第14話「それは肉屋の美学」(3)


「一体何があった」


 運転席で姿勢を正してハンドルを握る鍛冶屋の問いかけに、肉屋はうう、と唸った。


「あいつは殺し屋です。あばらが折られました。綺麗に肺に穴をあけたみたいで」


 鍛冶屋が即座にハンドルを切って細い路地をひた走る。目的地は宵捕町の外れにあるやぶ医者のところだ。


「どれくらい我慢が出来る」

「もう無理」肉屋はにやりとした。

「冗談が言えるならばまだ死にはせんだろう」

「そうですね、きっとまだ、大丈夫かと思われます」


 ふと、花屋のことを思い出した。小さいころからずっと見守ってきた。二つ年の離れた妹はいつも鈍臭くて、何もないところで足を絡ませて転んでしまうような子だった。


 小学生のころから花に興味を持った妹に、少ないお小遣いを貯めて植物図鑑をプレゼントしたときは、泣きながら抱き着いてきた。鼻水を垂らしながら、顔中水まみれにして精一杯の笑顔を見せてくれたときは嬉しくてこちらまで泣いてしまった。


 自分が高校生になったころ、両親が火事で亡くなってしまい、自分は学校をやめて働くことにした。妹がせめて高校までは卒業できるようにと、この道に足を踏み入れた。あの日から妹のために生きてきた。


 これが噂の走馬燈かと肉屋は一人苦笑いを浮かべた。それで目を伏せた時、ジュースホルダーに置きっぱなしになっていたコップとストローが置いてあった。


 そして思い出した。つい一週間前、花屋と二人で見たテレビ番組のことを。たしか、地震に遭って家屋の倒壊に巻き込まれたことで自分のように肋骨を折って肺に穴が開いてしまった患者を、ストローで空気を外に流してどうにか命を救ったというものだった。その時花屋は、「私は心臓を一突きだからこんなに苦しむことはないのに」と恐ろしいことを言って、随分とたくましく育ってしまったものだと頭をかいた記憶がある。


「鍛冶屋さん、短刀とか、持ってきてます?」


 助手席にもたれて肉屋は尋ねた。


「あるが、お前死ぬ気か?」

「馬鹿言わないでください、俺はゆりを残して死ねません」

「何をする気だ」


 肉屋が首に指をあてた。


「此処を切って、穴を開けるんです。そこにストローを挿すんですよ」

「それでお前は助かるのか」

「ええ、おそらくですけど。解体屋さんのところにつくまではそれで大丈夫だと思います」


 それを聞いた瞬間に鍛冶屋がすっぱりとそこを切った。ストローが入る程度の小さな穴を開けてみせた。


「いきなりやります!?」


 痛みを忘れて体を起こして肉屋が叫んだ。すぐに背もたれに倒れ込んで苦悶の表情を浮かべた。


「叫ぶな、血が飛ぶぞ。早くそのストローを入れるなりしろ」


 顔色を変えず、悪びれる様子もない鍛冶屋にため息をつきながら、これも切ってもらっていいですか、とストローを差し出すと、鍛冶屋は短く切ってから先端を槍のように切ってみせた。ありがとうございます、と言ってその開いた穴にストローを突き刺した。


 だらだらと流れ出てきた血が、今度はストローを通してこぼれていく。自分の前に置いていたボックスティッシュから数枚とってストローの先に当てた。


 つい今まで浮き出ていた血管が落ち着いていく。


「よくそんなことを知っていたな」と鍛冶屋が前方から目を離さず言った。


「テレビでたまたま見て知ってたんです。そのときは使うことはないと思っていましたけど、ありましたね」


 三〇分も車を走らせるとその医院についた。肉屋は助手席で静かに眠っている。これで一安心かと思ったが、そこには張り紙があり、「用があるものは明慶大学を訪れるように」と書いてあった。


