第11話 ネクラ勇者、コミサでコスプレを満喫する


「こんばんはー。……あれ、今夜はいつもと全然違う顔ぶれなのね」

 夜も更けた《旅の道連れ》亭。イケメンのセラを隣においしい酒を飲もうと思っていたオルヴァは、あてが外れてがっくりする。

 店内にはセラはおろか、甥っ子のクラムさえもいない。良くも悪くも酒場を賑わすいつものメンバーが、ひとりも見当たらないのである。

「いらっしゃい、オルヴァ。残念だったわねー」

 オヤっさんが、カウンターの奥で洗い物をしながら微笑む。

「明日は朝からヘウレーカ教のイベントがあるとかで、みんな早々に解散したわよ。ルージェちゃんは実家に帰ってて、飲みにすら来てなかったし」

「そうなの。ヘナンチャラーカ教のね……」

 オルヴァは相容れない思想を持つ宗教のいかがわしい密会を想像して、身震いする。

「私のかわいい甥っ子が汚されないことを願うわ」

「あなた、本当にヘウレーカ教が嫌いねぇ」

「当たり前でしょ。神様同士が仲悪いんだから。おふたりが天界でチークでも踊ったなら話は別だけれど?」

「フーディールとヘウレーカが? 天変地異でこの世が滅びるわよ」

「でしょ? だから無理」

 そのやりとりを聞き、くすりと笑ったのは、カウンターの一番奥に座っていた優男やさおとこだ。

「お酒を酌み交わせば、意外とすんなりわかりあえるかもしれないのになぁ」

「あら、いい男……ってウェズじゃない。来てたなら早く声かけなさいよ」

 オルヴァとウェズブックは、僧侶と魔法士として、十年前まで同じパーティに所属していた。今は部署は違えど、同じ冒険局で働く同僚だ。

「珍しいね。オルヴァが冒険者の酒場に来るなんてさ」

「そういうウェズこそ、普段はあんまり来ないでしょ?」

 オルヴァは許可もとらず、当然のようにウェズの隣に腰掛ける。

「こないだの宝さがしゲームが面白かったからね。久しぶりに僕も現役冒険者に交じってみたくなったのさ」

「ふーん。それじゃ、私と同じで今日は外れだったわけね」

「残念だよ。それにしても今日はカウンターの平均年齢、上がりすぎじゃない?」

「次ふざけたこと言ったら殺すわよ? 私、二十五歳で通してるんだからね?」

「冒険者になれるのは十六歳からなんだからさー。それじゃ計算合わないって」

「知らなかった? 私、打算と計算が大嫌いなの」

「イケメンの前でかわい子ブリっ子するオルヴァがそれ言う?」

「ウェズは悲惨と陰惨がお好きなようね♪」

「ごめんごめん。一杯目はおごるから、機嫌なおしてよ。オヤっさん、オルヴァちゃんに柑橘かんきつ酒をひとつ」

 オルヴァはため息をつく。長年一緒に冒険していたから、酒の好みも把握されている。胡散うさん臭い爽やかさにさえ目をつむれば、なんだかんだ気楽に酒を飲める相手ではある。

「ねえオヤっさん、あの子たちのこと、どう思う?」

 あの子たち、とはもちろん、クラムとその飲み友達のことだ。

「みんな見どころあるし、将来有望だとは思うわよ?」

 オヤっさんは柑橘酒の入った瓶とグラスをオルヴァに差し出す。

「ダメ人間も多いけど、魔王を倒すのは、意外とああいう破天荒な子たちなのかもしれないわね」

「どうしたの? 酒場の空気を吸って、冒険者だった頃のことを思い出しでもした?」

 ウェズは楽しげに言い、オルヴァのグラスに酒を注ぐ。

「そうね、ふたりとも、たまには昔話に付き合ってくれる?」

 オルヴァはまだ酒の残った瓶をウェズから奪い取ると、オヤっさんに差し向ける。

「しょうがないわねぇ……」

 オヤっさんは苦笑しながらそれを受け取る。

「じゃ、若き冒険者たちの未来に、乾杯しよう」

 三人はそれぞれの酒をぶつけ合い、一気に中身を飲み干した。


「これが半年に一度行われる大イベント! コミック儀式ミサ、略してコミサです!」

 常に笑顔を絶やさないダウリナではあるが、今日はいつにも増して機嫌が良さそうだ。というか、冒険の最中でも見せないような熱意とやる気に満ちている。

「コミサねぇ……」

 その会場は驚くなかれ、普段なら剣闘士たちが覇を競って剣を交える王立闘技場。

 貸切るのはかなりお金がかかるはずなんだが、ヘウレーカ教の資金源ってどうなっているんだろう。

 闘技場の円形アリーナには机と椅子が大量に搬入され、整然と並べられている。

 俺とダウリナが座っているのは、壁に面したブースだ。

 俺はこういうイベントには疎いんだが、なんでも今からここで、同人誌と呼ばれる本の販売が始まるらしい。

 ダウリナが扱っているのは、彼女自身が脚本・演出を務める演劇『シャドウ&ライト』の公式スタッフ本。手伝って机に本をうず高く積んでみたが、まだ在庫は後ろにも山のように残っている。

 おまけに新刊セットなるグッズと合わせた袋やら、『シャドウ&ライト』の前に公演されていた『ジャキョート!』の既刊やら、まあとにかく尋常じゃないボリュームの商品が積まれている。

 しかも、ひとつひとつが結構いい値段するんだよな。そんなに分厚い本でもないのに。

 うーん、こんなに売れるかな。ダウリナのやつ、発注のケタ間違えたんじゃないのか?

 売れなかったらこれ、相当な赤字が出るぞ……。

「しかし、閑散としてるなあ……」

 一大イベントというわりに、静かなもんだ。全てのブースに人がついて、見本誌を立ち読みしやすいように置いたり、イラストの描かれた旗を掲げたりしているが、お客さんが全然いないんだよな。

 ちらちら挨拶まわりをしている人は目につくけど……、本を交換するだけでお金のやり取りは発生していないみたいだ。

「このイベントって物々交換がメインなのか?」

 そう訊ねてみると、ダウリナにくすっと笑われた。

「開場していませんからね。まだ一般の方はいらっしゃってないです。大変になるのはこれからですよー」

「大変ねえ……」

「そうですよ。ミーちゃんに頼めなかったのも、目が回るくらい忙しいからですし。ミーちゃん流に言うなら、とことん大変、です!」

「また大げさな……」

 ただ本を販売するだけだろ? ネクラな俺でも接客くらいできるし、楽勝だって。

「で、……俺が着させられたこの服はなに?」

 自分の格好を見下ろしながら問う。 

 昨夜ダウリナに「これを着てきてくださいね♪」と渡されたのは、全身黒ずくめの衣装だった。

「コスプレですよ、コスプレ」

「コス……プレ?」

「物語に登場するキャラになりきって衣装を着たり、メイクをしたりすることです」

 あー、まわりに大げさな服装をしている人が多いのはそのせいか。眼帯つけてたり、異国の民族衣装を着てたり、実用的じゃないほどデカい剣を持ってたり、妙に露出が多かったり――露出に関してはダウリナほどじゃないが。

