20 わたしと取引しませんか

 フリッツ王子がユーリア王女と食事をとっている。その姿を遠目に眺めながら、ユウキは小さくため息を吐いた。

 カロリーネに頼んで、給仕の仕事にありついたユウキだったが、隣国の王子に気安く質問などできるわけがなかった。

 下っ端にできることは、ただ黙って会話に耳を傾けることだけだ。

 だが、面々の中で個性を持つのはユーリアとカロリーネだけ。彼女たちの周り以外は、それが王様であっても時間が止まって見える。

 ユーリアの父親であるはずの王様は、人が二十人ほど座れそうな長細いテーブルの反対側に座っている。ただ黙ってにこにこと二人の様子を眺めているけれど、会話の内容は聞こえていないか、それかさほど気に留めていない様子だった。

 柔らかな表情からは王子との結婚を望んでいるということだけが伝わってくる。

 確か、『かえるの王様』で出てくる姫の父親は、お姫様に強く命じたのだ。カエルに親切にしてあげなさいと。その設定にだけ忠実なのかもしれない。ユウキはそんなことを考える。

 フリッツ王子は重みのない愛の言葉を吐き続ける。だが、ユーリアの顔には今までにはない鬱屈した影があった。

 そして言葉にもいつにない棘がある。


「わたくしのことなど放って置いていただけません? どうせ政略結婚ですもの。お好きにすごされたら良いのですわ」


 彼女にあんな顔をさせる感情は怒りだろうか。それとも。


『あの人、あんな風にわたくしを愛していると言うけれど、あれは嘘よ』


 ユーリアの言葉を思い出しながら、何気なく二人を見つめていると、ユウキはどこからか視線を感じた。

 目線をユーリアから逸した途端、ユウキはぎょっとする。王子がこちらをじっと見つめていたのだ。なにか、ものすごく驚いたような表情で。

 例えるなら舞台から降りて素に戻ったような、作り物でない表情だった。


(え?)


 ユウキは戸惑う。どう反応すれば良いものかと迷っているうちに、王子はそそくさと食事を終えて席から立ち上がった。

 そして誘うようにユウキをじっと見つめると、「少し庭を散歩させていただきたいのですが」とユーリアに向かって言った。


「どうぞご勝手に」


 ユーリアは素気ない返事を返す。その目は彼を見ようともしなかった。



 *


 食器を下げるついでにユウキは厨房から外へと飛び出す。あとで仕事をサボったと怒られるかもしれないけれど、その時はその時だった。

 よく手入れがされた薔薇の咲き誇る庭には甘い香りが溢れていた。密かに王子を探すが見当たらない。

 蔓性の薔薇があちこちに這わせてあり、見通しが悪いのだ。


(……どこに行ったんだろ……?)


 そう思ったときだった。薔薇の垣根の向こう側から出てきた腕にユウキはとらわれる。


「来てくれたんだね」


 気がつけばユウキはフリッツ王子の腕の中にいた。


「会いたかった。会いたかった――だけど、どうしてこんなところに。君は隠れていなければいけないのに」


 突然愛の告白を受けたユウキは悲鳴を上げかける。だが、彼の視線に射抜かれて言葉を失う。

 ユウキはこの目を知っているような気がした。それが、クリスが自分を見つめるときの目にそっくりだったのだ。

 ユウキははっとする。

 昨晩考えた案――カエル王子の正体について新しい解釈が急に思い浮かんだんのだ。


(もしかしたら……カエル王子の変身って……まさかクリスがフリッツ王子の皮を被ってるとか……?)


 そんな非現実的な事があるわけがないとも思う。だけど、この世界はそもそもが童話の世界で、ユウキと言う不思議要素は備わっているのだ。

 《まさか》と《もしかして》の間でユウキは揺れ動く。《もしかして》のせいで腕を押しやれないままにユウキは彼の腕の中で彼の独白を聞いた。


「戦が始まる。だから君は安全なところに戻るんだ」


 王子は必死だった。何と答えていいかわからずにいると、彼は何かおかしいと思ったらしい。


「どうしたんだ。どうして僕をそんな目で見るんだ?」


 王子はたまらないと言いたげに、ユウキの顎を持ち上げると唇を寄せる。

 いきなりやってきたクライマックスにユウキは焦りに焦った。


(う、わ、ちょっとそれは待った!)


 ユウキも『かえるの王様』にバージョンが存在することも知っている。つまり王子様がお姫様のキスで元の姿に戻るというやつだ。

 だけど、今、ユウキはお姫様の役についてはないし、なにより仮説は仮説でしかない。

 いや――つまるところは、


(やっぱりクリスが相手じゃないと嫌だ――!!)