 しかたなしに懐から携帯電話を取り出してこの医院にいるはずだった男に電話をかけた。


「なんじゃ、今日は屋号会は忙しいのか」

「爺さん、急用だ。肉屋がやられた。早く手術してくれ。今医院の前にいる」


 ぶつりと切る。要件は伝えた。

 隣で眠っている肉屋は時折唸って、徐々に顔色が悪くなっていく。止血をしようと手で首をおさえてやった。二〇分ほどして、騒々しいバイクの排気音が聞こえてきた。


 ゴーグルとヘルメットを着けて、ハーレーに乗って現れた老人は、こんこんと運転席の窓を叩いて、運べ、と言って医院の中にとっとと入って行った。


 こくんと頷いた鍛冶屋は車を降りて肉屋に肩を貸して医院の中へ連れて行った。

 そっと、目を覚ました肉屋がぽつりと話した。


「さっき、電話してましたよね」

「ああ」

「今度から、最初にしてくれません?」

「ああ」


 肉屋を診察台まで連れていって横に寝かせると、老人が「わしゃ研究で忙しいのに」とぶつぶつ言いながら現れた。


「まったく、おお、ちゃんと応急処置は出来とるな。これはお前がやったのか?」


 老人が首元のストローを見つけて感心した。鍛冶屋が首を振って肉屋が知っていたのだ、と伝えた。


「博識だのう。よく知っていた。ほんで、今から麻酔入れるから、静かに寝てろよ」


 それから老人は麻酔を肉屋に打って、その服を切って胸部を切開した。

 中を見ると、綺麗に折られた肋骨が一本、肺の下部に突き刺さっていた。


「おお、随分と綺麗に入ったもんだな、誰にやられた?」


 鍛冶屋が知らん、と言う。


「どれ、これはもうくっつかんな。ばっきり外れとる。なに、一本無くたって生きていける。そんでは縫合していくからな。肉屋、もう心配ないからな」


 鍛冶屋は手術室の隅で腕を組んでそれを見ている。


「解体屋」と老人を呼んだ。

「わしゃもう解体屋ではないわい。まったく、隠居してもお前らがこうやって来るからいい迷惑じゃ。孫も継いでくれるかと思ったら薬屋なんぞとのたまっとる。あれはあれで興味はあるが、わしとしてはなあ」


 口を動かしながらそれ以上に素早く手を動かして、折れた肋骨を取り出した。それからするすると肺に空いた穴をふさいでいった。あっという間に胸部も首も縫合し終えて、ぱちんとゴム手袋を捨てた。


「ほれ、これで問題なし。しかし入院はせねばならんな。薫子に見てもらうから、ゆりちゃんにはそう伝えてくれ」


 わかった、と鍛冶屋が頷いた。鍛冶屋に手伝え、と解体屋――海堂保が言って、肉屋の巨体を近くの簡易ベッドに移した。


「手術よりも運ぶのに骨が折れるわい。少しは痩せろ」


 べちんと保が肉屋の腕を叩いた。


「しかし源坊、いつの間に携帯電話なんぞ持ち歩くようになった」

「葬儀屋がうるさいのだ。持て持てと。だから買った。だが使ってみるといいものだな。いつでも恵と話が出来る」


 ふん、と保が鼻を鳴らした。


「そのうちに嫌になるわい。薫子なんぞ、いっつもわしの邪魔しかせん。まったく」

「それはすみませんでしたね」


 がっと保は咳き込んだ。保の後を追ってきた薫子がそこにいた。にこりと保に微笑んで、それから鍛冶屋を見た。


「源ちゃん、はやくゆりちゃんに連絡を差し上げて。もし、都合がつくようなら恵さんも呼びたいのだけれど、一応、連絡してもらってもいい?」


 こくんと、再び頷いて、鍛冶屋はその部屋を出た。


「それで、一体何があったのです」

「わからん。知っているのは肉屋だけじゃ。すべては肉屋が起きてからだなあ。しかし、あの骨の砕きよう。どうやったらあんなにきれいにへし折れる。見ろ、これを」


 保が顎をくいと動かして、取り出した肋骨をさす。薫子がそちらを見て、まあ、と言った。


「相当の手練れでなければこんなことは出来まい。敵ながらあっぱれ、と言ってやりたいくらいの華麗さじゃい」


 そこに鍛冶屋が戻ってきた。


「こいつの着替えを用意してこれから来るらしい。肉屋が起きたら、事の真相をすべてを聞こう。場合によっては葬儀屋に話をせねばなるまい」


 鍛冶屋は診察室にある時計を見上げた。時刻は一四時。まだ、太陽は空高く照っている。



 ――『肉屋』――

 体力性★★★☆☆

 筋力性★★★★☆

 俊敏性★★★☆☆

 知性 ★★★★☆

 魅力性★★★☆☆

 本名『夢野潤ゆめのじゅん

 焼殺専門の殺し屋。標的を防炎性の高いシートで拘束し、そこに火炎放射器で炎でくるんで焼殺することを美学とする。その手さばきは圧巻で、その対象のみを焼き殺す。喫茶店『ハナノユメ』の店主であり、彼の作る料理にはファンが多い。特に人気が高かったのは彼の淹れるコーヒーとナポリタン。屋号会では舟屋である赤川と並んで料理が上手く、他の面々もよくごちそうになっている。花屋である夢野ゆりの兄でもあり、近所では仲睦まじい兄妹で有名。喫茶店の客も、屋号会の面々も彼の優しい雰囲気に癒されたものは少なくない。熊のように大柄な男ではあるが、心根の優しい、テディベアのような男。



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