 それに比べると俺のは地味だな、それに――

「あんまり普段着てる服と変わらないんだけど……」

「それはそうですよ。だってそれはシャドウのコスプレですからね」

「なるほど……」

 ダウリナの書いた演劇『シャドウ&ライト』に登場するダブル主人公のひとり、シャドウは俺がモデルらしいからな。服装が似るのも当たり前か。

「でも、これならいつも着ている服でよくないか?」

「なに言ってるんですか! 神は細部に宿るんですよ!」

 お、おう……。ダウリナのこだわりが出た。こういうときは逆らわないのが吉。

「はい、あとこれはプレゼントです」

 ダウリナが渡してきたのは、額から目までを隠す銀色の仮面だ。

「なにこれ?」

 以前『シャドウ&ライト』に出演させられたときに被った仮面に似ているけど、微妙に違うような……。

「シャドウ&ライト第二幕『偽りの舞踏会』でシャドウがつける仮面です」

「へー……」

 第二幕なんてやってたんだ。第一幕というか、最初の舞台がついこのあい

だだった気がするんだが……、人気が出たってことなのかな。

「これをつければ、ちょっとは物語のキャラっぽくなるかもな」

 俺、実は仮面って結構好きなんだよな。自分の表情を隠せるってだけで、少し気丈になれるっていうかさ。仮面を被ることで、他人との距離感をつかみやすくなるっていうか。

 うん、コミュ障的な感覚でごめんね。わかってくれとは言わない。

 顔に近づけてみると、仮面はぴったり吸い付いて、離れなくなる。

 すごい、事前に顔のサイズを細かく測ったかのようなフィット感だ。

「どう? 似合ってる?」

 調子に乗ってカッコつけたポーズをとってみる俺。

「似合ってます! クラムさんは顔を隠していたほうが男前ですね!」

「それ褒めてる……?」

 しかし、男前と言われるのは悪い気しないな。

「プレゼントって言ってたけど、これはもらっちゃっていいの?」

「ふふっ、もちろんですよ。実はそれ、呪いのアイテムなんですけどね」

「ぶっ!」

 さらっととんでもないこと言いやがった!

 浮かれてたテンションが一気に下がったぞ!

「な、なんてもん被らせるんだ。まさかこれ、とれなくなったりしないだろうな……」

 もしそうなら、常に仮面を外さない痛い人として余生を過ごさなきゃならなくなる!

「…………」

 沈黙し、にこ……と俺への憐憫れんびんを込めて笑うダウリナ。

「おいこらー!」

 仮面を引っぺがすべく、俺は手に力を込める。

 頑張れ! 装着したばかりの今なら、呪いもかかりきってはいないはず!

 とか思ってたら、あっさり仮面は外れた。

「あ、あれ……?」

「あはは。冗談に決まってるじゃないですかー」

 ……さすがの俺もキレちまうぜ? 後ろ指さされながら生きていくことを半ば覚悟しつつあったってのに……。

「でも、呪いがかかっているというのは本当です♪」

 ホッとしていたところに再び投下される問題発言。

「ど、どんな呪いなんだ?」

 こいつを懲らしめるのは、その内容を聞いてからのほうがよさそうだ。

 ダウリナが傷ついたら俺に跳ね返ってくる呪いとかだと、迂闊うかつに手を出せないし……。

「とっても役立つ呪いなんですよ。なんと、その仮面を被っていると、絶対に正体がバレないんです!」

「……は? 正体が?」

 俺は改めて、手に持っている仮面をまじまじと見てみる。

「いやいや、これじゃバレバレだろ」

 だって、顔の一部しか隠れないんだぜ? そりゃ赤の他人はごまかせるかもしれないけど、知り合いに見られたら一目瞭然だっての。

「クラムさん、変身英雄ヒーローモノって観たり読んだりしたことないですか?」

「変身英雄モノ?」

「……今までどうやって生きてきたんです?」

 疑問形で返すと、ダウリナは信じられないものを見るような目を俺に向けてきた。失礼だな。誰もがお前と同じようなエンタメに触れてきたと思うなよ。

「世のため人のため、仮面を被って戦う英雄物語です。演劇の題材でもよく使われるんですけど、それを観た人はみんな最初は思うんです。『あの仮面、あんまり顔隠せてないのに、よく正体がバレないなあ』って」

「まあ、演劇なら役者の顔が見えなきゃダメだしな……。完全に隠れてちゃダメだろ」

「そうなんです。つまりはご都合主義なんですけど……。その仮面は、こういったご都合主義を現実にする呪いがかけられているんです!」

 かけられているというか、お前がかけたんだろうが。呪いのアイテムを作らせたら、ダウリナの才能はかなりのものらしいからな。

「つまり……、どういうことなんだ?」

「その《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》は、見た人の記憶をじ曲げるんです。私のように仮面を被っているのがクラムさんだと知っていれば効き目はありませんが、知らない人はクラムさんだと気づきませんし、あとから思い出そうとしても顔も服装もぼんやりとしか思い出せなくなります」

「なん……だと……?」

 なんかそれってすごくないか?

「どうしてそんな呪いをこの仮面に……?」

 コスプレで、そこまで正体を隠す必要はないと思うんだが……。

 俺はもう、あとから客としてやってくるミーチカやセラに見られる覚悟はしてたし。

 訊ねると、ダウリナは胸に手を当てた。まるで俺に敬意を示すかのように。

「『シャドウ&ライト』が続けられるよう《潮の翼》団を壊滅してくれたように、クラムさんはこれからも陰ながらネオンブリッジで活躍することになると思うんです」

 ヘウレーカ教主催の演劇を快く思わない《潮の翼》団と戦ったのは、今からもう一ヶ月前。あのときは《多重高速化マルチアクセラ》を駆使して正体がバレないようにしたけど、今考えてみれば奇跡的だったもんな。

「もし再び、素性を明かさずにああいう正義を行わなければならないときがあれば、この《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》を使ってほしいんです」

 そう言ったあと、ダウリナは付け加えるように小さくつぶやく。

「この仮面をつけていれば、ミーちゃんが正体に気づくこともないでしょうし」 

 ん? なんでそこでミーチカが関係してくるのかはわからないけど……。

「……ありがとう。ありがたく受け取っておくよ」

 俺はクールを気取って、仮面を小さく掲げた。

 正義のヒーローなんて続けるつもりは全然ない。

 だけどさ、こんな便利アイテムがあるんなら、もらっとかなきゃ損だろ!

 なんだよこれ。すげー。

蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》を装着しさえすれば、悪事だってやりたい放題じゃないのか?

 やっべー、コミサが終わったらどう使おうかな。

 極端な話、堂々と女湯をのぞいたって正体バレないわけだろ?

 逃げるときに《多重高速化マルチアクセラ》を使えば、もう絶対に捕まらないじゃん。

 はぁー、妄想がはかどるなぁ……。よし、次は温泉編としゃれこむか。

「今、ちょっとムッツリさんになりましたね?」

「へ? い、いやだな。なにを言っているんだよ。そんなわけないだろ」

「本当ですか?」

 顔を近づけ、ジトーッと俺をにらんでくるダウリナ。

 こっちは冷や汗だらだらだ。

 とりあえず表情を少しでも隠すべく、俺は再び仮面を装着する。

「俺は《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》を正義のために使うと決めたんだぜ? お、男に二言はない!」

「それならいいですけど。……まあ、まずは目の前の戦いを乗り切るとしましょうか」

「戦い?」

 ゴォーン……、ゴォーン……。

 ダウリナの言葉にタイミングを合わせたかのように、闘技場の鐘が鳴り始める。

 それはいつもなら、剣闘士入場の際に使われるものなのだが――

 わあっとにわかに活気づき、ブースに待機する人々は拍手を始める。闘技場の内側にいる人たちは楽しそうに笑っているのだが、俺たちのいる壁沿い

のブースは一様に張り詰めた空気となる。

「鐘の音じゃぁああ! 戦いの鐘が鳴り響いたぞぉ――!」

 どこからともなく、そんな声があがった。

 そして鐘のあとには、戦争でも始まるかのように法螺貝ほらがいが吹かれる。

「覚悟を決めてくださいね、ムッツリさん♪」

 そして――

 ドドドドドドドドドドドドドドドド――

 轟音ごうおんが、近づいてくる。

「スタッフ本、スタッフ本くださいィ――――!」

 まず闘技場に現れたのは、若い女性たち。ヘウレーカの司祭服を着ているものもいれば、大きな鞄を除けば普通の服装のもの、斬新なコスプレに身を包んだものもいる。

 共通しているのは、その全員が血走った目をして向かって来ること!