 いくら王子の中身が本当にクリスだったとしても、これを今受け入れては後悔する気がしてしょうがない。

 ユウキは慌てて王子の腕から逃れようとする。だが、鍛えられている腕は簡単には解けない。半狂乱になりながらユウキは近づいてくる王子の顎を押しやった。


「どうしたんだ。どうして僕を拒むんだ」


 王子は自分を拒むユウキを見て、悲しげに顔をしかめる。

「どうして」そう問いながら、それでも彼は唇を寄せるのを止めない。


「オフィーリア、なぜ」


 とたん、頭の中に僅かに残っていた《もしかして》がいっぺんに吹き飛んでしまった。


「はぁ?」


 ユウキは直後、ぱちん、という痛々しい音が庭に響き渡るのを聞いた。同時に自分の右手の手のひらに鋭い痛みが走るのも感じる。

 その名には覚えがありすぎた。そしてその名を持つ女性でかつ、ユウキにそっくりだというならば、おそらくはユウキの知っているオフィーリアと同一人物に決まっていた。


「オフィーリア?」


 赤くなった頬を抑えた王子が、目を瞬かせている。ビンタで頭が冷えたのか、やっと目の前の人物について、素性を考える余裕ができたらしい。まじまじとユウキを見つめたあと、


「あれ? 髪が黒いのは変装かと思ってたけど……目まで染められる……のか?」


 つぶやいたあと、「え?」と夢から覚めたような顔になった。表情から《愛しい》と呼べるような色が一気に抜け落ち、そして彼は真っ青になった。


「別人? って、え、君は何者なんだい? 僕はてっきり――」

「……どういうことです?」


 聞きたいことは山ほどあったけれど、混乱しすぎてそれだけしか言えなかった。王子は目を泳がせて頭をガシガシとかく。


「ええとまずユーリアを差し置いてってことなら、えっと、あの、彼女は知っているんだ。僕に婚約者が居たってことを」


 浮気発覚ということを恐れているのだろうか。


(そりゃあ、アレだけユーリア様に言いよっておいてこれはないよね!)


 ユウキは思わず半眼になった。


「それがオフィーリアですか?」

「ああ」


 王子は認める。


「じゃあ、なんであなたはユーリア様と結婚しようとしているのです」

「婚約者というのは過去のことだよ。――オフィーリアが、結婚してしまったから」


 王子は遠くをじっと見つめる。海のある方向だった。


「オフィーリアはリーベルタースの第五王女でね。あの国はうちのもつ領海と航路が欲しかった。だから娘を僕にという話だったんだ」

「リーベルタース……?」


 誰も口にしなかった国の名前。今になってどうしてそれがするりと出てくるのだろう。ユウキは意味を考えてゾッとする。


(もしかして――欠損が関係してる? 物語が進んでる?)


 王子はユウキがリーベルタースを知らないと思ったらしく補足する。


「南の大陸にあるだろう? 大きな国が二つ。リーベルタースと、ええと」


 何か記憶を探る様子があった。じれたユウキは思い切って彼の話を遮る。


「パンタシア、ですか」

「ああ、そうそう。ど忘れしていた」


 手がぶるぶると震え始める。王子は青い顔のユウキを見て、不可解そうに首を傾げた。


「オフィーリアはね、パンタシアの王子に見初められてしまったんだ。そうなれば、小国の王子なんかもう相手にしてもらえない。僕は振られたんだ」


 王子はそう言った。だが、のどに小骨が引っかかったような気持ち悪さが広がっていくのがわかる。


(じゃあ、さっきのは一体なんなの? 会いたかったって――)


 先程の抱擁は、親愛のハグと言うには熱烈過ぎた。政略結婚の婚約者にするような行為ではないと思えた。あれをごまかせると思っているのだろうか。だとしたら馬鹿にしすぎている。


「だからユーリア様は、あなたとの結婚を嫌がられるのでしょうか? あなたがオフィーリアを愛しているから?」


 慎重に確認をする。酷い矛盾が横たわっているのがわかるのだけれど、うっかり尻尾を掴み損ねたら逃げられてしまいそうだった。


「未練を捨てきれないのを見抜かれたんだろうな。可哀想なものだろう?」


 王子はそう言って笑う。そして話はこれで終わりとでもいいたげに口をつぐんだ。

 王子の話を組み立てると、こうだ。

 オフィーリアと政略結婚の約束をしていた王子は、リーベルタース側の都合で婚約が破棄された。だからユーリアと結婚することになった。


(そこまではわかる。だけどおかしいのは――)


 オフィーリアはパンタシアの王子、つまりクリスと結婚した。だが、オフィーリアが海に落ちて、結婚は不履行になったはず――

 そこまで考えたユウキはハッとした。


(えっ――もしかして、クリスは本物のオフィーリアと結婚したとか!?)


 ショックで目の前が真っ暗になりかける。


(いや、だけど!)


