第13話「それは肉屋の美学」(2)


「へえ、もしかして、今のがお花屋さん?」


 一人しかいないはずの店内に見知らぬ男の声が響いた。少し高い、まだ少年のような、若い声だった。


「なわけないかあ。君の妹だもんねえ。今頃お花屋でお仕事してるよねえ。だとしたら、さっきのはもしかして、君の恋人? それも違うかあ。にしては他人行儀だったもんねえ。まあ、君に好きな人が出来たとしたら、それは弱点になりうるから、そんなことはしないはずだあ。ねえ、お"肉屋"さん?」


 自分が、人の気配に気づかないわけがない。一般人ではない、へらへらと喋る何者に振り返ると、そこには自分がいた。店主――肉屋は目を疑った。息を飲む。どこからどう見ても、そこにいるのは自分だ。


「やあ、驚くのも無理はないよ。だって、今、ボクの姿はこんな風に君に"成っている"――不思議な話だよねえ。まるで鏡みたいにキミの姿がキミの前にある。アハハ」口調こそ違うが、声までそっくりだ。

「何者だ」ぎろりと睨む。

「ボク? ボクも殺し屋。いや、この姿なら俺って言った方がいいかなあ。にふふ、キミたちと一緒の殺し屋さ」


 肉屋は咄嗟にその体躯から想像できないほどの速度でカウンターテーブルを飛び越えて、その下に置いていた火炎放射器を持ち上げて構えた。


「待った待った、ボクはキミと殺し合うつもりはないんだ。わかったよ、じゃあ着替えるよ。恥ずかしいからそっち向いてて。ああもう冗談。そんな怖い顔しないでよ」


 その肉屋の姿をした何者かは、自身の頭をひっつかんで上へ放り投げた。びりびりと皮が破れていく音がして、その中から少女が現れた。


「こっちの姿の方が、いいでしょう? にふふ」


 その姿は肉屋の大切な妹の姿だった。目を見開いてそいつを睨む。


「ああもう、やっぱり怒ると思ったんだよねえ。気に入ってくれるとも思っていたけれど。ねえねえ、お兄ちゃん、そんなに怒んないで?」


 何か物をねだるとき、彼女がそうするように、花屋の恰好でそいつは小首を傾げて肉屋のことを見上げる。


 頭を振って、がちりと火炎放射器のトリガーに指をかける。だが、いくら相手が敵だとしても、やはり妹の姿をしていると撃つ気が起きない。どうしてもためらってしまう。


 その姿を見て、花屋の姿の何者かは、にふふと笑った。


「何がおかしい」

「いやあ、キミは妹が大好きなんだなあと思って。だったらためらって正解だよ」

「どういうことだ」

「簡単なことさ、これはボクが変装したのではなく、催眠術で操っているお花屋さんだとしたら? キミが今殺そうとしているのが、キミの妹さんご本人だとしたら? 涙なしでは語れない悲劇がそこに生まれちゃうよねえ。にふふ」

「お前は何者だ。妹をどうするつもりだ」

「名乗るほどの者ではないよ。それにさっきのは冗談。ボク、催眠術とか使えないし。これは正真正銘、ボクさ」


 それはよかった、と肉屋が防炎シートを放り投げてそいつの体に火を放った。くるりとシートにくるまれてそこに火が放たれると、内部の酸素が急激に燃え盛ってシートの中では小さな火事が起きていた。


 芋虫のような状態になってそれはどさりと床に倒れ込んだ。


「お前の焼き加減はウェルダンだ。誰に提供されるでもなく地獄に墜ちろ」


 シートによって小さくなった叫び声を上げながら悶え続けていたその芋虫は徐々に動かなくなり、肉の焼ける匂いが店内に漂う。


 頃合いを見計らって、肉屋はいつものようにそのシートをめくった。そこには以前、人だったものが転がっていた。全身が焼けただれ、もうどんな顔をしていたのかもわからない。


「はあ、すごいねえ、すごい手際の良さだ。ボクに真似出来るかなあ」


 肉屋ががばりと後ろを振り向く。カウンターテーブルに腰かけて拍手をしている花屋の姿があった。じゃあ、この子は? 一体自分は誰を殺した?


「本当にキミも殺し屋なんだねえ。突然躊躇がなくなった。いつもはテディベアみたいなのに今はまるでグリズリーだね。怖い怖い。ああ、気に掛ける必要はないよ。そいつはボクが殺そうとしていた標的だ。キミにプレゼントしたのさ。お近づきの印にね」そいつは軽くウインクをしてみせた。

「俺は趣味で人を殺してるんじゃない。この子はなんだ。何をしたというんだ!」

「その子はねえ、援助交際でとある幸せな家庭を壊してしまったんだよ。お金に目がくらんで、それで男と寝て、そしてその男はお金をプレゼントした。でも金額がいけなかった。あっという間に借金を重ねて、一家離散。血乳飲み子を抱えてお母さんは今はどこにいるんだろう?」

「それでも、この子は人を殺していない」

「どうだろう? それは今の話だろう? そのうちその男は自殺でもするんじゃないかなあ。まあ、それは自業自得だとして、もしお母さんが生活苦に嫌気が差して死んでしまったら? それは立派な人殺しじゃない?」