「新刊一冊!」

「新刊セット! 五セットまでいいんですよね!?」

「『ジャキョート!』の既刊も合わせて全部ください! 全部!」

「ヒィ――――!」

 戦いの火蓋が――いや、地獄の蓋が開いた。


 コミサ開場から一時間後。セラはミーチカを連れ、悠々と闘技場にやってきた。

「コミック儀式ミサ、とことんおっきい!」

 イヤーマフをつけたエルフは仲の悪いルージェがいないこともあり、ご機嫌だ。

「さすがはダウリナ、かとーなにんげんのぶんざいでここまでのイベントを開くなんて! いつもあたしに酒を奢ってくれるだけのことはある!」

「ダウリナ嬢がひとりで開いたわけじゃねェと思うけどな……。あとミーチカ嬢が飲んでるのはミルクだろ」

 セラはよろい姿だと《光の剣帝》であることがすぐにわかってしまうので、今日は地味な服を身に着け、さらには帽子まで被っていた。

 ダウリナ曰く「セラさんはライトのモデルとして有名なので、コミサに来たとわかれば腐女子がパニックを起こします!」とのことである。

「なあ、オレ様変じゃねェかなあ……?」

 セラが落ち着かないのは、本当の性別がバレないかと気が気でないからだった。

 普段から男を真似て、男の格好をして、男の口調で話しているものの、実のところセラは女である。

 男のフリをしているのは、そのほうが戦士としてめられないこと、そしてリオレス王家につながる素性を隠すためだ。

 仇である魔王を倒すと誓った以上、貴族の温室暮らしに戻る気はなかった。

 しかし、鎧を着ていないと胸のあたりが気になる。きつく縛ってきたから膨らみは目立たなくなっているし、服のサイズも少し大きめにしたから大丈夫だとは思うのだが。

「んー」

 ミーチカはじろじろと真剣にセラを見つめたあと、軽い口調で返す。

「見慣れないけど、別に変ではないんじゃない? かとーなにんげんのなかでは、セラってなんでも似合う、きれいな顔してると思うよ」

「そ、そうか……」

 陰でカッコいいと言われるのにはなんとも思わないが、面と向かって「きれい」と褒められると照れる。

「ミーチカ嬢、なにか欲しいものあるなら買ってやるゼ?」

「ほんと? セラ、太っ腹だね!」

 こういう甘やかし方をするとクラムが怒るが、今はそばにいないから構わないだろう。

「でもあたし、ここでどんな本が売ってるか知らないんだよね!」

「あー、オレ様も初めてなんだよな。コミサってやつ」

 なんでもコミックとかいう、たくさんの絵で物語を表現したものを売っているらしいのだが、セラは一度も読んだことがない。

 城で暮らしていたときは低俗だとして父や召使は見せてもくれなかったし、冒険者になってからも読む暇がなかった。

(勇者や戦士が活躍する冒険モノもあったりすんのかな)

 小説で好んで読んでいたのはそのジャンルだ。もしそれが絵で表現されているのだとしたら、興味がある。

「これだけ本があるなら、とことん尊いエルフを称える本があってしかるべきだよね!」

 ミーチカはミーチカで、セラとは全く違うものを読みたいようだ。それがどんなジャンルに分類されるのかはよくわからないが。

「一冊くらいはあるんじゃねェか? 探すのは大変そうだけどな」

「だよね! とりあえずダウリナのところに挨拶しに行こ! どこにどんな本を売っているか、教えてもらえると思うし」

「そうだな。そうするか」

 そう言って闘技場のなかを歩き出したはいいが、物凄い人の数だった。一月後に開催される夏の風物詩《ネオンブリッジ祭》でもここまで混み合うことはない気がする。

「むぎゅう……。人ごみ嫌いなんだよね」

 セラと違ってミーチカは視界が低い上にまわりからも見えにくいらしく、人にぶつかったりぶつかられたりして大変だ。

「ミーチカ嬢、手を繋いどくか?」

 見ていられなくなって手を差し出すと、ミーチカは素直に手を繋いできた。

「ありがとー」

 ふにふにして気持ちよい感触。剣を握り続けた自分の手とは大違いだ。

(ミーチカ嬢といると、なんか母性本能がくすぐられるよなぁ……)

 セラは女性としては高身長。自分が持っていないかわいさが羨ましくもあり、小さいものに純粋にキュンキュンしたりもする。

(オレ様――私にも子どもができたら、こんな感じなのかな……)

 セラが想像したのは、ミーチカと同じくらいの背丈にまで成長した男の子だった。きっと自分と同じく、さらさらとした金髪に違いない。父親に似て目つき悪くて、ちょっとネクラっぽいかもしれないけど――

(……いやいやなに考えてるの私!? クラムは最高の勇者さまだけど、別にけ、けけ、結婚したいとか思ってるわけじゃないんだからね!?)

