22 もう一人の王子

 ベッドに横たわっていると、ゆらゆらと体が水の上を漂っているような心地になる。この感覚にも大分慣れたものだけれども、何度も溺れかけたからなのか、やはり堪えるとクリスは思った。

 むくりと起き上がると船室を出る。

 三国の王が集まる会談は、リーベルタースのアカリナで行われることとなった。そのために船で移動しているのだ。

 闇色に染まった海には、星が浮いている。クリスはじっとそれを眺める。心地よい海の風が項をなでていく。

 クリスは船べりに手をかけて、大きく深呼吸をする。そして目を閉じてみる。鮮やかに浮かび上がるのは笑顔。それから泣きそうな顔。今彼女はどっちの顔をしているのだろうと思う。


「ユウキ、お前、ほんとどこに居るんだよ」


 戦が止められたとわかった直後に母親に彼女の捜索を頼むと、「この子、色ボケしてるわ」と呆れた顔をされてしまった。だが、これでも精一杯我慢しているとクリスは思う。天秤にかけることなど出来ないのに、選択肢は常に前にある。優先度を考えて、選び取っていかねばならないのだ。

 一人の男としてはユウキの捜索を最優先にしたいけれど、一国の王子としては許されない。だが今、考える余裕を得て、必死で堪えていたものが堰を失い溢れ出している、そんな気がした。


(大丈夫、すぐ、見つかる。彼女の体は朽ちない、三年朽ちなかったんだ、今度もきっと)


 不安を打ち消すべくブツブツつぶやいていると、


「眠れないのか?」


 聞き慣れた声に振り向くと、ロシェルがルーカスを始め、親衛隊の半数を従えて立っている。

 あの時置いてきた彼らは、全員無事に追っ手を振り切ってカタラクタ入りし、そして半分がユウキの捜索のためにリーベルタースに舞い戻ってくれた。

 揃った顔を見るとほっとする。だがクリスはすぐに首を傾げた。並ぶ場所が間違っているのだ。


「……なんでそこにいるわけ?」


 護衛である彼の居場所はクリスの傍のはずなのだ。これではまるでロシェルが主のようだ。

 不満が顔に出ていたのかルーカスは面白そうに笑う。


「彼女が殿下が妙なことをしないように見張ってくれと言いまして」


 彼がそう言うと、ロシェルが「海に飛び込みそうな顔してるし」と肩をすくめる。そして右手に持っていた酒瓶を掲げて「ちょっと話でもしないか?」と笑った。




 ロシェルは年頃の娘としての慎みなどは併せ持っていなかった。アンタの部屋に行こう、と勝手に入り浸るロシェルに困惑したクリスは、二人きりは困るからと結局ルーカスも連れ込んだ。

 急遽始まった酒盛りだが、さほど飲みなれていないクリスの前で、こちらが青くなるくらいのペースでロシェルがグラスを空にしていく。


(あー……最初の印象は、もう欠片も残っていないな)


 あの健気な少女は一体どこへ行ったのだろう。何重にもかぶった猫が剥がれた様子を見て、女は魔物だとクリスは呆れ果てる。

 付き合うルーカスも結構な量をすでに飲んでいる。勤務中ではあるのだが、全く顔色が変わらないところを見ると、飲んでも飲まなくても仕事に差し障りがなさそうだと思った。


「んでっ、ユウキはどこにいるのか、見当はついたのかよ」


 クダを巻きかけているロシェルが言い、クリスは目を瞬かせた。


「本の中がどうとか言ってただろうが。あれ一体何だったんだよ」

「……あぁ」


 忘れていたわけではなかったのだけれど、緊迫した状況に置かれていたせいで考える余裕がなかった。クリスは寝台の横の棚から本を取り出す。ユウキの残していった本だ。

 手がかりを物語から得ようと思っていたのだったと思い出す。


(いや、違う。この世界に落ちている要素から、ユウキの居場所を割り出そうと思ってた)


 要素を見つける暇なく今まで来てしまった。クリスはくつろいでいた姿勢を正すとじっと本を覗き込んだ。


「人魚姫と、白雪姫はとりあえず除けておいていい、はずで……」


 そうつぶやきながらも心の奥で警鐘が鳴り、


(あぁ、まだ完結、してない……のに、なんで)