 《御伽噺奇譚》では人魚姫を探し続けていると書かれていたし、なにより先程から胸に引っかかっていた違和感が衝撃をはねのけた。

 少し前に考えた、オフィーリアユウキが行方不明になったあとのパンタシアとリーベルタースの関係についての不安が、先程のフリッツ王子の発言や周囲の人間の発言と結びついたのだ。


『戦が始まる』

『南の大陸で』


 まさか、それは。


「ちょっと待ってください。さっき『戦がはじまる』っておっしゃいましたよね!? それって」

「パンタシアとカタラクタの戦だよ」

「え、なんで」

「パンタシアの王子をカタラクタの人間が暗殺しようとしたらしくてね」

「……!」


 ユウキは思い出す。エミーリエが寝室に忍び込み、クリスを刺そうとしたことを。そして、クリスをかばったユウキがその刃を受けたのだ。


(でも、刺されたのはわたしで、クリスじゃないのに……なんで?)


 考え込んでいると、王子が憂鬱そうな顔で、「そんなことも知らないのか?」と小さく呟いた。まるでこの世界ののように。


(え――? でもさっきまで国の名前もはっきりしていなかったはず)


 やはり欠損が修復されているのかもしれないと思った。ふわふわしていた部分がきちんと考え直されて漏れていた設定が埋められる。

 国の名前が分かると、各国の情勢などが次々に展開されていくのがわかる。バラバラだった世界が結びついていくのがわかった。

 リーベルタースで見た地図では、大陸の北には海が広がっていた。海には点々と島国があったはず。


(ここは、リーベルタースとパンタシアの北。海の小国だ!)


 そしてどういうわけかパンタシアがカタラクタと戦をしようとしている。何もかも放り出して、今すぐにクリスの傍に飛んでいきたいと思う。


(だけど――どうやって!?)


 ここは海の小国。ならば大陸に渡るには船に乗らねばならない。そして大海を旅するには大型船でなければ無理だ。海の旅が可能な力を持つ人間は限られている。

 ユウキが必死で方法を模索していると、王子はふと笑った。


「そういうわけなんだけど……君、さっきのことを誰かに話す予定かな?」 


 穏やかな声にユウキは目線を上げる。だが笑顔なのに目が笑っていなかった。これは脅しだとすぐに理解する。

 そしてこの世界では、口封じは法に触れないかもしれない。相手が権力者ならなおさらだった。


「話すつもりなら、処分を考えなければならないのだけれど、それも残念だと思ってね。君みたいな若い女の子を――こんな風に」


 王子は人懐っこい笑みを浮かべたまま、ユウキの首を素早く掴んだ。


「――!?」


 じわじわと締めていく。あとほんの少しでも指に力が入ったら、ユウキは窒息するだろうというギリギリの力加減。だからこそ本気だと思う。


(この人が、いい人そう?)


 最初に抱いた印象がどんどん剥がれていく。

 目がチカチカしてきて、苦痛に顔をしかめると、王子の顔に動揺が走った。指から力が抜け、ユウキは大きくむせる。


「……話、しません」

「うん……、それが賢明だね。君だって仕事を失いたくはないだろうから」


 フリッツ王子はくるりと踵を返し、庭を立ち去ろうとした。ユウキは一瞬迷ったけれど、一か八か質問を投げる。首を絞められたばかりで、危険は承知。それでもやってみる価値はあると思ったのだ。


「殿、下」

「ん?」


 呼びかけに王子は振り向かなかった。


「殿下は……戦をやめさせることができるのではないのですか?」


 ユウキには確信があった。彼はユウキを見て、普通にしか驚かなかった。のだ。

 なぜなら、オフィーリアは、海に落ちてか、もしくはなはずなのだ。

 それを知っているはずなのに、彼は驚かず、さらには隠れていろとユウキに命じた。

 つまり、王子はオフィーリアが生きていると知っている。そして、おそらくどこに居るかも知っているのだ。

 王子がユウキを脅したのは、を知られるのが怖いからだ。そして消したほうが確実なのに、手をくださないのは、きっとユウキがオフィーリアに似ているから。


「おやおやなんだ。何も知らない顔をしていたから油断していたな。そうか君は――」


 王子は、振り向いた。


「やっぱり死にたくなったのか」

「いいえ。約束通り誰にも話すつもりはありません。ただ……を守りたいだけです」

「ユーリアのことか?」


 王子は訝しげに眉をひそめる。


「ユーリア様もですけれど、それだけではありません。戦になればたくさんの犠牲が強いられます。王子殿下の国も無傷では済まされないのでは」


 時間が惜しかった。一刻も早くクリスのもとに駆けつけたかった。だけど現実に帰ってもう一度飛び直しても、また別の話に飛んでしまうかもしれない。


 この話がどう転がってもかまわないと思った。

 たとえ、致命的なエラーを起こして、ここから出られなくなったとしても。

 ユウキは、今、どうしても船に乗りたかった。そしてフリッツ王子は、それを持っている人なのだ。

 これは賭けだった。王子にも手に入れたいものがある。先程、彼の腕の中でユウキはそれを実感した。クリスの眼差しと王子の眼差しは同じだったと思えたのだ。ユウキはそれに賭けたかった。

 大きく息を吸い込む。


「――殿下、わたしと取引しませんか?」

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