 頭のなかのイメージを消し去るため、ぶんぶんと頭を振る。

 と、考え事をしていたせいで、セラは列に並んでいた男にぶつかってしまった。

「すみませ……わりィわりィ」

 普通に女口調で謝ろうとしてしまい、セラは慌てて言い直す。が、小太りの男はギロリと睨んでくると、凄い剣幕でまくしたててくる。

「列にはちゃんと並ぶのです! 割って入ろうったって、そうはいきませんぞ!」

 これにはセラもムッとする。別にズルをしようと思ったわけではないのに、一方的に決めつけてくるとは。

 よく見るとその列に並んでいるのは男ばかりだった。ヘウレーカ教主催というから女性ばかりかと思ったのだが、そんなことはないらしい。

「俺たち異種族萌えは規律が命! ただでさえ一般人からは白い目で見られやすいジャンルなんだからな!」

「そうだそうだ! モラルのないやつがひとりふたりいるだけで、『これだから異種族萌えは……』なんて一緒くたに言われることになるんだ!」

 ぶつかった男の言い分を信じて、列に並んでいる他の男たちもセラとミーチカを責め立てる。

 完全に誤解されてしまった。もう自分たちの弁を信じてもらうのは難しそうだ。

 不本意ではあるが、セラは引き下がり、この場を立ち去ろうとしたのだが――

「とことん尊いあたしが、あいだから入るなんてするわけないでしょーが! 向こうのブースに行きたいだけなの! 決めつけないでよね、かとーなにんげんのぶんざいで!」

 幼エルフには、そんな利口さは欠片かけらもなかった。セラと繋いでいた手を離し、原因となった小太りの男に詰め寄りケンカを売る始末である。

「か、下等だと? 俺たち異種族萌えは下等だと言いたいのか!?」

「おのれ、貴様、どこのジャンルの人間だ!」

「ええい、もうこの列には並ばせんぞ! さっさと立ち去るがよい!」

「あ」

 ドン、と男に突き飛ばされ、ミーチカが尻餅をついて倒れる。

「いたーい!」

「ミーチカ嬢、大丈夫か? おい、こんなちっちゃい子になにしやがるテメェ」

 ミーチカに駆け寄り、突き飛ばした男を睨みつけるセラ。《光の剣帝》と呼ばれるほどの凄腕が凄むのである。普段ならそれだけで相手は縮み上がるのだが、今回は違った。

 男たちはみな、セラのことなど全く見ていなかったのである。

「エ、エルフコスー!?」

 男たちが一斉に叫び声をあげる。

 ぴょこん。露わになったミーチカの耳が、尖った先端を立ち上がらせる。

 倒された拍子に、イヤーマフが外れてしまったのだ。

 そういえばこの男たちは『異種族萌え』だとか言っていたような……。

「耳の継ぎ目が見えない……! なんという完成度!」

「しかも、ぴくぴく動いてるぞ! どうやってるんだ!?」

「ていうか、なんのコスプレだ? エルフでこんなキャラいたっけ?」

「わからん! わからんがとりあえず、ロリエルフ萌えー!」

「ぺろぺろ……、ぺろぺろ……!」

 どうやらミーチカは本物のエルフではなく、エルフキャラのコスプレだと

思われたらしい。本物のエルフに会えることなど滅多にないから、わからないでもないが。

「こうしちゃいられねえ!」

「うわわっ!」

 セラはスマホンを取り出した男に押され、ミーチカから引き離される。

 そして異種族萌えの男たちはあっという間にエルフを取り囲み、あらゆる角度から撮影し始めた!

 パシャ、パシャパシャパシャ、パシャ!

「ぴみゃー! と、撮るなー! かとーなにんげんのぶんざいでー!」

 全方位からかれるフラッシュのなか、ミーチカが半泣きで訴える。頑張って耳を隠そうとしているが、手が小さいせいで全然隠せていない。

「恥じらいの表情! いいですぞいいですぞー!」

「こっちにも目線ください!」

「可愛らしい耳を隠さないでー!」

 助けに入ろうと思ったセラだったが、ミーチカの包囲網はどんどん厚くなっていき、とても入る隙間は見出せそうにない。

「ミ、ミーチカ嬢」 

 剣さえあれば威嚇することもできたかもしれないが、今はそれもない。

 なにより、ロリエルフに群がっていく男たちの目が怖すぎる。とても彼らが作る輪のなかに入っていく勇気はなかった。

「ま、まあいいか……。取って食われるわけでもなさそうだしな……。本当に困ったらミーチカ嬢も魔法を使うだろうし、ほっといてクラ虫とダウリナ嬢がやってるブースに行ってみるとするか……」

 ミーチカを見捨てる言い訳をしたあと、セラは再び歩き出す。

 しかし彼女は、ふたりのブースがどこにあるのかいまいちわかっていなかった。


「し、死にかけた……」

 開場から二時間。ブースにあった本の山は夢だったかのように跡形もなく消え去っていた。机には『完売』と書かれたプレートが立てられ、あれだけ並んでいた人も蜘蛛くもの子を散らすようにいなくなった。

「お疲れさまでした。もう頃合いを見て撤収するだけですから、あとは自由に見て回っていただいて構いませんよ?」

「わ、わーい」

 ダウリナにとっては慣れたものらしく、疲れた様子は全くない。それに比べて俺ときたら、机に突っ伏したままでしか喜べなかった。

「はいこれ、手伝ってもらった分のお金です」

 俺の前に差し出されたのは、膨らんだ封筒。金貨一枚と銀貨八枚。それがお駄賃。二時間でこのお金がもらえるんだから破格の条件だ。

 やったあ、これで飲み代が三回分くらい浮くぞ……。

「このお金を使って、好きなジャンルを開拓してくださいね!」

 さも当たり前のことのように、ダウリナが言う。

「か、開拓……? しなきゃダメなの?」

「え? このお金、なにに使うつもりだったんですか?」

「酒……」

「ダメですよ、そんなもったいない! 半年に一度のコミサなのに!」

「いやでも……」

「できればあとで買った本を読ませてもらえると嬉しいです。あんまりエッチなのばかり買ったらダメですからね?」

 反論する時間も与えてもらえない……。仕方ない。安めの本を二、三冊購入して、納得してもらうとするか……。

 疲れたポーズをしてても始まらない。やれやれと俺は立ち上がる。

「で、ダウリナはどうするんだ?」

「わ、私は私で買いたい本がありますから。知り合いの大手の方には取り置きしてもらってますし」

 反応からして、俺にあまり見られたくない本も混じっていそうだな……。

「それにミーちゃんたちが来るまでは、誰かがここに残ってないと」

「それもそうだな……。じゃあ、少し見て回ったらこのブースに戻ってくるよ」

「はーい、いってらっしゃいー」

 手を振って送り出してくれるダウリナ。

 しかし、うーむ。どこに行ったらいいのかわからないぞ?

 地図を見たとしても、自分がどういう本を欲しいのかわからないんだから意味ないし。

 とりあえず、ぶらぶら歩いてみるか。本の表紙見てたら、そのうち「おっ」と思えるものに出くわすかもしれないし。

 そういう風に思ってたら、円形をした闘技場の中心まで歩いてきてしまった。

「ん……。なんだろあれ」

 コミサ会場の中心には祭壇が特設されていて、ヘウレーカ教の信者と思われる女性たち数人が膝をつき祈りを捧げていた。

 祭壇にまつられているのは、一本のつえだ。柄の長さは俺の腰くらいまで、頂点にはハート形をした大きな宝石。不思議なことにハートの色は左側が白、右側が赤と中央で変化している。別々の石を組み合わせたようには見えないのに、だ。

「あなたもヘウレーカ教の信者ですか?」

 じっと見つめていると、横にいたお姉さんに声をかけられた。

「……へ?」

 格好からして、ダウリナと同じヘウレーカ教の司祭らしい。

「最近は腐男子のかたも増えてますからね。大歓迎ですよ」

 か、勘違いされている。でも、初対面の相手にされた誤解を解けるほど、俺のコミュニケーション能力は高くない。

「こ、これは……?」

 だから俺は、気になっていた祭壇の杖について訊ねることにした。

「ヘウレーカ教に伝わる《博愛者の権限ヘウレーカ・ジエイズル》です」

「《博愛者の権限ヘウレーカ・ジエイズル》……?」

「天界にいらっしゃるヘウレーカ様の眼であり耳であり口……、つまり信仰の対象となる聖法具なんです」

 フーディール教でいうところの《 勝利者の進軍フーデイール・ラチエツト》のようなもんかな。

「こういった大規模なイベントがあるときには、ヘウレーカ様にも楽しんでいただけるよう祭壇をつくり、お祀りする決まりなんです」

 そう言って、隣の女性は他の人と同じように祈りを捧げる。

「今年も素晴らしいCPカツプリングがひとつでも多く生まれますように……」

 俺もとりあえず祈っておいた。

 ダウリナの妄想癖や腐った思想が少しでもマシになりますように……。

 いや、これ元凶であるヘウレーカに祈ることじゃないな。

 さて、さっさと適当な本を見繕って、ブースに戻るとするか。

 そう思い、再び歩き出した俺の目に飛び込んできたのは、数人の男たちが仲良さそうに描かれている表紙だった。

「おっ、ち、ちょっと、な」

 俺が噛みながら声をかけると、売り子さんはにっこり笑ってくれる。

「なか、確認していただいて構いませんよー」

 ありがたい。意思を汲んでもらえた。さっきの司祭さんといい、このイベントに参加してる人、総じてコミュ障への対応力高いよな。

 無事許可がもらえたので、パラパラと中身をめくってみる。

 登場するのはやはり男ばかり。どうもヤロウパーティの話みたいだ。

「へえー……」

 普通に面白いな、これ。和気あいあいとしたパーティが繰り広げる、熱い冒険活劇。

 まるで俺の憧れを全部詰めましたみたいな本だ。

 なにより勇者がパーティメンバー全員から慕われているのがいい。

「こ、ここ、なんてジャンルですか?」

「このあたりはプラトニックですよー」

「プ、プラトニック……」

 知らない言葉だけど、男の熱い友情とか、そういう意味だろうか……。

 俺は同じエリアにある本を一通り読み歩いてみた。

 ……なんだ、面白い内容の本、結構あるじゃないか! やっぱりプラトニックっていうのは男の友情って意味なんだな。

 そして、ここら辺にはそういう作品ばっかりが並んでいるみたいだぞ!