 クリスは目をつぶる。何かものすごい不快感の塊が湧き上がってくるのがわかる。だが、その原因に全く覚えがない。


(未完の物語などそこらじゅうに転がっている。だから、気にする必要はないし――)


 クリスが目頭を揉んでいると、ロシェルが横から本を覗き込む。強烈な酒の匂いに思わずのけぞりそうになる。ついでに鬱々とした気分が、別の不快感で上書きされる。


「ロシェル飲み過ぎじゃあ」


 一緒に考えてくれようとしているのはわかるし、ありがたいとも思っている……だが、この臭いには鼻を摘まみたいくらいだった。だがロシェルはクリスをあっさり無視して、目次に並ぶ文字を読めと促した。


「かえるの王さまと赤ずきん、おやゆび姫に、ヘンゼルとグレーテルにシンデレラ、長靴を履いた猫にラプンツェル……眠り姫……」


 嘆息するとクリスは順に読み上げる。だが、


(あれ?)


 頭のなかのひらめきが逃げないように、神経を研ぎ澄ませようとするが、酒で頭の働きが落ちている。さらにロシェルが邪魔した。


「多いなあ。これ、簡単にどんな話か教えてよ」


 酔っぱらいは譲る気がなさそうだった。

 渋々ではあるが、自分の頭を整理するためにもクリスは大筋を話すことにする。


「かえるの王さまってのは、呪いでかえるにされた王子様がお姫様に拾われて、で、壁にぶつけられたことで元の姿を取り戻すって書いてあった」

「なんじゃそら」


 ロシェルは納得行かない顔をするが、クリスだってこの部分をどうとらえていいかわからない。まず、かえるに変身、というところで躓いてしまう。非現実的すぎて、まともに考えられないのだ。

 思考が停止するのがわかる。クリスはひとまずその部分を飛ばすことにする。今は筋を説明しているだけなのだ。


「で、赤ずきんってのは、赤い頭巾をかぶった女の子が祖母の家にお使いに行くんだが、途中で祖母もろともオオカミに食べられる話……まぁ、一応あとから狩人がオオカミを退治してくれるみたいだけど」

「…………えぐいな、それ」


 クリスは頷く。ただでさえ悲劇なのに、変に配役を考えてしまうと別の意味で背筋が冷えるので、この話にユウキがたどり着いて欲しくないと願ってしまう。


(オオカミをだと置き換えるとものすごく嫌なんだけど……)


 この世界でも男を肉食獣に例えることはある。だからこそ、一読した際に、この話に込められた教訓に気づいてしまった。娘が一人でフラフラと森をさまよってはいけない。そんな忠告が。

 変な汗が滲み出す。世界中の森へと彼女を探しに行かねばならないような気がしてくる。


 ブルブルと頭を振って嫌な想像を追い出す。


(大丈夫だ、だって、ユウキの祖母はこの世界にはいないんだから――)


 必死で言い聞かせて、脱線しかける頭を叩く。


「おやゆび姫ってのは、親指の大きさしかない美少女が、あちこちで小動物に嫁にと乞われて攫われるんだけど、最後にはツバメに助けられて王子様のところにたどり着いて結婚するという話」

「………小動物?」

「かえるとか、もぐらとか。これもどう捉えればいいのやら……ユウキが親指サイズってのは非現実的すぎるしな」


 ロシェルはピンとこない顔をしている。クリスは無視して続けた。


「で、ヘンゼルとグレーテルってのは、森に捨てられて迷子になった兄妹の話。ヘンゼルという少年とその妹のグレーテルが、魔女の住むお菓子の家に辿り着き、食べられそうになる。これは兄の知恵で魔女を倒して無事に家に帰るんだけど」

「色んな意味で悲惨だな」


 クリスは頷く。そしてユウキはこの話と白雪姫で悩んだのではないだろうかと思った。森で迷子という部分が共通しているからだ。


(要素の抜き出し……か)


 一人、思考に沈みそうになっていると、ロシェルが遮る。


「シンデレラとラプンツェルも人名っぽいな」

「……ああ。えっと、《シンデレラ》は継母と継姉に虐げられて、不遇の状況に置かれた娘が、魔法使いの力を借りて王子様に見初められ、継母と継姉を見返す話かな」

「おっ、アタシ、そういうスカッとするの好きだ」


 クリスは苦笑いをする。


「類話がいっぱいありそうだな、これは」


 好まれる話には型がある。クリスは頷いた。


「で、《ラプンツェル》ってのは、魔女によって塔に閉じ込められた髪の長い女の子が、王子の呼びかけで髪を塔からおろして、王子を引き入れる。で、恋をした二人が一緒に逃げ出す話」


