屋だけがそこにいて、こちらを見ている。と、肉屋の手がこちらに伸びてきた。その手が首を掴む。首を掴んで持ち上げる。ぐぐぐと力がこもっていく。肉屋が何かを叫ぶ。その瞬間、肉屋の体が吹っ飛んで、後ろにあったカウンターにぶち当たった。


 からんころんとベルを鳴らしてドアが開く。そして少女が去って行く。にふふと笑って、自分の良く知る、肉屋の妹が去って行く。しかしその影は異様に伸びて、身長と比例せずに奇妙な形にとぐろを巻いていた。


 その影を追う。追うといつの間にか外は夜で、街灯が道を明るく照らす。人の波が舟屋を押して、引いて、どこまでも連れていく。揉まれている途中、その街灯と街灯の間に、七夕祭りと書いてある提灯を見つけた。


 見つけた途端、提灯の数がドミノ倒しのように増えていって、辺りが良く見えるようになる。まるで昼間のようになった、その人込みが急に消える。また舟屋は一人になる。その舟屋の影が、ぐるぐると渦巻いて、突然、自分の前にまっすぐに伸びていった。その方向に向かって足を進める。


 一歩。また一歩。歩いていくと、神社についた。その神社は小高い丘のようになった上にあり、振り返ってみれば、長い階段が眼下に続いていた。どうやらいつのまにか階段を登ってここまで来たらしい。


 そこから街を見下ろす。向こうのほうで、首なしの死体が浮いていた。その隣には影のように黒い何かがいて、くるくると踊るようにその周りをまわっている。足取りは軽く、楽しいことでもあったような、華やかさがあった。


 その死体に寄っていく。寄って行って、あれはたしか、と何かを思い出しそうになったとき、舟屋の目が覚めた。


 びっしょりと汗をかいてネグリジェが色を変えていた。息が荒い。

 今のは予言だろうか。嫌な胸騒ぎがして肉屋の携帯に電話をかける。

 一コール、二コール、三コール、四コール、五コール。

 出ない。ずっと、延々と呼び出し音が続く。

 いてもたってもいられず、舟屋は化粧も忘れて、ネグリジェに薄手のカーディガンを羽織って部屋を出た。


 時刻は一四時。奇しくも、ちょうど肉屋が手術を終えた頃だった。



 ――『舟屋』——

 体力性★★★★☆

 筋力性★★★★★

 俊敏性★★★★☆

 知性 ★★★☆☆

 魅力性★★★★☆

 本名『赤川藤三郎あかがわとうざぶろう

 溺殺専門の殺し屋。標的を酒で溺れさせて殺すことを美学とする。その丸太のような腕はベンチプレスならば二百キログラムをゆうに持ち上げる。その強力な筋力を用いて、標的の喉を絞り、自身のコレクションである酒を流し込んで溺れさせる。おかげで屋号会の中で一番の浪費家でもある。ずいぶんと強面であるが、可愛いものに目がない。テディベアとか大好き。ピンクもいいよね。可愛い格好をするのも好きなのだが、その骨格に合う女性服がないので、オーダーメイドで衣服を注文している。いわゆるオネエ。化物のような酒豪のオネエ。そして時々本当にかわいく見えてしまう、魔性のオネエ。

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