 花屋の顔はにこりとしていた。本当に、そっくりだ。気持ちが悪いくらいにそっくりだ。


「だから、そいつは死んでも良かったんだよ」

「それは違う。この子には未来があった。いくらでもやり直せる時間があった」

「そんなのきれいごとだよ。だって、キミは子供だって殺せるだろう? もしその子が『人殺し』であったなら」


 はああ、と花屋の恰好のままその何者かは伸びをした。


「キミたち屋号会は甘いんだ。殺し屋だというのに――人殺しだというのに――いつだってそう。キミたちは重犯罪者しか殺さない。その芽が花咲いてからしか殺さない。いつもいつも後手に回ってそれからきれいごとばっかり積み重ねる」


 飽き飽きしてるんだ、と言った。


「キミたちだって殺し屋だろう? これまでたくさんの人を殺してきた。時にはためらうこともあっただろうけれど、確実に標的を仕留めてきた。それが仕事だから当たり前だけどね――でも、きっと心のどこかで人を殺すことに魅力を感じていたはずだ。それをなぜ誤魔化すの? ボクにはそれがわからない。ねえ、お兄ちゃん。本当は今それを焼き殺して満足したんじゃないの?」


 ごごっと肉屋の喉が鳴った。内臓がぐぬりぐぬりと自転してるような気がして気持ちが悪い。何者かもわからない、花屋の恰好をしているそれの問いかけが体に槍のように突き刺さって抜けない。


「俺は、この仕事を楽しんだことはない。いつだって、この店に来てくれる人たちの笑顔を守りたくて、ずっとやってきた」

「それはとっても素敵なことだねえ。でもさ、キミに残念なお知らせだよ」


 そいつはいつの間にか、肉屋の目の前に立っていた。花屋がそうするように見上げて笑う。


「キミが今殺した子。さっきここから出て行ったあの女の妹なんだ」


 呼吸が苦しくなった。


「名前は三代繭みしろまゆ。一七歳の阿佐ヶ谷中野高校に通う女子高生。家族構成はお父さんにお母さんにお姉ちゃんに弟の五人家族。そしてお姉ちゃんの名前は三代蝶子みしろちょうこ。あの人綺麗だったねえ」


 目の前が真っ白になっていく。酸素がそこにあるはずなのに、どんどんなくなっていく。


「そんな彼女の大切な妹をキミは殺したんだ。でも仕方ないよね。だってその子は人殺しになりかけていたんだから」


 違う。それは違う。肉屋は首を振る。


「何も違わないよ。キミがいつもやっているように、きっといつか、その子は殺される運命にあった。もしかしたら、かもしれないけれど、この世にはもしかしたらが現実になることなんてごまんとあるじゃないか」


 膝が折れた。立っていられなかった。肉屋がどづっと床に膝をつくと、花屋の姿をしたそいつは肉屋を抱きしめた。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。キミは何も悪くない。この世界にある害悪を一つ取り除いただけ。ボクがそうするように、今回はキミがそうしただけ」


 どん、と肉屋はそいつの首を掴んだ。こひゅっと息を吐いて花屋にそっくりの顔が歪む。


「お前は何者だ。俺にこの子を殺させて、何がしたい」


 絞り出したような声だった。からからに乾いた雑巾をひねり切ったような、ボロボロの声だった。


「キミにも知ってほしかったんだ。ボクたち殺し屋は、どこまでいっても人殺しで、きっと心のどこかでそれを楽しんでいる。それともうひとつ、キミたちの上にいる葬儀屋さんに会いたかったんだ」


 息も絶え絶えにそいつは言った。


「葬儀屋さんに何をする気だ」さらに首を掴む手に力が入る。

「興味が湧いたんだよ。不殺の殺し屋なんて面白いじゃないか」


 苦痛にまみれた顔だったが恍惚そうに口元がひどく歪んだ。

 そのとき、肉屋の胸を思い切り蹴りこまれた。手が離れる。


「だから誰を殺せば葬儀屋さんが出てきてくれるのかキミに聞きたかったんだよ。あくまで確認だけどね。もしそれがキミならキミを殺そうと思うけれど、何も今じゃなくていい。でもやっぱりいいや。答え合わせは自分でするから」


 今まで首を絞められていたというのに、まったく呼吸が荒くなかった。胸を抱えてうずくまる肉屋にそれじゃ、と言ってそいつはさっきの女性が手をかけたようにドアノブに触れる。


「あ、そうそう、ボクの名前は"万事屋"。キミたちを全員ぶち殺す殺し屋さ」


 いってきまーす、と間の抜けた声と乾いたベルの音を残してそれはいなくなった。肉屋は焼死体のすぐそばでぐううとうずくまった。


 からりんころんとまたベルが鳴る。


「今花屋が出て行ったが、あいつは仕事ではないのか? ――どうした」


 着物を着流した偉丈夫が人の焦げた匂いに顔を歪ませながらも、うずくまる肉屋に駆け寄る。その姿に安心して肉屋はどさりと大の字に寝転がった。


「あれは、ゆりじゃありません」


 ひゅーひゅーと息が漏れる。

 顔色の悪くなった肉屋に何があったかを尋ねる。


「鍛冶屋さん、話したいのはやまやまなんですが、すみません、ちょっと、車運転してもらっていいですか?」


 鍛冶屋はすぐに肩を貸して立ちあがらせた。肉屋がカウンターの裏に置いてあると言った鍵を取って、車に乗り込ませてた。


 店のドアには準備中、大変申し訳ございません、と走り書きした張り紙をつけて、焼死体を車に隠してすぐに車を走らせる。


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