 言っていて思い出す。クリスもユウキを三年の間、塔に閉じ込めていた。もしユウキがラプンツェルならば、魔女はクリスで、《王子》が彼女を盗み出したことになる。

 思わず眉間にしわが寄るけれど、


(前回の話は、《人魚姫》で確定している――はずだろ)


 クリスが自分に言い聞かせていると、ロシェルのツッコミが入った。


「塔から? そんなに髪って伸びるものなわけ?」


 クリスは苦笑いをした。物語の世界での自由度の高さには感心する。想像力という力は、世界をどこまでも広げてしまうように思えた。


(こんな、小さな本の中の世界だというのに)


 その中の世界は、ひょっとしたらクリスの住む世界より広いかもしれないのだ。

 案外酔っているのか、ルーカスが「三年眠ったままの娘がいるんですから、アレがありなら、髪くらい大したことないと思いますけどね」と茶々を入れる。

 現実的あり非現実的なしかを考え出すと話が進まないのは十分心得ている。ただ、この世界での不思議は、あちらとこちらを行ったり来たりできるユウキという存在だけだというのは覚えて置かなければならないと思った。

 逆に言うと、それ以外には不思議はないのだ。

 なので、どこまで物語を現実に近づけられるかを考えると、ある程度許容範囲が絞られると思うのだ。


「……多分、言葉どおりに取ってはいけないんだ。残りの《長靴を履いた猫》だって、賢い猫が策を講じて、貧乏人の主人を貴族に成り上がらせて、最終的には王女と結婚させる話だけど……猫をそのまま猫だと考えたら、もうその時点で非現実的だろ?」

「非現実的っていうかなんていうか……全体的に夢いっぱいだな」


 ロシェルは楽しげに笑う。


「この中で可能性がありそうなのってなんだろな。この世界の中で、物語と共通する要素を見つけないといけないけど……」


 クリスは腕を組んだまま、天井を見上げた。


「かえるに変身した王子、演技力の高い狼に、親指サイズの小人、人食いの魔女にかぼちゃを馬車に変える魔女、策略家のしゃべる猫、長く丈夫な髪の娘……って、まず存在しないんじゃあ」


 と、そのとき、酒を煽っていたルーカスが上機嫌で言った。


「私はもう見つけましたよ、この世界と物語、共通の要素」

「はやっ! 何!?」


 ロシェルが身を乗り出し、クリスも期待する。だが、


「《姫》ですよ」


 前回二回とも姫が絡んでいたため、深く考えるまでもないと除外していた候補だ。クリスはがっかりする。


「まぁそうなんだけど……多分、いつも姫として現れてくれるわけじゃないんだよな……」


 前回、前々回、どちらも最初の配役は姫ではなかった。最後に姫になったのだ。なのでもしも姫の出てくる話にまた現れるのであれば……最後に姫になるのではないかという予感があった。


「あれ、そういや、さっきなんとか姫ってのなかったか? おやゆび姫じゃなくって、なんだっけな」


 目をぐるりと回したロシェルがふと口にするが、クリスは小さく横に首を振ってその話題を避ける。

 八つの物語の中で、《その物語》がひどく重要な意味を持っているような気がしてしょうがないのだ。だからあえて話題から外した。酒が覚めてから、一人でじっくり考えてみたかった。

 そんな思惑に気がついたのかは知らないが、ルーカスが不満げに言う。


「じゃあ《王子》はどうでしょう? 大抵が姫と一緒になって出てきてる感じがしましたけれど」

「だけど、おれのところに落ちてきてくれるとは限らな――」


 そこまで言ってクリスはハッとした。


「あれ、この近辺の王子って……おれだけじゃなかったよな?」


 姫は多いけれど、王子がほとんどいない。だからこそ、クリスが王子役をことごとく引き受けているのかもしれないと思う。だが、


「いえ、もう一人いらっしゃいます」


 ルーカスはニヤリと笑った。クリスが記憶を探るとその名前はルーカスの言葉と一緒に浮き出した。


「オールドーの王子、フリッツ殿下です」

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