 やっぱいいよなー、男の友情。大勢で集まって、なにか大きなことを成し遂げる。

 本の好みなんて意識したことなかったけど、俺はそういう物語が好きらしい。

「ありがとうございます。銀貨二枚になります」

 ふと気づくと、俺はいっぱいになった紙袋を手に提げていた。もちろん、ダウリナからもらったお金はすでに底をつき、自分の財布から硬貨を取り出している。

 …………おかしい。こんなはずじゃなかったんだが……。

 これじゃ飲み代を浮かすどころか、今夜の酒にも困るぞ。

 本を買うのは、もうこれくらいにしておこう……。

「ん」

 そう決意したとき、見知った顔がこちらへ歩いてくるのが目に入った。

「あっ、セラ」

 いつもと違って鎧を着ていないから、接近されるまで気づかなかった!

 やべ。あいつにこんな本を買い込んでいるところを見られたら、なんて言われるかわからない。

『ハッ! 友情モノの本ばかり買いやがって、そんなモンに頼る前に、仲間を作る努力をしろよな』とか馬鹿にしてくるに違いないぞ!

 俺はやつに見つからないよう、こそこそと後ろを向いたんだが――

「おい」

 セラが声をかけてきた! そりゃバレるわな、正面にいたんだもん。

「な、なんだよ……」

 俺は動揺を悟られないよう、気丈に振る舞う。

 いいか、俺の持ってる紙袋には絶対にツッコんでくるんじゃねーぞ……!

「そんなコスプレしてるってことは、アンタ、このコミサってやつに詳しいんだろ?」

「え?」

 なんだ、この初対面みたいな切り出し方。

 馬鹿にしやがって、こんな地味なヤロウの顔なんて、もう忘れましたってか?

 ……あ、違うか。そういえば俺、《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》をつけたままだった。

 これを顔につけてると、正体がバレないんだったな。

「まあ……、詳しいといえば詳しいな」

 そういうことなら、堂々としといたほうがいいな。

 仮面被ってて良かったー。しかしすごい効果だな、《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》。ほぼ毎日会っているセラですらごまかせるのか。

「で、私になにか聞きたいことでもあるのかね?」

 調子に乗って口調まで変えてみる俺。

「んとな、オレ様みたいな初心者でも楽しめそうな本は、どこに行けば買えるんだ?」

「それなら……」

 さっきまで買いあさっていた島を指差そうとして、俺は思いとどまった。

 ――良いことをひらめいた。

 せっかくだからこいつをエロ本エリアに連れて行って、ことごとく性癖を暴いてやろ。

 くっくっく。それを公にすれば《光の剣帝》の名誉も地に堕ちるぞ。

 我ながらなんて素晴らしい嫌がらせ!

「困ったときはお互いさま。ご案内しましょう。後ろについてきてください」

「おお、助かるゼ」

 歩き出した俺に、素直についてくるセラ。馬鹿め。

 といっても、エロ本がどこに置いてあるかは俺も知らないんだけどな……。

 遠目に見て、なんとなく肌色っぽいエリアを目指して歩いていけばいいか。

「このあたりですかねー」

 俺はなんとなく怪しげな雰囲気を漂わせたエリアで立ち止まった。

 詳しくないことを悟られないよう、ポスターや表紙をしっかり見ずに来たから、狙いと合っているかはわからないけど……、まあ間違ってたら改めて案内すればいいしな。

「どれどれ? あ、これ見ていいか?」

「どうぞどうぞ」

 売り子に声をかけて、本を受け取るセラ。

 さて、俺もなんのジャンルか確認しとかないと――

「! こ、ここは……!」

 まわりに貼られたポスターには、『シャドウ&ライト』の主人公ふたりと思われるキャラクターが描かれていた。しかも、どれもこれも半裸か全裸状態。

 まさか、成人向けの『シャドウ&ライト』ジャンル!?

「どうですか? やっぱりシャドウは受けだと思うんですけど」

 ブースの売り子さんが、キラキラした瞳を向けてきた!

「こ、これはちょっと……オレ様の趣味には合わねェな」

 パラパラめくっていた本を返し、顔を引きつらせるセラ。

 当たり前だよな、ライトのモデルはセラで、シャドウのモデルは俺。

 こいつからすれば俺とイチャイチャしてる絵を見せられているようなものだ。さぞ気持ち悪いだろう。俺だってそうだ。

 しかし、これはこれで充分な嫌がらせにはなってるな。

 ふっふっふ。予定通りとはいかなかったが、まあ、アリだ!

「そうですかー。ライト受け派なんですね。あっちはどマイナーなのに」

 的外れなことを口にする売り子さん。

 ごめんな、そういうことじゃないんだよ。こいつにはそもそもそんな趣味はないんだ。

「あ、あの……、そのライト受けってのはどこに行けば……?」

 ところがセラの口から飛び出したのは、そんなとんでもない質問だった。

 な……、なんだと……。

 こいつ、も、もしかして――

 噂に聞く『腐男子』ってやつなのか?

 最近増えているとか、さっき会った司祭さんが言ってたけど!

 え、ええー!? でも男と男がイチャイチャしているのを見て楽しむ男って、それホモってことじゃないの!? 違うの!?

「一列隣ですよ」

 不満げながらも教えてくれる売り子さん。

 急いでセラはライト受けのエリアに行くと、ブースに置いてあった本を掴みとる。

「こ、これは……」

 その内容を、食い入るように見つめるセラ。

「う、うわぁ……」

 恥ずかしそうに顔を背けたり、覆ったりしながらも、目は完全に釘付けになってる!

「どうです? マイナーって言われますけど、ライト受け尊いですよね!」

「うん、尊い……。とことん尊い」

 ハアハアと息を荒げるセラ。

 おいお前、興奮しすぎてミーチカみたいになってるぞ!

「……?」

 ふいになにかに気づいたように、隣のブースに掲げられたポスターに視線を送る剣帝。

 今度はなにを発見しやがったこいつ……。

「ライト女体化本、だと……?」

 セラがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

 また死ぬほど性癖をこじらせた感じの作品だな! 男と男をくっつけといて、わざわざ女体化する思考、全然わからない!

 怖いもの見たさなのか、セラは隣のブースに置いてあった本に食指を伸ばす。

 いやいや、いくらお前が腐男子でも、これは受けつけないだろ!

 俺は後ろから、セラの持っている本をチラッとのぞき見る。

 うへえ……。ガチでドエロい感じの本じゃねーか。

「こ、これを描いたのはオマエか?」

 声を震わせながら、セラが売り子の女性に訊ねる。

「は、はいそうですが……」

 顔を真っ赤にして睨みつけてくるセラに対し、おびえた様子の売り子。

 おいおい、いくら作品が気持ち悪くても、怒りを作者にぶつけるのはマナー違反だぜ?

「――素晴らしい内容だゼ」

 …………え?

 今、なんつった?

「シャドウとライトの相思相愛感がたまらない! オレ様は今、猛烈に感動している! 頼むからこれからもライト女体化本を描き続けてくれ!」

 えええええええ!? まさかの絶賛!?

「もちろんです。私たち二次創作者がいる限り、シャドライは永久に不滅です」

 女性は立ち上がり、まるで古くからの友人であるかのように、セラとがっちり握手をかわす。

 ど、どういうことだ? え、セラ、その本買うの? しかも三冊?

「ハァ……。これは永久保存しないといけねェな……」

 嘘だろ……。俺のなかの《光の剣帝》像が音を立てて崩れていく……。

 本当は世間の《光の剣帝》像を壊すつもりだったのに……。

 結局なんだかんだ近辺で数えきれないほどの本を買い込んだセラは、放心状態になりながらも後ろについて回っていた俺に笑いかけてきた。

「ありがとよ、仮面の人。アンタのおかげで、素敵な本を手に入れることができたゼ」

 手に入れた本を抱きしめ、心底幸せそうにセラは言う。

「ド、ド変態が……!」

「ん、なにか言ったか?」

「いや、なんでも……。じゃあ俺はこれで……」

「おお、ありがとよ!」

 手を振って別れてからも、俺は震えが止まらなかった。

 セ、セラの野郎……、ドSそうに見えて、実はドM? 

 公式は完全にライシャド推しなのに、あいつライト受け本にしか興味なさげだったし。

 あげくの果てに女体化って……。

 やべー。あいつ超やべー……。

 だって、自分をモデルにしたキャラが女になって、しかも俺をモデルにしたシャドウに入れられ――うわああああああああ!

 怖い! 俺、この仮面を外してあいつに会ったとき、冷静に対応できる気がしねえ!

 開けなくてもいい禁断の扉を開けちゃったよ……。

 うっぷ、は、吐き気がしてきた……。

 

俺はブースに戻ると《蜃気楼の仮装ミラージユフエイス》を外し、仮面の男をやめる。便利なアイテムだと思ったけど、使いどころ考えないと精神的にキツいものに直面することにもなるんだな。肝に銘じておこう……。

「クラムさん、おかえりなさい。本、いっぱい買ったみたいですね」

 そういうダウリナも、椅子の下に大量の本が詰まった紙袋を押し込んでい

る。一時間も席を空けなかったはずなのに、いつのまにそんなにブースを回ったんだ?

「よう、お疲れ」

 しばらくするとセラがやってきた。俺はやつを直視できず、顔を背ける。

 まあ、俺は最初からこいつのこと大嫌いだから、いつも通りの行動ではあるんだが。

「こんにちは、セラさん。あれ、ミーちゃんは一緒じゃないんですか?」

 そういえばミーチカをまだ見てないな。もしかして寝坊で集合場所に来なかったとか? 充分にありえる。

「あー、ミーチカ嬢はその……、異種族萌えとかいう連中に捕まった……」

「異種族萌え」

 うん。その言葉だけでなにが起きたのか、大体想像できた。

「セラさんもなにか買ったんですか?」

 セラの持っている紙袋を目ざとく見つけ、ダウリナが問う。ちなみに、俺がどんな本を購入したかはすでに彼女によってチェック済み。

『入門としては悪くないですね。もう少し踏み出してほしかったですが』というありがたい評価までいただいた。

「あ、これはその……! な、なんでもねェよ」

「つれないこと言わずに、見せてくださいよー」

 慌てて背中へ紙袋を隠したセラに、ダウリナが近づく。

「いやいやいや、これはあくまで自分で楽しむモンだから」

「ええー、楽しみは分かち合ってこそですよー?」

「ダメだってば!」

 隙を見て奪い取ろうとする手に対し、セラは必死の抵抗を続ける。

「……ダウリナ、無理強いするのはよくないんじゃないか?」

 俺がそう言うと、ダウリナが驚いた様子で振り返る。

「珍しいですね。クラムさんがセラさんの肩を持つなんて」

 俺だって、こいつの味方なんてしたくない。でも、その袋の中身を見たく

もないんだ。

「世の中には知らなくてもいいことってあるんだよ……」

「はあ……?」

 悟りを開いた俺の言葉に、ダウリナは怪訝に首をかしげるばかりである。

「あー、やっと見つけた!」

 そんなとき大声をあげて現れたのは、ミーチカだ。

 両手に大きな紙袋を持って、ご満悦な表情をしている。

「わあ、ミーちゃんもいっぱい買ったんですね」

「ん? 買ってないよ? これはねー、全部もらったの!」

「もらった?」

 ふふん、と鼻を鳴らし、偉そうな態度で胸を張るミーチカ。

「エルフが出てくる本が欲しいって言ったら、異種族萌えの人たちがくれたんだ! これもあたしの人徳がなせるわざだね! とことん尊い!」

「エルフが出てくる……。異種族萌え……」

 ダウリナが考え込むように顎に手を当てる。

「ミーちゃん、その……、もらった本って一冊でも読みました?」

「まだ読んでないよ! 家に帰ってからじっくり読むつもり! チラッと聞いた話だと、オークとかが出てくるらしい! きっと偉大なエルフの魔法でドバババーッと倒すんだろうね!」

「……おそらく、読まないほうがいいと思います……」

「え、どうして?」

「それはその……。説明しにくいです……。ミーちゃんには早すぎるといいますか」

 ああ、言わんとしていることはなんとなく伝わってきたぞ。詳しくはないけど、そういう嗜好の人がいるってのは聞いたことがある。

 しかし、鈍感なミーチカはダウリナの意図に全く気づかない。

「子ども扱いして! こう見えても百五十歳なんだからね! どんなに難しい内容でも、とことん賢いあたしにかかればおちゃのこさいさい!」

「そういうことではなくてですね……ええっとー」

「ダウリナさん!」

 困っているダウリナの元へ、ヘウレーカ教の司祭服を着た少女が走ってきた。

 幼く見えるから、ダウリナの後輩ってところかな。息を切らし、なにやら急いで伝えたいことがある様子だ。

「はい、どうしましたー?」

 でも、先輩はおっとりしたまま。ギャップがすごい。

「巡回騎士の皆さんが会場に!」

 しかし彼女の顔つきは、その一言で一変した。

「巡回騎士さんたちが……? 一体なんの用で……」

 と、ガチャガチャとした金属質な足音が近づいてくるのが聞こえた。

 見れば、甲冑かつちゆうを身にまとった男たちがこちらへ歩いてくる。

 彼らの肩に輝くのは、剣と盾を組み合わせた紋章。

 リオレスの治安を守ることを使命とする巡回騎士団の象徴だ。

 ただ――彼らを引き連れ、先頭を歩いているのは、どう見ても騎士とは思えない服装の少女だった。

 リオレスの遥か東に、央華と呼ばれる国がある。少女が着ているのは、その民族衣装、央華ドレスだ。詰襟のワンピースで、太ももが見えるようざっくりスリットが入っているのが特徴。身体にぴったり合ってるから、スレンダーなシルエットが丸わかり。逆に、彼女の顔はすっぽりとフードで隠されている。

 いや、それはそれでそそられるものがあるんだけどな……。

 頭隠して尻隠さず的な。小振りなおっぱいと太ももを隠さず的な。

「いい、キミたち。不健全で卑猥な本を片っ端から集めてくるんだ。遠慮はいらないよ。ボクたちは正義を行使しているんだからね」

「はっ!」

 フードを被った少女の命令で、騎士たちは颯爽さつそうと会場の四方へと駆け出し

た。

 やはり彼女は騎士たちを従えられる、高い地位にあるらしい。

「巡回騎士団なんかに、コミサは潰させないぞ!」

 その場にひとり残った少女に対し、コミサ参加者が反発の声をあげた。

「オタクじゃないやつに俺たちの文化がわかるもんか!」

「腐女子から夢を奪わないで!」

「そうだそうだ、今すぐこの会場から出て行け!」

 大勢から責められても、央華ドレスの少女には全く動じる気配がない。それどころか、遠くにいても圧迫感を覚えるほどの重々しいオーラを放ち始める。

「……うるさいな。ボクの権限で、今すぐこのコミサとかいうイベントをやめさせたって構わないんだよ?」

 少女は、頭に被ったフードを取り去る。すると周囲のざわめきは一層大きくなった。

 フードのなかに美しい顔があったことも、ひとつの要因。

 ツリ目で短髪。凛々りりしくてボーイッシュで澄ましてる。

 けれどそれらも、頭頂部にピンと立つ、犬のような耳のインパクトには勝てない。

 今さら気づいたけど、央華ドレスのお尻に開いた穴から、フサフサの尻尾が生えているじゃないか! しかもフリフリ左右に揺れている! かわいい!

 つまり彼女はエルフ同様、ネオンブリッジでは滅多にお目にかかれない

――獣人族だったのだ。しかもボクっ娘。なんて稀少種!

 そして珍しいからこそ、彼女の正体を見抜いた者も少なからずいた。

「巡回騎士団のリー・ワンヂェンだ……」

「《化け犬》のワンヂェン!」

「ケモ耳……。獣人萌えー!」

 ――最後のは置いておくとして。

「……もしかして有名なやつ?」

 俺は小声で、隣に立っているセラに訊ねる。

「リー・ワンヂェン。巡回騎士団《道化衆クラウンズ》のひとりだって言やあわかるか?」

「《道化衆クラウンス》。噂は耳にしたことあるな……」

 巡回騎士団長にして、最強の騎士とうたわれる男――アルザック・バーレンスタイン。

 彼に付き従う、四人だけで構成された直属の精鋭部隊。それが《道化衆クラウンズ》。

 各人に部下はいないものの、いつでも騎士百人を動かせる権限を持つと言われている。

「身のこなしを見てりゃわかる。……あいつ、相当やるゼ」

 ……《光の剣帝》が認めるほどか。背中に短剣、太ももに巻かれたベルトには投げナイフと思われる武器が何本も刺さっている。やっぱ騎士というよりは暗殺者みたいないでたちだ。ハニートラップが得意そうな。

「ワンコだ! クラム、あれかわいくない!? 尻尾がセルゲイちゃんⅡ世と似てる!」

 ミーチカは自分の使っている犬の抱き枕と毛並みを比較する。呑気のんきだな。相手は俺たちの参加しているイベントに対して敵意むき出しだってのに。

「ワンちゃん……」

 ぼそりと名を呼んだダウリナに気づくと、ワンヂェンは軽蔑を表すように薄く笑った。

「ダーちゃん。やっぱりこんなくだらないイベントに参加してたんだね」

「……知り合いか?」

 俺が小声で訊ねると、ダウリナは小さく頷く。

「はい。幼馴染おさななじみです」

 獣人と幼馴染って、またレアな。央華では人間より獣人のほうが多いらしいけれど、ここら辺まで旅してくる獣人なんて滅多にいないからな。

 野次馬たちが見守るなか、ダウリナがワンヂェンの前へと進み出る。

「私たちは、コミサ開催前にしかるべきところの許可を得ています。巡回騎士団のかたにとがめられることはなにもしていませんよ」

 幼馴染として、というより、イベント主催者としての言葉。王立の闘技場を借りてるくらいだし、ダウリナたちヘウレーカ教が国の許可を得ているというのは本当だろう。

「ネオンブリッジの貴族たちは、ここでどういうものが売られているのか、よくわかってないのさ。ボクが持ち帰って、審議してもらう。そうすれば次からコミサに許可が下りることはない!」

 余裕たっぷりに返すワンヂェンに、参加者たちの怒りが爆発した。

「横暴だ!」

「オタク文化に理解がないやつに判断を委ねるなんて!」

「ちゃんとモザイクはかけてるぞ!」

 ギャーギャーと騒ぎ出すコミサ参加者たちを、ワンヂェンが一喝する。

「うるさーい! そうやってムキになるのは、やましいことがあるからだろう! ボクは絶対に認めないからね!」

 うわー、ヒステリック。これはとりつく島がなさそうだぞ。

 そして厄介なのは、もしワンヂェンがコミサのいかがわしい本を持ち帰ったら、本当に次からイベントが開催できるかわからないってことだよ。

 例えばさっきセラが買ってた本とかさ、そういう嗜好がない人からしたら気味が悪いものでしかないじゃん。だからこそ限られた場所で、限られた人に売っているわけで……。

 それを温室育ちの貴族たちに見せる? カルチャーショックで失神しかねないぞ。

「ワンちゃん、どうしてそんなにコミサを目の敵にするんですか?」

 うるうると瞳を潤ませながら、ダウリナが問う。そう思うのも当然だ。巡回騎士団だって暇じゃない。酒場街なだけにネオンブリッジの治安はお世辞にもいいとは言えないし、他に取り締まるべき無法冒険者はいっぱいいる。

 それなのに、どうして誰の迷惑にもなっていないコミサに目をつけたん

だ?

 するとワンヂェンは、髪をいじりながらすねたような態度で言う。

「ボクは司祭になってみんなの幸せを導きたいと言っていたキミを尊敬していたんだよ。それなのにヘウレーカ教なんかを選んで……」

 はーん……、なるほど。ワンヂェンはダウリナが邪教なんかを信じているのが気に食わないんだ。だからちょっかいをかけている、と。

 ダウリナを嫌っているような素振りしてるけど、本当は好きなんだな。だから尻尾がちぎれんばかりに揺れているのか。

「キミは今からでも最高神シェキエ様か、獣神ライガン様に仕えなおすべきだよ。そうすれば、昔思い描いていた夢を現実にすることだってできるんだからね!」

「わかる」

 いけね、思わず同意しちゃった。

 だってダウリナの残念要素って、ほとんどがヘウレーカへの信奉に由来するもんな。

 腐女子であることしかり、呪いのアイテムの作り手であることしかり、死体使いネクロマンサーの魔法しかり。

 もし俺が幼馴染だったら、ヘウレーカ教を抜けてほしいって間違いなく思うもん。

「私の夢は、ヘウレーカ教できちんと叶えられていますよ」

 ところがダウリナは、堂々とワンヂェンを見つめ返す。

「……どこがだい?」

「ワンちゃん。コミサに参加している皆さんの顔をちゃんと見ましたか?」

「……う」

 問いかけるダウリナには妙な迫力があって、ワンヂェンが気圧されたのがわかった。

「人を幸せにする方法はたくさんあります。お腹いっぱいにしてあげたり、病気を治してあげたりすることはもちろん素晴らしい行いです。けれど、それと同じくらい、人が好きだと思うことを後押ししてあげることも重要なことだと私は考えています」

 ダウリナは祈るように手を胸の前で組み、慈愛に満ちた表情で目を閉じる。

「コミサもそのひとつ。みんなが自分の好きなものを作り上げ、その作品を好きな人たちが読み、喜びを分かち合う。その素晴らしさをワンちゃんにも分かってほしいんです」

 ……なんだ。いいこと言うじゃん、ダウリナ。そうだよ、幸せなんて人それぞれ。

 俺だってこのコミサで自分の好きな本を手に入れることができたんだ。楽しい時間を満喫できたのは言うまでもない。

 誰かが手を叩きはじめ、つられて周りも叩き、次第に拍手は会場全体に拡がっていく。

 どうやらみんな想いは同じみたいだ。

「ボ、ボクは……!」

 ワンヂェンはなにか言い返そうとして、言葉に詰まる。なにを言っても負ける雰囲気を獣人らしい本能で感じ取ったのだろう。

 しかし、悔しさをかみしめるような彼女の表情は、自分の元へ戻ってくる騎士たちの姿に気づいたときに一変した。彼らの腕には、それぞれ本が数冊ずつ抱えられている。

「ワンヂェン様。肌色の多いものを中心に、本を集めてまいりました」

「ご苦労様」

 彼らの手前か、毅然とした態度に立ち返るワンヂェン。

「ふん、どんなにそれらしいことを言おうとも、これを貴族どもに審議させれば、コミサは終わりだよ! ざまあみろだね!」

「ワンちゃん!」

 ワンヂェンは騎士たちの差し出した本の表紙を一瞥いちべつすると、軽蔑と憎悪をまぜこぜにしたような表情で、ひとつの紙袋に押し込んだ。

「ああ、汚らわしい、汚らわしい! 審議結果を楽しみにしておくといい

よ!」

 そう言うと踵を返し、会場を後にするワンヂェン。背中にどれだけブーイングを受けても、もう振り返りもしない。

「ああ……。もうコミサを開けなくなってしまいます……」

 さっきまでの堂々とした態度はどこへやら、おろおろと落ち着かないダウリナ。

「安心しろよ、きっとそうはならないさ」

 俺はため息をつくと、さっきより少し重くなった自分の紙袋を掲げた。


 ネオンブリッジで巡回騎士団が拠点とする根城へと戻ったワンヂェンは、その足で騎士団長アルザックの部屋へと向かう。

「ご主人様! ヘウレーカ教の悪事を暴いてきました。褒めてください!」

 扉を開けた先に席を構え、どっしりと座っているのは、見るからに屈強かつ精悍せいかんな男。

「なんだ、悪事というのは」

 リオレスの若獅子、巡回騎士団長アルザック・バーレンスタイン。

 甲冑を身に着けていても、その体躯たいくが限界まで引き締められていることは明らか。眼光は鋼のように黒光りし、見た者を貫かんばかりである。

「怪しげな儀式ミサを開き、そこで不健全な本を売りさばいています! 許可を出している貴族たちに、実情を伝えるべきかと!」

「ほう。不健全な本ね。もちろん、証拠は集めてきているんだろうな」

「はい、ここに!」

 持ち帰った紙袋を机の上に提出すると、アルザックはそこから一冊抜き出し、気だるそうにパラパラとページをめくる。

 お手柄を褒めてもらえると、尻尾を振って反応を待つワンヂェンだったが――

「なるほど? 貴様の価値観では、これが不健全になるのか?」

「え?」

 敬愛する団長の言葉は、まるで想像に反するものだった。

 突き返された本を受け取り、ワンヂェンは内容を確認する。

 中身は――ただ男たちが戦ったり旅したりする冒険活劇だった。

「こ、これは……?」

 ワンヂェンは悪夢でも見ているかのような気分だった。

「お、おかしいです。そんなはずない!」

 会場で表紙を見たときには、どの本もいかがわしさ満点だったのに。紙袋を漁ってみても、どれもこれも健全な本ばかり。ヘウレーカ教の信者が興奮しそうなものはひとつとして入っていない。

「だ、誰かにすり替えられたんです。そうに違いありません。くっ、ヘウレーカ教め。こんな卑怯な手を使って――」

「――ワンコ。貴様、何度言ったらわかるんだ?」

 じろりと睨みつけられたワンヂェンは「ひっ」と悲鳴を上げ、床に頭をこすりつけた。

「お前の言う通り、紙袋はすり替えられたのかもしれん。だが、この部屋に入る前に中身をもう一度確認しておけば、こんな失態はさけられたのではないか?」

「も、申し訳ありません……。おしおきは甘んじて受ける覚悟です!」

「貴様……、おしおきを受けたいがために、あえてミスをしているのではあるまいな」

「そ、そんなことは……」

「尻尾!」

「はっ」

 ワンヂェンはフリフリと揺れていた尻尾を手でおさえる。どうしても尻尾には感情が表れてしまう。

「まあ、ダウリナ・プランジットにちょっかいをかけたことは褒めてやってもいいぞ。仲がいいな、お前らは」

 くっくっと笑うアルザック。

「あの女と仲よくなんかありません! 心外です!」

「お座り」

 怒ってアルザックに詰め寄ろうとしたにもかかわらず、ワンヂェンはその一言で再び床に膝をつく。

「よく聞け、駄犬。俺がこの国の王まで上り詰めた暁には、女性だけの《白百合騎士団》を編成する。お前にはその団長を務めてもらうつもりだ。あまり失望させるなよ」

「あ、ありがたき幸せです。ご主人様」

 喜びのあまり、唇の端からよだれを垂らすワンヂェン。

「ふん、BLか……。実にくだらんな。お前もそう思うだろ、ワンコ」

 アルザックは窓から外を眺めながら、ニヒルな笑みを浮かべた。

「この世界で最も尊いもの――それは女性同士の禁じられた愛。すなわち、百合に他ならないのだからな!」

 

コミサが終わったあと、俺たちは打ち上げと称し、《旅の道連れ》亭にやってきた。

 うん、ぶっちゃけ、いつもの飲み会となにも変わりません。

「あーあ、アタシも行きたかったなあ。コミサ……」

 久しぶりに実家に帰ってきたルージェは不満を露わにし、やけ酒気味に葡萄酒ぶどうしゆをあおっている。お前はお前で業が深そうだからな……。趣味を知らずに済んで良かったよ。

「ありがとうございました、クラムさん♪」

「ああ」

 ダウリナが杯を差し出してくるので、軽く乾杯する。

 売り子を手伝ったことに対する御礼だけじゃない。

 俺は《多重高速化マルチアクセラ》を使って、ワンヂェンの紙袋をすり替えたんだ。俺の買った健全な本と丸ごとね。

 これで、ひとまず次回のコミサが開催できなくなるってことはないだろ。

 前に《潮の翼》団を倒したときに比べれば、楽な仕事だったぜ。

「な、ななななにこれー! とことん尊いエルフが……!」

 と、自分の紙袋から本を取り出したミーチカが、わなわなと唇を震わせている。

「……しまった」

 巡回騎士団に気を取られて、あいつから紙袋を没収するの忘れてた。

 ……まあいいか。未成年なら問題だけど、こいつ百五十歳だし。

「えー、なになに? チカちゃんそんなドギツい本買ったの? あはっ☆ かわいい顔して変態さんだねっ☆」

「ち、ちちち、違うし! これは人にもらっただけなんだから!」

「またまた、そんなこと言っちゃってー」

 これはしばらくのあいだ、このネタでルージェに絡まれることになりそうだな。

 ま、たまには世間知らずを直すためのショック療法も必要ってことで。

 それより問題なのは、俺の持っている紙袋の中身が卑猥極まりなくなってることだ。

 あーあ。せっかく、男の友情モノをたくさん買い込んだのになー。

 ……しょうがないから、男性向けのエロ本はじっくり読むとするか。これ、不可抗力だしな。うん、仕方ない。決して俺がムッツリだってわけではないから、勘違いしないでもらいたいね。

「あれ? クラムさん、またムッツリさんになってませんか?」

「い、いやだな。そんなことあるわけないだろ……」

 女ってほんと、こういうときばっかり勘が鋭いんだよな……。

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ネクラ勇者は仲間が欲しい/羽根川牧人 ファンタジア文庫 @fantasia

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